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HOPE  作者: 滝 陽水
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第十一章 東堂

第十一章 東堂



東堂財閥

東堂猛が一代で築き上げた財閥である。

歴史は浅いながらも幅広く様々な事業を展開していた。

東堂猛はいわゆるワンマン社長。やり手の剛腕社長として名を馳せていた。

しかし、その強引な手法にも綻びが見られており、経営自体が危ないのではないかという噂が広まっていた。

東堂舞と東堂愛。

二人は東堂猛の娘としてこの世に生を受け、何不自由ない暮らしを送っていた。

…あの日が来るまでは。



「わーい!みんなでおでかけするの久しぶりだねー!」

愛はスキップしながら家族を先導していた。

「ほら愛。ちゃんと前を見て歩かないと転ぶよー」

舞はそんな愛が暴走しないようにしっかりと手を握っており、その後には東堂夫妻が続いていた。

「はっはっは。最近忙しかったからな。たまにはお前たちのご機嫌も取らないとな」

事実、猛は分刻みでのスケジュールを強いられるほどの忙しさで、丸一日時間を取るなど不可能に近かった。しかし、たまには家族水入らずで過ごしたいと、この日は東京にある遊園地に来ていた。

しかし、忙しい東堂家のこと、入り口ゲートに辿り着いたと同時に猛の携帯電話が鳴り響いた。

「ごめんな。ちょっと待っててくれ」

そう言い残すと猛は人垣の向こうに消えて行った。

舞と愛は『いつものことだから』と静観していたが、しばらくすると妻の携帯も鳴り響き、

「二人とも、ちょっとだけ待っててね。すぐ戻るから」

そう言うと猛と同じように人垣の向こうへ消えて行った。


それから十分…三十分…一時間。

ゲート前に集まっていた人垣はすっかり消え、舞と愛の姉妹の姿だけが寂しく残った。

愛はすっかり不貞腐れて、

「もーママもパパもまだなのー?」

舞はなだめるように、

「もうちょっとだから。いい子で待っていよう」

舞もおかしいことには気が付いていた。いくらなんでも遅すぎる。

しかし、まだ十歳と八歳の少女である。迂闊に動くのは危険すぎることを舞は承知していた。

探しに行こうとする愛を舞がかろうじて制止していた。

「えーん。何でママもパパも帰ってこないの…?」

愛は泣きべそをかいていた。

もう二人がいなくなってから八時間以上が立っていた。

目の前のゲートは営業終了の札を掲げていた。

舞は悟った…もう二人が帰ってこないであろうことを。

「愛…いくよ」

舞は意外と冷静だった。

実はここに到着する前、電車で他の乗客の会話を聞いて不審に思っていたのだから。


『ねー聞いた?あの東堂財閥』

『うん?どうしたの?』

『なんかリーマンショックの影響で不渡り出してダメになったらしいんだけどー』

『えーそうなの?!』

『うんうん。でも直接の原因は側近の裏切りらしいよー』

『えーマジで?大人って怖いねー』


舞は十歳とはいえ、自宅にあった様々な書物を読み漁っていたために聡明だった。

この会話から、『もしかして…』という認識はあったが、認めたくなかった。

しかし、親二人が戻ってこない以上、認めざるを得ない。

これから二人が生きていく術を見つける…ことができる勝算はなかった。

しかし、このままここにいても仕方ないことは明らかであった。

舞は嫌がる愛を引き摺りながら街の方角へと歩き出した。


『愛は…私が護らなければ』


とはいえ、舞にも当てがあるわけではなかった。

住宅街にある公園らしき場所に到着したときには既に辺りは真っ暗になっていた。

「寒い…」

舞は愛に自分の着ていた上着を貸すと、周囲を警戒していた。

よく分からないオブジェの中に陣取ると、愛を寝かしつけた。

「大丈夫…お姉ちゃんがついてるから…」

愛が寝付いたのを確認すると舞はこれからのことを思案し始めた。

下手に知恵がついているものだから、十歳にも満たない二人がやっていく術がないことくらいは承知している。しかし、現実としてやっていかなければならない。舞は思案しているうちに眠ってしまった。



