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 やはり私は天才だ。

 所長と私、そして助力してくれた全ての所員たちが心血を注いだリリト人形は、目覚めてからというもの、日に日に知識を集め、物事を覚えていった。今や、簡単な言葉なら喋れるようになった。声は都で天使の歌声ともてはやされる歌手のものを参考にしている。リリトの外見に相応しい声だ。

 チームすべてが一丸となった結果であるのは言うまでもないが、それもこれも私の設計図が完璧であった証拠。私はリリトの母であり、父であると言ってもいいはずだ。


 それなのに神官長と来たらリリトを見るなり褒めるどころか第一声で指摘してきたのだ。「翼がない」と。翼。ああ、翼。忘れてはいないとも。天使の翼があってこそ、リリトは完全体であると言いたいのだろう。それは分かっている。苦しいほどに分かっている。しかし、どうしてもリリトは飛ばない。理由は身体に埋め込んだ計算機と発声器官のせいだ。


 そもそも血も通わず、魂も宿さないリリトだが、人間の精神と呼べるようなものは確かに宿っている。神官長の頑固さがなければ、リリトはこの時点で完成していると言っていいはずなのだ。


 くだらない。何が天使だ。天使像ならば我が施設を守護しているあのお方で十分だ。信頼の天使を模造して何になる。いかに似せて作ったところで、偽物は偽物でしかない。リリトを天使の偽物にするなどとんでもない。あの子は何者の偽物でもない。心の宿るただ一つの機械人形なのだから。


心臓ヘルツか……」


 リリトの記録を読み返しながら、私はただ一人孤独に呟いた。部屋に居るのは私だけ。所長は恐らく今も「卵の殻」にて過ごすリリトに見惚れているのだろう。


 分かっている。私は悔しいのだ。


 神官長の見下したようなあの目が許せなかった。翼がない程度でという反論は、慰めに過ぎない。本当は私だって注文通りに作りたかったのだ。それが出来ないでいる。発声器官は軽量化できるだろう。素材を見直せばいいだけだ。

 問題は計算機だ。現在リリトに使用しているだけの計算機を軽量化するにはまだまだ時間がかかる上、膨大な額がかかるだろう。これはいけない。予算は決められている。


 ゆくゆくは大量生産される人形。我が国をリリトやリリトの妹たちが守ってくれる時代も来るだろう。しかし、それにはやはり飛べた方がいい。自分の判断というものが出来ることが求められていた。そんな新しい時代の為に、この私の力が求められている。


 ――その心臓ヘルツというものを実際に作るわけにはいかないのかね。


 神官長の言葉が頭をよぎる。


 それだけは出来ない。聖典に書かれているではないか。

 人の血を通わすものは人間であり、神の子なのだ。天使が守るべき存在であり、聖域にも生存を認められた生物なのだ。聖域は神の命令で天使によって監視されている。その証拠が、聖域の空気によって死んでしまった魔物たちにつけられる罪人の印だ。我々は常に天使に監視されているのだ。人の血を通わせる人形など作っていいはずがない。

 それなのに、こともあろうに神官長ともあろう人があんなことを言うなんて。


 だが、私の心は揺れていた。

 この世界で何よりも優先されるのは、聖域の核である黄金の果実を守り、果実の為だけに生まれてくる国宝、信頼の杖を出来る限り長生きさせることである。

 信頼の天使によって授けられた人と人の間に生まれる絆というものは、聖域を内から食い破ろうとする悪魔トイフェルを退け、我が信頼の国をより強固なものにするのだ。

 その絆の為には、時に柔軟な考えを持たねばならないと私は常々思ってきた。


 神官長があのように言うのならば、私もまた考えを改めなければならないのではないか。


 だが、リリトの設計図を見つめ続けていても、なかなか決心はつかなかった。



 いよいよリリトが大神殿に貰われていく。


 礼儀作法は完璧だ。指や首の関節さえ見なければ、何処からどう見ても我が信頼の国の令嬢にしか見えない。年頃の娘を並べても、リリトの美しさは際立つだろう。いや、美しい少年と比べても同じだ。

