第一章 第三部
週末の土曜日、文科系サークルの部室棟にフィルムの焼き付けに来た。部室棟に一番乗りのサークルが写真部だったので、玄関の鍵も守衛室で借りる羽目になった。
暗室に入るなり、流しの栓をして印画紙を水洗するための水を貯め始めた。水を貯めるのに時間がかかるので、焼き付けは、時間に余裕があるときにするようにしている。水を貯めている間に、バットに現像液、停止液、定着液を用意した。色々準備て居る間に、水洗の用意が整ったので、ベタ焼きを作り、五秒間隔で焼き付ける時間をあけるようにして作った覆い焼きで、焼き付けの露光時間の見当をつけて、焼き始めた。覆い焼きを参考して三枚焼き、露光時間や絞りを調整し、四枚目に納得のいくものが焼きあがった。
その後は、八コマのフィルムを選んで、印画紙に焼き付けた。焼き付けたのは、銀杏並木が三コマ、ポプラ並木が二コマ、メムが三コマの三種類八枚だった。水洗している間に、藤田先輩がフィルムの現像をしに来た。
「藤田先輩、来てたんですか」
「最上か、フィルムが溜まったから、現像しに」
「藤田先輩、焼き付けましたよ。今水洗中で、あと一時間で終わります」
「印画紙の水洗が終わる頃に、現像が終わるだろうから、見せてくれ」
「何本溜めてたんですか?」
「八本溜め込んでた」
と、言う返答がかえってきて、
「そうですか……」
と、かえした。
水洗が終わるまで時間があるので、美術部の部員が来ていないか、美術部の部室に行ってみると、扉が少し開いていた。
「失礼します」
と、ノックして、美術部の扉を開けると、大島先輩が居た。
「えっと、写真部の最上君だっけ?」
と、大島先輩が、確かめてきた。
「はい。大島先輩は、服の続きをしに来たんですか?」
「服の続きするのと、最上君の写真が見たくて」
「写真なら、焼き終わって水洗してます」
「終わったら見せて。紅茶飲む?」
「あと一時間くらいで終わります。いただきます」
テーブル近くの椅子に腰掛けていると、大島先輩は、紅茶を淹れてくれた。先輩は、自分でも使うのに砂糖を持って来るのを忘れる部長のようなミスをしなかった上に、レモン果汁まで持ってきてくれた。
「最上君は、砂糖にレモン果汁を入れて、レモンティーにして飲むのよね?」
「はい」
レモンティーを飲んでくつろいでいると、大島先輩が、
「あの子の服の上ができたの。試しに着せてみているのだけど、見てみない?」
と、聞いてきた。
「良いんですか?」
「うん」
見せてもらうと、少し青みを帯びたブラウスを着ていた。下は、チェック柄のスカートを穿いていたので、
「スカートも完成したのですか?」
と、聞いててみると、
「それは、前に作ったスカートなの。大学際前には、完成させる予定」
「そうですか」
「お茶、冷めちゃったね。淹れなおすね」
「熱いのは苦手で、これくらいの温度が飲みやすいので、良いですよ」
と、淹れなおすのを断っていると、藤田先輩が、前触れもなく美術部の部室に入ってきて、
「お熱いね、お二人さん」
と、本気とも冗談ともつかないことを言ってきた。
「どこが、お熱いんですか」
と、僕が否定するように言うと、
「からかっただけだよ。否定すれば否定するほど、認めてるようなものだぞ」
と、さらにからかってきた。
「先輩、何か用ですか?」
「お前が油を売っている間に、一時間経ったから、知らせに来た」
「ありがとうございます」
「大島さん、俺にも紅茶淹れてくれる?」
「良いですよ」
と、大島先輩が紅茶を淹れている間に、先輩が、
「本当のところはどうなんだよ?」
「まだ疑ってるんですか?」
と言うと、先輩はニタニタ笑うだけだった。お前の心はお見通しだぞとでも、言わんばかりに。そうこうしていると、大島先輩が藤田先輩の紅茶を持ってきた。