翌朝。

舞は誰かに小突かれて目を覚ました。

眠い目を擦りながら見上げると、そこにはホームレスらしき男性が立っていた。

「おい。ここで何やってんだ?」

舞は愛がまだ寝ていることを確認すると、

「ごめんなさい。私たち寝るところがなくて、昨日やっとたどりついたここで寝ていたんです」

舞は書面の知識ながらもホームレスの存在は知っていた。当時は嫌悪感を抱いたものだが、自分たちが同じような立場になったのであるから、そんなことは言っていられない。

「おじさんの家だったんですか?だったらごめんなさい」

舞が頭を下げると浮浪者は、

「いや、別に気にしないでいい。俺の家は別の所にある。お前たちが見慣れない顏だったもんでな」

そう言うと、その場に腰を下ろして舞と目線を合わせた。

「ところでお前たちは朝飯は食べたか?ちゃんと朝は食べないといかんぞ?」

そう言ってホームレスはコンビニおにぎりを二つ差し出した。

舞はその一つを咥えた。確かに昨日の朝から何も食べていなかったので、夢中で頬張った…が同時に涙が零れ出た。

舞自身、何で泣いているのか分からなかった。

しかし、何かが決壊したかのように涙は止まらない。

ホームレスはその様子を黙って見ていた。まるで何かの儀式を見守るように。

その男は山崎と名乗った。

舞は山崎に親に捨てられたらしいことを話していた。しかし、かの東堂財閥の娘であることは本能的に隠していた。

「でも、ただ置いて行かれただけかもしれないぞ?一度家に帰ってみたらどうだ?」

山崎の言葉に舞は、

「でも…帰り道が分からないんです」

「お嬢ちゃんたちはどっから来たんだ?家の場所は分かるのか?」

「大阪です。駅まで行けたら帰れるんですけど…」

「遠いな…お金は持っているのか?」

舞は小さく首を振った。山崎はすでに半泣きの舞の頭を撫でると、

「じゃ、今日一日おじさんの手伝いをしてくれないか?そうすれば電車賃をあげるよ」



公園から数分歩いたところに山崎の住居があった。

住居といっても廃ベニヤ板やブルーシートで覆っただけの簡素なもの。その周囲には雑然と物が置かれていた。

「じゃ、まずは空き缶集めから手伝ってくれるかな?」

空き缶集めに始まり、住居の掃除や河川の清掃ボランティアなど、舞と愛は一日中働いた。

そしてあっという間に夕方になり、あの公園へと戻ってきた。

すると公園内で炊き出しがあるらしく、大勢の人で賑わっていた。

「おいしーい!このお汁すっごくおいしい!」

愛は炊き出しの豚汁を満面の笑みですすっていた。舞もまた、

「本当!すごくおいしい!」

そう言うが早いか、夢中で頬張っていた。

三人は一通り炊き出しを満喫すると出会ったオブジェの前に来た。

「今日は二人とも、ありがとな。おじさんとっても助かったよ」

「うん!愛いっぱいがんばったもん!」

山崎の言葉に愛は胸を張っている。そして山崎はポケットから何やら取り出した。

「頑張った二人にまずはお給料だ。二人とも手を出してごらん」

山崎は二人に一枚ずつ紙幣を手渡した。それを見た舞は、

「…こんなに頂けません!」

手にした一万円札を見て、思わず返そうとする。

しかし、山崎は受け取らず、

「これは君たちが働いた報酬だ。遠慮することはない」

そういうと山崎は更に何かを取り出した。

「そしてこれは…おじさんからのプレゼントだ」

それを見た舞はすぐに大粒の涙を流し始めた。

「山崎さん…何て言ったらいいか…その…ありがとうございます」

大阪行新幹線のチケットだった。しかも往復分である。

