Tales 91【この手に傍ら】
「改めてだが……分かった気がするな」
「なにが?」
「お前という人間がつくづく奇妙なのは、そもそもの根本の部分からだと言うことがだ」
「へぇ、どういう意味だよ」
「そのままの意味だ。お前が祖父の言葉を受け入れたとはいえ……そのまま本当に愛好家にまでなる奴が居るか、普通」
「しょうがないだろ。実際、調べれば調べるほど滅茶苦茶面白かったんだから。なに。なんだったら今からとっておきのレパートリー語り尽くそうか?」
「断固拒否だ、バカめ」
自分の過去を長々と語るのは気恥ずかしいもので、誤魔化しの小競り合いに乗って貰えるのは都合が良い。
誤魔化しついでに立ち上がりながらズボンを叩けば、細かい土がパラパラと落ちる。
ずっと喋り続けていたから、身体が凝って仕方ない。
彼方の星を迎えるようにぐっと伸びをした。
「憎む事自体が下手……的を射た言い分だな。復讐に取り憑かれたお前の姿はどうにも想像出来ない」
「好意的に受け取って良いのかねそれ」
「さあな」
「ふーん……けどまぁ実際のところ、復讐に執着しなくて正解だったんだろうけどね」
「……?」
馴染んだ夜の息吹きが、色々を背負って耳の後ろを通り過ぎていく。
ふと訪れた眩暈に任せて瞼を閉じれば、セントハイムの街灯りが雪解けのように、甘く霞んだ。
「……なんだかんだ丸く収まったけど、結構不思議だった。あの不器用な爺ちゃんが、わざわざらしくない真似してまで、俺の説教役なんて買って出てくれたんだろうって。でも……後になってわかった。多分、知ってたんだろうね」
「……何を?」
「例の"市長"。結局、責任追及と失脚からは逃れ切る事は出来なかったみたいでさ。隠してたスキャンダルが暴かれたのも重なって、再開発計画の仲間にも奥さんにも見捨てられた挙げ句、ツキにも見放されたのか…………とっくの昔に、事故で亡くなってたらしい」
「────!」
もしも。
あのまま俺が下手くそな復讐を捨てきれずにいたとしても。
一番憎むべき相手は、もうどこにもおらず。
(そうなってたら……あんたと俺の関係性も全然変わってたのか。それとも、なんだかんだで変わることはなかったのか)
案山子はくすぶる火種に焼かれて、燃え尽きるだけだったのか。
それとも亡霊のように、憎悪をぶつけられる誰かを探していたんだろうか。
(ま。俺は勿論、後者だと思うけど……)
霞んだ景色の向こうに、緋色の女の幻が見えた気がした。
(あんたもそう思うだろ。な、"アキラ")
悪友であり、親友であり、奇縁の女。
"もしもの世界"ならば例の市長の。
"一番憎むべき男の一人娘"でもあった───大河アキラの姿が、見えた気がした。
◆◇◆
「つまんない話だった?」
「……」
宴もたけなわとまでは適さない二人きりの夜会ではあっても、終わりがある事に変わらない。
追想を尽くした今宵に幕を下ろすべく、丘を降り始めたのは、どちらともなく。
「肩身が少し、広く感じたな」
「どういう意味それ」
「どうとでも」
なだらかな斜面に茂る草花が、夜の冷気に触れて霜を飾って。
未完成の雪結晶を纏った葉の表面が、歩く度にサクリサクリと軽快に鳴る。
心地良さが、まるで自分の心がなごり惜しむ抽象の音に思えても、不思議と悪い気はしなかった。
「ナガレ」
「ん?」
一歩前を行く長い脚が、ふと止まる。
振り向くことをしないルークス。
フードを外したローブの隙間から流れるアッシュグレイの髪が、月光を浴びてキラキラと輝いていた。
「……お前は、闘魔祭が終わったあとどうするつもりだ? 異世界から来たというお前に帰る場所はあるのか?」
「え? あー…………(そういや俺、ルークスには闘魔祭に参加した『本心』は打ち明けていても、『理由』であるセリアやガートリアム、エース達の事情は伏せたままだったっけ)」
ふと投げ掛けられた質問に、思わず口ごもる。
おいそれと公言するのもまずいかと考慮した結果、自分以外の事情を殆ど語らなかった弊害、とでも言うべきか。
色々と順序ってものをすっ飛ばしてるよな。
