第一話 プロローグ:異世界の刀使い
――爆炎を放ち地形を変える魔法使い。
――鋼鉄の鎧を一刀両断にする剣士。
それらはきっと、誰もが一度は夢見るファンタジーの代名詞だ。
何らかの創作物に触発されて、見様見真似の呪文を唱える。剣に見立てた木の枝をどこからか拾ってきて、がむしゃらに振り回す。自身には秘められたる力があると信じて剣道場で汗を流す。古本屋に眠る黒魔術の本を読んで一夜を明かす。そんな日々を過ごし、やがて女性との出会いがないままに三十を超えて名実ともに魔法使いの称号を得る……最後のは流石に違うだろうが。
とにかく、これらの非現実的な空想に酔ってしまう事が誰だってあるのだと、分かって貰えれば幸いだ。
――さて。
もしも本当に魔法が使えるようになったなら。
世界が、そのような新たな世の中に作り替えられたなら……彼らは一体、どんな行動を取るのだろうか。
ゲームの中では初期にしか使わない、単に小さな火種を作り出せるような呪文でもいい。それが本当に使えたなら? 本来あるべきファンタジーの世界なら、魔物のような脅威を倒したり、旅の途中で暖を取る為に使用されたり……そんな光景を思い浮かべるだろう。
だがそれが――今自分たちが生きているこの社会そのものに出現したならば。
小さな火種を起こす程度の魔法でさえ、嫌がらせやイジメ、放火に爆破、焼身自殺――やがてはテロのような事態の一部として悪用された挙句、社会問題の一部として議論されるに違いない。……極端な例かもしれないが、このような行動以外にどのような正しい使用法が見いだされると言うのだろうか。既に人類は日々の生活に必要なモノを生み出す技術を確立していて、慣れない魔法よりも科学技術を扱う日常が浸透しているのだから。
そんな得体のしれないものに実際に手を出すのは、幾らか頭がイカレたような者たちしかいないだろう。
即ち今日において、魔法なんてものは今更必要でないと言い切ることが出来る。
否、必要ではないどころか、不在であることを求められるとさえ言えるだろう。なにせ、只でさえ面倒ごとの多い現代社会に、更に余計な争いを招きかねないのだから。
――それでも人々は魔法を、剣を望むことを捨てることはない。
戦乱を過ごした人々が平穏を求めるように、平和な社会に住む人々は危険な香りの漂う刺激を望む。手の届かない何かに手を伸ばす、その本能によって人は発展を遂げてきたのだから。
それは魔法のような理解不能の何かであり、剣術のような生と死の狭間を渡り歩いた先に見える何かであり。
格好良くて、美しくて。決して何者かに縛られることのない夢。
自身の全てを次の段階へと進める、未知から訪れるもの。
そんな何かを望んでいたのは、俺も同じだった――。
――そう。
だったんだ。
■■■
木々の隙間を抜ける夜風が、冷たく俺の頬を撫でる。静けさと闇に包まれた森の中で、俺は手元の明かりを頼りに歩いていた。かすかに揺らめく松明の火が、一人で大自然を探索することの心細さを強調してやまない。
季節は初秋。少しばかり葉を散らした木々のかすかなざわめきが響く度に、俺はそちらへと注意を向ける。夜の森の中には何が潜んでいるかわからない。踏んだ枯葉の音すらも周囲に響く静寂の中、俺はあるモノを探しに一人、この森を訪れていた。それは――。
――途端、何の前触れもなく鈍色の光が眼前に飛び込んできた。
反射的に身体を捻ってそれを避けた俺は、その勢いのまま地を蹴って少々距離を取った。同時に腰に下げていた剣の柄に手を掛け、臨戦態勢を整える。
「ようやっとのお出ましか。お前らを探すために、それはもう随分と時間がかかったんだ。当然、それ相応の償いはしてくれるんだよな?」
辺りを照らし出すようにゆっくりと松明を上に掲げる。
