4
◆
久しぶりに所長と酒を酌み交わした。
リリトが完成した後も数回は飲んだ覚えがあるが、やはりあの夜の記憶は鮮明だ。リリトが完成し、正式に神殿へと引き取られると決まった夜、私と所長は安い麦酒で乾杯したのだ。
懐かしい、本当にいつの間に十五年も経っているのだろう。
今宵、杯に注がれたのは麦酒ではなく、先代の神官長から頂いた林檎酒であった。
林檎酒は天使に守られし国々すべてにとって特別な酒である。久しぶりに会うことのできた友への歓迎の意も込めていたが、やはり神への祈りを捧げる意味合いも強かった。
黄金の果実は黄金の林檎だとも言われている。
ルーエさまとドロテアさまの時代がこれからも末永く続いていくようにとの願いを込めてのことだったが、所長と談笑しているうちに次第に涙が顔を覗かせていた。
夜も遅い。
リリトは今、ドロテアさまの元にいるだろう。ドロテアさまがまだお稽古の最中だとすれば、ルーエさまの元にいるかもしれない。
その光景は人柄を買われて此処への就職が決まった若い娘と何も変わらない。
だが、リリトは私が作った。いや、我々が作ったのだ。己の有能さに酔いしれたこともあったが、最近ではリリト自身の成長に涙が浮かぶことも多かった。
私にも所長にも家族はいない。
伴侶となる人物を見つけ、家庭を持つ機会を完全に失っていた。お互いに甥や姪といった存在はいるものの、その成長も滅多に見ることが出来なかったため、実感はなかった。
この神殿に来てやっと、聖女さま方のご成長から子供の成長というものを間近で知れたほどだ。しかし、そんな私にも、リリトは感動を与えてくれた。
十五年という月日は長い。
定期的なメンテナンスの度に、最初は何も言わなかった彼女がいつからか礼を言うようになった。それがあまりにも愛らしく、純粋に感動するのだ。
もちろん、私の能力あっての彼女だ。だが、きっかけをくれたのは所長である。
「やはりリリトは素晴らしいね、博士」
林檎酒を置いて、所長は俯き気味にそう言った。
「彼女の傍にいられる君が羨ましいよ。今でもリリトの目覚めは夢に見るくらいだ。あの子はやはり、我々の娘に違いないのだろうね」
「私には実の娘などいませんがね、所長、それについては同感です。所長の言葉が無ければ、私はリリトを作ろうなどと思わなかったでしょう。我が才能を引き出してくれたのは紛れもなくあなたです」
「そうだね……君のように有能な博士がいて、今でも本当に助かっているよ」
褒めたつもりだったのだが、所長の表情はどこか暗い。
何か私の言動に不満でもあっただろうか。少し心配になっていると、所長はぐいっと林檎酒の残りを飲み干した。すぐさまボトルを手にして注いでいると、所長は林檎酒の流を見つめながら深くため息をついたのだった。
「どうしたのです。お酒が回り過ぎましたか?」
「いやいや。林檎酒はまだまだ飲めそうだよ。そうじゃなくてね、宰相より書状が届いたことを思い出したのだよ」
「書状ですか? 何か悪い事でも?」
「滅相もない。いつものご依頼だ。だが、いつもとは違って困ったことになっていてね」
「ほう、それは?」
「ここ十五年のリリトの様子を神官長からお聞きになったそうだ。その中で、博士が以前残していった心臓にまつわる質問を受けてね」
「心臓……」
林檎酒を飲む手が止まってしまった。
またしても心臓か。宗教上の禁忌だと何度断って来ただろうか。
何をもって人とするかというお言葉が聖典に書かれていることを宰相はお忘れなのだろうか。私が作り出したいのは人ではなく、人により近い人形だ。リリトも癒しを与える存在に違いないが、人の血を継がない以上、それは人ではない。
だが、心臓を造ってしまえば話は変わる。人形全体に人の血が巡り、生き物のように動きだし、意識もある。そうなれば、宿るのは心だけではなく魂もだとされ、人形は人形でなくなってしまう。
所長ともあれほど話したことなのにと内心機嫌を損ねていると、それが表情に現れていたのか所長は苦笑いをした。
「機嫌を損ねたのならば、すまない。だが、宰相は本気のようだ。近いうちに君のところにも話が行くかもしれないと思ってね」
「そうですか……」
心臓。魂。