 我が施設の所員たちは、性別種族問わずリリトに心を奪われていた。博士の設計と我が国伝統の人形技師の技術の賜物だが、もとはといえば私の夢の具現化。リリトは我が娘に等しかった。


 ただ一つ気がかりなことはある。それは、神官長の要望で取り付けた自爆機能というものだ。今は平和を愛する彼女だが、ああ見えて戦闘能力もまた素晴らしい。どんなに動きづらいドレスを着せたとしても、瞬く間に破いて戦闘態勢に入ることも可能だ。その能力で大抵の敵は殺害できるだろう。しかし、万が一、強敵が現れた際に使用されるのが、リリトの自爆機能であった。

 もちろん、その機能が使用されることは滅多なことではない。そもそも安くはない国費で生まれた試作なのだ。大量生産が実現するまでは、自爆などさせられないだろう。私もまた、生きているうちにそのような芸術は見たくない。リリトはただ清く、正しく、美しく、幼い聖女さまの規範となってくれれば十分だ。


 あまり心配はいらない。

 リリトは私の手を離れていってしまう。だが、博士も一緒だ。

 大神殿に引き取られることが正式に決まってから数日後、博士のもとに来たのは神官長からの招集状だった。何でも、リリトが馴染むまでの間、傍でメンテナンスをしてほしいのだとか。


 私は内心嫉妬していた。もちろん所長という身分である以上、責務を放棄して大神殿に行くわけにはいかない。こうしている間にも、兵器や農具などといった機械の生産を国よりせがまれているのだ。

 一方、博士は比較的自由な立場にいる。新しいものが必要でない限り、大量の記録を残して施設を去ることだってできる。博士にしか分からないことがあったとしても、施設と大神殿はそう離れていないのだからいつでも確認できるだろう……とのことだ。


 私は悔しかった。リリトの傍に行ける博士が羨ましかった。何より、リリトと別れるのが寂しかった。

 ここ最近、毎日のように訪れていた「卵の殻」にて、大神殿からの迎えを不思議そうに見つめているリリトに、私はそっと話しかけてみた。


「リリト。今日からお前はこの施設のものではなくなる」


 すると、リリトは私へと視線を向け、首を傾げた。月光のような髪がふわりと揺れる。


「何故ですか?」


 その声は、動揺を表すように震えていた。


「前に教えた通り、聖女さまのもとへ行く日が来たのだよ。お前は聖女さまのもとで清く、正しく、美しく日々を過ごさねばならないのだよ」

「所長は一緒に来てくれますの?」

「いいや、私は残らねばならない。だが、博士はしばらく一緒にいてくれる。何かわからないことがあったら、博士に聞きなさい」

「……分かりました」


 俯き気味にリリトはそう言った。

 なるほど。別れを惜しんでくれる感情というものは、まだないようだ。だが、心配せずともこれから身についていくだろう。リリトなら、いつか人間の少女のようにころころと表情を変えてくれるはずだ。私はそう信じていた。


「ひとつ、お頼みがあるのです」


 俯いたままリリトが急にそんなことを言い出した。人間らしいことを言うものだ。私は嬉しくなってリリトと目を合わせた。


「言ってみなさい」


 すると、リリトは再び私の目を見つめてきた。


「わたしを抱きしめてくださいますか?」


 私もまたその目を見つめた。

 人の手で生み出された精巧な顔立ち。作られた美ではあるが、まさに神がかった作品だ。月光の髪も、ミルク色の肌も、間近で見ればみるほどうっとりとしてしまう。そして、このガラス玉の目。生き物のように、いや、生き物以上に輝いているではないか。


「よかろう」


 短い言葉で照れくささを隠し、私はリリトを抱きしめてみた。

 温かみなど何処にもない。それなのに、まるで本物の娘を抱きしめているような気分になった。

 リリトは完成している。リリトは完全なる少女だ。人の愛を求め、人の温もりを求める。その身体は確かに生き物ではないかもしれないが、心は確かに宿っていた。


 こうして、私はリリトを送り出した。



 リリトと共に大神殿にきて早半年である。

 麗しの聖女ドロテアさまの御姿を間近で見ることが出来る有難さも、もはや日常になりつつある。それもこれも、私が優秀だったからだ。

 もちろん、施設に残してきた所長のことも忘れていないし、感謝はしている。だが、私が無能であれば、所長もわざわざ私に頼まなかっただろう。よって、今の恵まれた環境はすべて私の力によるものだと思ってもいいだろう。