その弱々しい光に照らされて姿を現したのは、一体の子鬼。手入れが全くされていないだろう錆び付いた短剣を手に構え、乾いた血痕の着いたボロボロの衣服を着用している。
まさに、ギルドで見られる生態説明に添えられたイラスト通りの格好である。そのテンプレートな外見をしたゴブリンに、俺は答えを期待しないまま言葉を投げかける。
「丁度百体目のお前を仕留めて終わりなんだ。まったく、お前らを探して一日中森の中を彷徨ってたんだぜ? それがようやく終わるかと思うと気も楽になるわ。と言う訳で、さっさと素直にその首を差し出してくれるとありがたい」
そんな冗談を口にしつつ、俺は肩に背負っていた荷物袋をどさっと地面に下ろして地面に左手の松明を突き立てる。
そしていよいよ、鞘から剣を引き抜いた。天に輝く月の光を受けて、その刀身が妖しく銀色にきらめいた。僅かに峰の方に沿った形と、その面に浮かぶ波紋が特徴的な剣。この世界にたった一振り、俺だけが所有している――刀。
「ま、そんな事を言った所でお前らには理解できないだろうし、どうせ戦うしかないんだろうけどなぁ」
「ギィッ!ギゲギャァー……」
そんなこちらの言葉に答えるかのように、目の前のゴブリンも喋りだす。
何を言っているのかは聞き取ることが出来ない。しかし、その言葉に含まれた意味は分かる。至極単純な敵意――「死ね」だ。
「ギャグアッ!」
次の瞬間、奴の振るう鈍刃とそれを受ける刀が交わった。ギンッ、と乾いた音が周囲に響く。
「おっと」
交差した瞬間、刀を握る腕に一際強く力を込める。
技も何もない、力任せの一撃だ。しかしそんな剣でも、ゴブリンはいとも容易く反対方向へと吹っ飛ばされていった。
……やはり弱い。足の踏み込みも、剣の扱いもまるでなっていない。こちらの雑な一撃を受け流すことすら出来やしない。そもそもこいつらは物量で人間を襲うタイプの魔物なのだ。故に一体一体はさほど強い訳ではなく、こうして正面切って対峙した時点でこちらの負ける要素がない。分かってはいたが、やはりこいつらには期待するだけ無駄か。血沸き肉躍る――そんな戦いは訪れない。
「さて、さっさと片付けるかね」
力ずくで吹き飛ばされた奴の体は、大きな音を立てて近くの木の幹に激突していた。その衝撃で、枝に残っていた数枚の枯葉が地面にその身を散らした。奴は受け身も取れなかったからか、頭を強くぶつけたらしくだらだらと鼻血を流している。しかし運悪くそれで死ななかったのか、ゴブリンはゆらりと足を震わせながらもう一度立ち上がった。
その手に持った武器を確かにこちらへ向け、よたよたとバランスも取れない状態で――それでも目の前のゴブリンは、未だこちらへ向ける敵意を手放して居なかった。
そんなゴブリンを見据えながら、俺は切っ先を彼方へ向けつつ奴の下へと足を進める。松明の光が届かない程の距離だが、俺には奴の動きがしっかりと見えている。戦闘中の集中力は、俺に闇の中でもはっきりとした視界を俺に与えてくれる。この世界を訪れてから、後天的に備わった戦いのための力だ。
ゴブリンの息遣い、剣を握るために腕に込められた力加減、そういったものが全て理解できる。若干体をふらつかせてはいるが、まだ致命傷ではない。ぐったりと弱った振りを見せながら、油断して近づいた敵を仕留める算段なのだろう。
「いいな、それは知恵を働かせてくれないと面白くない」
そんなゴブリンの姿に対し、俺はニヤリと笑う。正直ゴブリン程度では少々……いや、かなり物足りないのだが、こういう戦いの雰囲気は嫌いではなかった。弱い者が巡らせる知恵は、時に強者すら穿つ。これから流れるであろう血の香りは多少はマシになるだろう――ああ、どうにも体が疼いてたまらない。
と、少しばかり戦いになりかけていたこの場を愉しんでいたようだ。我に返って咄嗟に踏み出しかけた右足を留め、俺は興奮に荒ぶる体を押さえつけようとする。
