表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。

薮蛇

作者: 大家四葉

なろうの投稿システムに慣れるために昔書いた短編などを


  【 薮蛇 】



 昔々ある村に、それは仲の良い夫婦が住んでおった。夫の名は太郎。太郎はお武家様にも屈さぬ力と胆力を備えた大男だった。女房の名は(あや)。目の眩むような妖艶な美女だが、目の覚めるようなたいそう立派な織物を織る、働き者の嫁であった。



 ある日の事。この日も太郎、囲炉裏を前に酒をやっておった。

「う~ん、美味い!」

 酒は太郎の楽しみなのだ。囲炉裏の前に野良仕事で疲れた体を横たえ、ギッコン、バッタンと機織りの音を聞きながら酒を飲む。そうこうしているうちに疲れた体は眠ってしまう。これが太郎の幸せだった。

 するとドンドンドンと、戸を叩く音が。

「誰じゃ、わしゃ今は酒飲みで忙しいんじゃ」

 すると戸口の向こうより声があがった。

「儂じゃ、庄屋の庄衛門じゃ、開けてくれ」

 庄屋の旦那では仕方が無いと太郎は戸を開けた。するとそこには庄衛門の他にも人影が一つ、侍らしき姿がある。するとその影が己を名乗る。

「某、藩勝手方の用を勤める馬渕重衛門と申す。用件があって参った」


 太郎は馬渕と名乗った侍を囲炉裏間に上げると向かい合った。言葉を交わした事は無いが見たことのある顔。あれは殿様の前で相撲をとった時のことだったかと、太郎が頭を巡らした時であった。なんと侍であるはずの馬渕が太郎に深々と頭を下げたのである。

「藩の為にお願い申す。――」

 馬渕は、藩の特産品として太郎の女房の織った織物を売り出したいと、その技術を藩内に広め、特産品にしたいと申し伝えた。

だが太郎は一言、

「お断りいたす」

 そう返事を返すと、二人は厳しい眼差しで互いに顔を見合ったのである。

「武士の頼みを聞けぬと申すのか?」

 馬渕の厳しく真剣な眼差しがそう迫った。だがそれを太郎も真正面から受け止めると尚も返したのである。

「女房の機織りの技は一族の限られた者のみに伝えられる門外不出の技。儂とて見ることを固く戒められた技なれば、どうかお引取りを」

「そこをなんとか」

「これ、太郎! 馬渕様がこれほどに頼んでおるというに」

「お断り致す!」

 馬渕の左手が脇差に添えられた。

 一方の太郎も火箸を手にとると、それで囲炉裏の火をかき混ぜた。

 その傍ら、庄屋はただ戦慄いていた。

 ギッタン、バッタン。機を織る音に、カチリ、小さく脇差しの鯉口を斬る音が重なった。


 ギッタンと、続くはずの音が途絶えた。

 馬渕が、太郎が、その機音のするはずの側に注意を向ける。

 その瞬間、馬渕は負けたのだった。いや、己が負けたと判らぬうちに、太郎の女房に負けを喫していたのだ。

「美しい…」

 呆けた馬渕の顔からそう声が零れ出た。

 いつの間に現れたものか、障子の引き戸を左右に開けたそこには太郎の女房、朱が立っておった。まるで天女のようだと、そのような臭い言葉がまさに言い当てはまる女を目の前にし、馬渕は魂を抜かれたかのようにただ朱の姿を見つめていた。



 太郎の女房・朱は囲炉裏間の太郎の脇に、馬渕と向き合うと膝を折り、一度丁寧に挨拶を述べると言葉を続けた。

「妾は天八千々姫命を祭る神職の家系に繋がる者。この機織りの技は神技として我が一族に秘伝として伝わるものなれば、おいそれとは広める事は無いとお思いくだされ」

 銀鈴のような声が馬渕の頭に響き渡った。すると馬渕はあっけなく、

「神に捧げる為の御技であったか、ならば致し方なし…」

 そう呆けた顔で答えたのである。

「貴方様、お二方様がお帰りです。どうか馬渕様のお供をお願いします。夜も遅いので近道を、北の山際の道を行くのがよいでしょう」



 暗い夜道を提灯の明りを頼りに三人の男が歩んで行く。道脇に黒く影を描く石の道標(みちしるべ)、その二股に差し掛かると、

「では、私めはこれにて」

 庄衛門がそう言い頭を下げ道を外れていった。庄屋の屋敷は村内の為、ここで分かれる事となる。

 一方、陣屋傍の馬渕の屋敷までは此処よりおよそ一里の道のり。か細い月明かり以外には明りも見えない田舎道を、二人はとぼとぼと歩んでいく。


 半里程も進んだ頃であろうか。

「待たれよ」

 闇にそう馬渕の声が響いた。その声に振り返った太郎は、提灯の明りに照らされた馬渕の姿を見て気を引き締めたのである。左腰の刀に添えられた右手、そして殺気を秘めた顔が太郎を見つめている。

 その只ならざる姿に太郎も拳を固め、ネコ足立ちになると備えるのだが、たちまちのうちに馬渕は距離を詰めると、太郎の脇を何事もなくすり抜け、その背後に立ちはだかった。

「明りを」

 馬渕の押さえた声に太郎が振り向くと頭越しに先を照らした。片側に山が迫った田舎道、そのヤブからガサリ、ゾロリと物音が微かに聞こえる。そのまま二人は動かず耳を澄ました。

