ユートピアの歌姫
数年前に書いた短編です。「奏でる旋律、それは希望」より過去の話。
「ここはどの辺りになるんだろうな、
えーと地図ではっと……。」
『大陸北西部に入ったところです。
時間にして今から12分23秒前に通過しました。』
「おーおー、俺は優秀なナビちゃんが居てくれてシアワセだなぁ~。」
野暮ったく伸ばした黒髪に緩んだ口元が印象的な男は、
荷物袋から取り出そうとしていた地図を引っ込め
天を仰ぐと大きなため息を一つ入れた。
そしてくるりと後ろを向き自分が今まで歩いてきた道を見つめる。
目に入ってくるのは荒涼とした草木一本たりと
生えていなさそうな岩石地帯のみ、
安住地を求めて北西地方へきたというのに、と
男は肩を落としたのだった。
「えっちらおっちらとここまで歩いてきたはいいものの、何という有様か。
見よ!この荒れ果てた大地を!
見よ!この薄汚れた空を! ああなんと嘆かわしい!
俺達が求める理想郷は本当にこの地にあるのだろうか!?」
『仰々しいです、鬱陶しい。』
「おお、終いにはナビちゃんからもこの仕打ち……何と言うことか。
だが俺は諦めない、諦めてなるものか!
信じる心を失っては何事も成さぬ!
いざ行かん憧憬の地、我が求むる理想郷へ!」
と派手にジェスチャーをした後、
男はニヤっと不敵な笑みを浮かべまるでスイッチが切り替わるように
今までおちゃらけていた雰囲気ではなく、
真剣な表情でトボトボと歩みを再開した。
時折、北風特有の風が吹きつける。
男は腕につけていた旧式の手巻き式腕時計に視線を移し、現在の時間を確認する。
よく見ると秒針が止まっていることに気づいた。
「今は何時? 正確によろしく。」
『標準時間で15:34:53..54..55..秒間隔ですが、
丁度貴方の心臓の鼓動と同期しています。』
「ゼンマイ~ゼンマイ~っと……いやぁしかし何だね、
やっぱこういった機構はアナログに限るわ。」
男は地ベタに腰を降ろすと、
荷物袋から小さな金属箱を出し小さなゼンマイを取り出す。
そしてウキウキと楽しそうに手巻きを始めだ。
この時代において旧式どころか下手をすれば旧世紀の遺物の一つである。
『何故です?
動力が止まってしまったら毎回再確認を要するではありませんか。
一言で”面倒”だと思います。光発電クォーツもあるというのに。』
男は連れの言葉にある程度理解は示したモノの、
どうやら個人的には引けぬところがあるらしく
ゼンマイを巻きながら思わせぶりに言葉を重ねた。
「そりゃあ自動でさ何でもやってくれた方が、色々と楽なのは違いない。
が、この一手間というかそういうものの作業ってのが俺は好きなんだよ。
なんつーか俺もこの機構の一部なんだなって気がしてさ。
こいつは俺が巻いてやらないと動けねぇんだって思うと
俄然やる気が出るっつーか。」
『物好き。』
「やっぱり一手間入ることで愛着の持ち方ってのは大きく変るよなって
……うっさいわっ。
とこれでまたしばらくは持つだろう。」
男は遙か南方より自身の言う理想郷を求めて
大陸北西部を目指し旅をしてきた。
だが行けども行けども目に映るのは荒れ果てた大地と薄汚れた空、
となるとどんなに陽気な人間でも気が滅入るのは自然である。
しかしである、この男、思ったよりも滅入っていないようで
冗談を口にするくらいの元気はあった。
理由は明白である。時折彼の言動にチャチャを入れている存在のおかげだ。
”文明の贈り者”と呼ばれる
彼・彼女らは生物としての実体こそ持たない存在ではあるが、
遙か昔より人間達の側に在り文明的な行動により
人々を支えてきた人工の人類である。
どのようなシステムを持って稼働しているのか
この時代の人間達は知らされていないが、
ギフト・ロイドの基幹システムは”触れてはならぬ総譜”と呼ばれ
世界のどこかに安置されているという。
この時代では希望すれば個人用に所有することが認められており、
人間1名に対してギフト・ロイド1体が宛がわれる。
ちなみに性別や性格、容姿や声質等はえり好み出来ないようになっており、
人によっては好き嫌いがはっきりするらしいが。
「……リズ、近場の人工物って何がある?
