雌伏の叡王
我等が主フリードリヒは、麾下の兵二万五千に
幾千の陣地の兵士等に、擲弾握れと宣えり
幾千の陣地の兵士等に、擲弾握れと宣えり
フリードリヒ大王の歌・一番歌詞(日本語訳)
大陸歴438年観月の月一日・クリストローゼ侯国首都グロスベルリオン
第三近衛騎士団と第九騎士団が本国への帰還を開始した翌日、選帝侯国クリストローゼ侯国の首都グロスベルリオンは穏やかな晴天の下にあり、街は間近に迫った観月祭の準備に勤しむ人々によって賑わっていた。
賑わいはクリストローゼ侯爵家の清麗な城館にも及びメイド達や使用人達は観月会を行う為にバルコニーの準備に勤しみ、城館を訪れていた真紅のセミロングヘアと金色の瞳の精悍さを感じさせる美貌と壮麗な近衛騎士の軍装を装着した長身で均整の取れた肢体の美女、クリストローゼ侯国軍第二近衛騎士団長のルイーゼ・フォン・ギースラーはメイドに案内されて館内を進みながらその光景を眺めていた。
「……今年の観月会は七日だったわね」
「……はい、フレデリカ様が侯爵位を継承されて丁度1年となる日でございます、選帝侯となられましてから初めての観月会でございますのでフレデリカ様も楽しみになさっておられます」
ルイーゼが歩を進めながらメイドに声をかけるとメイドはにこやかな表情で頷きながら館の主であり、昨年選帝侯を継承したばかりのクリストローゼ選帝侯、フレデリカ・フォン・クリストローゼの様子を伝え、ルイーゼが穏やかな表情で小さく頷いているとメイドが中庭に面したテラスに到着してにこやかな表情で一礼した後に出入口のドアを開け、ルイーゼは手櫛で手早く髪を整えた後にメイドに案内されてテラスに入り、メイドに先導されてテラスの一角に設置されているテラス席へと移動した。
テラス席では簡素ながらも上品な普段使いのドレスを纏った絹糸の様に滑らかな白髪のストレートロングと穏やかな葡萄色の瞳の静謐で理智的な美貌の美女、フレデリカが優雅に腰を降ろして紅茶と茶菓を嗜んでおり、近付いて来たルイーゼに気付いたフレデリカは典雅とさえ言える動作で立ち上がって穏やか笑みと共にルイーゼに声をかける。
「……ようこそいらっしゃいましたルイーゼ様」
「……御誘いの御言葉感謝致しますフレデリカ様、軍務に一段落がつきましたので御訪問させて頂きました」
フレデリカの穏やかな言葉を受けたルイーゼは微かな笑みを浮かべて返答し、フレデリカは小さく頷いて応じた後にルイーゼを促して座らせた後にメイドにルイーゼ用の紅茶を用意する様命じた後に席に座り、ルイーゼはそれを確認した後に着席してフレデリカに声をかける。
「街は観月祭の準備に賑わっていましたよ」
「……フフフフフッ良かったわ」
極東の扶桑皇国で行われていた観月祭をヒントに数年前からこの祭事を催していたフレデリカは穏やか笑みを浮かべながら呟くと、用意されていた茶菓からザッハ・トルテを一切れ取り出し皿に載せてルイーゼの前に置き、ルイーゼは小さく頭を垂れて謝意を示していると先程のメイドがルイーゼ用の紅茶を載せたトレイを手に姿を現し、ルイーゼの前に紅茶を置いた後に深く一礼してテラスを後にした。
「……先ずは日々の軍務お疲れ様ですルイーゼ様、滅龍騎士の貴女の存在はわたくしにとっても我が国にとっても大きな支柱となっておりますわ」
「……過分な御言葉ありがとうございます、フレデリカ様、私の存在が御役に立てているのであればこれ以上の誉はございません」
メイドの退出を確認したフレデリカはたおやかな笑みを浮かべてルイーゼの日々の軍務に対する労いの言葉をかけ、ルイーゼはその言葉をじっくりと噛み締めながら応じながらカップを手に取り芳醇な薫りを楽しみながら紅茶を一口含んで喉を湿した後に表情を鋭くさせて言葉を続けた。
「……先日、またロジナ侯国からの使節が来訪されたとの事でしたが?」
「……また、例の意味不明な抗議です、ヴァイスブルクにて活動中の旧ヴァイスブルク伯国と旧リステバルス皇国の残党に対する我が国の関与に関する抗議でした、我が国は関与していない事を何度もお伝えしましたがあちらは納得していない様でしたね、今回は特に強硬に感じましたが、軍は何か掴んでおりますか?」
「……不確定情報約ですが、ロジナ侯国に協力するラステンブルク伯国とリステバルス王国、そして傀儡政権のヴァイスブルク男爵領国軍の合同部隊が残敵掃討戦を行い潰滅的損害を被ったとの情報があります、不確定情報ですので精査中でしたがロジナ侯国の反応から考えて確定情報の可能性が高くなりました」
ルイーゼの問いを受けたフレデリカは憂慮の表情で返答した後にロジナ侯国軍の情報に関して逆に質問し、ルイーゼは難しい表情になりながら返答した後にヴァイスブルク戦役後の混沌化する情勢に戸惑いを覚えていた。
(……ヴァイスブルク戦役は悲劇的な結末を迎え、ロジナの専横に更なる拍車をかけると思われていた、ヴァイスブルク伯国は滅亡し、傀儡政権のヴァイスブルク男爵領国が建国された事で戦役は終了したと我が国は判断していたが、ロジナ侯国はヴァイスブルクに派遣した戦姫スティリア・フォン・ロジナ率いる第三近衛騎士団もリーリャ・ヴェートーベン率いる魔曲騎士団、第九騎士団も帰還させず、それどころか協力するラステンブルク伯国軍や先のリステバルス戦役の結果建国させた属国に近い同盟国リステバルス王国軍までもヴァイスブルクに援軍として派遣させている、残敵掃討と治安強化に旧リステバルス皇国残党の確認が理由とされているが、旧ヴァイスブルク伯国にしろ旧リステバルス皇国にしろ戦力は殆ど無い筈だ、しかしながらロジナ侯国軍はヴァイスブルクから兵を退かず、それどころか我が国やレーヴェ侯国に対して強硬な抗議を実施している、一体ヴァイスブルクで何が起きていると言うのだ?)
