懸念
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大陸歴438年霧の月十九日・ヴァイスブルク近郊・ロジナ候国軍近衛第三騎士団宿営地
魔龍討伐隊潰滅に伴い行われた軍議が終了し、陣営再建部隊への援軍としてヴァイスブルク男爵領国軍第二騎士団が慌ただしく出撃したその日の夜、ヴァイスブルク近郊に駐留する近衛第三騎士団の宿営地の団長用テントではスティリア、リーリャ、ミサ、アハトエーベネの4名が翌日出撃する第九騎士団の激励を兼ねた懇親会(と言う名目の意見交換会)を行う為集まり酒肴の並べられたテーブルを囲んでいた。
「アハトエーベネ殿、無理を言いここに来て貰いすまない」
「とんでもありませんスティリア様、お誘い頂き感謝致します」
スティリアから呼び出した事を謝罪されたアハトエーベネは慌てて言葉を返した後に表情を翳らせながら言葉を続けた。
「今頃はチーグタム団長も饗応を受けている頃でしょう、スティリア様に大してこの様な事を言うのは失礼極まりないと心得てはおりますが、どう考えても不愉快極まりないであろうその宴に参加せずに済み感謝しております」
「……そうか、謝罪の必要は無い、私とて貴官と同じ意見だからな」
アハトエーベネの言葉を受けたスティリアは同じ様に表情を翳らせながら応じ、その後に表情を改めつつ言葉を続ける。
「まあ、愚痴を言っても始まらないな、それでは出撃するリーリャお姉様とミサお姉様の激励会を始めるとしよう」
スティリアがそう言いながらゼクトの満たされたグラスを掲げると他の3人もゼクトのグラスを掲げ、4つのグラスが触れ合う事で生じた小気味良い硬質の音色がテントの中を軽やかに舞った。
乾杯を終えた4人はグラスを口へと運んでゼクトで喉を湿し、スティリアはグラスをテーブルに置いた後にアハトエーベネに視線を向けて口を開いた。
「……アハトエーベネ殿、今宵は無礼講だ、故に遠慮する事無く忌憚のない意見を述べてくれ」
スティリアの言葉を受けたアハトエーベネはゆっくりと頷く事でそれに応じ、それを確認したスティリアはスライスされたチーズを皿に載せながら言葉を続けた。
「……既に貴官も承知しているが我々は2度に渡り異様な襲撃を受けている。貴官の部隊は残敵を追撃中に何か異状な事態に遭遇しなかったか?」
チーズを皿に載せたスティリアはそれを口に運ぶ事無くアハトエーベネに問いかけ、その問いかけを受けたアハトエーベネは暫し思案した後に真剣な眼差しでスティリアを見ながら口を開いた。
「スティリア様の御推察の通りです、残敵を追撃中だった我々も異状な事態に遭遇しています」
アハトエーベネはそう言った後にマリーカ達を追撃している最中に遭遇した夥しい数の梟とその群が行った妨害についての説明を行い、それを聞いたスティリアは表情をしかめながら口を開いた。
「夥しい数の梟とその群による妨害、か、確かに異状な事態だな、直接的な襲撃よりも異様とすら言える、しかも、魔力増幅のロザリオを使用したホーリーライトでさえ完全には消し切れなかったとなると更に異様で不気味さすら感じてしまうな」
「……ええ、正にその通りでした。その後も大量の梟や烏等我々を見下ろす事が時々起こり、将兵の中に少なくない動揺が生じておりました」
スティリアが感想を述べるとアハトエーベネは遭遇した異様な現象を思い返して顔をしかめながら応じ、スティリアが頷いた後に胸中に燻る不安を紛らせる為にゼクトを一口口に含んでいるとミサが思案顔になりながら口を開いた。
「ラステンブルク伯国軍が遭遇した異状な現象に度重なる異様な襲撃、何もかも異様ですね、異様過ぎる程です」
「そうね〜、アハトエーベネ殿、貴女はこの襲撃について何か思う所は無いかしら〜」
「……それは」
ミサの呟きを聞いたリーリャは相槌を打った後にアハトエーベネに問いかけ、アハトエーベネが言い澱んでいるとスティリアが声をかけてきた。
「アハトエーベネ殿、先程も告げたがこの会合はあくまで無礼講で更には私的な宴だ、故に貴官は己の思うままに意見を述べてほしい」
「分かりました、浅学の身ではありますが述べさせて頂きます」
スティリアの言葉を受けたアハトエーベネは頷きながら返答し、スティリア達が頷いたのを確認した後に更に言葉を続けた。
「……私が懸念しているのは一連の襲撃を実施したのが魔龍とは思えない点です。特に魔龍討伐隊に対する襲撃に際しては魔龍すら作戦の歯車に組み込まれている感すらあります」
アハトエーベネの告げた懸念はスティリア達が漠然とした形ながらも危惧していた点であり、スティリアは厳しい表情で頷くとゼクトで乾きかけた口を湿した後に口を開いた。
「……アハトエーベネ殿、恐らくその懸念についてはこの場にいる全員が抱いている。貴官はヴァイスブルク伯国の残党が魔龍と共闘している可能性について言及していたがそれはこの懸念を念頭に置いての事だったのか?」