愛は素直にはしゃいでいるが、舞は山崎の心遣いに感激せずにはいられなかった。

見ず知らずの自分たち相手にここまでしてくれる。舞は、

「…この、このご恩は一生忘れません。ありがとう…本当にありがとう」

まるで神にでも祈るかのようにその場でうずくまってしまった。

さすがに困った山崎は、

「さあ、もう顔を上げて。気にしないでいいよ。お節介なおじさんからのほんの気持ちだ」

そんな舞を余所に、愛は山崎に絡みつく。

「おじさんありがと!だーいすき!」

頬にキスされた山崎も、満更ではなさそうだ。しかし、すぐ真顔になって

「二人とも。もし何かあったら、いつでもここに帰ってきていいからね。私はこのあたりで名は知れているからすぐ会える」

『何かあったら』

愛はよく分からない風だが、すぐに『うん!』と答える。

しかし、舞はその言葉に緊張してしまった。舞はその『何か』が何を意味しているのか理解している。

そして、その言葉は舞にとって救いを意味した。

「ありがとう…山崎さん」

山崎は照れくさそうに、

「気にすることはないよ。じゃ、今日はもう遅い。明日の朝、駅から電車に乗るといい」

そう言って山崎は毛布とメモを舞に渡した。メモには大阪までの電車乗り換え方が書いてあった。

「君たちがここに戻って来ないことを祈っている」

そう告げると山崎は自分の住居へ帰って行った。



翌朝。

舞と愛は夜が明けるとすぐに最寄りの駅へ向かった。

山崎の書いたメモは丁寧で、特に迷うことはなかったが大阪へ到着したころにはお昼を回っていた。

「ついたー」

改札を抜けると愛は大きく伸びをした。

「…」

リラックスしている愛に対して舞は神妙な面持ちである。

それもそのはず。事と次第によっては本格的に困ったことになる。できればそうならないで欲しい。何かの間違いであって欲しい。

呑気な愛を余所に、舞は一分の望みに賭けるように祈っていた。


やがて見慣れた道に入り、自宅の前に立った舞と愛。

その目は扉に貼られた紙を凝視していた。

「…お姉ちゃん。なんて書いてあるの?」

「…もう、私たちの家じゃないってこと」


『売家』



その日の夜。

舞と愛は、いまや売り物となった自宅に、悪いとは思いながら、裏口から入って一夜を明かした。

入るとき、隣の家の明かりが消えた。舞は気が付いてはいたが、今となってはどうでもよかったので気に留めなかった。

中はもぬけの殻。しかし偶然にも二人はお母さんからもらったお揃いのお守り袋を発見することができ、小さな幸せを感じていた。

「お母さんとお父さん、どこに行ったのかな?」

寄り添って眠りにつこうとしたとき、愛がふと呟いた。

舞は涙を堪えながら愛の顔を見ると、愛は虚空を見つめていた。

「愛。お父さんとお母さんのことは明日からは忘れな。お姉ちゃんがきっと守ってあげるから」

愛は舞の真剣な表情を見て、我慢できなくなったのか、舞の胸の中で声を上げて泣いてしまった。

舞は愛の頭を撫でながら、闇を見据えてこれからのことを考えていた。

(やっぱり…戻るしかないよね…)



「…いま、あの東堂財閥の東堂武宅の前に来ています…」

翌朝、舞は聞きなれない話し声に目を覚ました。

既に夜は明けていて、二人の寝ているところにも朝日が差し込んでいた。

『二人にはいつも朝日をいっぱい浴びて育って欲しいから…』

舞の頭の中で優しく微笑む母。しかし、外から聞こえる雑踏がそれを掻き消した。

舞は愛を起こさないように立ち上がると、そーっと窓から外を確認した。

どうやらテレビ局がレポートに来ているようである。

(ここはもう空き家のはずなのに…)

