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Tales 108【イノセントパニック】

 ガランゴロンと馬車が駆ける音は、現代じゃろくに耳馴染みがないはずなのに、不思議と落ち着く感じがする。

 ぽかりと開いた街道に響く蹄と車輪の唄のコーラスが、頬撫でる風もあいまって心地良い。



 秒速で流れ行く景色を眺めていれば、ふと、爺ちゃんの車の後頭部座席で見た、窓の外を思い出した。

 虚っぽだった俺の目に映った、海の潮騒のブルー。

 あの頃ほど無感情とはいえないけど。

 心を空の向こうに持っていかれてる事に変わりはない。



「気を引き締めろとは言わないけれど」


「ん?」


「隣で緩みきられても困りものね。そんなに良かった?」


「⋯⋯誰だって予想外の事されれば面食らうもんでしょうが」


「驚きの後味は長引くものだから、かしら」


「なんか棘を感じんだけど」


「気のせいよ」



 だったらせめてこっち向いて話してくれませんかね。

 そんな願いも馬耳東風。青藍の眼差しは、前を走る荷馬車にかっちり固定されたままだ。

 太陽はもうあんなに真上にまで移動してるっていうのに。

 お嬢に面食らわされた感触と、セリアの視線の行く先だけが変わらない。

 馬車馬の手綱を握る彼女の爪が、少し尖って見えた。



「馬車の運転って疲れないの?」


「少し勝手は違うけれど。馬上で剣を振る事と比べれば楽ね。手綱、持ってみる?」


「馬にすら乗れない奴に任せちゃダメでしょ」


「状況によっては、出来なくてもやらなくちゃいけない事もあるわ」



 そう言いながらも手綱を離さない辺り、冗談のつもりなんだろう。

 シニヨンからあぶれた青いサイドヘアーが、鳥の羽根みたく風を流していた。



「とはいえ、私は運転にかかりきりになるだろうから。周囲に気を配るのは貴方に任せるわ」


「連絡役とか?」


「それもあるけれど⋯⋯」



 ちらりとセリアが一瞥したのは、馬車の中。

 そこには、寝かせられた大きな棺に手を当てて座り込む、真っ黒なローブを纏った、俺達以外の同乗人の背中があった。



「『周囲』、よ」


「⋯⋯りょーかい」



 声をかけて来いって事ね。

 相変わらず表情自体は冷たいくらい涼し気なのに、面倒見が良い人だよ。




────

──


【イノセントパニック】


──

────



「トト」


「⋯⋯」


「馬車に乗るのって始めてなんだろ。酔いとか問題なし?」


「平気」



 少し背筋を伸ばせば頭が天井に届きそうで、必然的に中腰になる。

 曲げた膝に手を当てて尋ねる姿勢は、子供相手のものでしかない。

 手短に頷いたトトの瞳に、体調を偽る強がりもな、子供扱いに対する抗議も浮かんでいなかった。


 そういう年齢不相応の寡黙さは、かえって見た目以上の幼さを感じさせた。庇護欲ってのを掻き立てさせるというか。

 セリアがトトを気遣う素振りを見せたのは、ひょっとしたらこれが理由なのかも。