話せる度合いで考えれば、元居た世界での事情なんて、軽々しく語れる事ではないのに。
(……なんでだろうな)
爺ちゃん達との事、父さん達の事、そしてアキラ達の事。
セリアにもお嬢にもアムソンさんにも、話すどころか深入られるのを拒む素振りすらあったのに。
どうして、ルークスにはこんなにも打ち明けてしまったんだろう。
今更ながらに、不思議でしょうがなかったけれど。
でも、後悔の念は全然湧いてこなかったから。
まあいいかと、いつもの気楽さで片付けて顔を上げれば。
「────私と来ないか?」
「え?」
いつの間にか振り向いていたルークスが、俺へと手を差し伸べていた。
「一緒に来ないか、って……」
「お前は言うなれば根なし草だろう」
「まぁ、間違っちゃいないけど」
根なし草。
言われてみれば自分の立ち位置ってのは、定まってるもんじゃないのは確かだった。
この闘魔祭が終わったあと、どうするか。
セリアと一緒にガートリアムに戻って、それからは。
どうするのか、どうしたいのか。
いかんせん此方に来てずっと場当たりと衝動任せだっただけに、具体的なこの先のプランなんて考えちゃいなかった。
「……」
「……」
私と一緒に来い、か。
俺が復讐下手なら、彼女はとんでもなく交渉下手だ。
行き先も目的もメリットも告げず、そう言い切るなり返事を待つように黙り込まれたって困るのに。
苛烈で鮮明な色である緋を、落陽のように儚く細めながら。
彼女はただ、待っていた。
「……思ったんだけどさ」
「なんだ」
「ルークスこそ結局どういう人な訳? こんだけ色々と話し込んだ仲とはいえ、流石に身分とか、はっきりしない人に付いていかないけど?」
「………………冒険者だ」
「嘘だろそれ」
「な、なにを根拠に」
「雰囲気から何まで、全然冒険冒険してないじゃん、あんた」
「う……」
この人も、どこかの誰かみたいに不器用なのか。
或いは────最初から、俺が頷いてくれるという期待を捨てているのか。
尖ってるのに、隙だらけな人だ。
どっち付かずの曖昧で、分かりやすい嘘も重ねる始末。
軽はずみな単なる冗談だったら、そう言ってくれればいっそ良かったのにさ。
「……」
背も高いし、サバサバしてて、いかにも我の強そうな顔付きの癖して。
諦めと期待が混ざりあって、子供のように純真な瞳を向けられるのは、今も"昔"も、どうにも弱いままであるらしい。
「けどまぁ、あんたとこの世界の神秘を巡る旅ってのも、面白そうではあるかな」
「!」
「闇沼のこととか。こっちの世界にだって、都市伝説染みた怪異はきっと山ほどあるはずだ。そういうのを探し求めるのも……悪くないよな?」
「……あぁ」
顎を上に傾けて、思い描いてみる。
見たこともない景色や神秘に、向こう見ずに首を突っ込んでは、好奇心のまま走り回る俺と。
来いと誘ったことを後悔してそうな呆れ顔のルークス。
そんな光景を想像するのは案外に容易で、悪くない。
心からそう思うけれど。
思い描くのが簡単だと思えるのはきっと、在りし日の未練をなぞっているからで。
「けど、今の俺にはやるべき事がある。やり通さなきゃならない意地がある。明日の闘いも、その後のことも。だから、そういうのがきっちり片付く間──」
「……?」
「ルークスには少しでも都市伝説を好きになって貰わないとな。じゃないと間違いなく、俺を誘ったこと……うんざりする羽目になるね」
「……ふん」
それに、まだ何も片付いちゃいない。
闘魔祭の決勝も、ガートリアムの問題も、セリアやイライザ姫に切った啖呵も。
口にしたのなら、しっかりやり通す。
他でもない自分で考えて、自分で選んで決めたことだ。
そうじゃなきゃ男じゃない。
だからこれは……ずる賢い知恵で編んだ、先に延ばした口約束だった。
しっかり意地を突き通した、その後でなら。
その頃には、きっと俺も。
他愛ない未来予想図を、未練と思わないだけの踏ん切りを付けられていると信じて。
もしかしたら、これもまたしょうのない意地みたいなもんかも知れないけれど。
「まったく……」
