Tales 10【オーバースペック】
恐いよ、助けて。
ごめんなさい、そんなつもりじゃなかったの。
パパはいっつも悪い奴らをやっつけてくれる格好いい騎士さま。グリフォンの子供だって倒した事もあるくらい、とっても強い自慢のパパ。
そんなパパの活躍を見てみたいと思い付いた。
見に行っちゃダメって口うるさいお婆ちゃんの言うことを聞いていれば、こんなことにはならなかったかも知れない。
青い青い悪いやつ、みんなを困らせる悪いやつ。
追い付いたお婆ちゃんに抱き締められながら、震える私をニヤニヤと見つめてる。
助けに入ってくれた兵士さんの首を絞めながら、悪いやつが笑ってる。
わたしのせいだ。
こうなったのは、わたしがお婆ちゃんの言うことを聞かなかったからだ。
ごめんなさい、ごめんなさい。
悪いのは、わたしです。
そんな事を、思った時だった。
【悪い子は、どぉこかなぁ? キヒ、キシシ】
まるでお耳の中から聞こえてくるような、ヘンな声。
男の人と女の人の声が、重なってお話してる。
こわい。なにこれ、誰なの。
【悪い子は、どーこーかーなぁ?】
悪い子を探してる。
キヒヒって笑いながら、悪い子を探してる。
いやだ、いやだよこわいよ。
助けてパパ、助けてママ。
もうワガママ言わないから、この声をどっかにやってよ。
【悪い子は────】
もう、悪いことしないから。
お野菜残さないから、夜は早く寝るから、お婆ちゃんの言うこと聞くから。
だから、助けて。
【お前だろうがよ、おちびちゃん】
目を開けたら、青くて悪いヤツはもういなかった。
けど、もっともっと恐いやつが、お婆ちゃんの腕の中で震えていたわたしをジーッと覗き込んでいた。
ギョロギョロっとした緑色の目と、目が合う。
【見ーつけたぁ……キヒヒ、キヒヒヒャハハハ!!】
────
──
【オーバースペック】
──
────
ブギーマン。
一説にはスコットランドが発祥の地とされているけれど、今やヨーロッパやアメリカの広い地域で親しまれている民間伝説。
創作は勿論、映画にも彼をモチーフとしたキャラクターは多く登場するし、日本でも知られているぐらい、子供の躾話として浸透してる。
日本では『悪い子はいねぇがぁぁぁあ!!』でお馴染みの【なまはげ】と性質が似ているといえば、概要を想像し易い。
大人たちが語る、眠れなくなる子守歌。
悪い子のところには、ブギーマンがやってくる。
ベッドの下から、クローゼットの中から、怯える心の闇からやってくる怪人。
例えば外壁の上にいる少女の恐怖心から、その異形は現れたりとか。
かくして再現は果たされて、その世界規模を誇る知名度の怪人は、青いアークデーモンを一撃の元に葬りさってくれた訳だけど。
「……っ!!!」
ドクン、と心臓がけたたましく騒ぎ立てる。
壁の上から聞こえる少女の悲鳴や兵士の狼狽と、ブギーマンの狂ったような哄笑に冷や汗が止まらない。
メリーさんの時とまるで違う、肌にペンキを塗りたくられたような息苦しさと嗚咽感。
ぐわんと鈍い色の波がユラユラと視界を揺らして、膝をつく。
なんだこれ、気持ち悪いってレベルじゃないぞ。
◆◇◆◇◆
口調だけでいえば男にも思えるが、上下が本来の逆さまになっている気味の悪い仮面を被った者から発せられる声は、男女両性の二重奏だった。
顎に目、額に口。
明らかに人間のものではない黒い鱗肌。
痩せた身体にボロ絹の布をグルグルと巻き付けた長身を折り曲げて、肉などないのではと思うほど細くて長い手足を震わせる。
その両腕の先には、腐った血がカビみたく張り付いた鉤爪、しかも先端がどれもドリルみたいにネジれていた。
【恐いかい、恐いかい? いけないね悪い子。キヒヒ、けれどしかしうん全くもって、"これ"は気に入らない】
悪魔が悪魔を葬って、それで助かったと安堵出来る相手じゃない。
アークデーモン相手に対峙していた正義感の強いガートリアムの兵士にとって、むしろアークデーモンより余程この怪人の方が恐ろしかった。
怯えながらも泣きじゃくる少女と、恐怖のあまり意識を手放してしまった老婆。
そして自分はといえば、ガチガチと身体の芯から震えるのを抑えるのが関の山。
「ひっ……あ、な、なんだお前は……なんだお前はぁぁぁあ!!!」
【悪い子が恐れるべきは、俺自分私僕だよそうなんだよアヒヒ、キキィ──あんなやつらに浮気かい? 傷付くなぁ傷付くなぁ、胸が痛いからさぁ】
少女の不幸は、意識を手放さなかった事だろう。
ブギーマンの付ける仮面の真ん中、本来鼻であるべき場所を丸い円の形にくり貫かれたそこから見えるものを見てしまうから。
顔の中心にあるらしき、大きな大きな緑色の一ツ目の眼球。
