第八話 昇格試験Ⅰ:備えあれば憂いなし
そして、俺は運命の日を迎えた――という冗談はさておいて。
あのゴブリンとの遭遇という不意打ちから二週間ほどが経ち、ようやく俺は昇格試験を置けることを許されたのであった。
リンに受けさせられた依頼のほとんどは町の中での溝攫いや荷物運びといった雑用がほとんどだった。想定していた冒険的な異世界生活とは勝手が違うものの、体を使う労働が多く、慣れない運動に最初は四苦八苦したものだ。
しかしそんな鬱屈した日々も、今日でようやく終わりという訳だ。
気分も明るく、すっきりとした頭で目覚めを迎えた俺は、朝の食事を終えた後いつも通りにリンの受付デスクを訪れた。
「それじゃ、最後の確認を行うわね。今回の昇格試験の依頼は、最近ミナト村付近の森の中で発見されたゴブリンの巣の駆除よ。確認されているだけでも最低十匹は居るとされているわ。ゴブリンは雌雄セットで放っておくとすぐに繁殖しちゃうから、全滅させることが求められるわ。期間は三日間、その内に討伐までを済ませれば完了よ」
「ああ、分かった」
「それで、今回の試験は依頼をこなす過程も評価対象だから、試験地にはギルドから派遣する試験官が同行するわ。試験官は基本、命の危険がない限り、手出しはしないけどね」
目線で確認を促す彼女に、俺はコクリと了承の意を返す。
「ちなみに、今回リューヤにつく試験官は私だから。言っとくけど知り合いだからって甘えたりしないように」
「分かってるさ。リンが、俺がもしゴブリンも駆除できないような弱い人間なら、無駄にランクを上げて死地に飛び込ませないようにする、って考えるほど優しい事くらい」
「一言多い!」
リンの振るった重みのある依頼帖が、ベシッと俺の頭を叩いた。
彼女は恥ずかしさからか顔を若干赤くしながら、話を続ける。
「で、この条件に納得して依頼を受領するなら、ギルドカードをここに出して」
俺が彼女にカードを渡すと、そこに記載された内容が俺のものであると改めて確認して、彼女はカードを返還した。
「はい、確認完了。これから三日の間に、ゴブリンを倒す事。頑張ってね」
「はいはい、っと」
俺は手元のカードを懐にしまうと、彼女は早速手元の本を片付けて今後の予定を尋ねてきた。
「それで、この後はどうするの?」
「そうだな……。とりあえず試験地のミナト村とやらまでどれくらいかかるかの確認と、長距離なら足の調達も考えなきゃならないかな。それと食料に、必要な荷物も揃えなきゃならないから、出発するのは早くて今日の午後かな」
「分かったわ。それじゃ、準備が終わったら声をかけて頂戴。私は何時でも大丈夫だから」
「そうか。それじゃ、早速行ってくる」
俺はギルドを出て、ひとまず馬を借りられる所へと向かった。以前、馬の世話の依頼を行った場所だ。
そこの主人に聞くと、どうやらミナト村までは馬に乗って三時間、バイコーン――額に角を生やした馬型の魔物を使ってその半分程度かかるらしい。
俺は馬に乗ったことがないのだが、さすがに馬でそれだけかかる距離を走る訳にもいかない。
そのことを相談すると、主人は笑って初心者用のものを貸してくれるといってくれた。最低限の事さえ押さえておけば、何とかなるくらいに気性が大人しい奴らしい。
随分と親切にしてくれることを疑問に思って尋ねたら、依頼の際にこちらが丁寧に対応したからとの事。どうやら以前の探索者たちは、厩舎の掃除も雑に行い、馬に与える干し草も水も周囲に散らかしていたらしい。トドメには言うことを聞かない馬を蹴っ飛ばしていたとか……それでよく仕事が務まると思ったものだ。
なにはともあれ、そういう事なら現地までの足はこれで大丈夫だろう。
主人に礼を言って出た後、俺は更にいくつかの店を回りながら必要と思われる品を揃えて、昼過ぎぐらいの一度ギルドへと戻ったのだった。
「それで、どうなったの?」
気になったのか、リンの方から問いかけてくる。
「大体の準備は問題ないけれど、馬の事が少し問題だ。俺は乗ったことがないから、今日の残りで馬に乗る練習をすることになった。それを踏まえて、明日の朝に出発することになる」
「とすると実質二日間ね……。それで巣を見つけられるの?」
