Tales 104【魔女カンパネルラ】
片や、表情一つ変えない黒衣の少女から。
片や、ベッドに寝転がる黒衣の女性から。
何日も過ごしてる仮の自室の風景にそろそろ抱いてきた馴染み加減は、前触れのない侵入者の出現によって息を殺してしまっていた。
ついでに、瞬時に埋め尽くす疑問符の雨あられに、こっちの呼吸も止まりかねない。
「トトよ。こやつで間違いないの?」
「うん」
「なるほどのう⋯⋯」
さりとて侵入者は愕然してる俺の事なんてお構いなし。
身体のラインがくっきりな黒ローブを纏ったその人は、寝転がってた身体をのんびりと起こした。
すわお嬢越えかと思わしき出るとこ出過ぎな体型が身をよじらす姿は大変色気があるのだが、半分フリーズした頭じゃ興奮など遮られる。
というか、上半身起こしただけでベッドからは降りないのかよ。
「どれどれ」
「⋯⋯」
しかもそのままマジマジと観察されてるし。
となれば、侵入者の大きな緑色の瞳と、必然的に視線がぶつかる訳だけど。
スッと伸びた鼻筋にふっくらした唇。
左頬にある黒い三日月のタトゥーに、三日月が際立つ真っ白な肌。
彩り濃いオレンジの長髪が、耳に繋がる紅い蛇のピアスと絡まるのを鬱陶しそうに払う仕草が、どこか幼く。
口調の割に若々しい、そんなちぐはぐな印象を与える侵入者な訳だが。
「さてはて、お主がナガレとやらか。うむうむほうほう……んむ。思ってたよりふつーな感じじゃのう」
「⋯⋯そりゃどうも」
なんて、失礼なことを平然と言ってくれるこの人が被っている帽子。
真っ黒で、ツバが丸く、てっぺんがよれてるこの帽子は所謂、魔女帽子というやつで間違いない。
「一応聞いとくけど⋯⋯どちらさま」
「なんじゃお主、察しが悪いのう⋯⋯仕方あるまい」
そこに、こないだ死闘を繰り広げたトトの存在を加味すれば⋯⋯目の前の美女が誰なのかは、言うまでもない。
「我こそは『ヒドラの肌』の奥深く、悪名高き【闇沼の畔】の主にして、セプテットサモナーの一人。
そうっ、その名も⋯⋯!」
────
──
【魔女カンパネルラ】
──
────
「どうじゃトト。此方、キマっとったか? ん?」
「お師匠様、微妙だった」
「⋯⋯⋯⋯」
(⋯⋯凹んでるし⋯⋯)
いやなんなんだよこの人。
微妙なポージングと共に派手に名乗ったと思えば、正直な弟子の意見に途端に無表情になるし。
しかも機嫌を損ねたのか、ふて寝を決め込むように再びベッドに寝転がる。威厳も何もあったもんじゃない。
これがあの、闇沼の魔女なのか。
ヴィジスタ宰相やルーイック陛下がたちまち顔色を変えるほどの存在だから、よっぽどぶっ飛んだ人物像を抱いてた訳だけども。
はやくも築いてきたイメージが当てにならないと悟った。
「あーそんで、魔女カンパネルラさん。結局何の用でここに──」
「まあ待て。積もる話をするなら、まずは茶の一杯出してからであろう。客人相手はもてなすのが礼儀じゃぞ、ナガレよ」
「⋯⋯気が効かなくってすんませんね」
うーん、この。
はやくもイメージ跡地にろくでもない印象オブジェが積み立てられていってるぞ。
「殊勝じゃのう。善い善い。ならば免じて、こなたが手本を見せてやろう。茶葉はどこじゃ」
「え? あの棚んとこだけど」
だらけながらも居丈高な魔女に軽く頬を引き攣らせながら、今朝セリアが置いてった茶葉入れを指し示す。
手本ってことは淹れてくれんのかな。何故か美味しい紅茶が出てくる予感しないけど。
なんて訝しみながら眺めていると、カンパネルラさんは軽く欠伸混じりに右手を挙げると⋯⋯パチンッと、指を小気味良く鳴らした。
「⋯⋯!?」
一体何やってんだこの人と。
指鳴らし終わるや、またもグデーっとだらける彼女を見る目の温度がまた一つ下がったところで、振り向いて。
ヌッと現れた物体に⋯⋯固まる。
「なっ⋯⋯!」
目の前に、"石像"が立っていた。
黄土色の粘土を丸めて出来たような角のないフォルムに、でっぷりとした身体と手足。
そして胎児に近い丸顔に埋め込まれた丸いパープルの宝石が二つが、黙々と俺を見下ろしている。
「なんじゃお主、ゴーレムがそんなに珍しいのか?」
「ご、ゴーレム?」
「んむ? お主、知らぬのか。土精霊魔法の使い手が身近におれば、そう珍しくもなかろうに」
