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Tales 102【契るサインの色は音】

「エトエナ」



 歩き慣れてない帰り道への一歩目で、名を呼ばれた少女はどんな顔をするべきだろうか。

 例えば彼女が学生鞄を肩に下げる立場なら、ホッとした顔が出来たかも知れない。



「あぁ……誰かと思えばあんた達か」



 けれどそんな素知らぬ世界の等身大が彼女に当てはまるはずもなく。

 だから、振り向いたエトエナが倦怠感さえ頬に浮かべたのは、声を掛けた側からすれば想像通りの反応過ぎて。

 だから、安堵するように呆れるナナルゥもまた自然といえた。




「エシュティナに帰るおつもりですの?」


「そうたけど。なに、見送りのつもり?」


「そ、そうじゃありませんわよ。たまたま通りがかった先で、見覚えのあるちんちくりんを見つけたってだけの話ですわ」


「よもやエトエナ様の出離に居合わせるとは、奇妙な偶然の巡り合わせと言えますかな」


「ちょ、アムソン! なにを余計なわざとらしさ装っちゃってますの!」


「ほっほ」


「……あほらし」



 国外へと繋がるセントハイムの国門を通りがかるとは、一体どんな奇遇の果てだろうか。

 隠そうともしない執事に振り回される主人といったあべこべな構図に、エトエナはそっぽを向くしかなかった。



「そもそもエトエナはエルディスト・ラ・ディーの一員じゃありませんでしたの? てっきり貴女までガートリアムまで付いて来るものだと思ってましたのに」


「期間限定って、最初に会った時に言ったでしょうが。あいつらとはあくまで闘魔祭までの契約。あたしにはあんた達の依頼云々にまで付き合う義理も義務もないわよ」


「だからって翌日に発つこともないでしょうに、ゆとりがありませんわね。い、いえ、別にわたくしが残って欲しいと願ってる訳ではなくってよ?」


「……知ってるわよ。むしろ喜んで急かすくらいがあんたじゃないの?」


「わたくしをどんな目で見てますの!? そんな最低なことしませんわよ!」


「あっそ」



 心外とばかりに吠える腐れ縁の騒がしさをあしらいながら、どこか言葉を飲み込むようにエトエナはサイドポニーの毛先を弄ぶ。


 実のところ、こんなにも性急にエシュティナに帰国する必要性はなかった。

 学園からの休暇もまだ充分ゆとりがあるし、エース自らに提案された『延長』に、魅力を感じなかった訳ではない。

 しかし、それでもこの国を発つ理由が勝った。



『例え剥がれやすくとも……グリーンセプテンバーを掲げる限り、わたくしはいつでも黄金を纏ってみせますわ』


(……あんたに土を付けられる現状で、遊んでらんないのよ)



 意図せず脳裏に浮かんだのは、緑閃光の嵐の中で、輝く黄金(かな)色を見つけた瞬間。

 その瞬間に抱いた意志を、言葉にせず胸の奥へと仕舞い込んで。

 ナナルゥとは別に思い浮かんだ"とある少女の顔"を、エトエナは理由として述べるのだった。



「わたしにも待たせてるヤツが居んのよ。それだけ」


「ぁ……そ、そうですのね」


(ぐ……そこでそんな態度するからあんたは甘ちゃんだってのよ)



