Tales 103【待ち受けるは仄暗きより】
太陽が昇ってまだ少しの昼下がりに限らず、吐き出した溜め息はぐったりと気疲れで色濃い。
今日一番の峠を越えたかのような達成感にのんべんだらりと椅子に背を預けている俺に、セリアの苦笑がそっと投げかけられたタイミングだった。
「あら?」
「⋯⋯」
出掛けていた二人が、ノックと共に顔を出す。
けれどお嬢からすれば見慣れない姿が目に入ったもんだから、不思議そうに丸まる大きな紅眼に、セナトの澄まし顔が映っていた。
「おかえりお嬢。エトエナの見送りは済んだ?」
「えぇ⋯⋯って別に見送りに行った訳ではありませんわ! ただの散歩と言ったはずでしてよ!」
「あーはいはいそーでしたね」
「ぐっ、この男はまたぞんざいな扱いを⋯⋯」
そういえば、そんな分かり易い嘘付いてたっけ。
別に隠す必要ないだろうにね。
ぷっくりと頬を膨らませながら備え付けの椅子にお嬢が座れば、我が意を得たりとアムソンさんが紅茶を淹れる。
当然のようにセナトの分も用意してくれる辺り、スマートだ。
「それよりもセナト、でしたわね。貴女がまだ此処にいらしてるという事は取引は上手く進んだと?」
「えぇ。彼女も協力してくれる事になったわ」
「フフ。改めて、私は【黒椿】のセナトだ。お二人とも宜しく頼むよ」
「あら、思ったよりも殊勝な方ですわね。よろしい、ならば耳を澄まし心にお刻みなさい! 豪華絢爛、風光明媚、黄金色纏いし風の申し子──ナナルゥ・グリーンセプテンバーとはわたくしのことです!」
「ほっほ。そんなお嬢様に仕えますは万事万全、耆老久次、最近腰痛が悩みの種な──執事アムソンにございます。以後宜しくお頼みますぞ、セナト様」
「愉快な主従で何よりだよ、クク」
お嬢もアムソンさんも勿論だが、この愉快とも珍妙とも取れるペースを顔色一つ変えずに受け止めるセナトも流石というか。
なんで俺だけ。喜べやしない特別待遇への不服ごと淹れたての紅茶で流し込む。
「それじゃあ、紅茶を飲み終わったら行くとしましょうか」
「行くって、どちらへ向かう予定ですの?」
「エルディスト・ラ・ディーの本部。明日出発だし、ルート確認とか色々詰めとかないとな」
「あぁ、そうでしたわね。私としてはもっと優雅にゆとりを持ちたい所ですけと、仕方ありませんわね」
「いっつもマイペースな癖に」
「んなっ!」
そんな恒例の戯れを挟みつつも、足並みを乱すことなく。
テキパキとそれぞれが準備を終えて、いざエース達の元へと宿を出ようと踏み出した時だった。
「大したものだな」
「え?」
セリアにお嬢にアムソンさんと、彼女らに並ぼうと動いた俺の足影を縫い止めたのは、背中越しにそっと届いた囁き声。
急にどうしたと振り向けば、やっぱり俺の背後に回るセナトが神妙そうに顎に手を添えていた。
「お前の連れ添いのことだよ」
「⋯⋯あぁ。割と強烈な二人だもんな。特にお嬢が」
悲しいかな、お嬢が想定する気品とか優雅さではないけれど、インパクトは大きいもんな、あの二人。
かくいう俺も初対面の時は面食らったし。
今ではもう慣れて来てるとはいえ、それでも振り回される時は多い。
だからこそ、うんうんと同意を重ねる俺だったが。
「確かに。だが、"あの従者の方"が、よほど只者ではないと私は見るがな」
「え、アムソンさんが?」
どうやらセナトが評したのは、アムソンさんの方らしい。
確かに彼もとんでもないスペックの執事だし、言わんとする事は分かるのだが。
目立ちたがりなお嬢の一歩後ろにいつも下がる人だから、少し意外にも思える。
「ふふ、あの佇まい──なかなかどうして。分からんものだ」
「⋯⋯?」
しかし、それ以上に⋯⋯セナトの目が、言葉が興味好奇に塗れていたから。
そういえば、お嬢の経緯は知ってるけど、まだアムソンさんについては知らない事の方が多いよな、と。
