表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
廃墟の少女  作者: 赤間末広
1/17

プロローグ

 実の父の存在を知ったのは、高校に入った年だ。それまでは、仏間にある祖父と祖母遺影の隣にある遺影は、独身で亡くなった父親の兄だと聞いていた。

 しかし、違和感を覚える事があった。違和感とは、 墓参りの時に、墓碑に刻まれている名前を見せないようにか、周りの草取りをさせるだけで、墓碑の掃除をさせなかったのだ。違和感が確信に変わったのは、法事の時に戒名と俗名を僧侶が読み上げている時に、父の兄のはずなのに、名字が違うと言うことは分かった時である。十三回忌は、所謂おたふくかぜが治ったばかりなので家で母と留守番することになり、法事に出ることが出来なかった。盆の棚経は檀家の多い寺のため、夏休みに入る前に読経に来るために、父の兄とされていた人物の俗名を知る機会は十七回忌まで無かったのである。

 



 平成八年九月八日、札幌の五天山祥妙寺で、父の兄の十七回忌の法要が営まれた。焼香も済み、読経も終りに近づき、僧侶が父の兄の戒名と俗名を読み上げると、妙な事に気づいた。父の名字は「最上」なのに、「俗名北上良寛」と、僧侶は位牌を読み上げたのだ。

 僕は、驚いた。独身で死んだと言う父親の兄なのに、名字が違うのだ。結婚して婿養子等で名字が変わったのなら、合点がいくが、父の兄は独身だったのに、名字が違うのだ。

 読経も終り、お寺の庫裡で会食することになった。参列者は、大学や高校を卒業して就職している兄と姉、父の兄弟姉妹は来ていないのに、母方の祖父母が来ていた。後に知ることだが、母方の祖父母と教えられていたのは、実の父の父母、即ち僕の祖父母であった。

 父が、

「遠路、ご多忙の中故人のためにお集まりいただきありがとうございます。」

と、挨拶すると、母方の祖父が、

「堅苦しい挨拶は」

と遮り、父は間をおかず献杯の音頭を取った。皆コップを持ち

「献杯」

と、言って、会食が始まった。

 高校生ながらに、今、名字の謎を問いただすべきではないと思い、父や母、何故か父の兄とされる北上良寛と同じ名字の母方の祖父母に、名字の謎を問いただすことはしなかった。

 今にして思えば、これは父について知るのには、遠回りをする羽目になるのだが……

 父は、兄や姉に就職した会社のことや、友人関係、日常生活で困ったことはないかとかの話をしていた。母は、祖父母と話をしていた。

 一時半過ぎに、会食は終了して、父は祖父母を札幌駅に車で送りとどけ、僕と母は兄の車で自宅に送ってもらった。

家に着き着替え終わると、父の帰宅を待ち、父と母に、父の兄なのに何故俗名の苗字が違うのだとぶつけた。

「父さん、母さん。僕の伯父さん、父さんのお兄さんのなのに、何で俗名の名字が『北上』なのは、どういうことなの?」

と、ぶつけると父と母は、お互いに顔を合わせ、しばし無言になった。しばらくして、隠し通せないと覚悟を決めたのか、母が重い口を開いた。

「寛幸、伯父さんと教えていた人は、あなたの本当のお父さんで、あなたが生まれる前に、炭鉱の事故で死んだのよ」

 銀行マンの父も口を開く、

「隠し立てするつもりは無かった。折を見て話すつもりで居たが、適当な機会が」

「顔を知らない父親を知らせるより、良いとお思ったの」

と、母が言い、互いに沈黙してしまった。

 沈黙を破ったのは、父だった。

「詳しいことを話すには、探さないといけないものがあるから、お彼岸の中日に」

と、父が言い、今日はここまでとなった。

 その日の夕食は、何とも気まずい雰囲気が漂っていた。生まれる前に炭鉱事故で死んだとは言え、実の父親を父の兄と偽り、隠した理由が分からなかった。




 二週間が過ぎ、お彼岸の中日を迎えた。父が詳しいことを話すと言った約束の日だ。生まれる前に死んだとは言え、今まで隠さなければならない理由とは何なのか?

