第一章 第一部
高校一年生の秋に実の父の存在を知ってから、二年以上の年月が経っていた。
僕は、北海道総合大学工学部地球科学科、道内の金属鉱山や石炭鉱業が斜陽化する前は地質採鉱工学科と名乗っていた学科に在籍している。浪人することなく現役で入学した。
北海道総合大学工学部地球科学科を目指すことを決めたのは、実の父の存在を知った年である。鉱山系の学科を選んだ理由に、生まれる前に死んだ父親への憧れや影響が無いかと言えば、嘘になる。実際、憧れや影響を受けている。
近くの国立大学で、鉱山系の学科はないかと調べると、秋田と北海道にあった。秋田は生活費のことを考えると厳しいので、北海道の大学を選んだ。親に北海道総合大学の地球科学科に進学したいと言うと、両親は困惑した。特に母は、鉱山系の学科であると知ると、機械や電気、化学があるじゃないの言った。他の学科にやんわり誘導するのは、父の死が関係しているのは、容易に想像がついたが、親を喜ばすために進学するのではないから、鉱山系の学科で勉強をしたいんだと、曲げなかった。
二者面談で、地球科学科への進学を希望していることを、担任に言うと、学力的には進学は可能であるが、就職先に困るし、国内の炭鉱はあらかた閉山し、金属鉱山も数えるしかなく、応用性が増す様に刷新されているとは言え、斜陽を通り過ぎて死を待つ産業に関する勉強をするのはと、言われた。
しかし、石炭危機の勃発で、海外炭の輸入は途絶に近い状態になり潮目が変わった。
高炉メーカーは高炉の修繕の前倒しで稼動高炉を絞ることで、危機を突破しようとしたが、コークス製造用の原料炭や高炉吹き込み用の一般炭の調達はいよいよ厳しくなり、高炉のみならずコークス炉の火を落とさざるを得ないところまで追い込まれた。セメントメーカーも高炉メーカーと大差が無い状況に追い込まれていた。
通商産業省は、電力危機突破のために、残り数が少ない坑内掘り炭鉱や露天掘り炭鉱に、三顧の礼を持って増産を依頼した。増産依頼に応えるべく、坑内掘り炭鉱五鉱で九百万トン、露天掘り炭鉱十鉱二百五十万トンの計千百五十万トンを確保したが、絶対量は不足していたが、休止石油火力の再稼動、テレビ放送の休止等の節電で、石炭火力の不足分を何とか穴埋めをして、停電は何とか回避した。
国内炭鉱切捨てとか絶滅政策と揶揄された、新しい政策は、百八十度転換せざるを得なくなり、死を待つだけの産業と言われた石炭鉱業の復興十ヵ年計画が策定された。ズタズタになった石炭鉱業の建て直しのためには技術者と労働者の確保が急務となり、採鉱科及び類似学科の高校及び大学対象の条件付返済免除奨学金の貸与が決まった。石炭鉱業を取り巻く情勢が変わり、父は就職先に困らないだろうし、好きなことをやれと言ったが、母は余り良い顔をしなかった。炭鉱は坑内掘りばかりではなく、露天掘りもあるのだから、露天掘り炭鉱をやっている会社に就職すると言うことで、母は不承不承で認めてくれた。
十ヵ年計画での実施が決定された奨学生の第一期として、地球科学科に入学した僕達は、黒いダイヤの戦士の卵と持て囃され、その重圧を感じていた。
初日のオリエンテーションで学科長の教授から、
「黒いダイヤの戦士の卵と持て囃されて浮かれたり、気負いすぎて今に倒れそうなものが居るが、現場経験者として言わせてもらえば、浮かれてる奴は死ぬぞ。倒れそうな奴は力を抜け。通産官僚と政治家の尻拭いだから、少し冷めているくらいで丁度良い。しかし、同胞をロウソク送電の悪夢から守ると言う責任だけは忘れないように」
と、浮かれている学生に釘を刺し、力む過ぎている学生には力を抜けとありがたいお言葉を賜った。
その後、他の教授、助教授、助教、講師が担当教科の概要を説明し、オリエンテーションは終了した。学科長が、思い出したように、