 大神殿に住まう魔術師、神官、番人といったすべての者たちが私を頼っている。機械人形リリトはそれだけ、人々に受け入れられていた。

 もちろん、我が国のたった一人の聖女さまも同じだ。

 彼女が守るべき黄金の果実はまだ緑の卵の殻を破っていない。もうじきだと聞いてはいたが、卵はずっと聖樹の根元で沈黙し続けている。


 ドロテアさまもさぞ寂しい思いをされているのだろう。まだ七つだというのに家族と引き離され、大神殿の中しか知らずに過ごしているのだから。

 恐らく、信頼の国のどの令嬢よりも恵まれた暮らしをしているだろうけれど、親しい友人もなく、家族にすら会えないことは辛いに違いない。

 そんな聖女さまに寄り添えるのが、我らがリリトなのだ。


 今日も大神殿の中庭で卵を見守るドロテアさまの横で、リリトはそっと寄り添い話し相手になっている。

 私もまたリリトに不具合が生じたときに対処できるように、中庭の入り口でその光景を見守っていた。もっとも、ここにきてずっとリリトが不具合を起こしたことなんて一度もないのだが。


「リリト。何か楽しいお話して」

「はい、ドロテアさま」


 愛らしい二人の淑女の声が中庭に響く。

 丘の上の施設の中庭も、我が親戚の非凡なる才能によってそれはそれは美しく造られていたが、此処とは根本的に違う。

 やはり、我らが天使の国において、黄金の果実、聖女、そして聖樹の組み合わせは重要だ。そこへ、緑の天使の化身であるリリトが加わったことで、芸術性はさらに高まった。


 なんて美しい光景だろう。


 私もまたうっとりとしながら、愛するリリトの仕事を見守り続けた。

 施設にいる間に、私も所長もリリトにたくさんの物語を読ませた。神より黄金の果実と武器を受け取り、天使の加護にある十三国で伝わっていた歴史や物語ばかりだ。

 今では七国に減ってしまったが、亡国となってしまったところの物語もまた、現代人の心もくすぐる非常に質の高いものばかりだった。


 読ませた本は堅苦しいものであったが、リリトはその内容を深く理解し、子供にも分かりやすく伝えることに長けていた。

 さすがはリリトである。お陰で今も、不安げなドロテアさまの御心を癒すことができている。


 あとは、翼だけだ。


 美しさと倦怠感でため息は漏れた。

 リリトの能力は十分だ。しかし、神官長の依頼を私は忘れていない。幼いころより壁画や絵画、彫刻で慣れ親しんだ信頼の天使の御姿。どうしてもリリトをあの姿に近づけたかった。

 翼。翼だ。空を飛ぶ人形兵器、知性ある機械人形。この二つをどうにか組み合わせられないものか。


 私は毎日悩んでいた。



 博士が去ってからもうすぐ丸一年経つ。

 変わった友人だとかねがね思ってきたが、いざいなくなってしまうとかなり寂しいものだ。とくに、納期が終わり次の依頼が来るまでの余暇で、二人だけの慰労会をひっそりとする習慣がなくなってしまったことが寂しいと言えば寂しい。

 それでも、いつまでも寂しさに浸ることも出来ないほど、施設は忙しかった。


 歴代の所長は責任のみ担い、現場のことは所員たちに任せているものだったそうだが、それは彼らが研究者ではなかったためだ。私は研究者あがりの人間だ。部下たちに丸投げするような人間にはなりたくなかった。

 それに、今は博士がいない。博士の残した大量の設計図を正しく理解できるのは私が一番であり、所員たちも信頼してくれていた。メンバーが多ければ多いほど仕事もさばけるのだ。しかし、忙しい毎日は続いた。


