黒き竜の死
――西暦2083年、西洋の国――イギリス。
刻一刻と明け方が迫っているが。空は朝日の光に彩られるどころか、空一面に立ち込める黒雲のせいで星空すら望むことはできない。
だが、そのようなことはこの場にいる者達にとってごく些細なことである。
地面はまるで絨毯のように赤く染められ、周囲には生臭い悪臭が漂ってる。生物など存在しないかのようなこの荒れ地では、低く重い地鳴りのような音が響き渡っていた。
そう、この場所の名は『戦場』。尊い命が無慈悲に消え去る場所だ。
イギリスの首都『ロンドン』の外。高い外壁からおよそ一〇〇キロメートル離れた所にあるこの地では、建国以来最大の敵との最終決戦が行われていた。
今、俺から約一五〇〇メートルほど離れた所から、五七ミリ対戦車砲の砲弾が雨のように降り注ぎ、僅か二〇〇メートル先からは五五口径対戦車ライフルを持った歩兵部隊がこちらに照準を合わせている。彼等は、狙いを定め終わった瞬間俺に向かって、一三・九ミリ徹甲弾を打ちつけるだろう。
しかし、いかに対戦車兵器といえども俺は容易には倒れない。今の俺は全高約五〇メートル、全長約一〇〇メートルの巨大な竜の姿をしている。黒い鱗に覆われた巨体は一体何十トン――ことによると何百トン――あるのか見当もつかない。その強靭な四肢が地面を踏みつける度に火山が噴火でも起こしたかのような轟音を響かせていた。黒い鱗はかなりの硬度をゆうしており、イギリス軍が軍費をはたいて作りだした対戦車ミサイルの嵐を浴びてもほとんど傷つかなかった。
――いっそのこと、このぐらいで死ねられればいいのに。
と黒い竜は願ったが、そんな願いは一瞬のうちに消し飛ばされる。
――殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ。
脳を焼き焦がすかのような痛みが、暗い声とともに襲いかかってくる。これは命令を破ろうとしたものに科せられる制裁だ。
仕方が無く俺は、周囲に雷をまとった竜巻を出現させ、歩兵たちをなぎ払う。彼らの悲鳴を讃美歌のように聞き、また進撃を再開する。俺に与えられた命令は、『敵を殺す事』だからだ。すると次第に痛みが消えうせ声も聞こえなくなった。
俺たちにこんな命令を下したのは、他でもない目の前の人間たちだ。だから俺は彼らを殺すことに躊躇はしないが、自分以外の何かを殺すということは予想以上に罪悪感が残るものだ。今日までにたくさんの人間を殺してきたが、いまだ罪悪感が残らないとは言い切れない。なぜ俺がこんなことをしなければならないのか、その理由は数十年前にさかのぼる。
――西暦2072年。
ここ数年、世界各国では生命の理に反した異形の技術によって、様々な合成生物の製造に成功していた。神話生物の姿と名を持った彼等は『神旗軍』と呼ばれ、強力無比な戦闘力と多種多様な特殊能力を持っていた。
神旗軍の登場によって、従来とは比べものにならないほどの軍事力を手に入れた国家の指導者達は次々に他国へと侵略を開始した。第三次世界大戦の始まりである。
しかし、その大戦はすぐに終結した。いや、本当の地獄へと生まれ変わったというべきだろう。高度な技術によって、命令に絶対従順するはずだった神旗軍が、突如として暴走し始めたのだ。全く予測の出来なかった事態に各国政府は混乱してしまった。
その間にも、暴走した神旗軍は侵略を続け、小国はもちろんのこと、世界に名だたる大国までも呑み込んでしまった。
しかし、人類はまだ勘違いをしていた。この暴走は命令システムの故障によるものだろうと、世界中の技術者がそう信じ続けていた。それなら、新しい神旗軍に対処させればいいと思ってしまっていた。
しかし、実際は違っていたのだ。神旗軍の命令システムは正常に作動していた。暴走の原因は『人類を皆殺しにする』という命令を受けたと神旗軍が認識してしまっていたことだった。
それに気づいた政府はすぐに、『神旗軍討伐作戦』を実行したが、時はすでに遅しと言うべきであろう、すでに世界の大半を神旗軍に占領されてしまっていた。この時から人類は、滅びたも同然だった。
こうして、かつて神々の旗のもとに集う軍隊とも呼ばれていた『神旗軍』は人類に仇なす害獣へと堕ちてしまった。今の俺たちには、望まぬ復讐を繰り返すことしかできなかったのだ。