距離・方向もついでに諸情報もあれば、よろしく。。」
『この地点から約10キロメートル北北東に、
木造ではありますが人工の家屋を探知。
生命反応はありませんので人は住んでいないようです、
ただ家屋の設置からかなり時間経過が認められますので、
倒壊の恐れ、臭気の安全性などは保証できません。』
「相変わらず情報早いねぇリズちゃんは、そう言うとこ大好き。」
『キモイ。』
「つれないなぁ~。
まあ、いいやその木造の家屋とやらに行ってみますか。」
『了解ですユウマ。』
**********
約2時間歩き続けるとリズの探知した通り、
木造の建物を見つけることが出来た。
周囲は今までとは打って変わって
灰色に変色してしまった木々が両手で足りる程度に生えており、
以前はそれなりに木が生い茂っていたのだろうと容易に想像がついた。
西を見ると太陽がゆっくりと沈んで行く様子が見て取れる、
ユウマは今晩の宿を探していたようだ。
『ここで間違いありません。』
木造の建物の中に入るとユウマが予想した通りの状況になっていた。
一歩足を踏み出せば灰白綿の埃が舞い上がり、
それと同時に空気の移動によりカビの臭いが鼻をつく。
思わずユウマは右手で鼻を押さえてしまう程だった。
とは言え、雨露を凌ぐにはここほど適した場所は
近場にはないということも解っている為か、
比較的腐敗や崩壊の影響が少ない座っても問題の無さそうな場所を探すことにした。
家屋は旧式の平屋造りで、部屋の数は3部屋と少なく
どこも朽ち果ててしまっており立ち入れるのは最初に入った空間のみだった。
家具はものの見事に使い物になりそうなものはなく、
唯一使えそうなのはガラス製のコップが一つだけだった。
「…カビくせぇ埃くせぇの揃い踏みと来たか。
いいなぁリズちゃんは臭いわかんなくて。」
『それほどでも。』
「ねぇ人間になろうよ~、一緒にこの苦労を分かち合おうぜ?
ほら言うだろう? 本気で望めば願いは叶うって。」
『では私が人間になることを望み、
嘘を言い続ければ、いつか鼻が伸びて人間へのフラグが立ちます?』
「そうそう、んで鯨に食われて奇跡が起こってだね。」
『じゃあそのように。』
「止めてマジで。その方法だけは止めて。
リズが人間になる前に俺が死んじゃうフラグの方が先に立つから。
それに知ってると思うけどわりとリズが居ないと俺マジでやばいから。」
ユウマは先ほど手にいればガラス製のコップを持っていた布で拭う。
元々そんなに清潔な状態ではなかった布も
見るも無惨にコップを拭うたびに黒ずんでいった。
流石に元の色が判別できないくらいになった布を見て、
ユウマは足下に転がっていた小石を使い物にならなくなった布にくるめ、
涙目混じりに丸め遠くへ放り投げた。
「てぃっ!」
乾いた音を立てて部屋の奥に落着する。
『何も棄てなくとも。』
「あれを購入状態まで戻せる人間はいないと判断した。
きっとどんな凄腕の職人でも無理だ、見たかあの黒ずみ具合を!
相当強烈な薬剤入りフロに放り込めば何とかなるかもしれんが。」
『はぁ。』
「高かったんだぞ……ああ見えて、しかもブランド品だったんだぞ…。」
室内をある程度探索して何とか妥協出来る箇所を見つけることが出来た。
ユウマは荷物袋から小さな銀色の輝く
円筒状の物体を取り出し円筒状の両端を軽く押す。
すると円筒状の物体は半分に分かれ中から焦茶色のタブレットが飛び出てきた。
そしてあからさまに嫌そうな顔をしてユウマは2~3個手に取りそのまま口へ放り込む。
そしてカリポリと音を立てながらかみ砕いたのだった。
今度は水色のタブレットを1個頬張る。
カリポリと音は鳴らなかったが、
口からちょっとだけ水っぽいものがはみ出ていた。
『もう少し美味しそうには食べられないんですか。』
「無理。」
『……味自体はいいんですか?』
「味がないビタミン剤の食感をしたやたらと塩気のある干し肉とでも言おうか…。」
『意味がわかりかねます。』
「携帯食とは言え、利便性やら保存性やら考慮されているとは言え……。
生物にとって食とは最重要行為のはず、
それをここまで貶めるとは……許せん!」
『でもしっかりと頂くんですよね。』
「食べないと死んじゃうだろ~ってか今日はもう疲れたから俺寝るわ。」
そうユウマは言い放ち寝床候補の場所を丁寧に掃除した後、ゴロンと床に転がる。
幸いにも毛布を必要とするほど冷え込んでいるわけではなかった。
しかし深夜もしくは朝方になればもっと冷えるだろうとの推測は立つ。
しかしユウマはそれを考える余裕は無かったからしく
いつの間にか静かな寝息を立てていた。
『♪―我が詩を聞け!
