泥沼
今後も本作を宜しくお願い致します。
大陸歴438年深緑の月七日ヴァイスブルク城・ロジナ候国軍ヴァイスブルク派遣軍司令部
ラステンブルク伯国軍猟兵部隊壊滅から一夜が明けた大陸歴438年深緑の月七日、ヴァイスブルクでは戦役終了1ヶ月と暫定政権であったヴァイスブルク男爵領国が正式に認定(連邦加盟許諾)された事を祝う為の祝賀会の日を迎えていた。
再編成されたロジナ候国軍の軽装歩兵達やヴァイスブルク男爵領国軍第二騎士団の騎士達に監督されたエルフ達が淡々と式典の準備を進め、式典やその後の閲兵式で演奏する楽士達が各々の楽器の試演奏を行う中、ヴァイスブルク城の一角に設けられたロジナ候国軍ヴァイスブルク派遣軍司令部ではロジナ候国軍とヴァイスブルク男爵領国の首脳部が厳しい表情でテーブルを囲んでいた。
「……先程第九騎士団より緊急連絡が入りました。救援部隊がラステンブルク猟兵部隊の野営地に到着しましたが野営地は完全に焼失しているとの事です。生存者を収容中との事ですがその数は極めて少く、殆どが負傷者であるとの事です」
下級幕僚は青ざめた顔で出席者達に第九騎士団からの送られて来た緊急連絡の内容を報告し、それを聞いた出席者達が一様に渋い表情を浮かべる中ナルサスが渋面のまま口を開いた。
「……聞いての通りラステンブルクからの援軍は壊滅してしまった。対策としてラステンブルクに滞在している特使に犠牲者に対する弔辞と更なる援軍派遣交渉を実施する様子要請する予定だ」
ナルサスから告げられた対策の内容は甚大な損害を受けたラステンブルク伯国軍へ更なる援軍要請を行うと言う些か虫が良すぎる物であり、スティリアはその内容に難しい顔付きになりながら口を開いた。
「……既にラステンブルク伯国は全兵力の半数にあたる5個猟兵団が壊滅しています。更にヴァイスブルク戦役に擬装援軍として参戦していた2個猟兵団は休養再編成中と聞き及んでいます。この状況で更なる援軍要請を受諾するとは思えませんが?」
「……スティリア様が懸念された通りラステンブルク伯国軍には損害が続出している。単なる援軍要請では拒絶されてしまう可能性が否定出来ない」
スティリアの懸念の言葉を受けたナルサスは渋い表情でその懸念に賛同し、その後に渋い表情のままその懸念に対する対策を告げる。
「……それゆえに本国は残る3個猟兵団の内2個猟兵団を援軍として出撃させる様要請し、その見返りとして我国より1個騎士団と2個軽装歩兵大隊を派遣し壊滅した5個猟兵団の再編に目処がつくまで駐留させる事を提案するつもりらしい」
ナルサスは渋い表情のままラステンブルク伯国への見返りについて述べ、その後に表情を明るい物へと変えながら言葉を続けた。
「しかしながら朗報もある、先程本国よりもたらされた報せによると再編成の為に本国に帰還した第七、第十六騎士団の交代として第三及び第十二騎士団の派遣が決定され両騎士団は近日中に出立するとの事だ」
ナルサスから告げられた援軍派遣の報せを受けた出席者達から歓喜の声があがり、ヴァイスブルク男爵領国首脳としてこの会議に出席していたアロイスが喜色を浮かべて立ち上がりながら口を開いた。
「ロジナ候国より更なる援軍が派遣されるとの御報せを受け、欣喜の念に堪えませぬ、我等ヴァイスブルク男爵領国軍は本日3個騎士団態勢を確立致しますが早急に残る2個騎士団の戦力化も成し遂げ盟友リステバルス王国軍が到着するまでに5個騎士団全ての戦力化を完遂させる所存であります」
アロイスの力強い宣言を受けたナルサス達は明るい表情で頷き、度重なる損害による動揺が払拭され一同が静かに沸き立つ中、スティリアだけは厳しい表情を浮かべていた。