そんな、今更ながらの実感と興味心は「さっ、行きますわよ!」というお嬢の急かす一声を前に、一旦奥底へと沈ませざるを得なかった。
やがて浮かび上がるその時を、静かに待つように。
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──
【待ち受けるは仄暗きより】
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「やぁやーみんな、お揃いさんやね」
「全く、私達が皆さんを呼んだ側なんですから、趣味も程々にしてください」
「なっはっは、ごめんてジャック」
「お疲れエース。楽しんだ?」
「満喫させてもろたよ。久々に大掛かりな案件やからね。物資やらなんやら倉庫からひっくり返したもんで、腕が鳴ってしゃーなかったんよ」
三角巾に竹箒と、初対面の時よりも本格的な掃除スタイルでエースが待合室に顔を出したのは、本部に到着してから割と直ぐだった。
よっぽど手応えがあったのか、ニマニマと朗らかな微笑を引っ提げた彼の登場にジャックががくりと肩を落とす。
相変わらず苦労人極まってるね、彼女。
「ところで、クイーンとキングは居ないのかしら?」
「はぁ、すいません。クイーンはエルザちゃんの診察に掛かりきりで。それで、あの、キングなんですが」
「『暴れんのが俺の仕事、頭使うのはお前らがやれ』ってな。今頃、フォル君やピアちゃん含めた部下達をみっちりしごいとるんやないかなぁ」
「⋯⋯あの野蛮な男らしいですわね。居ないなら居ないで構いませんわよ」
「お嬢はキングにビビってたからね、むしろ助かんじゃない?」
「び、ビビってなんかねーですわよ!」
いや冗談なのに。ガクガク揺さぶるまで否定しなくても。
でもまぁ、今日はあくまで最終確認。どこをどう行くとか大筋は決まってるし、それなら席を外してても問題はない。
個人的にはクイーンが居ない方が安心出来るってのは、心の内に留めとくとして。
「ふぅむ。あの黒椿も誘い入れるとは、流石やね。勇名轟くだけに契約すんのも一苦労っちゅー話やったけど」
「同じ稼業だが、食い合う訳ではあるまい。そちらを邪魔立てするつもりも足手まといになるつもりもないから、そう警戒するな」
「せやね、是非とも仲良くやらしてもらおか。えっと、セナトって呼び捨てで構へん? あっ、それともセナトちゃんて呼ぼか?」
「はっはっは、殺すぞ」
「なっはっは、さーせん。呼び捨てで行かせて貰いますぅ」
セナちゃんは良くてそれは駄目なのかよ、ホント良く分かんない奴だ。むしろ考えたら負けなんだろうけど。
額から冷や汗流すエースを傍目に、顔色を変えずにそそくさと地図を広げるジャックの慣れっぷりが流石だった。
「それじゃあ、改めて整理しましょう」
さて、閑話休題。
セリアの鶴の一言と共に、全員の視線が広げられた地図へと集まる。
「まずはガートリアムへどういうルートで行くか、だけれど」
「向こうさんの状況的にも、出来るだけ早くがセリアちゃんからのオーダーやったね。って訳で、ルートは此処。ガートリアムへの直通ルートの『エルゲニー平原』⋯⋯ここを突っ切る」
すうっとエースの白爪が辿るのは、ここセントハイムから緩やかに下った南西地点。
そこに描かれているのは『エルゲニー』と記載された広大な平原。今回のルート。
その少し下方にある隆起した峠、更に西へと広がる森が『風無し峠』と『リコル森林』だ。
無論今回は四人どころじゃない大所帯になるから、当然使えない。
「ほう。随分と強引じゃないか」
「ちんたらやってて援軍到着前に本陣が取られた、じゃ笑えへんからね。道行きも強行軍のつもりや」
「⋯⋯そういや、エルゲニー平原ってガートリアムの騎兵隊が魔王軍と睨み合いしてたんだっけ。状況変わったのか?」
「いんや、むしろ小競り合いが悪化して何度かぶつかり合ってるらしい。せやから、"そこも"強引に突っ切るっちゅう話になるな」