「現地の村人に、これまでゴブリンをよく見かけた場所を聞いてその辺りを探っていけば巣の場所は絞り込めるだろ。後は今日の夜にでも、ガラナに村周辺でゴブリンが出そうな場所を聞いて――仕方ないだろう、試験官は手を出してはいけないんだから。それなら俺に情報を話すこともダメそうだと思ったんだ」
不満そうに頬を膨らませるリンに、これは彼女の機嫌を直すために彼女にも晩御飯を奢ることになりそうだと俺はため息をつくのだった。
そして、その日の晩。
馬に乗るための練習を終えた俺は、ギルド内の酒場で早速酒をあおっていたガラナの所で話を聞くのだった。もちろんその際、追加の皿を頼むことも忘れない。
リンは俺の姿を見かけるや否や、すぐに俺の傍へ寄ってきて、相席を要求した。
当然それを断れるはずもなく、加えてその事を茶化すガラナのせいで、泣く泣く俺は余計にリンへ一皿追加しなければならなかった。
■■■
そして翌日、昇格試験二日目――その朝。
「というわけで、さあ行くわよ!」
「だからって日の昇る前から起こしに来るのは止めて頂けませんかね……」
うっすらと地平線が赤く染まり始める頃。
大事を取ってゆっくりと休んでいた俺の部屋、その静けさをぶち破るように突然リンが乱入してきた。その手には明らかに悪用目的で取ってきたであろう、マスターキーが握られている。
二重の意味で非常識である。後で叱られても知らないが……どうせリンを可愛がっている連中の事だ。大事にはされないだろう。
「そもそも何で朝っぱらから異性の部屋に殴り込めるんだ……襲われても文句は言えないぞ?」
「大丈夫よ、その辺りはちゃんと分かってるもの。キチンと依頼条件を読む常識性、依頼者と顔を合わせた際も丁寧な対応に終始出来る人間性。そしてこの可愛い受付嬢にはナンパもせず、あくまでも一歩引いた態度。そんな信じられないほどの常識性(笑)をもったリューヤが、異性に手を出せるわけがないでしょ?」
「お前それどう考えても俺を暗に罵倒してるだろ」
「あら、ごめんなさいねっ」
イラっときながらそこを指摘すると、彼女はその可愛らしい顔でペロっと舌を出し、調子づきながら謝罪を口にするのだった。
まったく……。ただしどうやら、彼女は気づいていなかったらしい。彼女の判断したその人間性とは、今回のように挑発を受けていなければ、という前提が含まれていることに。
後から考えれば自分自身でも理解できない行動だが、この時の俺は寝起きだった。かつ、いよいよ本番という事で少々興奮していたこともあって、理性が少々飛んでいたに違いない。
彼女の迷惑な目覚まし行動に呆れて上半身を起こしていた俺は、彼女の言葉を聞いたその瞬間――反射的に、側に立っていた彼女の体を自身のベッドの中へ引きずり込んだ。
「……へ?」
ちなみに、この時の体の位置は彼女が無防備にベッドに倒れ、その上に俺が覆い被さるような形だった。
端的に言うなれば、完全に事案というヤツである。
しかし、そんなことは当時の俺は思いつきもしなかった。
「ほら、どうする?」
「なっ、なっ――」
自身が馬乗りされていると気付いた途端、リンの顔は熟れた林檎のように赤く染まっていく。しかも、服を掴んで引っ張った事により衣装が崩れ、白く淡い雪のような素肌の一部が露わになっている。
先ほどの挑発への仕返しがうまくいっているという事もあって、俺はニヤニヤしながら彼女の反応の一部始終を眺めていた。
「――っ!」
そうしていると、彼女の体が急に眩い光に包まれた。
「これで……え!? 嘘、身体強化しても抜け出せないなんて!?」
驚きの表情を浮かべるリン。
話には聞いていたが、どうやらこれが『加護』の能力の一つ、精霊の力をより強く扱う、『魔法』のようだ。この様子だと、一般的に戦闘時に使用される身体強化の類だろうか。
しかし、多少力が強くなった程度でこの状況は崩れない。
しばらく肉体系の依頼をこなして分かったことだが、俺の体はどうやら急速にこの世界に適応しているらしかった。
具体的に語るならば、日本に居た時にはまあまあ出ていた――それでも一見しただけではわからない程度にと主張する――腹の贅肉がたった一週間足らずでなくなったし、本来であれば振るうにもコツが必要な刀を、両手で使うとしてもそれなりに振り回せるようになった。いや、それなりどころか、こっちに来て二日目には反射的にとはいえゴブリンの首を一発で落としている。剣術の心得なんて、全くなかったにも関わらず。