 待たせてるヤツ。

 それは決して虚偽ではない。

 だというのに、らしくもなく寂しさをちらつかせる腐れ縁に、思わず面食らいながらもなんとか隠し通す辺り、エトエナも苦労性の人であることがうかがえた。


 無論、目尻をより深くした執事相手には筒抜けであったらしい。



「あー……ところで、あいつらは? てっきりいつも一緒に居るもんだと思ってたけど」


「え……あぁ。ナガレとセリアのことですわね」



 にこやかな執事の眼差しから逃れようと選んだのは、不在の連れ合いについて。

 幸か不幸か、ナナルゥがすんなりと話に乗ってくれたお蔭でエトエナの目論見が叶った訳だが。



「あの二人だったら、なんでも────あの黒椿を相手に、大事な取り引きがあるらしいですわ」



 むしろ件の連れ合いの方が、逃れたい心を懸命に抑えながら交渉に挑んでいた事は、知る由もないことだろう。





────

──


【契るサインの色は音】


──

────




 憂鬱だった。



 昼を前にした麗らかなる午前の空気は、あくまで窓の外。

 交渉の場と化した俺の部屋で繰り広げられるセリアとセナトの話し合いは、何ら淀みなく進行してるというのに。

 俺の気分は憂鬱だった。

 そりゃもうどんより曇り空ってくらいに。



「……ふむ。切羽詰まった状況も大方聞いた通りか。報酬も随分と羽振りが良い。たかだか傭兵一人に払う額にしては過剰ともいえるが」


「国の大事を前に出し惜しむ余裕はないのよ。それに、本来の使い道が浮いてくれたのもあるわ」


「エルディスト・ラ・ディーへの見返りか。なるほど。誰かさんに好き放題負かされた分が、巡り巡って私の懐に収まるとはな。分からんものだ」


「納得していただけたかしら?」


「無論。商売柄、報酬の裏を気にしなくちゃならないんでな。無礼は許せよ」


「気にしてないわ」



 誰かさんって。

 好き放題負かされたとかどの口が言ってんだよ、どんだけ苦戦したと思ってんの。


 さっきからずっと、こんな感じだ。

 依頼内容の確認の最中でも、ちょくちょく俺をからって来やがる。

 かといって席を外すのも、この場を設けた立場である以上(はばか)れる。

 三人だけなのに四面楚歌。

 そりゃ午前から憂鬱にもなりますよ、えぇ。

 


