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「これはどういう事だね、エリス?!」
国王陛下が、私が書物の間に挟んで隠してあったのを発見した密書を見て怒鳴っていらっしゃいます。私は侍女の一人に扮して、成り行きを見守っています。
「ど、どういう事って? なんですの? お義父さま、怖いぃ……」
確たる証拠が出たというのに、ボンクラ王太子の愛に縋ろうとして、エリスはまだ愚かな演技を続けようとしています。
「えぇい、もうお前にお義父さまなどと呼ばれる筋合いはない! この密書によると、おまえはローデシアの密偵で、我が国をローデシアに売る為にディーンに近づいたのではないか!」
流石に腐っても国王、証拠を突きつけられては、もうエリスへの信用は完全になくされたようです。でもボンクラ王太子は、
「父上! そんなものは、エリスを妬んだ何者かの捏造に決まっています!」
とかアホな事を仰っています。ローデシア皇帝の署名は直筆だと、既に鑑定済みだというのに。
掃除をしながら一週間、這いつくばって部屋の隅々まで調べました。その間に、ベッドのシーツの間に、宰相の息子の懐中時計が挟まっているのも見つけました。レーンさまのお言葉がなかったら、『これが証拠!』と意気込んで、王太子に突きつけていたかも知れません。そしてやっぱり王太子は信じなかったでしょう。ここまで明らかな証拠が出ても認めないのですから。私は不埒な小間使いとして斬首されていたかも知れません。あの晩、レーンさまと会えて本当に良かったです。
国王陛下は溜息をつかれて、
「息子よ、どうやってローデシア皇帝の署名を捏造するというのだ? そなたがあまりにその娘を溺愛しているから、つい、次代の国王として重責を担うそなたには、せめて押し付けでなくそなたが気に入った妃を、と考えてしまった余が愚かであったな。エリスはあまりにもただの小娘に見えたがゆえ、国政に口出しする事もなかろう、そなたが心休める家庭を作るだろうと……。思えば、セシリーナには可哀相な事をしたな。あれがあまりに出来過ぎた娘だった為に、少しそなたにとっては息苦しいかも知れぬとも思った。だが、婚約解消したならば、レーンと縁付ければ良いと思っておったのに……家を追い出されて行方不明になってしまうとは、不憫なことよ。余はセシリーナを疑う心など微塵も持っておらなんだのに、のぅ、ジュエル公爵」
「は、はぁ……あれは、勢いで勝手に家を飛び出してしまったもので」
半年ぶりにお顔を見る父上は、陛下の皮肉に目を白黒させている。
バカだなんて思ってすみません、陛下。そして、『押し付けの妃』という下りで、定められた結婚をなさった王妃陛下が背後で怖い顔をされてるの、お解りでしょうか?
でも、王家の散財で、庶民の生活が苦しくなっているのは事実……なんて考えていたら。
「その娘は、たった半年で国庫の半分を消費しおった。ほんの数日前に報告が上がって来たのだ。恐らくは、そなたがせがまれて贈った金品を、自分も懐に入れつつローデシアに貢いでもいたのだろう」
そう仰って、陛下は頭を抱え込まれました。そうか、陛下も息子を信じたばかりにエリスにしてやられてしまったのですね。
「な、何故そのような事を仰る! エリスは本当にわたしに一筋に尽くして……」
「一筋? 先日、わたしに、同衾するよう、悩ましいお姿で迫って来られたのですが?」
ここで、レーン王子が兄に向って発言しました。私が預けておいた宰相の息子の時計も出して、
「見覚えがございましょう? エリス殿の寝所にあったとか」
「な、な、な、何を言う! そんな筈がないだろう!」
そこで、エリスが薄笑いを浮かべたのを私は見ました。自分に靡かなかったレーンさまを攻撃する機会を狙っていたようです。
「ディーンさまぁ。レーンさまは、弟になるのだから話がしたいと仰って来られたからお部屋にお招きしたのに、あたしを無理やり、寝所で……勿論、逃げ出しましたけどぉ。時計? あれは先日拾っただけですわぁ。どうしてあたしの寝所にあったものをレーンさまがお持ちなのかしら? レーンさまはあたしを諦められなくて、また寝所に忍び込んで……?」
「レーン! 貴様、わたしのエリスに手を出そうとしたのか!」
ボンクラ王太子は弟に激怒したけれど、レーンさまは冷静でした。
「兄上。わたしは父上にこの密書をお見せした上で、特使として帝国に赴き、密かにローデシア皇帝と面会したのです。確たる証拠、その上その女が私腹を肥やし男遊びをしている行状をお伝えしたところ、『今後王国に手出しはしない。不埒な女密偵は好きに処分してよい』と確約を頂きました。汚い手段で他国を奪おうとしたなど、帝国にとっても恥ですからね」
と仰ったのです。
「な、なんですって! たかが男遊びで皇帝陛下はあたしを見捨てたの?!」
エリスの表情が一変し、彼女は甲高い声で叫びました。そして、その一言が、彼女の命取りになったのです。