ルイーゼはアイリスの覚醒以来激変を続けているヴァイスブルク方面の情勢変化に胸中で戸惑いの呟きをもらし、その後に視線を憂慮の面持ちで思案しているフレデリカへ向けた。
フレデリカは憂いの表情でロジナの強硬な抗議とそれに対する対応策と言う難しい問題への思案に暮れ、ルイーゼは微かに眉を潜めながら選帝侯国の舵取りに取り組むフレデリカを見詰めた。
(……先代のフロレヌス様の急死により急遽選帝侯位を継承なさったばかりであるにも関わらず、いや継承なさった直後を狙いすましたかの様なリステバルス戦役やヴァイスブルク戦役等のロジナの行為や、ロジナの台頭に伴い顕在化していた各選帝侯国間の緊張加速、元々独自路線を敷く事の多い我が国はロジナと対立する選帝侯国との関係もそれなりの物となり、それでも先代のフロレヌス様の手腕により各諸侯の対立へ巻き込まれる事を避けられていたが、よりによってこの難しい時期に選帝侯を継承なさるとは、フレデリカ様は本来文学や詩、扶桑より伝来した短歌等を愛する穏やかな性格の御方だ、継承後も善政を敷き国内を平穏に纏められている様に良き君主でもある、しかし、現在の様に対外緊張の高まる有事の君主の能力値は未知数と言わざるを得ない、勿論、その様な状況であるならば尚の事、我々がフレデリカ様を支えなければならないのだが、軍の内部にもフレデリカ様への不安と軽視の風潮が散見されているのが現状だ)
ルイーゼは急遽選帝侯位を継承したフレデリカを取り巻く厳しい状況に嘆息の念を抱きながら再び紅茶を一口口に含み、フレデリカも憂慮の表情を浮かべて紅茶を一口嗜んだ後にルイーゼに視線を向け穏やかな笑みを浮かべて口を開いた。
「難しい情勢が続きますが、ルイーゼ様の様な歴戦の勇士の存在が本当に頼もしく思われます、亡きお母様もルイーゼ様を頼りとされていました、至らぬ君主ではありますがこれからも宜しくお願い致しますルイーゼ様」
「……勿体無い御言葉です、フロレヌス様の紹介により初めてフレデリカ様にお会いして10年になりますが、お会いする度にご成長なされているのを実感しております、この国を継承なされたばかりですがフレデリカ様は良き君主になると確信しております、今後も我が身の及ぶ限り忠節を尽くしていきます、我が身と我が忠節は祖国とフレデリカ様に捧げております」
フレデリカの言葉を受けたルイーゼはその言葉を噛み締めながら返答し、フレデリカもルイーゼの言葉をしっかりと噛み締めながら頷き、それから2人は暫しの間懸念事項を脇に追いやり、穏やかな表情で談笑しながら紅茶と茶菓を満喫し束の間の憩いの時を噛み締め合った。
選帝侯を継承したばかりにも関わらず、ロジナ、ロンゴバルド、ヴァンブルクの三侯国の合同進攻と言う未曾有の国難が忍び寄る若き選帝侯、フレデリカ・フォン・クリストローゼ、後の歴史家達によって彼女の名はこう歴史に記される事となる。
フレデリカ・デア・グローセ、と……
大陸歴438年観月の月一日、七選帝侯侯国の一つであり、ロジナ、ロンゴバルド、ヴァンブルクの三侯国に標的と定められたクリストローゼ侯国の首都グロスベルリオンでは、昨年選帝侯を継承したばかりの若き君主、フレデリカ・フォン・クリストローゼとクリストローゼ侯国軍第二近衛騎士団長の滅龍騎士ルイーゼ・フォン・ギースラーが束の間の休息を過ごす為にクリストローゼ家の城館のテラス席にて細やかな茶会を行っていた。
フレデリカとルイーゼは魔王アイリスの登場によって引き起こされた劇的な情勢変化の余波であるロジナ侯国からの抗議と言う難題に頭を悩ませていたが、フレデリカとルイーゼは互いへの信頼と想いを糧にその困難に対峙して行く覚悟を固めており、それを再確認し合いながら束の間の憩いの時を噛み締め合った。
国を継承し難題に悩む若き君主フレデリカ、雌伏する叡王が歴史にその名を刻み始めるきっかけとなる大乱はゆっくりと、しかし、着実にクリストローゼ侯国に向けて忍び寄り続けていた……