 朝食を済ませ、居間でテレビを見ていると、父と母が古い新聞を持ってきた。弓張炭鉱のガス突出事故を報じた当時の新聞を……

 新聞には、「九月十三日午後一時二十分頃、弓張炭鉱南新坑でガス突出事故発生。坑内作業員四十五名が生死不明」「同日午後十時過ぎ、救護隊員十五名が二次災害の火災に巻き込まれる」「九月十八日午前十時に、会社は、二次災害の火災の直接消火、通気遮断による消火は困難であり、注水以外の方法で消火が不能との救護隊の現場判断により注水消火を決断。家族に注水消火の提案。これの承諾を求める」「九月二十日、注水消火の承諾を全家族より得る」「九月三十日、弓張炭鉱南新坑への注水完了」「十月二十日、鉱山保安監督署火災の鎮火を確認。揚水作業の開始を認める」「十一月十五日、南新坑の揚水完了。遺体収容作業本格化」と、新聞記事は、事故の進展と絶望を如実に語っていた。最後の新聞の記事は、「昭和五十六年二月一日、事故から百四十日ぶりに全遺体収容。これにより、ガス突出事故の罹災者四十五名及び二次災害の火災に巻き込まれた救護隊員十五名の遺体の収容が完了。昨日収容された最後の遺体を含め、十体の遺体の身元を確認中」と、報じていた。

 母が新聞を読みえるのを見計らって、新聞を示しながら、

「本当のお父さんの名前は、北上良寛。北樺鉱業株式会社の職員で生産部生産計画課に所属していたの」

と、父が勤めていた会社と所属部署を語った。

「なぜ死んでしまったのか、存在を隠すようなことをしたのかを、教えてくれない?」

と、問うと、

「昭和五十五年九月十三日に起きた弓張炭鉱南新坑のガス突出事故の二次災害の火災に、巻き込まれて死んだの。命日は、遺体が坑内から上がった日を命日する人、注水が完了した日にする人、火災が発生した十三日にする人と、色々居たけれど、十三日にしたの」

と、母が答えた。

「本当の父親の存在を隠していたのは、寛幸が生まれ前に死んだと言うのは半分本当で半分嘘になる」

と、父が答えた。

「半分嘘になるとは、如何言う意味?」

「大人の事情と言うか、他の鉱職員の遺族感情と言うか……」

と、後半で父は言葉を濁した。

「あなたのお父さんは、本社に勤めていたの。弓張鉱業所にのことを皆そう言っていたのよ。書類上の本社は札幌にあって、そっちの方は本店と言っていたの。本社の計画部門に勤めだったのけれど、救護隊に所属していて、罹災者の捜索救出中に、二次災害の火災に巻き込まれたの」

と、母はさらに詳しく父のことを語った。

「あなたが生まれたのは、事故が起きた年の十一月で、遺体が坑内から上がったのは年末の十二月二十六日。一年忌が終わって、赤ん坊、小学校に入学する直前の子供、小学生の子供三人を女手一つで育てるのは、中々厳しいだろうからと、あなたのお祖父ちゃんが、親族に頼んで、今のあなたのお父さんを紹介してもらったの」

「そういうことなんだ。寛幸」

と、父が言った。

「北樺鉱業の弓張鉱業所に勤めていて、炭鉱事故の救護作業中に二次災害に巻き込まれて死んだのは分かった。大人の事情とか、遺族感情と言うのは?」

と、両親に問うと、母が、

「何れ、もっと詳しく話せる人に会わせるからそれまでは……」

と、言った。

 時計を見ると、十一時半を過ぎていた。両親が新聞を持ってきて、それを見始めたのは九時一寸過ぎだったので、二時間半の時が経っていたのだ。急ぎ昼食を済ませて、お彼岸のお参りにお寺に向かった。

五天山祥妙寺の納骨堂に行くと、既にお参りを済ました納骨仏壇が殆どであった。お彼岸の参りには、上の兄や姉は来なかった。最上家の納骨仏壇は、その区画のお参りが済んだ納骨仏壇の中で、一つだけ扉が開いていない状態だった。納骨堂と隣接の墓地に有る最上家の墓のお参りを済ませ、父が眠る北上家のお墓をお参りするために急いで弓張に向かった。

 北上家の墓は、清沢本町の市街地から少し離れた山の中にあった。父の遺骨が納められた墓を、父の墓であると言う認識を持って参るのこれが初めてであった。こみ上げてくるものを押さえられずに、嗚咽した。生まれてから十五年近く実の父親の存在を隠され、その真実を知り墓をお参りしたのだから、こみ上げてくるものが無いほうが不自然であろう。しばらくして落ち着く、家への帰路に着いた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