「⋯⋯」



 けれど当の本人は棺に手を当てたまま、木目の荒い馬車の床をジッと見つめている。

 馬車に乗り込んでからの数時間、ずっとだ。

 俺達の分を含めた最低限の荷物と、大きな棺と寡黙な少女。

 それ以外には"何もない"伽藍とした空間が、陽光が差し込まないこともあいまって、物寂しい。


 まぁ、他に荷を詰めなかったのは棺が大き過ぎたからって理由もあったんだが。



「その棺とマザーグースって、レアメタルで出来てるんだっけ? えーっと、バルーンシャルルン⋯⋯とかそんな感じの」


「違う。『シャルバルーン』」


「そうそれ。魔力を流し込むと軽量化されるって鉱石。質量保存の法則もびっくりな話だけど⋯⋯今もトトが流してるんだろ?」


「そうしないと、お馬が、走れないって」


「あぁ。俺は魔力持ってないし使い方も分からないけど、魔力ってそんなにずっと流してられるもんなのか? 疲れたりしてない?」


「魔力、そんなに使わない。一日中流してても、トトなら平気、かと」


「⋯⋯一日中でも保つのか。すんごいなそれ」


「⋯⋯」



 マザーグース。トトを語るに切っても切り離せないほどのインパクトを残したあの巨像。

 あれだけの巨体と、景虎との競り合いにも勝る質圧からして、相当な重量がある事は想像に難くない。


 そんな彼女を納めた棺を馬車に乗せても問題ないのか、という懸念はあったのだが、実はそういう絡繰(からく)りがあったとは。

 でもよくよく考えてみればあって然るべき仕組みだった。

 じゃなきゃトトほどの小柄で棺を背負えるはずもないし、魔力糸で操ろうにも重すぎて動かないだろうし。

 とはいえ一日中魔力を流してても平気って。

 つくづく、目の前の少女が規格外な存在であるらしい。



「そういやさ。お嬢から貰ってた服。どんなのがあるか、もう確かめた?」


「⋯⋯まだ」



 棺の側にそっと置かれている中身が詰まった紙袋を指差せば、トトは静かに首を横に振った。

 言わずもがな、お嬢が姉弟子たるトトに贈った洋服だ。

 年頃の女の子なら多少なりとも興味を惹く内容とは思うのに、やはりそういう面でも、トトは普通とは違うんだろうか。



「お嬢ってネーミングセンスはアレだけど、見栄えとか美的センスは自分で言うだけあってかなりイイと思うんだけど」


「⋯⋯そこの心配、してない」


「⋯⋯じゃ、もしかして。悪魔憑きの自分になんて、とかで躊躇ってんの?」


「⋯⋯」



 デリカシーのない聞き方だけど、トトぐらいに寡黙な子相手なら、単刀直入の方が良いのかも知れない。

 感情の浮かびずらいトトの瞳が、一度だけ紙袋の方へと向いて、すぐに逸れる。

 臆病な小動物めいた微動が、沈黙に隠した躊躇いの核心を雄弁に物語っていた。



「図星か」


「⋯⋯だって」


「んなもん気にしなくたっていいんだって。お嬢も言ってたけど、悪魔憑きがどーのとか、そんなの着飾っちゃいけない理由にゃならない。誰かに迷惑かかる訳でもなけりゃ、咎められる筋合いなんてねーんだからさ」


