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エリスのお屋敷では勿論、嫌な事があっても我慢します。女主人の人使いが荒いので、みんなが疲れていて職場の雰囲気は悪いですが、しかたありません。下働きがエリスの目に留まる機会はないけれど、念のために変装し、髪を汚い色に染め、ぼさぼさの前髪で顔を隠しています。まあ、もしも会ったって、まさか自分が追い落とした公爵令嬢が自分の屋敷の下働きをやってるなんて思いもつかないでしょうけれど。
エリスの評判はすこぶる悪いです。王太子には相変わらず天使のように優しく仔猫のように甘えているけれど、他の男性にもそれをやっています。毎晩違う男性を連れ込んで贅沢な乱痴気騒ぎ。
私は、きっとエリスは浮気をしているに違いないからその証拠を掴んで王太子に突きつければ、さすがにあのボンクラも目を覚ますだろうと思って、毎晩こっそり寝室の様子を窺っています。ちょっとお下品ですけど、私が護りたいと思って来たこの国を、あのボンクラとバカ女に任せる訳にはいきません。勿論、もうあのボンクラと結婚して王妃になりたいなんて思ってはいません。ボンクラを支えられる立派な令嬢が見つかれば、私は町の暮らしに戻って自分で生きていくつもりです。昼間の仕事もきついので、睡眠不足で辛いですけど、毎晩頑張っています。
けれど、さすがにエリスもしたたかで、なかなか尻尾が掴めません。今では厨房の下働きから、エリスのお部屋係にまで昇進したので、朝エリスが出て行くとベッドを片付けるのですが、確かに怪しい形跡はあるのだけど、いくら外から見張っていても、男性が出入りする所をどうしても見つけられないのです。いくら女性が一人で寝ているベッドのシーツがあり得なく乱れていたって、「滅茶苦茶寝相が悪いのです」と言われてしまえばそれまでです……。
ですが。
遂にある日、転機が訪れました。夜中に大声で怒鳴りながら、エリスが一人で入った筈の寝室から、男性が出て来たのです。月の光に綺麗な金髪を染め上げられた男性は、不快そうに舌打ちをして扉を閉めました。
私はその人の顔を見て思わず、
「あっ……」
と声をあげてしまいました。真夜中の廊下ですから、そんなに大きくなくても、声は響いてしまいます。その人は不審そうにこちらを見ました。
「まさか……」
つかつかと歩み寄って来る男性から、私は慌てて逃げ出そうとしましたが、すぐに追いつかれてしまいます。かれは小間使いの身なりをした私の腕を捕まえて、かれの方に向かせます。
「やっぱり……。でもどうしてこんなところに。セシル!」
「レ、レーンさま……」
それは、あのボンクラ王太子ディーンの弟のレーン王子だったのです。兄に似ず、とても優秀でよく気の付くお方です。全く、この方が王太子であれば、私は何の心配もしなくてよかったのに、と何度思った事やら。
「貴女をずっと探していました。いったいどこでどうしていたのですか!」
何故かレーンさまは涙ぐまれています。
「あ、あの、何故わたくしなどを? もうわたくしは、ディーンさまの婚約者でも、ジュエル家の娘ですらありませんのに」
「そんな事は関係ない……貴女があり得ない罪を被せられて皆の前で辱めを受けたと聞き、わたしはどれだけ悔やんだ事か……その場に居合わせていれば、絶対に兄上に手袋を投げつけていたのに、と。しかし知った時には全て後の祭り。貴女は家を追い出されて……わたしはジュエル公爵を罵ったが、貴女は父上の立場の為に自ら家を出たと聞き、貴女のお心を無にすまいと、彼を罰するのは止めました。だが、いくら探しても、最後の情報は、貴女は宿を追い出されて路上に行き倒れていたと……だからもう返らないものだとばかりに嘆き。ああ、本当に貴女なのか。わたしは夢を見ているのでは?」
「そ、そんなにわたくしの事を……申し訳ありません」
とりあえず、そう返すのが精一杯でした。