しかし、自分たちがここにいるというのは少し問題があるだろう。舞にもそのくらいの知識はあったので、すぐに愛を起こして物音を立てないようにと釘を差す。

「とりあえず、裏口から出よう」

舞の指示に愛は無言で頷く。そして舞は先頭に立って裏口へ向かって歩くが…。

「…」

既に裏口にも人が待機していた。

そこで話し声が聞こえてきたのだが、舞はその声に聞き覚えがあった。

「確実よ。私昨日夜中に二人が入っていくのを見たんだから!」

「分かりました奥さん。とりあえず、これを。その子供から話が聞けたら、満額お支払します」

「まぁ、仕方ないわね」

よくお世話になっていた隣の奥さんだった。

家族ぐるみの付き合いで、舞もお隣さんとは仲良く…していたつもりだった。

その時、舞の脳裏に昨日の光景が浮かぶ。どうやら二人が家に入った時にとっさに電気を消したようだ。その情報をマスコミに売ったらしい。

舞は一旦引きかえす。すると愛が心配そうに、

「お外に出れないの?」

「うん…表も裏も人がいるから…どうしよう」

すると愛は腕を組み、「うーん」と考えると、

「分かった!愛がなんとかしよう!」

舞はポカーンと口を閉じれずにいると、

「こっち!」

愛は舞の手を引いて地下室へと降りて行った。


地下室があることは舞も知っていた。

父である東堂武の趣味の部屋。それ故に舞はあまり立ち入ることがなかったが、愛は頻繁に立ち入っていたようだ。

愛は何もない地下室の端っこにある木箱をどけようとするが、全く動かない。

仕方ないので舞も加わって力いっぱい押してみると、なんとか動いてその後ろには大きな空間が広がっていた。

「…愛、これなに?」

「えっとね、前にパパが作ってたの。愛もいっぱい手伝ったんだよ!」

愛は得意げに胸を張る。

愛の話では数区画先の空き地に繋がっているらしい。どうも、母に見つからないように父が出かける際に使われていたようだ。

しかし、舞にとっては本来の用途など問題なく、今、外に脱出できればよかった。

愛に先導されつつ低い穴倉を這いながら進む。数分進んだところで愛は、

「確かこのあたりー」

上を探ると突然太陽の明かりが二人を包んだ。

愛の話とおり、数区画先の空き地に通じていた。

二人は穴から這い出ると、手を取って駅へと向かって走り出した。



その日の夕方。

舞と愛は山崎の元へと戻ってきた。

「…山崎さん。やっぱ…ダメだった」

舞は精一杯の笑顔で接したつもりだった。

しかし、山崎はすべて見透かしたかのように両手を広げて二人を包み込んだ。

愛はそのまま泣きじゃくって山崎に介抱されている。舞は少し離れたところでその様子を見ながら、これからのことを考えていた。

自分たち二人だけで生きていくのは無理に近い。何をするにも所詮子供、この国は大人の庇護にない子供に対しては、施設以外の選択肢がない。このまま山崎の元にいるわけにもいかない。

思案に暮れている舞を、愛を抱えながら見ていた山崎は、

「二人とも、落ち着いて聞いてくれるか」

「…何?」

舞は思わず聞き入る体制になり、愛は瞳を涙でいっぱいにしたまま山崎を見上げる。

「昨日な、二人を…」

そう言いかけたとき、背後から声が聞こえた。

「舞ちゃん!愛ちゃん!」

山崎を含めて三人は同時に振り返ると、一人の青年が立っていた。

その姿を見た舞が「久保さ…」と声を出す間もなく、愛が飛びついて行った。

「おおっと…ははっ愛ちゃんはいつでも元気がいいね」

愛は青年の首に飛びついて、そのまま体にしがみ付いていた。どうやら声だけでその存在を確信したらしい。一方舞はその姿を見て反射的に問いかける。

「久保さん!どうしてここに?」

「うん。一昨日の炊き出しに僕もいたんだ。その時、二人らしき人影をみかけてね。もしやと思って山崎さんに確認してみたんだけど、やっぱり二人じゃないかと思って待ってたんだ」

「久保さんってこんな活動もされてたんですね」

舞は嬉しさを隠しながらも冷静に対応した。

久保亮。舞たちにとってはいいお兄さん。父の会社の関係者…らしかったが、詳しくは二人とも知らない。しかし、公私問わず家を訪れてよく遊んでくれるいいお兄さん。それが舞と愛に共通する久保のイメージだった。

愛は久保の首根っこを抱えたまま離そうとしない。この出会いがどれほどの価値があるのかを悟っているかのように。

そんな愛をさておいて、久保は表情を曇らせると、

「こんなことになって…なんて言ったらいいか…」

「いえ、どうか気になさらないでください」

舞は大人の世界の事情など分からなかったが、とても久保に問題があるとは思えなかった。と、言うより、この先頼る人のいない二人にとって顔見知りの存在は何よりも心強いものであった。