(……再編成の為に帰還した第七、第十六騎士団を交代する為に新たに2個騎士団が派遣され、ラステンブルクが援軍派遣を了承すれば更に1個騎士団及び2個軽装歩兵大隊が派遣される。ヴァイスブルク男爵領国は我々の側についた2個騎士団の内1個騎士団が壊滅しその損害を補填する為形振り構わぬ形で新たに4個騎士団の戦力化作業を始めた。そしてラステンブルク伯国は全戦力の半数にあたる5個猟兵団が壊滅して再編作業を余儀無くされ、リステバルス王国が本来は何の関係も無いこの地に対して援軍の派遣を強いられている)
スティリアは胸中でこれまでに生じた損害とそれに対する損害補填の流れを確認し、その流れに思わず唇を噛み締める。
(……ヴァイスブルクの陥落によりヴァイスブルク戦役は終了した筈だ。終了した筈なのに我軍や同盟国軍は甚大な損害を出し続け、その損害を補填する為に更なる戦力の投入を余儀無くされている。まるで泥沼だ。泥沼に沈んで行く様に我軍や同盟国軍の戦力が吸い寄せられている)
状況が掴めぬまま続出する損害と泥縄式に行われている損害補填とその結果引き起こされる戦力の追加投入、現在の状況に空恐ろしい負の連鎖を見出だしたスティリアはその予感に思わず指先が白くなってしまう程に固く拳を握り締め、そんなスティリアの思想を知る由も無いアロイスが追従が色濃く浮かんだ笑みを浮かべながら口を開く。
「……素晴らしい朗報を得た所で式典の用意が整いました、本日は哀れな残党どもの事を忘れて忌まわしき旧弊を打ち破り進取の一歩を踏み出しましたる我国と我軍の晴れがましき門出を御覧下さいませ」
アロイスが満面の笑みと共に高らかに宣言すると同時にヴァイスブルク男爵領国軍第一騎士団長でありキャラガンの戦死によってヴァイスブルク男爵領国軍のトップの座を完全に手中に収めたポポフが立ち上がりアロイスと共にナルサス達に向けて恭しく一礼し、それを目にしたナルサス達はにこやかな表情を浮かべながら祝福の拍手を始めた。
その様子を目にしたスティリアは内心の懸念を押し隠しながら貼り付けた作り笑顔と共に拍手の中に加わり、アロイスとポポフは誇らし気な表情でその拍手を受け止めた。
数時間後・ヴァイスブルク城前
祝賀会は司令部で行われていた会談が終了して暫くした後に楽士達が奏でる賑やかな演奏の音色と共に華々しく開幕し、スティリアも内心の憂鬱を作り笑顔の下に収めながら式典の進行を見守っていた。
ナルサスとアロイスが相次いで戦役終了1ヶ月及びヴァイスブルク男爵領国正式発足に関する祝辞を述べた後にラインラント皇帝テウドシオス3世が派遣した勅使とヴァイスブルク男爵領国の連邦正式加入を認める旨を告げてヴァイスブルク男爵領国の正式認定を行った。
勅使によるヴァイスブルク男爵領国正式認定の発表に続いて十字教総本山より派遣されて来た高位司祭がアロイスの前に歩み寄り、アロイスは恭しく一礼した後に自身が十字教に改宗してヴァイスブルク男爵領国の国教を十字教とする事を高位司祭に告げた。
アロイスが宣言したのに続いてポポフを始めてしたヴァイスブルク男爵領国の関係者達も競うような勢いで十字教への改宗を宣言し、高位司祭は晴れやかな笑みを浮かべながらアロイス達の改宗宣言を受け入れ祝福した。
半強制的に式典への参加を強要されていたエルフ達がアロイスの宣言と改宗に暗然たる表情を浮かべる中、式典は滞り無く終了してヴァイスブルク男爵領国騎士団の閲兵式への準備が始まり、スティリアは閲兵式の準備が整うまで休憩する事に強さを増して来た夏の陽射しを浴びながら来賓用のテントへと移動した。
スティリアがテントの前に立つソニアとケイトに声をかけてから中に入るとクラシカルなメイド服姿のクーデリアが深く一礼してスティリアを迎えた後にタオルを手渡し、それを受け取ったスティリアはうっすらと額に浮かんだ汗を拭いながら椅子に腰を降ろした。
スティリアが腰を降ろすとクーデリアが軽い氷魔法で適度に冷やしていたアイスティーを満たしたグラスをその前に置き、スティリアはグラスを手に取り適度に冷やされたアイスティーを喉に流し込んで芳醇な薫りと爽やかな喉越しに目を細めながら口を開く。
