Tales 106【I'll just say "Good-bye"】
「それって⋯⋯トトを連れてけ、ってこと⋯⋯?」
「んむ。不満か?」
「不満っていうか、なんでいきなり⋯⋯」
ネルさんが言いかけたもう一つの用向きとはこれだったんだろう。
とはいえ些細な点と点が繋がった所で、戸惑いが薄れる訳じゃない。
当然のように沸く疑問は言葉にせずとも伝わったのか、魔女は致し方なしといった風情で耳元の蛇ピアスを弄んだ。
「お主も闘いを通して多少なりとも感じ取るじゃろうが、こやつは世間知らずの未熟な蛹じゃ。世界というものをまるで知らぬし、映さぬ。童のままであればそれも良いだろうが、悪魔憑きとて育つモノ。なれば、いつまでも蛹のままでおる訳にはいくまいて」
「ならなんであんた自身が世界を見せてやらない」
「そりゃぶっちゃけ旅とかめんど⋯⋯じゃなくて、こなたは魔女であり精霊奏者じゃ。おいそれと歩み巡ればそこかしこで混迷と叫喚を呼ぶ。なれば、世界を見るどころではない。いや、それもまた世界の一理であることには変わりないがの」
一瞬またぐうたらな本音が顔を覗かせていたけど、もう一々触れていられない。
意外だったのは、トトの憐憫すら抱かせる執着をネルさんも危惧してる素振りを見せたこと。
てっきり執着を利用して闘魔祭にけしかけたんじゃと予想もしていたが、そうじゃないのかも。
「⋯⋯言いたい事は分かる。けど、トト自身はどうなんだよ」
「童め、察さぬか。お主にこの条件に持ちかけたのも、母親を偶像を追い求めることしか頭になかったこやつが珍しく興味を持ったから故よ。でなくば、今日会ったばかりの小僧に弟子を預けようなどと思うまいて」
「俺に興味⋯⋯か」
どうやら本人も了承済みらしい。
自分のことながら一言も口を挟まずに、ひっそりと静観していた少女へと向き直ると、覗き込むように目を合わせる。
アメジストの大きな瞳はぶれることなく俺の姿が映り込むほど、無垢だった。
「ほんとに、あんた自身の意思?」
「⋯⋯うん」
「この面倒くさがり魔女に無理矢理とかじゃなく?」
「⋯⋯うん」
「誰が面倒くさがりか」
やんわりとした抗議はそのまま右から左へ。
小さく頷きながらも、トトはぼうっと俺を見つめている。
俯くでもなく、逸らすでもなく。
まるでそれしか知らない、あどけなさとも映るけれど。
「⋯⋯言われたから」
「え?」
「あなたに。世界を、見渡せって⋯⋯だから」
「⋯⋯⋯⋯そっか」
貰った言葉をそのまま抱きしめている、幼子のよう。
無垢で純粋で、纏う黒とはどこまでも正反対。
けどそれ以上に紫に彩る丸鏡の双眸には。
いつか見た"常夜灯の小さな光"が、薄い虹のように帯びていた。
◆◇◆◇◆
『んむ、何もこの場にて結論を出せとはいわぬ。そうじゃの、明日の朝、お主らの結論を聴くとしよう。じっくり考えるなり、話し合うなりすれば良いぞ』
耳に残る先送りの優しさをまばたきに溶かしながら、ベッドに寝転がる。
しばらくお別れとなる天井がいつもより高く見えたのは、迷ってるからなのか。
魔女の条件を呑むか、否か。
セリアは「貴方の判断で決めていいから」と言ってはくれた。
とはいえ、すっぱり自分の心だけで答えを出すのは楽観的にも程がある気もする。
俺だけの問題じゃないだけに、考えておく必要があるのは尚更だ。
「どうしたもんかな⋯⋯⋯⋯ん?」
そんな折に響いたのは、堅いノックの音。
誰だろうかと身を起こした矢先に開かれた扉の向こうには、いつもの溌溂を潜ませたお嬢が待ち構えていて。
「お嬢⋯⋯」
「少し、わたくしと歩きませんこと?」
エスコートを求めるように手を差し出した彼女に、俺は慌ててジャケットを羽織ったのだった。
◆
「闘魔祭も終わったのに、まだ賑わい足らないって感じだな」
「国を挙げての祭儀ですもの。風の精霊といえど、四年に一度の余韻を攫うのにはなかなか梃子摺りますわよ」
仕草そのものはエスコートを求める令嬢のそれだったとはいえ、先導役とばかりに先行く辺りはいつものお嬢らしさだろう。
通り過ぎた繁華街の賑わいに触れてみれば、エルフめいた切り返しに微笑を添えていた。
繁華街を抜けた広場の先、貴族街と王城へと続く道を、他愛のないやり取りを交わしながら歩く。