 だんだんと大きくなる物音。

 カチリ、馬渕が鯉口を切る。すると道の先より闇に白く浮かび上がる何かが見えた。

 太郎がその白い何かを照らすため、提灯を先へと差し出す。

 闇に双眸が光る。道端から這い出たその白い何かは更に長く道に伸びると段々と二人へ近づき、そして明りの際へと達した。

 闇に光る目が音もなく上へと持ち上がった。ほぼ人と同じ高さ。そのままじっと動かぬ正体を見定めようと、太郎が更に前へと踏み出した。

「太郎どの!」

 馬渕が太郎を声で押さえると、その太郎を守ると言わんばかりにズイと前へとせり出して行く。

 しゅるると刀を抜くと地滑りに構えた。その馬渕の先を照らそうと、提灯が動いたその時だった。

「イヤアアッ!!」

 闇に馬渕の裂帛の気合が轟く! 同時に天に昇るがごとくに振りぬかれた刃はしかし空を斬った。

 刀の軌跡の下には輝く二つの目があった。明りが鈍くその白い体を闇に浮かび上がらせる。白く太い、優に三間はあろうかという大蛇の姿。体の四半分を折ったその大蛇が刀を振りぬき隙を見せる馬渕に恐るべき速さで牙を剥き襲い掛かる。


 シャアアと牙を剥く大口が馬渕の喉笛にまさに食いつかんとするその時であった。

 大口を開けた蛇が宙に動きを止めた。

 いや!、太郎に襟首をむんずと掴まれたのだ。だが大蛇はその太く白い体を太郎の腕に、そして体に、ウネウネと絡みつかせてゆく。

「太郎どの!、いまお助けする!」

 馬渕が太刀を納め、脇差を抜き、急ぎ大蛇を引き剥がそうとするが、

「待った!」

 そう太郎の声が上がった。太郎は己の腕や体に絡んだ白い大蛇を力任せに引き剥がしにかかる。それを見かねて馬渕が再び手助けを申し出れば、それでも、

「白蛇は神様の使いゆえ、殺したくない」

 と之を聞かなかった。ただ己が持つ提灯を馬渕に預けると、人並みはずれた膂力を頼りに大蛇を丁寧に引き剥がし、そしてとうとう白い大蛇を己一人で引き剥がすと、それを山に放したのである。

「もう里には降りてくるなよ」

 そう蛇に声を掛ける太郎の意を汲んだかのように、白い大蛇は一度だけチラと後ろを振り向くと、山へと帰っていったのである。



 翌日。

 上役に報告をした馬渕の気持ちは沈んでいた。報告は包み隠さずせねばならなかった。もちろんそれにはあの太郎が藩命を断った事までもが含まれるのである。

 馬渕はあの太郎の事を気に入っていたのだ。百姓にあるまじき物言いに当初は反感を覚えたものの、それも昨今の武士達が忘れた気骨と悟ってからは逆にそれに好意さえ覚えるのだ。しかもその太郎はあの大蛇より己の命を救った恩人でもある。

 されど藩命は絶対! 逆らうわけにはいかなかった。

 腕を組み、考える風の上役の口が開きかけた、その時であった。

 ドタドタと、せわしなく廊下に響く足音がする。何事かと馬渕と上役が注意を向ければ、なんと家老が部屋になだれ込んで来たのである。家老は部屋に踏み込むなり、扇子を馬淵に突きつけながらに言う。

「その方が馬渕だな。馬渕、そなた昨夜白い大蛇を見たそうだが、まさか斬ってはおらぬだろうな! 

白蛇様はお方様が信仰なされているゆえ、斬ったならば只では済まさぬぞ!!」

 家老の必死の形相。それに馬渕は心の中に冷や汗をかいた。


 お方様の…。あの大蛇を斬っておったら切腹ものであったか。太郎はこれを知っておったのだな。


 馬渕は平伏すると答えた。

「いえ、無事にございまする。某が出会った大蛇は那辺村の組頭、太郎なる者が素手にて捕らえ、丁重に山に御帰ししましたゆえ」

「それは真か! いやよかった、よかった。ならば直ぐにもお方様にお知らせせねば――」

 馬渕の心は晴れに変わっていた。あの太郎を生かす算段が生まれたのだ。そして己の事を二度も救ってくれた太郎に、馬渕は心の中で感謝を捧げたのである。



 ある日、嵐の夜のことだった。

 太郎はその日も囲炉裏を前に機織りの音と雨風の音をともに聞きながら酒を楽しんでいた。

 この日の酒は上物であった。わざわざ陣屋から使いのものが訪れ、先日の褒美だと酒を大樽で一つ、戴いたのだ。

 褒美の酒を楽しみ、大分酔いも回ってきた頃だった。

 トトトン、トンと、戸を叩く音が聞こえた。

「誰じゃ!」

 こんな嵐の夜に、誰だろうと声を掛けると表より微かに人の声が聞こえる。太郎は土間に降り立つと戸を開けた。すると其処には今どき古風な市女笠を被った旅姿の女が一人、ずぶ濡れとなっていた。

「旅のものですが、嵐の夜に泊まるところもなく難儀しております。どうか、一夜の宿を…」

「そりゃ大変じゃったの。さあさ入れ、囲炉裏で暖まるといい」

 太郎はそう言うと、倒れ込むように家に入ってきた女を支えると戸を閉めた。

 女は土間で笠をとると、その素顔が露になった。女房、朱に負けじ劣らじの美しい顔が太郎を見つめた。

 その時であった。

 スッと、音もなく障子が開くと女房の朱が姿を現す。それを見た旅の女が表情を険しくして呟いた。

「よもや、先を越されておったとは…」



 その後、村では太郎が美しい妻を二人も娶ったと、大そう評判となった。

 太郎はその後も妻達と仲睦まじく暮らし、なぜか家は妙に栄え、三人は幸せに暮らしたそうな。







評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