首に絡みつく愛を抱えながら久保は、

「とりあえず二人とも、行くところないんだよね?うちに来なよ。食べるものくらいには苦労しないと思うよ?」

その様子を見た山崎は、

「そうしてもらいなさい。女の子がこんなところにいちゃいけない」

それを聞いた舞は、

「山崎さん…いろいろご迷惑をおかけしました」

舞と愛は頭を下げるとその場を後にして久保のマンションへと向かった。

そして三人の共同生活が始まるのだった。



久保のマンションは田舎の山の麓に建っていて、二部屋ある中の一部屋を舞と愛が貸してもらう代わりに、家事一切を二人で引き受けた。

久保は近くにある研究所の研究員をしていた。日頃家事まで手が回らない久保にとって、二人が家事をしてくれるのは非常に助かる。代わりに久保は二人に勉強を教えていた。特に愛は久保の専門であるメカトロニクスに興味深々。みるみるその知識を吸収していき、そのスピードは久保も舌を巻くほどだった。

そうして瞬く間に七年が過ぎた。

ある日久保は自宅に友人を連れてきた。『新田 聡』と名乗ったその青年は久保と同期らしく、プロジェクトこそ違うが、よく飲みにいったりする仲らしい。その日は数時間談笑をして帰って行ったが、その後、たびたび訪れるようになった。

そんなある日、いつもは久保と共に訪れていた新田が、久保がいないときに訪れた。

「あ…新田さん。亮さんはいませんよ?」

舞が少し困惑気味に言うと新田は、

「あ、いや、君に用事があってきたんだ」

と、少し照れながら舞に向かって、

「今週末、もしよかったら映画でもどうかなと思って」

その時、舞も新田に好意を持っていたので舞は申し出を快諾した。

それから、愛に冷かされながらも舞は新田と付き合うことになり、充実した日々を送っていた。

一方愛はというと、物心ついたときから久保一筋らしく本人にも公言していた。久保自身も満更でもないが、久保から見て愛はまだ幼かったために、よく『もう少し大人になったらね』と言われていた。



しかし、幸せとは儚いもの。

ある雨の日。この日、愛は一人で留守番をしており、舞は新田と、久保は最近ラボに籠っていた。

『もうすぐ今やっているプロジェクトが完了する。そうしたら、一緒に遊びに行こう』

愛は久保のこの言葉を胸に勉学に励んでいたが、ふと外を見ると雨が更に激しさを増しており、時折雷鳴が轟いていた。

愛は正直落ち着かないでいた。しかし、その原因が分からなかった。

(雨が嵐になりそうだから?お姉ちゃん大丈夫かな…。亮さんのお仕事、明日には終わるかな…)

考えれば考えるほど自分が分からなくなってしまい、愛は考えるのをやめた。

その夜、結局二人とも帰ってこなかった。久保はともかく、舞が何の連絡もなく外泊するとは考えづらい。愛はしばらく待っていたが、やがて疲れて眠ってしまった。

翌日。昨日の嵐が嘘のように晴れあがった空とは対照的に、愛の心は雲に覆われていた。

(結局帰ってこなかった…こんなこと初めて。お姉ちゃん、大丈夫…だよね?)