恐らく、これが俺の『加護』――『武神の寵愛』の効果がなのかもしれない。
と、真面目な考察はさておき。
そこまで考えたところでようやく俺の思考が正気に返った。
「……あ」
改めて見てみれば、この状況は本当にアウトである。
力づくに組み敷かれたリンは、先ほどの抵抗もあってか、僅かに上気したように頬が赤くなっていた。その上で、薄笑いを浮かべながら彼女の抵抗する様子を楽しむかのような俺の姿。
客観的に見た状況を把握した俺は、即座にベッドから飛び降り、その場で土下座を敢行した。何を言われても文句の言えないこの状況。全身全霊で謝罪の意思を見せるしかない。
「えーと、その。本当にすみませんでした。この通り」
ちらっと彼女の様子を盗み見るように顔をあげる。そこには服を着たままにも関わらず、手繰り寄せたシーツで身を隠しながら、真っ赤にした顔でこちらを睨みつける彼女がいた。
「……ま、まあ?私も多少、やりすぎたかなー、なんて思ったわけだけれど?」
彼女は多少言葉をつまらせながらも、しゅるしゅるとシーツを身に纏ったままベッドから降り、
「それでもこれは許せないかなー、なんて……ねッ!」
土下座したままの俺の側頭部を思いっきり、全力で蹴り抜いたのだった。
俺の『加護』もそんな攻撃をされるとは思っていなかったのか。幸いにも首がもげることはなかったが、重く鈍い音と共に、俺の意識は一瞬ではるか彼方へと飛んでいった。
■■■
結局彼女の蹴りで気絶した俺が目を覚ましたのは、すっかり日も昇った頃だった。時刻にして、午前九時と言ったところか。
改めて装備を整えて階下に降り、食事を取って受付へと向かう。
普段通り誰も並んでいないリンの所へ足を運ぶ。
俺が訪れたことに気づいた彼女は、目をやっていた本から目を離してこちらを見たところで、顔を真っ赤にして視線を明後日の方向へ反らした。どうやら朝のやり取りを思い起こしてしまったらしい。
そしてそんな彼女の様子に気づいた男冒険者たちから早速殺意の嵐が降り注ぐ。
半分は彼女の自業自得だったので、俺だけが悪いわけではない。なので、その身に携えた剣や弓に手を掛けようとするのは是非とも止めて欲しい所である。
「……なあ」
「……」
「……おい、リン。昇格依頼に出発したいんだが」
「……」
「ずっと無視されるのは面倒なんだが。試験官だろお前」
「……やっぱりリューヤの人間性には問題があったって、今から具申しようかしら。ギルドマスターに」
「それは流石に勘弁してくれ。気が済むまで、後で謝るから」
こういう時は女性の機嫌を取るように行動した方が良い、との言葉を思い出し、俺はその場でもう一度頭を下げる。
「……別に良いわよ。こっちも多少は悪かったし。多少はね」
「そうだな、俺が悪かった。加えて後で何か奢るから、それで朝の事は勘弁してくれ。な?」
ここまで来たところで、ようやく彼女は俺の方へ向き直った。
依然として、その顔には朱が差したままであるが。
「ただ、次からはこういったことは止めてくれよ」
「分かってるわよ……次からはちゃんと剣を構えて突入するから」
「突拍子もない行動そのものを止めろと言ってるんだが」
そんな冗談を交えながら、改めて俺たちは今回の依頼内容を確認する。
「で、準備はもう出来ているみたいね。私から見ても、特に忘れ物はなさそうだし」
彼女は俺の装備を一瞥し、そう呟いた。
現在の格好は、一見して普通の村人に過ぎない。素朴な植物繊維で編まれた上下に、心臓を守る安物の鉄製プレート。この世界に来た時の服は流石にボロボロにしたくないというのもあり、部屋の中に大事にしまわれてある。
そして背には、今回の依頼に必要なアイテムを収納するための袋。
最後に唯一細かい装飾のなされた刀だけが、その中で異彩を放っている。
やはりこの刀は珍しいのか、時折この刀を狙って襲ってくる輩も居たのだが、この街は裏通りなどもきっちり警備の兵士が巡回しており、塀の外でしか襲撃をしてこない。そしてそう言った際に冒険者に求められることは、自分の身で自分を守ること――つまりは、そういったことである。さすがに殺したりは元日本人としての抵抗感があった為にしておらず、骨をへし折るくらいにとどめている。それでも前に比べては暴力に慣れたものだが。
しかしまあ、この世界に来てから全くと言っていいほど命の価値観が変化したものだ。