「やはりそうだったのだな、エリス。可愛い第二王子を敵国に遣わす筈がないだろう。今のレーンの発言は余が言わせたのだ。だが、見事に尻尾を出したな」
と陛下。
「本当なのか、エリス……」
とボンクラ。
「ち、違うわ! あたしを信じて、ディー! 大体、誰なのよ、そんな密書を見つけ出して陛下に誤解を……!」
「それは、わたくしですわ!」
遂に私は侍女の変装を解き、公爵令嬢セシリーナの姿を見せました。陛下もボンクラも父上も唖然としています。
「わたくしは、死線をさまよった後に、庶民の好意によって生きながらえたのです。そして、庶民の実情を知りました。陛下の治世は、少し貧しくても安定していると。わたくしはこのまま庶民として生きようと思いました。ですが、エリス、あなたが王妃となればこの国に未来はないと感じ、あなたの屋敷の下働きとなり、這いつくばって掃除をしながら、密書を見つけ出したのです。それを表に出して下さったのがレーンさまです。あなたの誘いを跳ね除けてあなたの寝所から飛び出して来られた夜に、わたくしたちは再会し、国の為に力を合わせようと誓ったのです!」
「セ、セシリーナ!!」
私の出現に周囲は騒然となります。そう、ここは宮廷のホール。大勢の貴族が集っていて、ここで暴かれた事を揉み消す事など誰にも出来ません。
私は更に言いつのり、
「ディーンさまの愛を得る為だけに、全くの冤罪をでっちあげてわたくしを死の淵に追いやったのならば、事はまだ許せましょう。それはわたくしだけが忍べばよいことですから。ですが、貴女の目的は、ただディーンさまとの純愛などではなかった。この国を帝国に売り渡し、己が欲望を満たす事だったのです! ここにお集まりの皆様にも、身に覚えのある方が何人もおられる筈。ですが、それはこの穢れた女にひととき惑わされただけと言えましょう。若きうちは誰もがなにかの過ちを犯しますから。ですが、この女を王妃にする事だけは許せません! それは即ち、我が国の破滅を意味することだからです!」
……庶民の割には、すらすらと言えました。だって、血の滲む程に王妃教育を受けましたからね。
陛下は、
「解ったか、ディーンよ」
と静かに仰ったけれど、ボンクラはまだ、
「そ、そんな。セシリーナの出まかせです! エリスはわたしだけを!」
と泣きそうな顔で言って、ざまぁですけど少し可哀相な気もします。
だけどエリスは遂に観念し、
「……はっ。負けたわね。もうバカのふりも疲れたわ。あたしはただ、男を侍らせて楽しく暮らしたかっただけよ。こんなブサイクな王太子は本当は嫌だった。だからこいつを追い落として、レーンを王にしてその妻になる事も考えたわ。任務を果たすのにはどっちでも構わなかったからね。でもレーンは、こんなに美しいあたしを跳ね除けたわ。『けがらわしい、兄上の婚約者の癖に。それにわたしには生涯叶わなくとも想いを寄せたひとがいるのだ!』ってね。なんなのこの天然バカは、って思ったわよ。でも、その天然にしてやられちゃったのね」
「エリス!」
「うるさいわね。あたしの人生遊戯はおしまい。皇帝陛下には申し訳ないけど、あたしの首で勘弁してもらいたいわ」
「……連れていけ」
陛下の言葉に、衛兵がエリスの腕を掴み、牢へ連れてゆきます。ボンクラはへたりこんだけれど、これで終わりではありません。
「ディーンよ。そなたには次代の王の資格はない。あんな女の色香に惑わされ、国を危うくした罪は重い。そなたは廃嫡し、レーンを王太子とする!」
「そ、そんなぁ、父上!」
「せいぜい心を入れ替えて励めば、レーンの補佐をする事くらいは許そうぞ。そして、レーン、セシリーナ」
「は、はい」
レーンさまは緊張の面持ちで返事をしたけれど、私は何故呼ばれるのか解らなくて、咄嗟に応えられませんでした。そんな私に陛下は微笑みかけられて、
「苦労させて申し訳ない。申し訳ないついでに、もう一人の余の息子の面倒を頼めないだろうか?」
……え? あ、お世話係ってことですね!
「レーン王太子さまの侍女にさせて頂けるならば喜んで」
と私は応えましたが、陛下はびっくりしたような顔の次に笑って、
「何を言っている? このレーンは、ずっとそなたを想っていた。兄の婚約者だからと身を引き、生涯独り身を貫きたいと密かに余に申し出ていたのだ。そなたさえ嫌でなければ、レーンの婚約者になり、次代の王妃となって貰いたい。どうかな?」
「……!」
……どうしてでしょうか。国の為にエリスを分不相応な位置から引きずり下ろす。その後は私はまた町娘に戻る。それしか頭になかったのに、陛下のお言葉に、レーンさまとの幼い頃からのやり取りが爆発的に頭に浮かんで来て。涙が流れてきて。
聡明で凛々しいレーンさま。私の憧れ。でも私は兄のボンクラと結婚しなくてはならない。だから、ずっと自分の気持ちに蓋をしてきました。でも……でも……本当は、私は、レーンさまが好きだったのです!
「レ、レーンさまは、わたくしなんかで本当によろしいのですか?」
「先に父上が仰ったでしょう。わたしはずっと、貴女を想っていました。愛しています、セシル。これが、あの晩に後で伝えると言った答えです」