「言い忘れていたが、卒論は炭鉱での現場実習で学んだことを基に書いてもらうから、現場実習で死なないように」
と、場が凍ることを、さらりと言った。
隣に座っていた男子学生が、
「あれって、悪い冗談だよな?」
と、僕に聞いてきたのか、独り言を言ったのか定かではないが、
「冗談じゃないと思う」
「えっ」
「教授が言っていたべ『浮かれてる奴死ぬぞ』と。油断したり、作業手順を守らなかったり、異常や異変を放置したりをしなければ、大丈夫だべ」
と、言ってやったが、その男子学生の顔はひきつり気味だった。
なんだか先の思いやられるような気分がしたが、条件付とは言え返済免除の奨学金と言う餌に釣られた学生、大卒者は現場での仕事はしないだろうと甘い考えで、安易に選んだと思われる学生がちらほら居るように、見受けられた。
翌日から、本格的な授業が始まった。
一年次は、測量、地質図の見方、地質調査概論、電機、構造力学、保安技術、工業倫理、鉱山保安法等の関連法規、鉱山災害史等、基礎的な事を学んだ。工業高校の土木科、電気科からの進学組には、予備知識があるのでスラスラ理解できる科目もあったが、土木施工管理技士の試験の関係で学んでいる労働基準法や労働安全衛生法以外の法規については、工業高校からの進学組も四苦八苦していた。
弓張の父の実家にあった、父が炭鉱で働いていた時に使っていた専門書にノートを、そっくり貰ってきて、入学までの間に見ていたので、何とか授業内容に置いていかれないでいた。
工業高校からの進学組が四苦八苦しているのに、普通科高校からの進学組が四苦八苦しないわけがなく、ある日学食で昼食をとっていると、授業のときに近くの席に座っている面子に質問された。
最初に口火を切ったのは、いつも隣に座っている松島だった。
「寛幸、何で普通科出なのに、そんなにスラスラ理解できるんだよ?」
次に、聞いてきたのは、後ろの山野だった。
「工業高校の連中も科目によっては、ヒーヒー言っているのに、平然としてるよな」
「付属図書館で本を読み漁っているのと、良い参考書があるから」
そして、前に座っている田川は参考書と言う言葉に反応して、
「良い参考書?」
と、聞いてきた。
「父親が炭鉱で働いていた時の書き込みだらけの専門書にノート」
と、言うと、一斉に、
「見せてくれ!」
と、口を揃えて言ってきた。今日は、持ってきていないから、明日持ってくるというと、頼む頼むと、懇願された。
父親が歌志内新炭鉱に勤めている田川は、
「でも、見せて貰ってるだけじゃなく、教えてもらってるんじゃないか?」
と、聞いてきた。
山野も疑問に思っているようで、
「見せてもらっただけじゃ、あんなにスラスラ理解できないような?」
と、聞いてきた。
口火を切った松島は、
「だよな」
と、相槌を打つだけだった。
「いや、聞きようが無い……」
「聞きようが無い?」
と、山野が聞いてきた。
「釧路の春採炭鉱か長崎の西彼杵炭鉱にでも勤めてるのか?」
と、田川が聞いてきた。
「いや……」
と、否定すると、田川は何かを察したのか、
「寛幸、書き込みだらけの専門書とノート頼むは。山野、松島、飯の時間は終わりだ」
と、言って、山野と松島を引っ張っていた。
田川には感謝するしかない。実の父親の話をすると、時間がとられるし、色々面倒なので、本当に助かった。
昼食のカレーライスをかきこみ、講義室に向かった。午後の授業は、地質調査概論で、今日はボーリングの方法、種類、目的毎の適用種類の選定方法だった。いつもは近くに座っている三人組は、珍しく僕の近くに座っていなかった。田川が、気を利かせたのか、僕が遅かったので、席を取られて、座りたくても座れなかったのかもしれない。