「出発は明日か。些か急とも言えるが、急ぐ理由も定かである以上は言う事もない。ガートリアムへのルートは?」


「決まっているわ。まだ契約が結ばれてない以上細かい段取りまでは教えられないけど、実力者が多いに越したことはないルートではあるわね」


「……ふふ、惹かれる言い回しだ。参ったな、依頼主は口説き上手。報酬も多額。加えて、"親しい友からの懇願"も重なると来たか。悩ましいな」


「親しい、友?」


「あぁ。そうだろう、ナーくん?」


「ぐっ……あんたって奴はホントに……」



 挙げ句、これである。

 ティーカップ片手に似合わないウインクまで添えて。

 しっかりと交渉してる様に見せながら、全力で俺をからかい倒しに来てるからたちが悪い。

 ていうかナーくんってまた呼んでるし、気に入ってんのかよそれ。



「やれやれ、そこはセナちゃんと返す場面だろうに。つれない男だよ、ナーくんは」


「勘弁しろよ……あとその呼び名マジでやめろって! 気味悪いったらない!」


「ククク、そんな気味の良い反応されると余計に呼びたくなるだけなんだが。あざといな、ナーくん」


「こ、この背面ストーカーが……!」


「……仲が良いのねアナタ達」


「どこをどう見たらそーなる!」


「ふふ。セリア殿も遠慮なく呼んでみたら良い。中々に愉快だぞ」


「そうね。然るべき時が来たら」


「セリア?!」



 遂に本題から逸れてまで。

 おかげでセリアからの視線がなんか冷たいし。

 いや、彼女からしたらセナトがこんなやり取りをする奴だってのは初めて知っただろうから、意外なのは分からなくもないけどさ。

 でもこれが仲睦まじいというのなら、ハブとマングースの関係性だって親友と呼べるぞ。


 静かで平穏な地獄絵図。上の空へと逃げ出せたならどれだけ良かったか。

 思いっきりガンを飛ばしながら、これ以上余計な波に乗らぬよう交渉の舵を切ったのはせめてもの抵抗だった。



「あーもう! んで、どうすんだよセナト。ガートリアムまで一緒に来んの? それとも来ねぇの?」


「もう決断を迫るのか。駆け引きを楽しむぐらいの余裕を見せたらどうだ。なにかとはやい男は女を困らせるだけだぞ?」


「っさいよ、逐一俺の余裕削いでたのは他ならぬあんただろうが! そんな余裕あるくらいだし、どうせ答えはもう決まってんでしょ!」


「おや、バレていたか。私の思考を読み取るとは、流石は我が友だ、ククク」



 読み取ってねーよ。むしろ本当に決まってたんかい。

 決め付けが的を射てたとしても、得なことは何もなく此方が疲労を重ねるだけで、ほんと損しかない。

 歯軋りすらしだしそうな衝動をなんとか抑えながら、これ以上セナトのペースに乗るまいと大きく深呼吸。



「ハァ⋯⋯俺達から言えるのは駆け引きを楽しむ余裕もないくらい、状況が不透明なんだ。万全を期す為にも、あんたの力を借りたい」


「⋯⋯単刀直入だな」


「最後は黙って真っ直ぐ勝負ってね。だからセナト。答え、聞かせてくれないか」


「⋯⋯」



 ともあれ、伝えるべくは伝えたし、セナト相手じゃ交渉の為のカードなんて持ち合わせてない。

 だから出来るのは、真っ直ぐにセナトの目と向き合いながら答えを待つ。これだけだ。


 そんな実直さに賭けるしかない俺の姿は、彼女にどう映ったのか。

 訪れた静寂ごと全てを見透かすような黒真珠の瞳が、蝶の羽ばたきのようにゆらりと揺れていた。



「金は幾らあっても困るものではない」


「⋯⋯」


「だが、一度に持ち合わせ過ぎるといらぬ災禍を呼ぶものだ。お前達からの報酬の額は確かに魅力的だが、既にアルバリースからも相応の額を得ているんでな。率直に言えば、受ける理由にはならない」


「⋯⋯」

 


 淀みなく紡がれるセナトの言葉に、喉が鳴る。

 傭兵でありながらも、不思議と即物的な印象を抱かせないセナトが、金利報酬だけで動いてくれるのかという不安はあったけど。

 こうして形になった不安を率直に突きつけられると、ぐうの音もでない。

 旗の色が失われていく交渉の行方に、俺とセリアの掌の力が抜け落ちそうな時だった。



「そこで、だ。一つ交換条件がある。それを飲んで貰えるのなら、依頼を受けよう。代わりと言ってはなんだが、報酬も半分で良い」


「っ、なにかしら。私に出来ることなら可能な限り応えてみせるけれど」


「そう構える事じゃないさ。それに、セリア殿には悪いが、この条件を飲んで欲しい相手は⋯⋯」


「⋯⋯⋯⋯俺、か」



 如何にもと、暗い雲行きに光明を提示したセナトが微笑混じりに頷く。

 上手い話には裏があるというし、何よりあのセナトからの条件っていうのがね。嫌な予感しかしない。

 でも、構えることじゃないって前置かれてるし、魔王軍ってものの規模も不明な以上、やっぱり少しでも戦力は欲しいところだし。


 選択肢は一つ、だよな。




「無理難題とかじゃないよな?」


「実に容易いことだ。"今から私がお前に、一言だけ囁く。それを覚えていてくれるだけで良い"。それが私からの交換条件だよ」


「────はい?」



 だが、戦々恐々と身構えながらも括った腹は、ご覧の通りにめでたくも肩透かしとなった訳で。

 ていうか、え、なにその交換条件。

 流石に拍子抜け過ぎて。セリアもほら、珍しく目を丸めちゃってるし。



「ほ、本当にそんだけで良いの?」


「無論だとも」


「⋯⋯だったら、まぁ。受けるよ」


「交渉成立だな」



 何故俺じゃなくちゃ駄目なんだとか。

 唾ってなんだよとか。

 実は囁くと見せかけて変な魔法でもかけるんじゃないかとか。

 訝しむ所はあるものの、男は度胸ってなもんで。



「くく、安心しろ。別に呪詛の類じゃないさ。強いて言うなら……将来の有望株に、『唾を付ける』というだけだ」


「…………?」



 話は決まったとばかりにセナトが席を立ち、俺の近くへと身を寄せて来る。

 どうやらこの場で早々に交換条件を果たすつもりらしい。  



「いいか、ナガレ。今からお前に言うことを、決して忘れるな。そして、私が良いと言うまで口にするな。音にするな。誰かに口外するなんてもっての外だ。もし反すれば……その首を落とす──いいな?」