北風よ朝露よこの地に横たわる者の守護を願う!』
リズは心地よい声でユウマの眠りを妨げない程度の音量で詩を歌った。
彼女が歌った詩は彼を護るための守護詩の一つ、
寄り添う人間を人知れず護ってきたギフト・ロイド達の力だった。
ユウマはリズを友達か何かと思っている節があり、
その点でリズと意見が分かれる時がある。
彼女は自分を人間と同等の存在とは思っていないらしく、
常に私は貴方とは違うと言っていた。
ただ、普通のギフト・ロイドとして扱われるよりは良いのかもと思ってもいた。
『これならば朝まで大丈夫でしょう。』
リズは誰に言うのでもなく横たわるユウマを見て呟いた。
『理想郷か……
ユウマ、貴方の望むものがそこにあるのならば私は止めはしません。
ですが……私は貴方と同じ人間にはなれないのですよ……?』
**********
この時代に住まう人々の間でまことしやかに囁かれている噂、
北西の理想郷がある。
人々の理想を集約したかのような内容であるためか、
時代を超えて世代を超えて、老若男女問わず口にする者は多い。
緑溢れる実り豊かな土壌、一切の汚染が認められない清らかな大河、
空気が淀みなき澄み切った空、食糧不足なんか起こるわけもなく、
犯罪率もゼロである為穏やかな雰囲気に包まれている、のだとか。
苛烈な環境に苦しむ南に住まう者達からはこの話と後、総じてため息しか出ない。
ご多分に漏れず”北西の理想郷”を求めて
ユウマのように旅に出る人間は後を絶たないが、
この手の話に決まって無事辿り着いたという連絡をしてきた者は居ない。
ユウマとリズはかなり古めかしい地図を頼りに旅路を急ぎ進めていた。
専らの理由は食糧不足ではあるが、
最大の理由はリズの稼働を実現しているデバイスのエネルギー不足だった。
当初はリズを介して最新バージョンのナビゲーション対応マップを使っていたのだが、
デジタルは万が一の時に当てにならんとユウマが言い放ち、
アナログの布地図を使用する癖をつけていた。
幸か不幸か、ユウマの備えは功を奏した。
リズのナビゲーションのおかげで何とかここまで辿り着いたユウマにとって、
半ば反抗精神とは言え、自分の判断にほっと胸をなで下ろしていた。
リズのデバイスシステムは基本的には光発電システムなのだが、
如何せん空は灰色ときている。
十分な日照時間が得られるわけもなく、
稼働限界ギリギリまで消費を抑えて対応していた。
地図によれば今日か明日にでも”北西の理想郷”のある区域にたどり着けるはず、
と言うことでいつもより足早に荒野を行くのであった。
そんな様子をリズは横目で見ながら、少し言いにくそうではあったが言葉を発した。
『質問があります、よろしいですか?』
「なんだい?」
ユウマは視線を変えることもなく、若干眠そうに返事をした。
ゆっくりとしていられないが、
リズの質問に答える余裕くらいはあると思っているようだが、
ユウマはリズを見ようとはしなかった。
乾いた大地にユウマの靴音だけが響き渡る。リズは一呼吸置いた。
『何故、理想郷へ行こうなんて思ったんです?』
リズの問いに一瞬の沈黙が訪れる。ただユウマはすぐに返答した。
「あそこにずっと居ても良いことなんて無かったしな。」
『北に向かった者は誰も帰ってこない、とも言われていたじゃないですか。』
「だって理想郷だぜ?
純粋な興味が九割、生活安定の為が一割、これが理由さ。」
ユウマは当然だろと言わんばかりに右手の親指を上げた。
リズは一体それは何のジェスチャーですか、と
突っ込みたかったが敢えて言い控えた。
『……そうですか。』
「まあ、俺には家族なんてもういねーし、ダチだって皆先に逝っちまったしなぁ。
あそこに留まる義理なんてないさ。
それに理想郷に行けばリズも人間に成れるかもしれないしな。」
『まだ言ってる。それだけはないかと。』
「なんだよ~、いいだろう俺の夢なんだから。リズの人間化計画!」
『……夢……?』
この男は、いやこの人間は一体何を考えているのかとリズは本気で思っていた。
データ存在であるギフト・ロイドが人間という生物になれるわけがない、
それは子供でも知っている事実だ。確かに視覚的に見えるようには出来るし、
対話出来るよう人格も備わっている。
だが、それはあくまでもイミテーション。そういう風に見せかけているだけ。
リズも自身がそう考えるという事を、
搭載している人格が模倣しているに過ぎないと処理していた。
だからユウマが口走っている言葉はまさに言葉通り”夢”なのだと思った。
「なんだよその反応!