対人における戦闘でも、ゴブリン同様、どうという感情も湧かなかった。あのモンスターも、追剥もどきの人間も、どちらも等しくこちらを害する敵である。一旦そう割り切れば、不思議なことに後悔も自責の念も、俺の胸に圧し掛かったりはしなかった。
――それは生来のものなのか、この世界に来てからの変化によるものなのだろうか。
そんな僅かな迷いは、リンのかけてきた声によって頭の隅に追いやられた。
「それじゃあ早速、出発しましょうか」
必要な荷物を詰めた袋を背負い、俺たちは馬小屋の主人の下を訪れた。
「それでは、今日はよろしくお願いします。」
昨日一日乗馬の練習をした、赤毛のバイコーンの手綱を手渡される。
「あれ、そっち? じゃあ私も変更でお願いね」
どうやら馬を使うものと思っていたらしく、彼女は急遽バイコーンに変更したようだ。
二匹の馬型の魔物を率いて、俺たちはミナト村へと続く街の西門へと向かった。
門まで来たところで、何度か街の外での採取依頼を受ける内にもはや顔見知りとなった門番のチェックを受け、俺たちは街の外へと出たのだった。
何とか不格好ながらも馬にまたがる俺とは対照的に、リンは羽のようにふわりと飛び乗った。
「さて、それじゃあ以降かしら。……大丈夫?」
いくら昨日練習したとはいえ、やはり付け焼刃に過ぎない乗り方では不安が残る。
それでも何とか手綱を握り、股を強く締めながら、俺は彼女に応えた。
「大丈夫、大丈夫」
「そんな簡単に答えるようじゃ、本当に大丈夫とは言えなさそうね。だって、リューヤは知らないでしょ? バイコーンがどれくらいの速度が出るのか」
突然投げかけられた質問に、俺は聞いた通りの答えを返す。
「え、ここから一時間とちょっとでミナト村に着くんだろ?」
「それは慣れた人が乗った場合よ。しかも特別な個体で、ぶっ続けで。それだけの時間、激しく揺さぶれられながら、あなたは吐いたりもしないの?」
……なんだか猛烈に嫌な予感がする。
その予感を裏付けるように、彼女はこちらへ向ける表情を良い笑顔に切り替えた。
「でも、大丈夫って言えるくらいなら本当に大丈夫なんでしょうね、ええ。なにせ朝からあ私をベッドの中に引き込めるくらい元気だったんだから」
「ちょ、ま、まさか……」
「じゃ、今からミナト村まで一気に駆け抜けるから。ホントは徒歩で一日かかる距離だけど、太陽が昇り切るくらいには着けるわ――行くわよ、ヴァン、ルーサ!」
彼女が名前を呼ぶと同時に、二頭の怪獣のような声でバイコーンが猛り、地面を強く踏み鳴らす。
それはまるで、車のキーを回してエンジンをかけたようなイメージを俺に抱かせた。
やはり馬とは根本的に違う生き物だ。もはやこれは、馬の形をしたモンスターバイクだ――そう確信した刹那、俺は急激な加速感と共に、胸の奥底から湧き上がる酸っぱい感覚に襲われるのだった。
……試験官は基本的に、手出しはしないんじゃなかったんですかね。いや、朝からやらかした身としては文句を言う気にはなれないんだけど。
■■■
のそり、のそりとソレは動いた。
人の手が加わっていない自然の木々が日光を遮断する、暗い暗い森の中。
行く手を遮る数多の木々を、その図体を以てなぎ倒す。
片手には、全長五メートルはあろうかとも思われる巨大な棍棒。ただ力のまま暴れるのではなく、武器を振るうという知性を持ち合わせた生き物。
ふと、そんな彼の視界に、動く物が一つ。
己と似た姿でありながら、あまりに非弱く、小さな――獲物。
――ああ、見つけた。
あの獲物であれば、ひとまず、一食分にはなるだろう。
そう考えた彼は早速、駆けだした。
清廉な森の気配を蹂躙する、重い足音が闇に轟く。
獲物はこちらを見て、木の棒を構えて何かを叫んでいる。
それは抵抗だろうか、それとも懺悔か――いずれにせよ、彼には関係がなかった
獲物の胴より二、三倍は太いであろうその巨腕が棍棒を振るえば、獲物の頭を消し飛ばすなど造作もない。
鈍い音と共に、獲物は地面に倒れた。
後に残った、その体を包む真っ白な布を剥ぎ取り、そのまままるッと一齧り。
珍しく、柔らかい肉を手に入れ、気分は高揚する。その心持のままに、彼は大きく吠える。獲物を屠り、満たされた腹の充足感を謳うように。
「グゥオゥオウオア――ッ!!」