「え、ま、マジで?!」


「二言はない。では、耳を貸せ」




 けれど、土壇場でそんな脅しを持ちかけて来るもんだから、やっぱりセナトは油断ならない。

 途端に焦りふためく俺の耳元でクツクツと鳴る喉が、まるで蛇めいた悪女に舌舐めずりでもされてる気分だった。



「────」



「──、…………?」



 そして、約束通り。

 囁かれたのは、別に呪詛でもなんでもなく。

 本当に一言だけだったんだけども。



「よし、覚えたな?」


「え? あぁ、うん。ってか今の……」


「何も尋ねるな。口にせず、音にせず、だ。いいか、ナガレ。忘れてくれるなよ?」


「……それは分かってる、けど」




 かくして、契約は結ばれて。

 

 遂に、散々に苦戦させられたこの影法師が、俺達の為に存分に力を振るってくれることを約束させられた訳だけど。



(さっきのは────誰の名前だったんだ⋯⋯?)



 鼓膜をくすぐったのは、囁き声の連なりが指し示すのは。

 多分、『誰かの名前』。


 けれどそれが誰であるかも。

 なんの為に、彼女がそれを囁いたのかも。


 雲ならぬ影を掴むような、不透明。

 沸いては片付かない疑問ばかりが、耳鳴りのように心へと引っ掛かっていた。





◆◇◆◇





「じゃあ、私はもう行くから」


「最後の最後まで愛嬌がないですわね」


「振りまく愛嬌なんてあたしにはないわよ。あんた相手にも、それ以外にもね」



 思い返せば、奇妙な再会だったと思う。

 実力試しの為に訪れた人間ばかりのこの大国で、埃は積もれど不思議と褪せてはくれない腐れ縁と巡り合うとは。


 過去を省みることをエトエナは嫌う。

 だからこそ昔の縁が、泣いて愚図って逃げ出したはずの臆病者と、こんな地でまたも顔を合わせた際には、自分でも抑えられないほどの怒りを抱いたほどだ。



「エトエナ様、御達者で」


「あんたもね、アムソン。お守り役が祟って、それ以上老け込むんじゃないわよ」


「老いを楽しむのもこのアムソンの嗜みでございますれば。フルヘイムに寄った際には、ファエル様にもどうぞお声かけ下さいませ」


「⋯⋯ナナルゥのバカは相変わらずって伝えとくわ」


「ほっほ、重畳にございます」


「どこが重畳なものですか! ファエルにはきちんとわたくしの活躍ぶりを伝えるんですのよ!」


「あんたの活躍なんてヘタレっぷりぐらいでしょ」


「なんですってぇ!」



 だからこそ、ナナルゥの口から父親の名が出てきても波立たないこの今が妙な感じがして、(くすぐ)ったくて。

 こんな甘っちょろさ、あたしの柄じゃないわよ。

 心に吐露した不服ごとそっぽを向くように、八月の金色は、黄金色の風に背を向けた。



「ナナルゥ」


「なんですの」



 紅い瞳が見据えるのは、雄大に広がる外への路。

 その一歩を、踏み出して──止まる。



「アンタがちょっとマシになったくらいでも、仇を討つにはまだまだ全然及ばないわ。レイバー様とアレーヌ様を討つくらいだもの。きっと、何もかもが遠すぎる」


「⋯⋯そんなこと、分かってますわよ」



 それは確認だった。


 臆病者であったはずのナナルゥとは、もう二度と交わることはないだろうと思えていた路。

 多くを喪い奪われた者が踏み締める、矜持を取り戻すための険しき未来は、無力である事を赦されないだろう。



「ふん。まぁ、いいわよ。悠長に旅を続けてても。でも、あとで後悔しても知らないから」


「こ、後悔ってなんですのよ!」


「決まってんでしょ」



 けれど、その道を、切っても切り離せないというのなら。


 切ろうにも切り離れないというのなら。




「あたしに"先を越される後悔"よ」



 また、あたしが先を往くだけだと。


 踵を高く、宣誓だけを置いて。


 今度こそエトエナ・ゴールドオーガストは振り向かなかった。









「⋯⋯分かってますわよ、エトエナ。だから、わたくしも⋯⋯もっと。もっと────強く⋯⋯」



 そして、過ぎ去りし金色に真紅の瞳を細めながら、少女もまた決意を囁く。


 必要なものを。


 求めるべきものを。


 選ぶべきものを。


 ナナルゥ・グリーンセプテンバーもまた、無力であることを赦されない道を往くのだから。






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