 なぜこんなにも忙しいのか。

 それは、東の果てにある勇敢の国が、かねがね恐れていた通り恐ろしい動きを見せているからだ。

 勇敢の国の王が多くの戦士たちを自分たちの聖域から外へと送り出し、魔物のうろうろする道を切り開かせているらしい。その戦士の中に、勇敢の天使が選んだ聖女もいるというから驚きだ。驚きと共に、恐れもあった。


 聖女は不死の身体を持つ。

 本来は黄金の果実を守るための力だが、果実が百年の寿命を迎えるか、自らの手で果実を壊さない限り、彼女たちは死なずに戦い続ける。

 武器も特殊で、彼女たちの意思によって生み出され、この世のどんな武器よりも丈夫だと言われている。


 勇敢の国の聖女が持つものは聖剣。ゆえに彼女は勇敢の剣と呼ばれる。

 いま、剣を携えた不死の女戦士が、魔物の領域と化した亡国に道を作っている。我々の国もある西へ西へと移動しているのだ。

 どう考えても、平和的目的とは言えない。勇敢の国の帝が聖女の力を悪用しているのではないかとまことしやかに噂されている。


 それに、我々には責任もあった。

 先帝時代、信頼の国と勇敢の国は親交が厚く、当時の最新技術である機械兵器を格安で大量に売りつけた。あちらは亡国に囲まれ、魔物たちによる被害も絶えない。そのための武器であったが、それから数十年、あの時に売った機械兵器の技術が悪用されているのだ。


 周辺国の視線は当然、我々に向けられる。

 この事態に、我が国の皇帝陛下は焦っていた。そして、勇敢の剣たちが向かっている先にある豊穣の国および英知の国へ、彼らを迎え撃つための兵器を送ると決定したのだ。


 なお、どうあがいても聖女は死なない。なので、求められていることは、生け捕りのための兵器であった。聖女を人質に取れば、勇敢の国も自分たちのしたことの愚かさに気づくだろう。

 豊穣の国の聖女は我が国の聖女さまよりも幼いため、協力するのは英知の国の人馬聖女ミラさまである。


 その聖女ミラさまのお使いになる武器を我々は準備していたのだ。


 時間はある。勇敢の剣たちが進んでいる亡国は夢幻の国と呼ばれていた領域。そこには夢幻の国を滅ぼしたという魔物の王、饕餮タオティエとその傘下がおり、魔物たちのための強国を作って暮らしているらしい。

 いかに不死の聖女を連れているとはいえ、余所者がそう簡単には進める場所ではない。

 また、彼らが進んでいる先もまた、かつて達成の国と呼ばれていた魔物の世界だ。饕餮の国からは外れるが、エルリクという怪物が別の国を作っている。


 この二体の大きな魔物の目を盗んでの移動だから、英知の国や豊穣の国を脅かすまでには、かなり時間がかかるはずだと皇帝陛下の使いは言っていた。

 しかし、その猶予すら、我々にとっては少ないと思ってしまうほどだった。

 聖女を生け捕りにし、対等に戦える武器の設計図作りに時間がかかってしまったからだ。いまはやっと試作段階にはいったところだ。

 他にも、聖剣を防ぐような人馬向けの鎧を頼まれていたため、スケジュールは詰まっていた。


 そんな中、ひと息だけつける瞬間が、大神殿にいる博士より届く手紙を読むときであった。

 手紙の内容は、博士の体験している大神殿での日常や、聖女さまと去年の暮れに卵より孵化した幼い巫女さまのご様子、そしてメインとなっているのが我らが愛しの娘リリトについてのあれこれだ。


〈ついにリリトに翼を付けることが出来たのです。これもあなたの元で長く研究に打ち込めたおかげでしょう。今は大変忙しい時期だと思いますが、余暇が生まれた際はぜひとも大神殿に来てください。リリトもあなたと会えることを楽しみにしておりますよ〉


 手紙をたたみ、丁寧に箱にしまった。

 中には大神殿より博士が送ってくれたリリトの成長記録ばかり入っている。手紙を読むたびに私は博士への恋しさだけではなく、手の中に今も残る感覚を思い出すのだ。


 ――わたしを抱きしめてくださいますか?


 早く、リリトに再会したいものだ。

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