「……人心地つけたわ」
「……お疲れ様です。スティリア様」
スティリアが呟いているとクーデリアが穏やかな表情で声をかけ、スティリアが表情を柔らかくさせながら頷くと穏やかな眼差しでスティリアを見詰めながら言葉を続ける。
「スティリア様、私はスティリア様の所有物です、私はスティリア様の栄華のみをただただ切望しております」
クーデリアの述べた言葉には悲壮を感じる程にスティリアへの想いが籠っており、それを受け止めたスティリアは無言のままグラスを置いて立ち上がりクーデリアの身体を優しく、そして力強く抱き締める事でその想いに応じながら口を開く。
「……クーデリア、貴女は私の、私だけの所有物だ、こんな形でしか貴女を腕に抱けないとしても、私は道化にも何にでも成り果ててでも貴女をこの腕で抱き続ける」
スティリアは絞り出す様な口調でクーデリアへの想いを吐露し、それを受けたクーデリアはスティリアの想いと苦悩に複雑な想いを抱きながら、しかしそれ故により一層スティリアへの想いを深めながら遠慮がちにスティリアの背中に手を廻した。
クーデリアの行動を感じ取ったスティリアはクーデリアを促す様にクーデリアの身体を抱き締める手に更に力を込め、クーデリアはそれに促される様にスティリアを抱き締めた手に力を込めた。
「……難しいな、お嬢とクーデリアって」
「……同感ね、侯爵家の令嬢なんて、なる物じゃないわね」
来賓用のテントの前に立って警護をしているソニアとケイトは中にいるスティリアとクーデリアの関係に対して感想を交わし合い、ソニアはケイトの感想に心底同意しながら閲兵式の準備を行っているヴァイスブルク男爵領国騎士団に視線を向けた。
エルフの騎士達は礼装に身を包んで整列していたが旧ヴァイスブルク伯国第六騎士団が母隊となった第一騎士団はともかくほぼ新編の第二騎士団及び完全に新編の第三騎士団の挙動は明らかにぎこちなく、その様子を目にしたソニアは呆れた様な表情になりながら口を開く。
「……呆れたね、急造も良いとこじゃないか」
「……少数の傭兵の他はほぼ新兵しかいないみたいよ、唯一の現役騎士団から基幹要員が派遣されず、採用された傭兵も中の下位の連中ばかりみたいね」
ソニアの呟きを聞いたケイトは淡々とした口調でヴァイスブルク男爵領国騎士団の内情を告げ、ソニアがその頼り無い内容に嘆息していると表情を厳しくさせながら言葉を続けた。
「……それと、幾つかの傭兵隊が傭兵契約の更新を渋り始めてるわ、これだけ損害が出てるんだから当然と言えば当然よね、そのまま更新を断り離脱するつもりか傭兵料を値上げさせるつもりなのかは不明だけど……」
「……どっちに転んでもロジナ候国にとっては面白く無い話だな」
ケイトの言葉を聞いたソニアはゆっくりとだが確実に変化しつつある流れを感じ取りながら呟き、その後に清々しい笑みを浮かべつつ言葉を続けた。
「……まっアタシらのやる事は決まってるけどな、その先にどんな物が待ち受けていたとしてもお嬢に従い進み続ける……お前と共に、な」
「……それもそうね、私と貴女の道はとっくの昔に決まってるものね」
ソニアの笑みと言葉を受けたケイトは楽し気に微笑みながら相槌を打ち、2人は笑みを浮かべて頷き合った後に閲兵式の準備を進めるヴァイスブルク男爵領国騎士団を見詰めた。
ヴァイスブルク戦役終了1ヶ月とヴァイスブルク男爵領国正式発足を祝う祝賀会の直前、ロジナ候国軍ヴァイスブルク派遣軍首脳部とヴァイスブルク男爵領国首脳部はラステンブルク猟兵部隊壊滅に対する緊急の会談を実施した。
会談の結果発生した損害の補填が実施される事が決定されたが、それは更なる戦力投入を意味し、会談に参加していたスティリアの胸中に泥沼に吸い込まれる様な戦力の追加投入に対する深い危惧と懸念が発生していた……