すぐ目の前には敵しかいない。いくら殺そうとも敵が新しくやってくるだけだ。一人殺す度に激しい罪悪感が生まれるが、少しでも攻撃の手を休めればすぐさま痛みによる制裁攻撃が襲い掛かってくる。そして、その痛みは怒りへと、その怒りは憎しみへと姿を変え、次の敵を殺す糧になる。戦場とはそんな場所だ。
俺は敵を焼き払うため口から蒼炎の吐息を吐く。五〇〇℃近い灼熱の業火が戦車の装甲を溶かし、吹き飛ばす。数十機もの戦車が廃ビル――ここらへんはかつて都市だったため、ビルや標識が無数に存在する。――に衝突し、割れたガラスの破片を盛大にまき散らしながら動かなくなる。遠くから一〇五ミリ戦車砲を撃ち放って来るが、意にも返さず進撃する。
『一二番中隊、撤退開始。三二番中隊及び三三番中隊、援護砲撃で一二番中隊に近寄る化け物を牽制しろ。祖国に奴を辿り着かせるなっ!!』
指揮官が必死に歩兵部隊を撤退させるが、状況は変わらない。
『くそっ、この化け物め……!』
『ひるむなぁっ! 祖国のために死ねるなら本望だっ!』
『嫌だっ、死にたくないっ!死んでたまるかよぉぉぉ!』
『待てっ、キース!そっちに行ってはダメだっ!』
キースと呼ばれた歩兵は自暴自棄に陥り、俺の方に走ってきた。
無駄だ。
そう思いながら、俺は巨大な尾振りかざした。一撃で彼の体は吹き飛び、また一つの魂が天に向かった。
これでこの国も終わりだな。
俺はふと、こう思ってしまった。そもそも、神旗軍が暴走を始めた時から人類に打つ手などなかった。俺はこのまま殺戮のみを行っていくのだと、ずっと確信していた。だから、俺にとって一つの国の滅亡などどうでもよかったのだ。
そのとき、俺の目の前に年老いた一人の男が現れた。うす灰色のローブをまとい、右手には杖を握っている。俺にとって丸腰の人間など恐れるに足りなかった。だから俺は、この老人を無視した。
だが、俺はその老人が奇妙なことをし始めた。杖を掲げ、何かをつぶやき始めた。俺はその行動に何故か恐怖を抱いた。直感的に死を感じた。次の瞬間俺は老人へと尾を振りかざしていた。
だが、間に合わなかった。
「グルギャオォォウ!!」
俺に禍々(まがまが)しく輝く鎖がまとわりつき、千本の槍に打ち抜かれるかのような激しい痛みが生じた。対戦車砲ですら傷つけられなかった硬い鱗を紙きれのように貫き、傷口から大量の鮮血が流れ出す。次の瞬間俺は倒れていた。
これから俺は死ぬのだと。俺に前に立った何百人という兵士と同じように死ぬのだと。不思議と理解できた。
そして、嬉しかった。この苦しみだけの戦場からやっと離れられることを、俺はうれしく思った。辛さや悲しみなどは存在しなかった。ただ、自由になったことに感動していた。
――だがその感動を消し去るかのような機械ボイスが聞こえた。
『神旗軍№10328の消滅を確認。オリジナル級と判断、転生システムを実行します』
(何だ、この声は。天使とか神にしては機械的すぎるだろ。俺のイメージをぶち壊してんじゃねえよ。てか、さっきの感動を変えせっ!)
『№10328へと問います。転生後は何になりたいですか』
(は?転生……?どういうことだよ)
しかし、機械天使(仮)は答えなかった。
(自分だけ聞いておいてこっちの質問は無視かよっ!だけど、転生できるなんて思ってもいなかったからな……)
正直言って何でもいい。そう思った瞬間、うすく開いた目に驚愕の景色が映し出された。
(兵士達が笑っている……!?)
目の前で彼等は笑っていた。ある者は、俺の脚に座って雑談している。ある者は、戦死した仲間へと祈りをささげている。ある者は、誰が一番速く俺の上へと登り切れるかと競争したりして、指揮官に怒られている。誰一人として苦しんでいる者はいない。
誰一人して、俺のように生きていることを苦しんでいる者はいない。
俺はそんな彼等がうらやましかった。彼等――人間が。
(そうだな……。よく聞け機械天使!俺は、人間へと転生したいっ!)
俺は心の底からそう思っていた。
『承諾しました。それでは転生を開始します』
こうして、ヨーロッパ各地を侵略し続けた生きる災厄――神旗軍《バハムート》は目を閉じた。
――二年後、西暦2085年。
人類は滅亡した……。