「……確かに伝え聞いた魔龍討伐隊指揮官の死体の様子からは強い怨みが感じられましたし、フォレストドラゴンとエルフの関係についても知っていました、ですのでこの襲撃にヴァイスブルク伯国軍の残党が何らかの形で関与しているのでは無いかとは思いました。ですが、私が一番懸念しているのは一連の襲撃や妨害が魔龍でもヴァイスブルク伯国軍の残党でも無い第三者によって主導されているのでは無いかと言う点です」
「「第三者?」」
スティリアの言葉を受けたアハトエーベネは暫し言い澱んだ後に胸中で燻っている最大の懸念を告げ、スティリア達があげた戸惑いの声に厳しい表情で頷きながら言葉を続けた。
「……我々の追撃に対する妨害は余りに異質であり魔龍が行った物とは考え難い面があります。そして襲撃にはアンデッドやロジナ候国軍がテイムしていた筈の魔狼までも加わっており、その上に魔龍までもが歯車として組み込まれている節があります。確証が無い為憶測になりますが一連の襲撃や妨害を起こしたのが魔龍でもヴァイスブルク伯国の残党でも無い第三者の仕業である可能性は否定出来ないと考えております」
アハトエーベネは厳しい表情のまま己の胸中で燻っていた懸念を告げ、スティリア達は難しい顔付きでその懸念に関する思案を行った。
アハトエーベネの告げた懸念は確かに憶測に過ぎないもののそれを否定し得る確固たる考えは見つからず、スティリアは胸中に生じている懸念をますます色濃くさせながら口を開いた。
「第三者の存在、か……確かに憶測に過ぎないが否定し得る確固たる証拠は無い、否定は出来ないな、いや、否定出来ないどころか真剣に考慮する必要すらある位だ」
「ええ……でも、魔龍すら作戦の歯車に組み込める第三者等と言う存在があり得るのかしら?」
スティリアの言葉を聞いたミサは頷いた後に難しい顔付きで呟き、それを聞いていたリーリャは苦笑を浮かべて薫製したサーモンに手を伸ばしながら口を開いた。
「魔龍すら作戦に組み込む第三者かあ〜まるで魔王だね〜」
リーリャが本当に何気無く呟いた言葉の中にあった一句、それを聞いたスティリア達は弾かれた様に互いの顔を見合った。
「……確かに、魔王ならば、ですが」
「……ああ、抗魔大戦によって魔王もその一族も完全に滅んだ筈だ、しかも当時の魔王軍は大陸北方域を制していてこの地はなんの関連性も無い筈だ」
「……何よりも魔王が存在しているとすればこの戦役の開戦理由である連邦を瓦解させる陰謀が正統性を帯びてしまいます」
アハトエーベネ、スティリア、ミサは戸惑いと懸念が混ざり合った表情のまま言葉を交わし、予想外の反応を目にしたリーリャは慌て皆に声をかけた。
「そんなに深刻に話さないでよ〜、単なる気紛れの一言なのよ〜」
「……リーリャの気紛れの一言って変な所で当たるから恐ろしいのよ」
「……私もリーリャお姉様の気紛れな一言には秘かに怖れていました」
「2人とも、ちょっと言い過ぎでしょ〜」
リーリャの言葉を受けたミサとスティリアは何故か遠い目になりながら言葉を返し、それを聞いたリーリャが頬を膨らませながら抗議の声をあげているとアハトエーベネが取り成す様に口を開いた。
「ま、まあ魔王と言うのは幾らなんでも考え過ぎではありますが、一連の襲撃や妨害が異様な物であるのは事実です。第三者の存在については今後も検討を重ねる必要があると思われます」
「……アハトエーベネ殿の言う通りだな、第三者が存在しているか否かに関わらず、我々が行った陣営再建部隊増強に関して襲撃等の反応が見られる可能性は高いと思われる、皆、十分に警戒をしておいてくれ」
アハトエーベネの言葉を受けたスティリアは出席者達を見渡しながら告げ、皆が頷いたのを確認した後に笑顔と共に口を開いた。
「……それでは本格的に宴を再開しよう、リーリャお姉様とミサお姉様、そしてアハトエーベネ殿の健闘と凱歌を祈願して」
「「スティリア様の御健勝を祈願して」」
スティリアが激励の言葉と共にグラスを掲げると、リーリャ達は声を合わせて返礼しながらグラスを掲げ、4つのグラスが重なり合う硬質な音色が再びテント内を軽やかに舞った。
それからスティリア達は和やかに酒肴を楽しみながら歓談を交わしたが、先程の会話の最中に出た魔王と言う単語は一同の意識に小骨の様に刺さったままであり、一同はそれを胸の奥底にしまいつつ和やかに歓談を続けた。
その翌日の霧の月二十日、陣営再建部隊とヴァイスブルク男爵領国間の連絡線防護の為第九騎士団が出撃し、スティリアはそれを見送った後に万一の際に援軍として出撃出来る様近衛第三騎士団に即応態勢を整えさせた。
前日に出撃したヴァイスブルク男爵領国軍第二騎士団とロジナ候国軍第九騎士団は本夕刻までに所定の場所への展開を完了し、木々に止まった雲雀や栗鼠、梟、隼等は無機質な硝子玉の様な目によってその光景を淡々と見詰めていた。
魔龍討伐隊潰滅を受けて善後策が講じられたその日の夜、スティリアは信頼出来る者達を集めて異様な現状に関する意見を交換した。
五里霧中の状態で苦慮するスティリア達の会話の中にまるで誘われたかの様に出現した魔王と言う単語、その単語はスティリア達の意識に小骨の様に突き刺さる懸念となった。
その翌日リーリャ率いる第九騎士団も出撃して行き、事態は新な局面に向けて進み始めていた……