「どうぞ。何こそこそ話していたんですか?」
「写真部の中での話しだから、気にしなくて良いよ」
と、大島先輩に先輩は言った。
「先輩、印画紙を、ドライヤーかけて乾かしてきます。大島先輩、紅茶ご馳走様でした」
と、挨拶して、美術部の部室を一度辞した。それから、暗室に向かい、流しの蛇口を閉めて水を止め、栓を抜き排水した。印画紙は、ドライヤーに二、三度通し、乾燥させて、あとは、自然乾燥に任せることにした。まだ湿り気は多少残っているが、見せるだけなら、支障が無いレベルになって居たので、美術部に持って行った。
「失礼します」
と、挨拶してから、美術部の部室に入った。大島先輩と先輩は、紅茶を飲みながら談笑していたが、大島先輩は僕の顔見ると、心なしか顔を紅潮させたように見えた。僕はそれに気づかなかった振りをして、焼き付けた写真を二人に見せた。
「御所望の銀杏並木とポプラ並木、メムの写真です」
「待ってたぞ。見せてくれ」
「どうぞ」
メムの写真を、大島先輩に示しながら、
「大島先輩、これが大学の敷地内に残っているメムです」
と、教えた。
「へえ、こんなのが大学の敷地内にあったんだ」
「涸れ川だったりしたのを、今月から浄水場から引っ張って来た水を流し始めたそうですよ。水を流す前に、土木工学科の二年は、涸れ川のゴミ拾いや泥の浚渫に借り出されて、ゲンナリだったみたいですけど」
「それは災難ね」
「そうでもないみたいですよ。一番早く綺麗にやりきった班は、講義内容を理解していると言うことで、下駄をはかしてくれるそうです。段取りと番割りが上手くいっていて、棒立ちする人間の居ない班が、一番の高得点を貰ったとかと……」
「その教授、学内の生え抜きじゃなくて、学部卒で民間に就職してからの出戻りだったよな?」
と、藤田先輩が聞いて来た。
「二年の先輩の話だと、そうらしいですね」
「話が変るが、大学際で展示する写真は、どうするんだ?」
「今、先輩に見せている写真を、引き伸ばして展示しようかなと、思ってます」
「展示する写真が決まっていて良いな……」
「先輩、八本も撮り溜めているのなら、余裕じゃないですか」
と、先輩に言ってやると、先輩はスランプなのか、
「そう、都合よくいくかよ……」
と、先輩はぼやいた。
大島先輩が、僕たちが深刻そうな話をしていたので、一瞬躊躇したようだが、意を決し、
「最上君、ここに写ってるの何?」
と、聞いてきた。写真を凝視すると、小動物らしきものが写っていた。
「拡大鏡を部室から持って来るので、一寸待っていてください」
と、言い残して、写真部の部室に戻った。ネガをライトボックスに載せて、拡大鏡で確かめたが判断しかねたので、印画紙の方で確かめることにした。拡大鏡を持って、美術部の部室に戻り、拡大鏡で確認すると、リスに見えなくもなかった。
「リスに見えなくもないですね」
「俺にも、拡大鏡を貸してくれ」
と、先輩が言ってきたので、拡大鏡を渡した。
「リスか?」
「藤田先輩、私にも貸してください」
と、言われ、先輩は大島先輩に拡大鏡を渡した。
「リスなのかな?」
「リスなんじゃないんですかね?」
と、小動物の正体を考えていると、先輩が時計を見て、
「あっ、もう昼だ」
と、言った。
「昼までには帰ると親に言っていたので、先に帰らしてもらいます」
「飯なら、近所の食堂で食えば良いじゃないか」
「いえ、弁当を止められるので……」
「自宅通学はつらいね」
「茶化さないでくださいよ」
と、言って、美術部の部室をあとにした。
まだ完全には乾いていない印画紙を、乾燥用の棚に並べて、暗室に鍵をかけ、部室棟の玄関の鍵と暗室の鍵を、先輩に渡しに、
「先輩、暗室と部室棟の玄関の鍵です。後はお願いします」
と、引継ぎを終わらせて家路に着いた。