魂はすべての源だという神話を聞いたことがある。リリトは完璧に見えるが、より複雑な戦術を自らの意思で行わせ、国を支えるような民を機械の身体で作るとなれば、私の発案した心臓は不可欠だ。
心だけでは足りない。より高度に動ける兵を大量に作り出して欲しいということだろう。
人間が戦えるまでに成長するのには時間がかかる。機械人形も一体作り出すのに資金がかかるが、その後の食費などはかからない。それに、技術を進歩させれば低予算で大量に作り出せる未来も見えてくるだろう。
しかし、やはり気が進まない。
禁忌に触れる恐ろしさもあるが、現状でさえリリトと同じ型の人形兵器が大量に作られているのだ。彼らはリリトと違って心というものはないが、簡単な指示に従って単純かつ強力な攻撃が可能である。
それで、十分ではないのか。
「まあ、今は考えすぎることもない。心臓などなくたって博士の作品は国内……いや、世界一のものだ。そうだろう、博士?」
「勿論ですとも、所長。心臓などいりませんとも。我々にはリリトで十分なのですから」
笑い合って杯を交わし、林檎酒を流し込む。
だが、何故だろう。先ほどよりもその味に浸ることが出来なかった。人々が私の才能を求めている。そう思うと、なんだか心がそわそわしたのだ。
やがて、私の思考は一つの問いかけを生み出していた。
人形に魂を吹き込むはずの心臓を作るべきか否か。
◇
博士を動かしたのは何だったのだろう。
リリトとの別れを惜しみながら施設へ戻り数か月後、大神殿から届いた博士の手紙に書かれていたのは、心臓を作ることになったということだけだった。
大神殿の地下には博士の為に築かれた研究室がある。この施設よりもだいぶ狭く、設備も不十分だが、博士の頭の中にあるという心臓作りに支障はないという。
それはいいのだが、私は博士の変化が心配だった。
共に杯を交わしたあの夜だって、博士は強く言っていた。いかに何でもできる頭脳を持っていたとしても、聖樹に守られながら暮らしている人間として、神の定めた教義には従わねばならぬと。
人の血を使わねばならない心臓作りは、宗教倫理に反すると言っていたはずだったのに。
手紙によれば心臓は完成次第、我らの娘リリトに授けられるらしい。
翼が生えただけでも美しい彼女に魂とやらが宿り、さらに人間に近づくという話は少しだけ楽しみな気持ちも芽生えたものだ。
しかし、それで本当にいいのかと疑問に思えば、何も分からなくなる。
今、施設には大量生産された人形兵器が眠っている。
彼女たちはリリトにそっくりだ。彼女たちには心も宿っていなければ、魂の憑代となる心臓を搭載する予定もない。
だが、所員の中には博士の製作している心臓に大変興味を示している者もいた。
私か副所長の後継に相応しいと思われる主任もまたその一人である。彼が主張するのは、リリトの妹たちであるリリム人形の経費についてだった。
「この心臓というものがあれば、恐らくリリムの材料費がかなり浮きます。今のリリムには人間の命令を正確に聞いて判断するための計算機が頭部に搭載されておりますが、心臓さえあればもっと単純な計算機であってもいいとされています。知識や記憶は判断材料となる情報として、小さな心臓に半永久的に保存されます。そのうえ、心臓ひとつの製造にかかる費用が恐ろしく安い。想定されている計算機と心臓の費用で、今のリリムたちの計算機よりも安いのです。これは凄いことですよ、所長。今のリリムたちよりずっと安い費用で、自己判断で敵を認識し、人間がいなくとも勝手に排除してくれる人形が作れるというわけですから」
「うん……だが、博士はあんなにも禁忌だと言っていたのにね……」
「時代と共にお気持ちも変わったのでしょう。そもそも、機械人形作りだって禁忌とされた時代もあるのです。それでも、時代と共に生きていく人間たちも変わっていきます。それを博士もお感じになったのではないでしょうか」
人形兵器が出来た経緯だって、出来るだけ人命を守りたい為であった。
それ以前から、人形崇拝の心は我が信頼の国の民の半数ほどの心を掴んでいるものだったため、自爆機能のある人形兵器の存在に異を唱える知識人もいたらしい。