愛が心配しながら朝食を済ませていると、ドアをノックする音が聞こえた。

「新田です。愛ちゃんいる?」

愛はすぐにドアを開けると新田を招き入れた。

「新田さん、お姉ちゃんが帰ってこないんです…」

「ああ、その話なんだけど。愛ちゃん、よく聞くんだ」

新田は神妙な面持ちで、

「実は昨日、買い物をしている最中に悪漢に襲われて…その、舞は…」

「…」

「警察の話だと、旧東堂財閥に恨みを持ったヤツだったらしい。舞の…頭を銃で…」

愛は何を言ってるのか分からなかった。いや、分かりたくなかった。

「唯一の救いは、即死だったこと。苦しむヒマもなかっただろう…と医者は言っていた」

いままで自分を守ってくれたお姉ちゃんが死んだ?愛は思考が凍りつくのを感じた。

「愛ちゃん?大丈夫?顔色が悪い…ちょっと休んだほうがいい」

新田が愛の肩を抱くと愛は突然思い出したかのように嗚咽を洩らして泣き出した。

しばらく泣いていた愛はスッと立ち上がり、

「新田さん。お姉ちゃんはいまどこに?お葬式くらい上げないと…」

すると新田は、

「いや、その必要はない。死なせやしない…僕の持つすべてを賭けて」

「え…?それはどういう…意味?」

「いや、追々話すよ。とりあえずしばらくは普通どおりに生活しててくれないか。数日したら迎えに来るから」

愛は多少不信感を感じてはいたが、新田の『死なせやしない』という言葉を信じてみようと思った。それは愛自身の願いでもあるのだから。



結局久保も帰らないまま数日が過ぎた。

言いようのない寂しさが愛を包み、それを振り払うかのようにわざと忙しくしていた。

「愛ちゃん、いるかい?」

どうやら機械いじりに没頭するあまり、新田の訪問にも気が付かなかったようで勝手に入ってきていた。

「あ、ごめんなさい。気が付かなかった」

すると新田は挨拶もそこそこに、

「とりあえず迎えにきた。舞に会いに来て欲しいんだ」

愛は準備もそこそこにマンションを後にし、新田と共に車で走り出した。

車は山の中へと入っていき、砂利道をしばらく進んだところでゲートのようなものを通過した。

「あの…どこに行くんですか?」

「僕の研究所だ。そこに舞…もいる」

ゲートを通過してから数十分後、ようやく建物が見えてきた。

新田に続いて愛も中に入って地下へと降りて行き、一枚の扉の前で立ち止まった。

「ここだ」

新田はカードキーで扉を開けると中に入る。続いて愛も部屋へ入ってみると、

「…お姉ちゃん!お姉ちゃん!」

そこにはTシャツとスパッツを履いた舞がいた。思わず愛は飛びついて泣き出してしまった。

その様子を舞は黙って見つめていた。

次第に愛も気が付いて、舞を見上げる。しかし、その目に温度が感じられなかった。

予想外の反応に愛は混乱してしまい、

「新田さん…お姉ちゃん…だよね?」

すると新田は、

「ああ。舞に間違いはない。しかし」

「しかし…?」

「悪漢に撃たれたとき、舞は頭部に大きな損傷を受けた。通常ならそのまま死亡しているところだった」

「そうなんだ…」

愛は心苦しそうに舞を見上げる。

「だが、今の舞はその失った脳を機械で補っている状態だ。これは僕の研究に関わることだから、あまり詳細には言えないんだけど」

愛も久保の影響で機械には詳しかったが、言っていることがよく分からなかった。機械で失った…しかも脳なんかの変わりができるんだろうか?しかし、今愛が持っている情報では答えは出そうになかった。

「それで、この舞…を舞にするために、愛ちゃんに協力して欲しいんだ」

「どういう意味ですか?」

「今の舞はまだ頭の中が真っ白だ。今までの舞の記憶を持つ愛ちゃんなら、舞を舞として成長させられると思うんだ」

「そうですか…分かりました。やってみます。もう一度お姉ちゃんがお姉ちゃんに戻れるように」

「ありがとう。それから、舞のことはこれからはメルダと呼んでくれ。研究所にはできるだけ内密にしておかないと」

「分かりました、あ、それと亮さん知りません?最近帰ってないんです」

すると新田の表情が曇った。

「久保はこの前自分の研究を完成させて、テストをしていたらしいんだが…」

新田は振り返り、愛に背中を向けると、

「その場で機械が暴走して…」



愛はそのまま研究所に泊まり込むことに決めた。

マンションに帰ると一度に二人も大切な人を失ったことの悲しさに耐えきれそうにない。ここにはいま自分を必要としてくれている人がいる。それだけで十分だった。

今目の前には記憶を失ったお姉ちゃんがいる。私がしっかりしないといけないんだ。愛は自分に言い聞かせた。


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