俺は本気だかんな、ぜってーリズを人間にしてやる!
そして俺の彼女になってだな、余生を楽しく過ごすんだよ!」
今度ばかりはユウマもリズの方を見て力一杯に叫んだ。
そしてさも当然のような顔をして、満面の笑みを浮かべていた。
『仮に、ですよ。』
まさか私が仮定の話をするなんて、とリズは思考を巡らせながら答えた。
「おう。」
『仮に、私が人間に成れたとしても、
ユウマの彼女になるかどうかは別問題かと。』
「い~やっリズの意見は関係ない!
俺がそう決めたから!」
『子どもですか、貴方は。』
「俺のポリシーは”少年心を忘れない大人になる”だからな、うん。」
『言葉の意味と行動原理の不一致のような気もしますが……えーと呆れました。』
リズにとってユウマとは言わばマスター、基本的に彼の命令には絶対である。
だがユウマはリズと初めて出会った、つまりマスター契約の際、
リズにとっては意外な言葉を投げかけていた。
特段ユウマが珍しかったわけではないが、
実際に口にした人間はそうそういるものでもなく、
ユウマが住んでいた集落ではユウマくらいだったのだろう。
―5年前―
「君が俺のギフト・ロイドか、よろしくな!
よーし!最初の命令だ、俺の彼女になってくれぃ!」
『え、は…え?』
「名前はなんて言うんだ? 俺はユウマだ。」
『名前は貴方様がお決めください、私は造られたばかりですから。』
「そうか、まだ名前がねーのか。
ギフト・ロイドって音楽得意だよな歌ったり演奏したり。
ふむ、音つったらピアノとかギターとか? いやそりゃ楽器か。」
『……如何様にも。』
「おっし決めた!
お前は今からリズだ。 リズムの”リズ”な!」
『……リズ、畏まりました。
私の名はリズ、今後はそう呼称ください。』
「もちっと気軽くに行こうぜリズっ!
俺はお前の支配者じゃねぇ、最初の命令で言ったろ!?」
後で解った話だが、この時ユウマは友人を亡くした後だったらしい。
だからと言って、いきなり彼女になってくれとは
例え模倣の人格とは言え狼狽するというもの。
今になって思えばユウマなりの挨拶だったのかもとリズは思っていた。
『ふふふ……貴方はあの時から全然変っていないんですね。』
「なんだよその思い出し笑いわっ。」
**********
「ここが”北西の理想郷”なのか……?」
『地図上では、いえ、座標上では間違い在りません。
しかし私たちが今まで聞いてきた印象とはだいぶ異なっているように見えます。』
「これじゃまるで……あ、いやなんでもねぇ。」
『……ユウマ。』
ユウマとリズは朽ち果てた木造の家屋から出て10日後、
南方の人々から噂されている”北西の理想郷”に到着していた。
何と”北西の理想郷”は堅牢なシェルター内に造られた町だったのだ。
塵一つ落ちていないかのように整備されたメインストリートに、
適温で保たれた内部は湿気も少なく過ごしやすい環境になっていた。
さらにはシェルター内であるにも関わらず、
天井では風景がシミュレートされており、
晴れやかな青空と純白の薄い雲が映し出されていた。
だが、数々の入国手続きを経て、
あり得ないくらいに待たされた後に見た町の様子は、
己の目を疑うほどに活気の無い、どこか殺伐とした雰囲気だった。
『ここが理想郷?』
リズは躊躇したもののそのまま口にした。
町に入った後、役所らしき場所で手に入れたパンフレットによると、
先人達が確立したシステムよりここに住まう人々は全てを管理されているらしく、
人々は何もする必要はないという。
食料は定時に自宅まで自動で配給され、定められた時間に運動を行うという。
また、管理上の調整の関係で外出時間は制限されており、
許可無く外出時間以外の時間で町を歩くことすら出来ないとなっていた。
「……取り敢えずデバイスのエネルギーチャージしようぜ。」
『パンフレットによると町の西地区に相応の施設があるようですが、
利用時間が午前中の3時間のみですね。
あと外部来訪者への利用制限もあり、
午後からの1時間のみ許容されている、とのことです。』
「制限とか頭いてぇ……なんだこの町は。
理想郷ってんなら、住人の自由にさせろっての。」
『外来者用施設でもチャージ可能のようです、そちらへ行きましょう』
「そうだな。」
『こう言ってはなんですが、
人間でない私から見てもこの町は生気を感じられません。
どこかこう、何にしてもシステム化されていて、
違和感という概念が少し理解できる気がします。』
「言うなれば反理想郷ってか。」