急に現れた未知の存在に思わず驚いてしまった訳だけど、そのリアクション自体が物珍しそうに、彼女の眉が怪訝そうに潜む。
いや、ゴーレムってもの自体はゲームや創作で知る機会はあったし、お嬢も一度ガーゴイル云々と説明する際に軽く聞き覚えもある。
けれどこうして、ファンタジーの代表格を目にするとやっぱり驚かされるってのもある。
何より、それなりに精霊魔法使いに触れてきた今だからこそ、改めて驚かされる要素があったのだ。
「⋯⋯や、だって、指パッチンだけって。詠唱もなんもなしに」
「⋯⋯あぁ、なんじゃ、そんなことか」
そう。セリアやお嬢が使ってた詠唱技術さえ介さずに、魔女はゴーレムを出現させていた。
指鳴らし一つ。詠唱も魔法陣もなし。
スペルアーツを習得するのにさえお嬢が苦労していたのを知っていれば、些細な違いが、とてつもない練度の差とさえ映る。
しかも、片手間に為した魔女自身は心底こともなげ。
彼女の気取らなさに、ようやく目の前の魔女の魔女たる所以を目にしたように思えた。
「いちいち口説かずとも精霊共とは持ちつ持たれつじゃ。ちぃと買い物に付き合わせるのに、薔薇の花束片手に跪いて頼む奴とかめんどいしキモいじゃろ」
「そりゃ、まぁ⋯⋯例えが極端な気もするけど」
「なにを言うとる。お主の前に居るのは"極まった七色"の内のひとつ、普通の感覚なぞ知ったことか。故に、ちっとはこなたを畏れてもええんじゃぞ」
「(ぐーたら寝そべりながら言われてもな⋯⋯)」
「あっ、なーんかカチンと来る顔じゃの。具体的には『こんなぐうたら怠け者な残念系超絶美女がかぁ⋯⋯』的な顔しとるの。のぉ?」
「後半の捏造っぷりがむしろ清々しいわ」
と、改めようとした途端にこれだよ。
魔女だけあって良い性格してるよホント。
「あー⋯⋯まぁいいや。で? 紅茶淹れて貰ってる間に、さっさと本題に入りたい訳なんだけど」
「仕方あるまい。昨今の若者はせっかちじゃのう。もう少しゆとりを持ってじゃな」
「はいはいそいつはどうも。あ、トトもずっと立ってないで、椅子使っていいから。んで、カンパネルラさん⋯⋯あぁ、長いしネルさんでいいや。ネルさんも座りなって」
「⋯⋯うん」
「こなた相手にネルさんて。お主、見かけによらず肝が太いのう」
「それほどでもー」
片や素直に、片や不満なのか愉快なのか判別つかない表情のままだらだらと椅子に腰かけてと。
師弟なのに正反対だなという感想を喉の奥に留めて、話はようやく本題へ。
「どうやって部屋入ったとかは、まぁ魔女ってほどの人相手だから詳しく聞かないけど。どういう用件なのかくらいは聞いても良いだろ?」
「隠し立てするつもりはなかったんじゃがな。用件か。そんなもの決まっておろうに。お主の顔を見るに察せてはおるんじゃろう?」
「それって⋯⋯」
「こなたの可愛い弟子を負かしてみせた男、サザナミ・ナガレがどういう者なのか。興味を抱くなというのも酷な話であろう?」
「⋯⋯」
やっぱりそうだろうな。
禁忌の地の奥深くに住む闇沼の魔女がわざわざ出向く理由なんて、トトに関することぐらいしか思い付かない。
「そんで、感想は?」
「そうじゃのう。ぶっちゃけ『ザ・凡骨!』って感じじゃな、お主」
「凡骨っすか」
「んむ! 正味、剣を取り立て上手く使える訳でもなく、魔道の心得がある訳でもなさそうじゃしの。こなた相手に物怖じしない度胸はなかなかじゃが、それ以外はふっつーじゃ。顔も声も身体もふっつー過ぎて逆に驚いたわ、にはは!」
割と失礼なこと言いながら歯を見せて笑うネルさんだが、元の世界を考えれば普通という評価はむしろ少し嬉しい。
だが、快笑をにんまりと深めるグリーンの眼差しには、猫のような鋭い好奇心が光ったままだった。
「じゃが⋯⋯普通の男にトトは負けぬ。となれば、何か隠し種があると見るのが常道よの。例えば、お主の腰にある本とか」
「⋯⋯正解。これがなけりゃ、俺なんてただの都市伝説好きでしかないしね」
「トシデンセツゥ? 初めて聞く響きじゃのう」
しかし、これは逆に言えば、まさしく渡りに船。
鴨にネギ、猫にチュールってなもんで。
この機を逃してなるものか。
貴重な貴重な、愛好家チャンスの時間である。
「おっ、ネルさん気になっちゃう? だったらバリバリ説明させて貰うけど!」
「お、おう? なんじゃお主、急に目を輝かせおってからに」