「なるほど、どおりで戦力を少しでも欲する訳だ。戦場を突っ切るとは中々に無茶な考えをする」
つまりは、そういうことだ。
魔王軍と騎兵隊がやり合ってる脇をぶっち切る強行軍。
となれば騎兵隊はともかく、魔王軍から激しい横槍を食らう可能性も大きいだろう。
だからこそ、セナトのような凄腕の実力者は一人でも多い方が良いって訳だ。
「無茶無理上等喜んで、ってな。今更降りへんよな、黒椿の」
「当然だ。誰に言ってる」
この強行軍ルートを最初に聞いたときは、俺もお嬢も思わず喉が引き攣ったっていうのに。
ほんとにこういう所は心強いよな。
色々困らされて来たけども、エースの挑発にも臨むところだと不敵に笑う姿は、これ以上となく頼り甲斐があった。
「そいで肝心の頭数なんやけど、キングのクローバー隊、ジャックのダイヤ隊から全員。ボクのスペード隊、クイーンのハート隊から半分ずつ。山札の子らも何人か合わせて⋯⋯総員四十人ってとこやね」
「四十人⋯⋯!」
「ほんまならボクら全員で駆り出したいとこやねんけど、さすがに本部を空には出来ひんくてね。エルザの診断もあるから隊長格やとクイーン、ジャックは居残りっちゅうことで頼んます」
「すいません皆さん。セントハイム周辺での魔物の動きも活発になってるみたいでして、万が一の備えが必要なんです」
魔王軍の進行に呼応するように街道を荒らす魔物の報告が上がってるって話を聞いてたから、ジャックの言う備えにも異論はない。
むしろ、そんな中で四十人も人員を割り出してくれただけでもありがたかったのに。
クイーンとジャックは居残り。ってことは、つまり。
「いえ、勿論それは構わないのだけれど。その口振りだとキングと、そして⋯⋯」
「なっはっは。団長ばっかりやってるとなかなか現場に行かせてくれへんくてね。久々にお仕事させて貰おかなって」
エルディスト・ラ・ディーの団長、エース自らが手を貸してくれる──って事になる。
いやぁ、マジか。てっきりエースは傭兵団のトップだから、流石に動いて貰う訳にはいかないと思ってたのに。
「⋯⋯それに、兄ちゃんとしても、妹が受けた恩を返せる機は譲りとうないしな」
普段飄々としてるし、その実力を見る機会もなかった。
けれど底知れなさを端々に感じさせるこの人が、ポンと俺の肩を叩いて。
「ボクに任せとき」
「っ──!」
たったそれだけで、ぞわりと肌が鳴く。
エルディスト・ラ・ディーのエース。瞼の奥の只ならないモノの片鱗を、見せ付けられたようだった。
「さて、そんじゃ細かい箇所を詰めてこか。移動方法や分担、ボクらが使ってる連絡のシグナルとか、覚えて貰うこともあるしなぁ」
「むぅ、細々とした事は苦手ですわ⋯⋯」
「安心して下さい。そう難しい内容じゃないので」
呆けたのは一瞬。
エースの呼びかけで取り戻した思考の中に、真新しい情報をサクサクと詰め込んでいく。
けれど思考の片隅が、じんわりと熱を持つ感覚を呼び込んだ。
俺達に協力してくれるエルディスト・ラ・ディー。そしてセナト。
闘魔祭で苦労した分の成果が、目の前で実っていくようで。
肌の内側を伝う実感に、俺は人知れず頬を緩ませたのだった。
◆◇◆
そう。だから、目の前のの光景もまた、成果の一つ。
言い換えれば、自分が為したことの結果であるのは間違いないんだろう。
「────えっ」
「⋯⋯おかえりなさい」
エース達のところから再び戻った宿の、俺の部屋。
扉を開けた先にデンと置かれた巨大な棺と、その傍らにポツンと立っている、見覚えのあり過ぎる少女の姿。
トト・フィンメル。
そして。
「おぉ? おぉ! ようやっと戻ったか。のんびり屋さんじゃのう⋯⋯⋯⋯あ、お邪魔しとるぞ〜」
「えぇ⋯⋯」
そして、我が物顔でベッドの上に寝転んでいる、闇よりも尚濃い黒衣を身に纏うこの人物に、勿論見覚えなんてないけれど。
これもまた、俺の為したことの結果なんだろうけどさ。
ちょっと神様、展開に追いつけないって。