そんな男のバカな意地を……彼女は心底呆れたように。
「手間のかかる男だよ、お前は」
差し出した手を下ろし、微笑んでみせた。
────
──
【この手に傍ら】
──
────
色々と本音を捧げた夜ともなれば、身体の節々に溜まった疲労もより一層だった。
戻った宿のベッドに、くてんと倒れかかるぐらいに。
枕に沈めた口から、う゛ああーと奇妙な声が漏れだすくらいに、疲れていた。
「ねむ……」
まだ若干機嫌の治ってない様子のお嬢のことや、まだ戻ってないセリアのことも気にはなるけど。
瞼にじんわりと広がる微熱の睡魔が、まあいいかの区切りへと気掛かりを追いやって仕方なかった。
「……んー?」
睡魔の脚を止めたのは、ポケットから伝わる振動だった。
それだけで、何がではなく誰が、となるくらいに、判りやすい呼び声。
『私、メリーさん。少しだけお話したいの』
「ん、いいよ」
『ありがとう』
浮かんだ電子の文に二の句を継げずに頷けば、いつもの白金の奔流と共に、蜂蜜色の髪が靡いた。
「ごめんなさいナガレ。もう寝る所だったのに」
「気にしなくていいよ。で、どうしたの?」
「その……ね。実はね、メリーさんも……お話、聞いてたの」
「話って……ルークスとの?」
「うん」
「……そっか」
てっきり休んでるもんだと思っていたけれど、どうやら彼女も俺の過去を聞いていたらしい。
ってことは、俺が当初、都市伝説に抱いていた感情も知られてしまったという意味でも、あるのか。
のっそりと起き上がりながらも、沈黙で答える俺の隣にメリーさんが腰かける。
間隣で俺を見上げるエメラルドの瞳が、静かに揺れていた。
「ねぇ、ナガレ。ナガレは最初……メリーさん達のこと、あんまり良く思ってなかったんだよね?」
「……悪い」
「ううん、謝らなくてもいいの。謝らなくていいことなの。それに今は、メリーさん達のこと……好きになってくれてるもの」
「……」
投げ出された俺の手にそっと掌を重ねると、メリーさんが俺の肩へと寄り添う。
暖を求める冬の日の仔猫のように。
「ねぇ……聞いていい?」
「なにを?」
「恐がられても、嫌われてしまっても……いつか、また……好きになってくれる日は。大切にしてくれる日は、来てくれる、ものだって。
メリーさんでも。そんな風に思っていいと、思う?」
「……、────」
あぁ、そうかと腑に落ちる。
彼女もまた、俺と同様に過去に囚われ続ける想いがあるんだろう。
恐がられて、嫌われた。それはきっと、彼女を捨ててしまった『誰か』の事で。
「いいに決まってる」
「……ほんとう?」
「本当」
だったら、俺は肯定する。
その誰かに、彼女が会えないとしても。
メリーさんが望むいつかは来なくても。
そう信じたいというせめてもの願いは、許されないものじゃあないはずだから。
「だってメリーさんは、そのいつかを迎えられた俺の……『相棒』なんだろ?」
「────うん」
エメラルドの瞳が、これ以上となく安堵に緩む。
それでも言葉だけじゃまだ不安なのか、しがみつくように俺の胸元へとメリーさんが顔を埋めた。
灯りを消した部屋の中でさえ蜂蜜色の綺麗な光沢が滑れば、彼女の体温が伝わってくる。
人形ではなく、人間である証のようで。
「ありがとう」
「どういたしまして」
胸元から漏れ聞こえる、くぐもった感謝の言葉に苦笑しながら、あやすように背を叩く。
── そうして案山子は、人間になって。
いつか貰った灯火を、分けて与えられるようにもなれたのだろうかと。
窓の隙間から覗く、想いを残した夜中の月を、静かに見上げるのだった。
【おまけ】
「メリーさん。俺、そろそろ寝たいんだけど」
「私、メリーさん。今日は貴方のくっつき虫になるの」
「……」
「……」
「…………はいはい」
「うふふ」
「あ、そうそう。メリーさん。明日の試合なんだけど」
「うん、メリーさん明日も頑張るの!」
「あーいや、その気持ちは嬉しいんだけど。ちょっとね、頼みがあんの」
「勿論任せて! メリーさんに出来ることならなんでもするの!」
「……………………え? マジなの?」