この町へ到着してからユウマの機嫌はずっと悪かった。
何かに当たり散らしたり口調が荒くなったりするわけではないが、
リズは何となく感じ取っていた。
普段ならば会話の中に取り留めのない
”オチャラけ”を入れてくるが、ここでは一度もない。
さらに言うと小さい変化だがユウマの目つきがいつもの数倍鋭くなっていた。
二人は今後の相談をすべく町の中央部へ向かうことにした、
通り過ぎる人達の生気の無さに辟易しながら。
―外部来訪者向け宿泊施設・5304号室
冷蔵庫のドアを勢いよく閉め、
取り出した旧式のボトルに入った水を一飲みする。
あまりの美味しさと清涼感に、
ユウマは一瞬意識が遠退きそうになるのを必死に踏ん張っていた。
普段飲んでいる水と言えばタブレット状に加工されたもののみ、
生の水となると久しぶりも良いところだ。
一気飲み干したボトルを適当に放り投げ設置されているベッドに転がり込んだ。
本当に久方ぶりのベッドだったらしく、
あまりの心地よさとフンワリ感にまたもや意識が遠退きそうになった。
リズのデバイスについてもエネルギーチャージが行えるようになっていた為、
二重の意味でほっとしていた。
「リズ、この町は危険だ。」
『貴方もそう感じていましたか。
その意見には同意します。』
「なんつーか心地よすぎて、
口に入るモノは全て最高、家具の出来も申し分ない。
おまけに働かなくても自動で飯が食え、運動も適度にさせてもらえる……。」
『……何が言いたいんです?
貴方の口ぶりではここが理想郷にしか聞こえません。』
「逆だよ。」
『……は?』
「確かに噂に違わぬ理想郷ぶりだ。
あまりに至り尽くせり過ぎて恐怖心を感じるよ。
この町じゃ、人間は何もする必要がないんじゃねぇ、
”何も出来ない”んだ。
って事はだよ、この町における人間の存在理由が無くなっちまう。
ここは本当に俺達が望んだ理想郷なのか?」
ユウマの放った一言に対してリズは言葉を返すことが出来なかった。
客観的に見れば間違いなくこの町は人間達が口にしていた理想郷に相違ない。
だが、ユウマが言っている理想郷は
他の人間達が言っている理想郷とは意味合いが少々異なっている。
『ユウマはここが反理想郷だと言いました。』
「言ったな。」
『私もそう思っています、おかしな話ですよね。
私は人間ではないのに、
貴方の言う理想郷の方が本当の理想郷に思えます。』
「へへ……何年一緒に過ごしてると思ってんだよ。
以心伝心、阿吽の呼吸つってな、
言わなくても言いたいことや考えてることってーのは、
共に過ごした時間が長ければ長いほど、
相手のことを考えていれば考えているほど伝わるモンさ。」
『ユウマは精神感応者でしたっけ?』
「……昔からの言い伝えみたいもんだっての、俺はテレパスじゃねぇ。」
しばらく適当な話をした後、
部屋に備え付けられている多目的ディスプレイで、
何か面白そうな番組は配信されていないかとチャンネルを回すことにした。
だが配信されている番組と言えば
当たり障りのない時事情報番組と気象情報番組、
そして申し訳程度にアーカイブスより数百年前に作成された
映画が配信されている程度だった。
『詩が……聞こえます。』
『……それも悲しげな……旋律の。』
リズはある音楽配信番組を見るや否や、声を強ばらせる。
映像は一体のギフト・ロイドが煌びやかなステージで観客も居ない中、
美しい音色を響かせているシーンだった。
その歌を聴く者を不安にさせるようなものではないとユウマは感じたが、
リズはそうではなかったようだ。
「ギフト・ロイドのライブ配信だな、
どうやらこの町でやってるみてぇだが。」
『彼女は何故、このような場所で詩っているのですか……?』
「そりゃあ、主からそう命ぜられたんだろう。」
映し出されたギフト・ロイドはただひたすらに詩を歌っていた。
『ユウマ、彼女が歌っている場所へ行きませんか?』
**********
町の西地区、この辺りは食品製造関連の施設が多く立ち並んでいる場所で、
施設の関係者以外が訪れることは稀だった。
だがそんな区域を夜の帳も降りた頃、一人の男が疾走している。
たったったっと、リズム良く地面を蹴る音、
そして反応良く動いている方向を変える音。
時にはビルの陰に隠れ、時には道端の草木に姿を隠し、
サーチライトから上手く逃れていた。
思ったよりも警備が厳重でちょっとだけここに来たことを後悔したその男は、
リズのボスであるユウマであった。
ユウマの身体能力は他人のそれと比較しても良い方で、
地元にいた頃はそれを利用した仕事をしていた。