「セントハイムに来て以降も、修行だったり闘魔祭だったりで忙しかったよなぁ。どうせならもっと大国ならではの店とか、貴族街の方にあるっていう劇場とか行ってみたかった」
「気持ちは分からなくもないですけれど。お財布の紐が緩いナガレのことですし、アレコレと無駄遣いするよりは良かったんじゃありませんの?」
「お嬢様らしくない発言じゃん」
「旅する身ですもの、性に合わずともそれなりの倹約は心掛けてますわよ」
「とか言って、調子乗って散財した時に、アムソンさんに窘められたからとかじゃないの?」
「⋯⋯従者の言葉を耳に入れるのも、主人たる者の努めですの」
「ははは」
取り留めのない会話。まるで本題に触れないような口調べは、どちらともなく。
やがて辿り着いたのは、街並みの灯火が星屑みたいに散らばって見える精霊樹側の高台。
決勝前にピアと訪れたこの場所で、僅かに白む息と共に振り返ったお嬢に見つめられたのなら、自然に悟る。
「わたくしは、強くなりたい」
長いようで短い時を共に過ごせていた中で。
きっとここが、俺達にとっての一つの区切りになるんだって。
────
──
【I'll just say "Good-bye"】
──
────
魔女が提示した条件を呑む事に、特別不満はなかった。
直接闘う前までの、どこまでも虚ろめいた人形のような彼女だったら多少なりとも悩みはしていたかも知れない。
それでも今日、目線を合わせて見つめた意志の光は、まだ弱く儚くもあったけれど、確かにトト自身の願いだったから。
だから、言ってしまえば迷う理由なんてなかった。
お嬢もネルさんの弟子入りを果たせ、俺たちもトトという力強い味方を加えることが出来るし、むしろ渡りに舟ともいえたのだが。
何事も、そう俺達の都合良くは進んではくれない。
『そうそう。言っておくが、こなたの弟子となるのならば、お主と従者はガートリアムに戻ることは許さんぞ』
『なっ⋯⋯どうしてですの?! わたくし達は元々、ガートリアム⋯⋯いえ、ラスタリアに請われてここまでやって来ましたのに! それでは途中で投げ出すような形になるじゃありませんのっ!』
『そんなもん、こなたの知ったことではない。良いか、エルフの娘っ子よ。お主は"自ら、深淵の魔女カンパネルラの弟子と成る事を望んだ"のじゃぞ。返り討ちの末になどではなく、己の言葉で、己の意志で、誓いを立てた。
こなたがそれに応えるという事は、魔女たる者の矜持にかけて、こなたがへっぽこなお主をしかと鍛えてやると認めたも同義。故に、生半可は許さぬと心得よ』
『⋯⋯ですがっ、請け負った助けの声を、掴んだ腕を道半ばで放るなど! わたくしの矜持に、グリーンセプテンバーの誇りに傷か付きますわ!』
『にはは、であろうのう。じゃが、先程問うたとはいえ、お主の覚悟が口先だけではない事を証明して貰わねばなるまいよ。
浅からぬ付き合いである者との手を離してでも。
自らの誇りに傷を付けてでも⋯⋯⋯⋯それでも望むほどの"覚悟"を、こなたに見せられるか、否か。
────魔女に二言はないぞ。ナナルゥ・グリーンセプテンバーよ』
都合。いいや、違うか。
きっと、本当の意味での"覚悟の重み"ってやつを俺は甘く見ていたのかも知れない。
魔女の弟子になるということ。力を乞い願うということ。
この世界のスケールを見通すには、育ってきた十八年間の瞳では、あまりに勝手が違い過ぎたから。
俺は、まだまだ子供だった。
「強くなりたい、か。ネルさんの弟子になる事だけが、強くなれる道とも限らないのに?」
「そうかも知れませんわね。わたくしが知らないだけで、落ちこぼれのエルフ一人強くする方法が、もっと他にも見つかるかも知れませんわ」
「ネルさんも言ってたけどさ、魔女の弟子になったお嬢を、領民達が認めない事だってあり得る。大事にしたい人達から、癒えようのない傷を付けられる未来だって、ないとは言い切れない」
「彼女が忌み地で暮らしている理由を考えれば、それくらい分かりますわよ。でも。それでもわたくしは、もっと強くならねばならないんですのよ」
もちろんさ、分かってる。
お嬢が強くなりたいと願う想いも、理由も。
他ならぬ彼女自身に教えて貰ったからだ。
言葉で。そして、果敢に闘う姿で。
この目と耳と心とで感じて来た時間が、俺にとっての真実だった。