「⋯⋯」


「それとも、洋服とか全然全くこれっっぽっちも興味が湧かないか? それだったらまぁ、無理強いはしないけど」


「⋯⋯⋯⋯」



 手を伸ばし、紙袋を手に取って、トトの正面に掲げてみる。

 小刻みに鳴る紙袋の行方を追う大きな瞳が、曖昧ながらも小さく揺れていた。


 背を押すには、少し強引で意地が悪いのかも知れない。

 でも殻に閉じこもりがちな子には、むしろこんくらいしないとな。

 それに、お嬢の善意をただのお節介に留めておく事だけは、したくなかったから。



「⋯⋯なくは⋯⋯⋯⋯ない、かと」


「なら、自分の興味に従えば良い。そんだけの話なんだよ」


「⋯⋯」



 深刻な道徳を持ち出すつもりはない。

 でも、せっかく殻の外へと足を踏み出したのなら、多少のわがままくらい許されたって良いだろう。



「ま、だから色んな事に興味もって、色んな事試していけばいいよ。少なくとも俺やセリアの前じゃ、遠慮しなくたっていいから」


「⋯⋯⋯⋯うん」



 今はまだ、手渡されたモノの中身に意味を見い出せないとしても。

 いずれは、ほどほどに抜けた肩の力で笑えるぐらいに。


 まっさらな両手で紙袋を受け取り、スローモーションな動きでガサゴソと閉じた袋を開くトトの姿はまるで。

 浮き輪を抱きしめながら泳ぎ方を覚えようとする、あどけない子供のようだった。


 そこまでだったら、良い話で済んだんだろうけど。



「⋯⋯これ、なに?」


「お、ワンピースじゃん。水色か。流石お嬢、ちゃんと似合いそうなの選んでるなー」


「⋯⋯着てみる」


「お、乗り気。いいね、なんだかんだやっぱトトも年ご、ろ、の⋯⋯⋯⋯って、待て待って待って! トト! タイム! ストップ! なに脱ごうとしてんの!?」


「?」


「小首傾げてんじゃない! って、もう脱いでるし! てかローブの中、下着⋯⋯⋯⋯っっ、セリア! セリアー! やらなきゃいけない時、早速来ちゃったんですけど!?」



 ってな具合に、物寂しかった馬車の中は、ものの見事にてんやわんやな空間に早変わり。感心してらんないビフォーアフター。


 もうなんか、あどけないにも程があった。

 畜生、あの魔女。保護者って顔するならしっかり情操教育くらいしといてくれよ。

 そんな風に恨み言を呟き、サクッと刺さるセリアからの冷たい視線を受け流した昼下がり。



 尚、無垢な少女が引き起こした騒動はこれだけで終わりではなかった。




◆◇◆




 今更言うまでもないが、いかに早く目的地に辿り着くかを念頭に置いガードリアムへの旅程は、結構なハードスケジュールだ。

 となれば、街道に結ばれた街や村々を一旦の休息地と定める訳でもなく、一日で行ける所まで行く、という強行ぶり。



 つまり、基本的に野宿である。

 夜風に晒された平原ど真ん中で火を起こし、即席の天幕やらテントを張り、馬車に詰んだ食料で食事を摂り、交代制で就寝する。

 それは旅立ちの初日であっても変わらない。


 ただ、流石はエルディスト・ラ・ディー。

 セリアが感嘆の息を漏らすほどに統率の取れた動きで、草花揺れる平原に、立派な野営がポンポンと出来上がっていく光景はまさに圧巻だ。

 さながら規模の大きな遊牧民。ここだけ抜き取っても、並の傭兵団ではない事が俺にも分かるほどだった。



 とはいえ、流石に慣れない旅には疲れも溜まってしまったらしい。

 夕食を平らげて、設営を手伝ったテントの一つを潜るや否や、睫毛の上を重い睡魔がどっしりと腰を据えていて。

 気付けば意識はあっという間に眠りの園へと旅立ったのだった。



 そこまでは良い。

 そこまでの記憶は寝惚け頭のふやけた脳味噌でも、辛うじて拾い上げられる鮮度を持っていた。


 だからゴソゴソとした衣擦れみたいな音に起こされて、目を開けた先が真っ暗ながらもテントの天井だってのも、なんとなく分かったけど。



「⋯⋯⋯⋯起きちゃった」


「んぁ⋯⋯⋯⋯トト?」


「⋯⋯うん」


 眠気で舌が痺れたような声は、暗闇に溶ける誰かのもの。

 思い浮かんだ心当たりは、どうやら当たりだったらしい。


 夜目になれない視界に、ぼやりと灯る淡藤色の魔力糸が闇に溶けてたトトの輪郭を浮かび上がらせる。

 ぼーっと俺を見つめるアメジストが、パチパチと瞬いた。


 いや、違う。そうじゃない。

 線香花火みたいで綺麗だとか見惚れてる場合じゃないよな、これ。



「⋯⋯なにやってんの」


「興味に従ってる」


「はい? 興味?」


「うん。トト、ナガレに興味がある。だから、従ってる」



 多分、昼間の話のことだろうか。

 いや確かにそんな話したけど、対象が俺って。

 そういえば昨日ネルさんが契約云々の話に、トトが俺に興味持ってるみたいなこと言ってたけども。


 で、だからってなんでこんな状況になってんの。

 聞きたいことがあるなら、何も寝てる時じゃなくたっていいのに。

 寝起きの頭にはちょっと理解しがたいというか。



(⋯⋯⋯⋯あれ)