常人ではなかなか対応が難しい動き、
例えば10メートルの高さから降り片手一本で着地するとか、
ビルとビルの屋上を猿のように飛び回って
器具一つ使わずに地上に戻ってくるとか、といった具合だ。
今回のそれは非常にその頃と同じような動きを要求されており、
久々にユウマの心は不覚にも躍っていた。
「ナビゲーションはしっかりと頼むぜぇ。」
『了解です。』
しかしである。ライブ配信会場に行くだけだと言うのに
この厳重さはなんだとユウマは思っていた。
会場となっている建物は言わば旧時代の博物館のような場所で、
他の建築物とは一線を画している。
もちろん博物館なのだからそれなりに歴史的に価値のある物や、
研究資料などがあるから全く警備をしないというわけにはいかないだろうが、
それにしても大袈裟と言っても過言ではないくらいの警備だった。
「……こんだけ警備は厳重でも人の姿はなしか。」
『危険の可能性がある仕事は人以外がする。
確かに人に被害は出ないわけですから理想的ですね。』
「そういう町ってこったろーなっと……次のタイミングで抜けるぞ。」
サーチライトの光が一瞬別方向へ向けられる、
ユウマはそれを見逃さずに死角を狙って一気に通り抜けた。
気分はまるでお伽噺に登場する
気障でお茶目な盗賊、とばかりに足取りも軽やかだった。
「囚われの姫君よ、
今この泥棒めがお助けに参上致しますってか?」
『無駄口を叩いていると音声認識のセンサーあたりにビンゴされますよ。』
「あー……そうだねー。」
ユウマは博物館の側の通りに到着するや否や、
近くに植え込まれてあった背の高い木に飛び乗る。
博物館は警護用に高壁で囲まれており、
基本的に正門以外からの出入りが出来ないようになっていた。
恐らく正門以外の箇所から侵入したら
アラートが鳴り響くシステムになっているのだろう。
だが、ユウマはこの状況に肩を落とすわけでもなく表情を変えずに口を開く。
「何秒くらい持つ?」
『62秒です。
それ以上かかる場合は、貴方の言うこの町のブタ箱行きになります。』
「62秒かぁ、まぁ何とかなるか。」
そう言うと、ユウマは乗っている木を大きく左右に揺らし始めた。
上手く体重を移動させ大きくしならせる。
そして一番大きく通り側にしなったのを確認し、
木の反動を利用して勢いに乗り博物館の高壁を一気に越えた。
この瞬間、リズは搭載されているナビゲーションシステムを悪用して、
博物館のガードシステムに潜入、一時的に動作を停止させていた。
ユウマは地面に降り立ったと同時に博物館の裏口へと向かった、
正門よりも解放されたままの可能性が高いからだ。
幸い途中に障害となるような物体やトラップは無く芝生が生い茂っていたのみ。
この間、僅か57秒。リズの宣言した時間との差はホンの5秒だった。
無事博物館の中へ侵入することに成功したユウマ達は軽く迷子になっていた。
博物館は規則正しく設計されたビルとは違い、
階段の位置、通路の入りこみ具合、
警備システムの設置などが、独特の配置になっており
適当に進んでいては目的地に辿り着くのは難しい作りになっていた。
ユウマは近くに置かれていたリーフレットを手に取る。
上手い具合に施設の見取り図が掲載されてあった。
『……読み込み完了です、
そちらにあるマップは私の方でも呼び出せます。』
ユウマはリーフレットを元の場所に戻す前に、改めて一度見直して一笑した。
「しかし、普段の客足が伺えるな。」
『ええ、せいぜい訪れる人は一日10人程度、というところでしょうか。』
「あのリーフレット、最後に刷ったの4年前になってたわ。
……と俺達が向かう場所ってのは、ここでいいんだよな。」
『はい、あのライブ映像はここから配信されていると推定されます。』
【中世歴史資料博物館・公開メディアホール】
「リーフレットからすると、ここの2階にあるみたいだな。
急ぐか。」
―中世歴史資料博物館・2F
館内は予測通り様々な警備システムが敷かれていた。
だが、ここまでの道程に比べれば赤子同然。赤子同然なのだが、
ここはリズのサポートがあってこその経過である。
あまり乗り気ではないがリズは各システムへ侵入し、
ユウマが通過するタイミングを見て
動作停止・再起動を行い見事な連携でやり過ごした。
そして華麗に数々のトラップやセンサーをかいくぐり、
目的地である公開メディアホールに到着したのだった。
メディアホールの扉には施錠されておらず
ユウマが軽く触れると自動ドアが開く。
まるで何者かに招かれているかのようだ、と