破壊された緑の屋根の隙間から、日の光が彼の姿を照らし出す。
森に溶け込む新緑の皮膚に、多数の獲物を狩って鍛えた極太の肉体。
そして何より目立つ、醜悪な顔面に備わった唯一無二の巨大な眼。
冒険者たちは彼を――かの魔物を、サイクロプスと呼んだ。
■■■
ざざーっ、と土煙をあげてバイコーンたちが停止する。
時刻は門を出発してからざっと二時間――その間、延々と走り続け、俺たちはようやくミナト村へとたどり着いた。
加速する寸前、俺はこのバイコーンという魔物をバイクに例えたが、それは完全に間違いだった。一応鞍や鐙などの最低限に体を固定できる道具はあったものの、サスペンションなどの振動を軽減させる道具などは全くない。時速は八十か九十キロメートルか。まるで
高速道路を走っているような感覚に加えて嵐のように激しい振動が俺の体を襲い続けた。
体が慣れるまでの最初の数分は、手綱を外さないようにするだけで精一杯だった。
しかしそのあとは急速に頭を襲う酩酊感、股座を打ち付ける衝撃の痛みが落ち着いていき、揺れる馬上でも安定した視点を得ることができるようになった。これも『武神の寵愛』の恩恵なのだろうが、その内馬上戦でもやれというのだろうか。
さて、そんな俺の乗馬の感想よりも、今は目の前のミナト村だ。
やっと到着した目的地は思ったよりも小さく、本当に一つの集落といった出で立ちに過ぎない。住人も百を少し超える程度で、木製の柵と堀で家々の周囲をぐるりと囲っている。
この村の主な産業はガリスティアナに隣接する大森林の縁における、木材の管理及び森林でとれる食材の採取だ。今回は彼らが立ち入る範囲に発生したゴブリンの巣の駆除である。
人間にとって暮らしやすい環境であるということは逆に人型の魔物たちにとっても安定した暮らしが望める環境であることを意味する。故に今回のように、時折魔物が巣を作ることがあるそうだ。
「ようこそ、ミナト村へ。あなた方が今回依頼を受けて下さった冒険者の方々ですかな?」
馬を降りた俺たちを出迎えたのは、村の長老だった。
「はい。リン・フェルト並びに今回の昇格試験を受けるリューヤ・タケガミです。この度はどうぞ、よろしくお願いします」
「いやいや、そう固くなりなさらんでも。お若い二人がこんなところへ……しかし、本当に、その、お任せしてもよろしいので?」
そう言いながら、老人はこちらへ一瞬目を移す。
確かにこんな若い人間が、しかも一人で挑戦するというのだから信頼できないのも無理はない。
「大丈夫ですよ。リューヤの実力は試験を受けるに値するものと、ギルドの方で判断を下していますから。もし彼が達成できなくとも、私一人で十分ですので」
「うーむ……」
老人は少しの間悩む素振りを見せながらも、最後にはリンの提示したギルドカードを見てこちらを受け入れることに賛成したようだ。目の奥には、最後まで俺に対する不安が映っていたが。
それでもこれ以上言ったところで他の人員が来るわけでもないと悟ったのか、彼は村の奥へと一人で引っ込んでいった。
老人の危惧する年齢の問題を解決したリンのギルドカード。よく見えなかったが、それだけランクの高いことを示す色だったのだろうか。
「さて、それじゃあどうする?一旦休むか、それともこのまま巣に向かうか。慣れてない乗馬はさぞかし大変だったでしょう?」
「あんな暴れん坊で駆けるなんて、俺は絶対に乗馬とは認めんぞ……。ともかく、今の所体調に問題はなさそうだから、このまま巣に向かおうと思う。今日は出来れば場所の確認くらいは済ませておきたいな。それで、暗くなるうちに村に戻ってきたい」
近くにいた村人に村の厩舎へと案内してもらい、二頭のバイコーンをそこへ繋ぐ。定期的に魔物の駆除に冒険者が訪れるせいか、こういった魔物の扱いにも慣れている様子だった。
その後村人にゴブリンを見かけた場所を訪ね、大まかな場所を特定してから森へ入る。
村は森を構成する一部である山の麓に作られており、その斜面の一部に存在する洞穴の中に、ゴブリンが溜まっているのだ。
村人の青年曰く、大抵の場合、この村の周辺で魔物が巣を作る場合はそこに作るのが普通との事だ。今回もそろそろ魔物が集まる時期だと予想した村の人間が洞穴に近づいたところ、武器を持ったゴブリンが徘徊しているのが確認できたので、冒険者ギルドに依頼を発注したとのことだった。