分かった上で、無理矢理に危惧を紡いでいる。
そんな自覚に名前が付いてしまうなら「寂しい」って事になるんだろう。
「⋯⋯分かってるよ。お嬢って、ヘタレな癖に、頑固で、融通効かないからね」
「誰がヘタレですの。もう、本当に貴方という男は。こんな時でさえ、これーっぽっちもわたくしを敬おうとせず⋯⋯」
「口に出してないだけだって。負けず嫌いで、いつだって真っ直ぐで、臆病な癖に頑張り屋で。譲れないものを勝ち取る為なら、痛みも恐怖も乗り越えて闘える。そんなお嬢の姿を、ちゃんと見せて貰ったから」
「ナガレ⋯⋯」
お嬢とアムソンさん。
レジェンディアに来て、セリアと出逢って、ガートリアムに着いて、それからずっと。
一緒に馬鹿に騒いだり、窘められたり、世話を焼いたり、世話になったり。
年月で測れば、きっと短い。
けれど重ねた言葉や想いは、思い浮かべれば星屑ほどに蘇るほど、鮮明に色濃い。
だからこそ、分かる。
お嬢の決意は揺らがない。
ひたむきで、真っ直ぐだ。
「俺も最後には譲れないモノの為に、自分の為に闘えた。お嬢と比べちゃ馬鹿で一辺倒で、不格好にもほどがあったけど。俺がやりたい事をやれたのは⋯⋯お手本のおかげでもあったんだよ」
「──!」
ネルさんが一夜の猶予をくれたのは、きっと挨拶を済ませろという意味なんだろう。
心の整理をつけさせてくれるだけの、ほんのひと時。
トトの事もあるし、案外弟子には甘い人なのかも。
「……一度しか言わないから、耳の穴よーくかっぽじって聞いててよ、お嬢」
「え⋯⋯」
なら俺も、その甘やかしに乗じて、今夜ばかりは本音を贈りたい。
「臆病な俺に、勇気を出させてくれて⋯⋯ありがとう」
「────」
でも、長くて短いこの夜に、あれやこれやと言葉を尽くすのもスマートとは言えない。
だからこの夜に見合う手短さで、お嬢の強さを知った『あの時』をなぞってみれば。
大きく見開いた深紅が、やがてくすぐったそうに目尻を下げて。
見惚れるほどに綺麗に、淑女が微笑む。
「なら⋯⋯わたくしに敬語でも使ってみます?」
「全力でお断りしとく」
「ふふふ、無礼者。けれども、それで結構ですわ。今更仰々しくするナガレなんて、ナガレじゃありませんもの」
「そりゃ同感」
きっと、俺達にはこれぐらいが丁度良い。
寂しさを忘れるほどに語り尽くすよりも、身の丈にあった夜でいい。
その方が、再会を果たした時に、変に畏まらなくて済むだろうから。
「ナガレ」
「ん?」
「わたくしは、強くなりますわ」
「⋯⋯ん」
そうして、頭上の空と眼下の夜景。
鏡写しのように小さく確かな星屑達が満ちた世界で。
「だから一度……ここで、お別れですわ」
「⋯⋯あぁ」
彼女は気高く、誓ってみせた。
◆
高台の手摺に手を置いて、どちらともなく街並みを眺める。
そこにもう必要な言葉はなく、ただ寒空の風と遠い雑踏だけが響いていて。
人の手が灯した星屑のスパンコールは、夢中にさせるほど綺麗だったから。
「────」
隣の頬から落ちた雫が、手摺を少し濡らしたって。
気付かないふりをするのは、簡単だった。
【登場人物紹介】
『カンパネルラ』
精霊奏者、深淵の魔女
身長176cm 年齢不明
大きなグリーンの瞳と、オレンジ色の長髪。
耳に紅い蛇のピアス、左頬にある黒い三日月のタトゥーがある。
年寄りらしい口調であるものの、その外見は二十代前後と思わしきほど若々しく、身体付きも非常に蠱惑的。
身体のラインがくっきりでる漆黒のローブと、長い足を包む網タイツとブーツ、更にはくたびれた魔女帽子を身に着けている為、ナガレでも一目で魔女と察せた。
とんでもなくぐうたらで面倒くさがりな気質であり、例えば棚にある本を取るのにもゴーレムを形成して使役するほど。
性格も掴みどころがなく、魔女の威厳をあまり感じさせない。
だがその実力は紛うことなき傑物であり、彼女こそが精霊魔法使いの最高峰、精霊奏者の一人であり、土の精霊ノームを招くことが出来る者である。
【人智及ばぬ黒き底】の異名は伊達ではない。
また魔女と恐れられるほどの人格もしっかり持ち合わせており、基本的に己が魔導の探求が第一で、彼女にとっての他者の価値の水準は低い。
だが弟子には多少甘い面も見受けられるほどには、人間味がある人物である。