ユウマは小さい声で言った。ホール内は照明が落ちてしまっており、
月明かりや街頭がない事も有り外よりも暗かった。
警戒をしつつユウマはホールの中央付近へと歩を進めた。
**********
『ようこそ、外界の方。
こちらへおいでになると思っておりました。』
突然、透き通るか細いながらも芯の通った声がユウマ達に向けられる。
声と同時に丁度ホールの中央付近がライトアップされ、
先ほどのライブ配信映像に映っていたギフト・ロイドが居た。
実体としての身体を持たない故に、
ユウマは気配を感じ取ることが出来ず不意をつかれた形になった。
「へぇ、最近のギフト・ロイドってーのは予見も出来るのかい。」
『……貴方が……?』
映し出されているギフト・ロイドは、
くすっと笑みを浮かべユウマの問いに答えた。
『まさか。私はそこのリズさんと同じですよ。
予見、と言うよりは貴方の動きを追っていたら
ここへ来る進路を取っていたので、そう判断しただけです。』
『なるほど、私がここの警備システムへハッキングを仕掛けた時ですか。』
おいおい、とユウマはリズに文句を垂れるも
憎まれ口を言いたくて仕方がなかった。
ユウマは喋りながらゆっくりとホールの中央へ向かった。
「……の割には、アンタんとこの警備システムはなかなか優秀だったぜ?」
ホールの中央へ近づくとはっきりと彼女の姿が見て取れた。
淡い桃色の腰まである長髪に、何かの花をモチーフにした白いワンピースを着ていた。
彼女はギフト・ロイド、姿形はどうとでもなる以上
個体の特定要素にはなり得ないが、声は間違いようがなかった。
「あのライブ配信の映像見たぜ。
ここで歌ってるのはアンタだけなのか?」
『そうです。
私はもう何年も前から毎日特定の時間にチャンネルを開き、
アーカイブスの中から曲を選び歌う。
これをずっと続けているのです。』
「はぐれギフト・ロイドってわけでもあるまいに、
マスターって言うかアンタのボスは?」
『私は町によって管理されている者。
貴方の言うマスターに該当する人間は存在していません。
言うなれば私は町の管理システムが決定したルーチンに従っているだけ。
今のこの状態は待機時の一時、イレギュラー以外何者でもありません。』
しばらくの沈黙。
ユウマは彼女の返答にこれからどう聞いたものかと悩ませていた。
マスターがいないギフト・ロイドなど聞いたこともないし、
彼女自身を詮索するような事を聞くことは気が進まないでいた。
だがそれなりに聞きたい事はある。
とは言え、彼女に会いたいと言ったのはリズである。
あんまり俺が口を出すのもな、とユウマは思っていた。
ユウマが要らぬ心配をしていると、彼女と同じ存在であるリズが沈黙を破った。
『貴女に質問があります、答えてください。』
『久方ぶりの同胞の声、私で答える事の出来る範囲であれば何なりと。』
『……貴女はここが理想郷だと思いますか?』
リズの問いに、彼女はただじっと虚空を見つめていた。
『理想郷ですか。
申し訳ありませんが、私には判りません。
私は外界を知らない、私が知っている事はこの町の事だけ。
たぶん貴女の方が私よりももっと理想郷について知っている、
違いますか?』
「……質問を変えます、聞きかたが良くありませんでした。
私達は、私達の理想郷を探しています、それでこの町に訪れました。
ですが町の状況を見て……正直、理想郷には値しないと判断しています。
人々は何もせず、全て管理システムの予定通りに事が運ぶ、
貴女もそのルーチンの中に組み込まれ、外の世界を知ることもない……。
それでも貴女はこの町が好きですか?』
すると彼女はにっこりと微笑んで首を縦に振ったのだった。
『……ごめんなさい、言い過ぎました。
私の考えを押しつけるつもりはありませんでした。』
「リズ…。」
『えっと、ごめんなさい。
貴女の詩を聞いていたら居ても立ってもいられなくなって、それで。』
ユウマは驚いていた。
普段、冷静なリズが珍しく感情的になっていたからだ。
他のギフト・ロイドと比較しても
ファジーな反応をしてくれるリズではあるが、こういう反応は珍しい。
人によって調整やら教育やら異なる部分も多いため、
一概には言えないがリズはひどく人間クサイところがある。
ユウマは驚きもしたが喜んでもいた。
リズの言動を聞く限り、間違いなくユウマ寄りの考え方だったからだ。
『いいえ、気にしないでください。
私は貴女のような同胞と話せて嬉しいのですから。』
「アンタ、名前はなんて言うんだ?