彼が哄笑する度にガクガクと揺れる不気味なそれが、静かに、壁の外へと向けられた。
【まずは、君の浮気相手にオシオキして来るとするよ。その後は、お嬢ちゃんの番だね……キヒヒッ、どうかお楽しみに!! グヒッ、クカカカ、キヒャハハハ────】
悪魔を押し退けて、地獄の悪夢がやってきた。
ただそれだけを理解出来た兵士は、外壁を飛び降りたが為に視界から居なくなった瞬間、その場に腰から崩れ落ちた。
◆◇◆◇◆
「……何が、起こってるの……」
「……おいセリア、いつから人間側はあんな化け物に手助けされるようになったってんだ? 俺の目が確かなら……あの訳わかんねぇのが、魔王軍を蹴散らしてるように見えるんだが。しかも、【人間】を避けつつ、だ」
戦況は、より一層の混乱に陥っていた。
しかしそれは混戦という意味ではなく、まさしく混乱。
目の前で繰り広げられる怪人の一騎当千に、兵士達はひたすらに困惑していた。
長い四肢を蜘蛛のように動かし、その捻れ鉤爪の両腕で魔王軍の雑兵を塵へと返すあの黒い鱗の集合体は、一体なんだ。
見れば分かる、化け物だ。
おぞましい外見をした、辛うじて人の形を留めてるだけの怪人だ。
ソレが奇声を挙げながらゴブリンを貫き、オークを撥ね飛ばし、ワーウルフの鎧を砕き、リザードマンの身体を引き裂いている。
人間など見向きもしない。
視界にすら入ってない、道端の石ころみたいにその化け物の意識に介在してない。
それが何より恐ろしいのに、それが自分達が救われている唯一の理由だとすれば、混乱するのも無理はないだろう。
「……だが、これは好機だぞ。とりあえず分かってんのは、あの面妖なイカレ野郎は今のところ、俺達の敵じゃない。勢いに乗るなら今だ」
「っ、しかし……」
「なんだよ、死にたがりが一丁前に恐がってんのか? 分かれよ、援軍が期待出来ない状況なんだぞ……そら見ろ、騎兵隊の連中はもう動き出してる」
「……」
「……今、俺達ラスタリアの立場が"弱い"事くらいお前にも分かるはずだ。だからこそ俺達が少しでも戦果をあげておく、それが『姫殿下』のお力添えとなる……隊を動かすぞ、付いてこい」
ラスタリアの騎士、ラグルフの言うことは大胆かつ豪胆ではあるが、決して間違いではなかった。
本隊を欠いたガートリアムとラスタリアの騎士団を合わせた防衛軍は総数でも魔王軍に劣っているし、急造の軍では連携も上手くいかない。
援軍も期待出来ないし、この魔王軍を招いてしまった立場であるラスタリアとしては、少しでも多く手柄が欲しい。
だからこそ、この機会は紛れもないチャンスと見るべき……セリアにも、それは理解出来た。
──しかし。
「……ラグルフ隊長、お願いがあります」
セリアには、心当たりがあった。
あの不可解かつ超常かつ歪な者を再現した人間。
彼は、今どこに居るのか。
確かめなくてはならなかった。
あれは本当に、味方と考えて良いのかと。
◆◇◆◇◆
「ハァッ……ハハ、凄いなワールドクラスは……けど、やっぱりこれ、マズイよな」
心臓が叫んでる、アレはヤバいと。
アレは多分、俺が御せるような存在じゃない。
規格外過ぎる、明らかなオーバースペック。
流石は今もなお世界に親しまれ続ける民間伝説だってはしゃぎ回りたい気分は山々だけど。
「ぁぐ、ぅっ!」
肩の荷が重いなんてもんじゃない。
立つ事すらキツイ、膝をつくのがやっとだ。
ガンガン釘打つような頭痛と目眩の中で、この現象に対して辛うじて出来た考察を並べてみる。
まず、再現性はそこまで問題ないと思う。
ブギーマンは本来夜眠る時に、クローゼットとかベッドの下とか現れるタイプだけど、何より大事なのは子供の恐怖心。
最低限はクリア出来てる。
「ぜっ……はぁ、ふぅ……」
次に浸透性と都市伝説か否か。
まぁ浸透性は文句なしだが、都市伝説……というより昔から伝わる民間伝説としての要素が強いから、これはどうとも言えない。
けど魔王軍を蹴散らすくらいの強さだから、これもまだ問題ないと思う。
「っっ、クッソ、頭痛ヤバいなもう……吐き気してきた」
で、最後に親和性。
多分これが最悪な気がする。
日本人云々もあるけど、ブギーマンの個性や俺との相性がとんでもなく悪いんだろう。
現状の頭痛とか目眩とか動悸とかを考えれば、これが最悪なんだって考えに簡単に至れる。
ぶっちゃけメリーさんが天使か何かに思えるくらい、体調がボロッボロになってないかこれ。
アーカイブを開いてみればすぐに分かる事だけど、そんな気力すら粉々にされた。
「…………」
遠くの方から届いた兵士達の勇ましい咆哮と衝撃音に、重たい頭をなんとか上げる。