「んじゃまず、そもそも都市伝説がどういうものかってとこからだな! 分かんないとこあったら質問してくれていいから!」
目を輝かせて身を乗り出す俺に、ついぞ眠たそうだったネルさんの表情が初めて引き攣ったが、もはやそんなものは目に入らない。
久々の布教タイムに心を踊らせながら、俺は異世界の魔女とその弟子に、イキイキと都市伝説について語り出すのであった。
◆◇◆
「⋯⋯なるほどのう。異世界の都市伝説と、都市伝説を再現する能力、か。こなたでさえ近しい類を見ぬ魔法⋯⋯いや、魔法ですらないか」
「だいぶ変わった能力だろうね」
「お主自身もな。前言撤回じゃ、全然ふっつーじゃなかったわ」
「それはそれでありがとう」
久々に弁舌を振るえたもんだから、気分が大変宜しい。
ゴーレムが淹れた紅茶で挟む一息も、満足感に満ち満ちていた。
その代わりネルさんがさっきまで以上に怠そうな表情してるけど、まぁ俺が熱弁振るう度に大体こうなるから今更だろう。
変人認定も勲章みたいなもんだから、ありがたく受け取っておこう。
「しかし、お主が異邦人とは。こなたからすればそっちの方が興味を誘う内容であったが、の?」
「あー⋯⋯まぁ、信じられないとは思うけどさ(つい熱が入って、経緯まで話しちゃってたんだよなぁ。我を忘れるとこれだよ)」
唇を湿らせたネルさんの好奇的な微笑に気まずくなって、後ろ手で頭を掻きながら苦笑を零す。
話の勢いに任せて自分が別の世界である事について触れてしまったのは、今思えば反省しなくちゃいけない。
あのトトですら表情を少し崩していたぐらいだし。
「信じるとも。この世なぞ、奇妙奇っ怪不可思議尽くしな事ばかりで溢れておろう。故に、それを探求するのが蜜とも言えるの」
「探求、か。俺としては、不可思議なら不可思議の儘にしとくのも乙なもの、って考えだけど」
「ほほう、童の癖に中々味のある事をぬかす。じゃが、こなたの通ずる道とは足を交えることはなさそうだの」
「⋯⋯というと?」
だが、ネルさんの好奇的微笑がより深いものへと移ろう瞬間、俺は悟る。
熱を浮かせて余計な事まで喋った迂闊さ。
反省どころじゃ足りないくらい、猛省しなければならないと。
「こなたの歩むは【魔道】。不可思議を探求し、解剖し、分析し、理解するを繰り返す、忌まれし道ぞ」
「⋯⋯」
「それこそ、尾を噛む蛇同士のように延々と求める、蛇の様な執着と、蛇の様な貪欲さでのう⋯⋯おや、どうした。顔が青褪めておるぞ、ナガレよ」
んふ、と。
妖艶に口角を持ち上げるネルさんの両耳の、紅い蛇のピアス。
光を浴びずとも紅く揺れるそれらが、まるでギラつく蛇の瞳の様な錯覚を招くのは、単なる気のせいではないんだろう。
口は災いの元。
そして目の前の黒帽子は、災いとされる魔女。
頬を伝う一滴が、震えを伴ってジグザグに落ちた。
「なーんてのっ」
「へっ?」
「案ずるが良い。お主は仮にも、我が愛弟子を下した男じゃぞ。ちっとの好奇心程度で知識の贄とすれば、魔女の矜持が安くなろうて」
「⋯⋯お、脅かすなよ。マジでビビった」
「にははっ、肝が太いのか小さいのか分からぬ奴よのう」
張り詰めた空気を弛緩させるような甘い笑みに、思わずテーブルに突っ伏しかけた。
冗談って雰囲気じゃなかったぞ。普通に殺気感じたし。
それに裏を返せば、トトを下してなかったら知識の贄とする事に抵抗はないって事じゃんか。
やっぱり、魔女って恐れられてるだけあるわ、この人。
「それに⋯⋯もう一つの用向きもあるからの」
「もうひとつ?」
「んむ。そこに触れても良いのじゃが⋯⋯さて、その前に」
どうやら俺に会いに来たそもそもの用向きは、興味本位だけではなかったらしい。
薄目に溶かしたほんの少しの憂いに、思わず首を傾げるが。
憂いの色を汲み取るよりも、ネルさんがひらりと振り返る方が早かった。
「何も盗み聞く必要もあるまい? 用があるならば入って来るが良かろう」
一際声量を強めた語気が向けられた先は、部屋と外を遮るドア。
誰かか聞いていたのかと浮かべた疑問。
けれどそれも、僅かな沈黙の後にゆっくりと扉を開けた人物によって、すぐに氷解した。
「⋯⋯失礼致しますわ」
扉の先に居たのは、セリアとアムソンさん。
そして、深紅の瞳に強い意志を燈したお嬢だった。