まさか名無しってわけでもあるまい?」
ギフト・ロイドは起動時に必ず命名をされる。
それがどんな状況であろうと、マスターがいなくとも。
『私の名前は”アレグラメンテ”、
この町で幾星霜を超えて歌い続ける者です。』
「ありがとうなアレグラメンテ、
俺の相棒の話し相手になってもらって。」
『リズ、貴女のマスターは面白い方ですね。
貴女をまるで人間のように、ふふふ。』
アレグラメンテの言葉に呆気にとられたのか、
リズはすぐに反応しなかった。
だが少し照れくさそうにいつもの口調で言い返した。
『こ、この人が勝手に私を人間扱いしているだけです、
私はギフト・ロイドだと何度言っても。』
「アレグラメンテ、そいつは認識が違うな。」
ユウマはコホンと咳を一つ入れて、
胸を張りえらそうにふんぞり返って言い放った。
「リズはリズだっ!
人間だろうがギフト・ロイドだろうが関係ないっ!
俺の嫁だっ!」
『だから勝手に彼女から昇格させないでくださいっ!』
『あらまあ。』
「クールそうに見えて意外と可愛いところあんだよ、アイツ。」
『一度ブタ箱に行ってこいっ!!』
リズがいつもの調子に戻った瞬間、
タイミングが悪く施設内のアラームがけたたましく鳴り響いた。
どうやら警備システムが彼等の声に反応したらしく一斉に仕事を始めた格好だ。
こうなってしまったらいくらリズのハッキングをかけてもキリがない。
ユウマはくるりとアレグラメンテに背を向け、
挨拶とばかりに片手を上げホールを出て行った。
『♪―我が詩を聞け!
暗き館へ迷いこみし子らに、
ささやかなる幸福と心の安寧を永久へ歌い続ける我が身と共に、
記憶の片隅にいつまでも。』
アレグラメンテはユウマ達が出て行った後、
ただ一人ささやかな詩を歌い続けたのだった。
その旋律はどこか心休まる穏やかな調べ、
焦りや不安を払い除ける白き風の流れ。
ユウマと共に警備システムをくぐり抜けている最中のリズは、
アレグラメンテの歌声を聞いたのだった。
彼女の詩は聞いた者を護る幸運と安らぎの調べ、リズはほっとしていた。
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翌日、いつもより2時間も早く目が覚めたユウマは
宿泊施設を飛び出したのだった。
そして町の図書資料が収められている施設へと急行する。
以前にも増してユウマの瞳は輝いていた。
『どうしたんですか、こんな朝早く。』
リズの問いかけにも応じず、
ユウマは図書資料のある施設へ入り図書の検索機の前に立った。
そして多少、操作に四苦八苦しながらもフリーワードにある言葉を打ち込む。
『理想郷……?』
「……ほほぅ、いっぱい出るじゃんか。
これだけありゃ、まだまだ希望は棄てなくて済むな。」
『へ……?』
「変な声出すなよ、
今からこの膨大な資料と睨めっこするんだからよ、
もちっとシャッキとしてくれ。」
『まさか、次なる理想郷を探すつもりですか!?』
「まさかも何もその通り。
俺達が求める理想郷はここじゃない、とすれば他を探すのが道理。
リズちゃんよ、まさかここで旅は終わりとか思ってないよな?
頼むぜ相棒。」
『ほんっとーに、貴方は変な人ですね。』
「変は余計だっての。
お前を人間にするまで諦めるわけにはいかん。」
そう言うとユウマは検索ワードから抽出された膨大な資料を元に、
図書施設内をうろつき始めたのだった。
時間は午前8時、普通ならば知識を求めて沢山の人で賑わうであろう図書施設も、
この町ではユウマだけであった。
がらんとした施設内で汗水流しながら資料を読みあさるユウマと、
必死にデータ化し整理するリズ。
彼等が求める理想郷、それはもしかしたらこの世、
この時代には存在し得ないのかもしれない。
だが、彼等は絶対に諦める事はないだろう。
希望を持ち続け前を見ている限りは。
今日もまたリズの詩がユウマを護り続けている。
終わり