ガートリアムの外壁の近くから眺める戦場は、先程の戦況とはまるで変わっていた。
明らかに狼狽している魔王軍の魔物たちを倒しまくってるブギーマンと、それに乗じるように騎馬を走らせる騎兵隊と、騎士の軍団。
うん、多分このままならいける。
目に見える速度で数を減らしていく魔王軍も、雑兵がブギーマンに恐れ戦き逃げ始めたせいか、瓦解し始めた。
戦況は一気に人間側に傾いてる。
だからあともう少し、あともうちょい粘れれば……
「……っ、居た。ナガレ!」
「……せ、セリア? アンタ……どこ行ってたの。散々、探した、ってのに」
ザクザクと土を蹴る音の方に顔を向ければ、さっきまであちこち探し回っても運悪く見つけれなかったセリアが、俺に駆け寄って来る。
その額には小粒の汗がちらほら。
どうやら相当走り回っていたみたいだけど。
「ぐっ、なに、どしたの……」
「なっ……どうしたのはこちらの台詞よ。貴方こそ、何をしてるの。顔、真っ青じゃない」
「……セリアの髪とどっちが青い?」
「バカ言ってる場合……っ! 教えてナガレ、あの四ツ足は貴方が喚んだの?」
つまらない冗談を一蹴しながら、彼女はフラフラの俺を力強く抱き寄せて、自分の身体を支えに楽な態勢を作ろうとしてくれる。
淡白だけど、結構お節介焼きな所あるねこの人。
なんて冗談、挟んだらもっと怒られるな。
「四ツ足……あぁ、うん。ブギーマンって、言う、んだけど……ちょっと、相性悪いっていうか……」
「相性……親和性がどうとかの話? それで貴方が苦しんでいるの?」
「……みたい。詳しくはまだなんとも」
「なら止めなさい、今すぐ」
表情そのものは普段の彼女と然程変化はないように思えるのに、静かな中に迫力があるというか、もしかして怒ってないかこれ。
セリアの立場からしたら、防衛軍の優勢は歓迎したい状況のはずなのに。
薄い唇は固く結ばれていて、それがまるで叱られてるみたいに思えてしまう。
「……や、あともうちょい……今ブギーマン還したら、せっかくの勢いが……」
「……いいえ、もう充分。それに貴方がそんな心配する必要なんてないわ」
「……」
まぁ、本来無関係だからセリアの言うことももっともだけど。
突き放すような物言いなのに、声色はだいぶ柔らかい。
ちらり、と霞み始めた視界で戦場をぼんやり眺めれば、確かに勢いに乗った防衛軍が魔王軍をどんどん追い返している。
これなら、もう大丈夫……だろうか。
なんかセリアに少し心配かけたみたいだし、潮時だな。
「……ブギーマン、悪いね」
再現したばっかなのに、こっちの都合で打ち止めにする身勝手を口のなかで転がせば、つまらなそうに舌打ちされたような感覚が伝わる。
テレパシーじゃないけど、多分ワールドホリックによって俺とリンクしてるから、伝わるものがあるんだろうけど。
あーもう、せめて一言ぐらい会話してみたかった。サインも欲しかったし。
「【奇譚書を此処に】」
ま、こんな調子じゃ色紙を破り捨て去られんのがオチか。
「……【プレスクリプション】」
唱えたお別れの合図。
置き土産とばかりにブギーマンの不満げな気配が、申し訳なさに拍車をかける。
せめて親和性がもうちょいマシなら良かったのになぁ。
「ナガレ……ナガレ?」
「…………あー……ごめん、もうムリ」
ブギーマンを還した途端、吐き気や頭痛は徐々に収まっていったけど、今度はとんでもなく瞼が重い。
これはちょっと抗えそうにないなと、セリアの腕に頭を預けたまま、ワールドホリックの反動に身を委ねる。
気絶するように眠るとはこの事なのかも知れない。
そんな楽観を眠りの海に沈めていけば、耳元で盛大な溜め息と、少し時を置いて身体が持ち上げられる感覚。
……なんか恥ずかしい目にあってる気がするけど、まぁ、いいか。
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【都市伝説紹介】
『ブギーマン』
・再現性『D』
・親和性『E』
・浸透性『S』
子供の恐怖心をベースに再現した、まさに最凶クラスの都市伝説。
世界各地で今も創作の対象になったり、膨大で多肢に渡るルーツを持つ事から、最高規模の浸透性を誇る。
しかし、親和性が絶望的に低い。
緊急の再現だった為に再現性も低い。
その影響で本来の能力にペナルティを受けているのだが、それでも充分過ぎるほどの殲滅力を有している。
人間に危害を加えないようにナガレが死に体になりながらブギーマンを抑えなければ、より一層の地獄絵図となっていた。
捻れた矛先の様な手足を蜘蛛のように這わせて、対象を次々に串刺しにしていく。
戦闘力だけで言えば、メリーさんすら凌駕する存在と言えるだろう。