 てか、ね。

 なんで太腿辺りがスースーしてんだよ。

 ペタって触れてるトトの手の小さい感触がダイレクトなんだけど。

 うん。俺が履いてたズボン、"若干脱げてないか"、これ。

 寝起きじゃなくても理解し難いよなんだよこの状況。



「お師匠様が、言ってた」


「⋯⋯ネルさんが」


「"命を作り方"」


「命⋯⋯⋯⋯えっ」


「⋯⋯お師匠様、言ってた。ナガレみたいな男の人は、へその下に、命を作る種を持ってるって」


「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯」



 おい。

 えっと、あの。

 凄い嫌な予感するんだけどさ。

 それって、色々ぼかしてっけどさ。

 つまりアレじゃん。

 幼気(いたいけ)な少女になに吹き込んでんだ、あのぐーたら魔女。馬鹿なのか。脳細胞死滅してんのか。



「命を作る種。興味がある」


「⋯⋯⋯⋯いやいや」



 そんな珍しく目の色を光らせて、興味あります、って顔されても。

 トトからすればマザーグースに命を、みたいな展望が見えてんのかもしんないけど。


 だからって、見せろと?

 変態か。死ぬわ。精神的にも社会的にも。

 なにこの自分の子供に「赤ちゃんってどーやって出来るの」って聞かれてるみたいな感じ。

 いやレベルが段違いか。状況的にはもっとしんどい。

 どうする。いっそコウノトリ理論行くか? でもこっちにコウノトリ居んのか? キャベツ畑にしとく?


 なんて、あまりに予想外の展開にぐるぐるぐるぐると頭の中が大パニック状態に陥っているところで。

 狼狽を通り越して混迷をキメちゃってる俺を見兼ねたのか、無垢な少女から救いとも言える蜘蛛の糸が、垂らされた。



「難しい?」


「へ? あ、あー! まぁ、すっごい難しいねこれはね! 色んな所が色んな意味で大問題なんで!」


「⋯⋯分かった。なら、見せてくれなくてもいい」


「え? そ、そっか。いや悪いね、今日言ったそばから遠慮させて」



 垂らされた、かに見えた。

 なんだったら後光が射したかのようにさえ。

 でも。



「代わりに、採取させて。コンビニエンスこんなこともあろうかと


「は? いや採、取⋯⋯って⋯⋯⋯⋯」



 トトが収納魔法から取り出した"とあるもの"は、暗闇の中ですらぼんやりとフォルムが見て取れた時。

 それが、なんというか、【でっかい注射器】みたいな形をしてることに気付いた時。



「命の種。研究、楽しみ」


「⋯⋯⋯⋯た」



 垂らされた糸はプツンと切れて。

 暖かな後光は、安堵した俺の身を灼く閃光と化した。



「⋯⋯た、た⋯⋯楽しまれてたァァァァまるかぁぁぁぁぁぁァァァァァァァッッッ!!!」



 テントから脱兎の如く飛び出して、月の綺麗な夜に吠える。

 冗談じゃない。冗談で済まない。いやほんと無理。

 喉から血が出るほどの大絶叫に、火の番してた団員がギョッと目を剥いてたけど、もう眼中に収めてられない。



 あぁ、でも、と。


 やっべー事を(のたま)いながら、ほにゃ、と表情を緩ませたあの無垢な少女は。


 不思議そうな顔をしながら、逃走を始めた俺の後を、注射器担ぎながら追い掛けてくるトト・フィンメルは。


 確かに、畏れられし闇沼の魔女の、弟子なんだなと。


 のっぴきならない恐怖からただひたすらに逃げながら、そんな嬉しくもない再確認を果たしたのだった。




 とりあえず、次にネルさんに会った時は全力で抗議しよう。

 訴訟も辞さない。そう心に固く誓った。






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