しかし、皇帝陛下はそれを良しとした。優秀な国民が国内の悪人や他国の敵や魔物たちとの抗争で命を落としてしまうよりは、人間と紛らわしい人形兵器によってこちらの被害を最小に抑えながら有利に戦える方がいいとのことだ。
私もそれについては陛下と同意見だ。同郷で子供時代を共にした者が無残にも戦没したという話を聞けば、どうしてもそう思ってしまう。
だが、それなのに私は時代の移り変わりに寂しさを感じていたのだ。不思議なものだ。
十五年前のあの頃、私はただ単純に機械人形と心ある会話がしたいという夢を見て、博士と共にリリトを生み出した。若かったためだろうか。いずれ、リリトのような人形兵器が大量につくられ、空中爆発する未来を想像しても、強い拒否感は現れなかった。それはリリトではない。我が国の人命のためなのだ。そう思えば、博士がいつ心臓を作ってもいいと言いだしても困らないように準備をすることさえできた。
あの頃に感じたはずの情熱が思い出せない。博士が頑なに唱えていた禁忌というものを、私の方が唱えたくなってしまう。……何故だろう。
「残念ながら、現在我が施設に送られている設計図は不完全のようですので、我々では再現が出来ません。博士からの続報を待つばかりです。完成したらきっと設計図の複製を送ってくださるはずですから」
「そうだな……うん」
それでも、納得しなければならない。
私は所長だ。この施設の所員全員の生活に対する責任がある。この施設は国の命令を聞く機関だ。この生活を辞めたくない限りは、多少の違和感など気にしてはいけない。
何度も何度もそう思いながら、やはり悶々としたものを感じていた。
そんな私の元に、所員は手紙を持ってきた。
「所長、博士からお手紙です」
渡されてすぐに開けてみれば、そこにはかなり簡潔にこう書いてあった。
〈心臓が完成しました。〉
◆
――これで本当に人間の魂を宿せるのですか?
数十分前、リリトは不安そうに私に訊ねてきた。その姿が頭に浮かぶ。
心臓の移植には時間がかかる。まず、リリトの胸部に心臓を宿す部屋を造らねばならない。ただ宿せばいいのではなく、全ての電力を逃がして古い電線と糸を取り外し、新しい電線と体液の駆け巡る管を取り付けた上で、心臓につなぐ。さらに、頭部に収められた大型かつ優秀な計算機の情報を引き出し、心臓に接続して移した上で、頭部には新しくもっと単純明快な小型計算機を搭載させる。
自爆機能はそのままだ。これも、リリトの判断で行えるようになっている。体も頑丈なため、必ずしも自爆しなければならないということはないだろう。素手や素足で人体ぐらいならば切断できる威力が出るはずだ。
改造には少し時間がかかる。
繊細な作業である上に信頼できる助手もいないため、数時間ほど一人きりで向き合わねばなるまい。見学させてほしいという神殿の魔術師や神官たちには、ご遠慮いただいた。彼らには後程、レポートを提出する予定である。
幸い、物分かりのいい方々なので、あっさりと引き下がってくれたので集中して作業することが出来た。だからだろう。予定していた時刻よりもかなり早く、リリトは新しく生まれ変わったのだ。
起動に電力はいらない。
心臓の部屋の小さな扉を閉めるときの衝撃で、スイッチが入るのだ。
「さあ、待たせたねリリト。御目覚めの時間だ」
小さな扉を閉めるとぱたりといい音がした。
その数秒後、リリトの全身がぴくりと動いたのだった。落雷による膨大なエネルギーで目覚めた十五年前を思い出す。あの時のように痙攣しながらリリトは少しずつ意識を定めていった。
目覚めてみれば、数時間の間に忘れかけていたリリトの美しさが再認識させられた。
「博士……わたしは……」
起き上がり、自分の手の平を驚いた様子で見つめている。
「リリト、気分はどうかね?」
訊ねてみれば、リリトは真っすぐ私を見つめて茫然としながら言ったのだった。
「とても……とてもいいです。とても明瞭です。何もかもはっきりと分かる。ああ、博士……これが……血の巡りというものなのでしょうか」
自分の身体を見つめながらそう呟く彼女の姿は美しい。作られた美しさなどではない。血の通った少女のように、瑞々しい美しさが宿っていたのだ。
リリトの様子は明らかに人間に近かった。以前のリリトとは違う。
私はやはり天才であったのだ。時代は変わっていくのだ。