ついつい戦いに気を乗せられてしまいそうになった。これも、こちらに来てから得たものの一つ。今の俺が――生まれてから十五年間ずっと戦ったことがない俺が平然と戦うことの出来るようになった最大の理由であり、悪癖だ。
俺が自制に意志を割くと、その僅かな意識の散乱を好機と捉えたのか。
「ギャギッグァ――ァッ!」
奴が再度、先ほどよりも僅かに鋭くなった一撃を向けてくる。火事場の馬鹿力が、奴の剣筋を鋭くさせたのか。
だが、それでもまだ足りない。
迫りくるゴブリンの刃に対し、俺は刀を一閃した。雑ながらも駆け引きを仕掛けてこようとしたその態度にふさわしい、一つ前の適当な受けとは違った一太刀だ。
閃いた刀は、錆びた剣ごと相手の頭部と体を断ち切った。肉を切り裂く独特の感触が刃を通して伝わる。半分に裂けて地面に落ちたゴブリンの死体の断面は、骨や内臓など知った事かとばかりに綺麗な断面をさらけ出していた。
僅かに飛散した血が服に付いたが、それを気にせず、俺は動かぬ死体となったゴブリンの耳を抓んで目の前に吊るす。
「……うし。丁度百体目討伐完了っと」
それを斬り落とし、俺は松明を指しておいた元の場所に戻った。
傍に置いてあった袋の中を開け、その中に手に入れた討伐証明を放り込む。そこには、今入れたゴブリンの耳と同じ形をしたものが数多く詰め込まれていた。俺の記憶が正しければこれで丁度百個だ。
後はこれを所属するギルドに提出すれば、晴れて今回の依頼完了となる。
「にしても、さすがに百体討伐を一人で受けるのは時間的に無茶だったかねぇ。次は何人か誘ってからにするか」
今更言っても詮無き事を愚痴にしながら、俺は袋を背負いなおす。月は空高く上り、夜も更けた時間帯だ。ギルドに待たせている友人もいるため、これ以上時間をかけたくはない。
地面で静かにこちらを待っていた松明を再び拾い上げて、俺は来た道を駆け足で戻っていくのだった。
■■■
喉の奥から溢れ出ようとする欠伸を噛み締め、周囲の音に耳を傾けながら森を抜ける。先ほどまでならともかく、今はこれ以上の戦いは時間の無駄だ。少しでも怪しげな音が聞こえた場所は加速して通り抜け、木々の隙間を駆ける。整備された街道へ出たところで、俺は漸く落ち着いて徒歩へ移行した。
俺のような戦闘職の人間だけでなく商人や村人なども通るこの道の周辺は常に魔物が掃除されている。今回の問題点だったゴブリンもほとんど駆除したはずだし、ここまで来れば早々魔物に襲われることも無いだろう。
街に近い森の浅い所では奴らと遭遇しないこともあって、相当奥に潜り込んでいた俺は、門の前の篝火がぼんやりと浮かび上がるところまで更に二時間程度を要した。
誰とも擦れ違うことなく歩いていると、やがて巨大な石造りの街の防壁が見えてきた。近づいていくと、立っている門番たちの顔が見えてくる。腕と胴に鎧を付けた彼らは、顔見知りの男達だった。
「お、リューヤか。こんな時間までお疲れさまだな」
「どうもガルドス。それより、今日はお前らが当番なのか。そっちもこれからご苦労様だな」
「ありがとよ。……しっかし、お前も大変だなァ。幾ら学費を稼ぐ為とは言え、こんな夜中まで依頼を受けなきゃならねぇんだし」
そう言って彼は俺の背の袋に視線を向けた。
が、俺は首を静かに振ってその言葉を否定する。
「いや、今日のは指名依頼だから金稼ぎが目的じゃ関係ないさ。自主的じゃなくて強制的だし、報酬も安いし。ったく、ギルドは人使いが荒いったらありゃしないぜ。……けどまあ、人が襲われるよりマシだと思えば、別に文句もないけどな」
「ったく、そういうのをのんびり怠けて肥えてるの貴族の坊ちゃん方にぜひ聞かせてやりたいモンだ」
「別に知り合いの貴族はそんなイメージ通りの奴らじゃないから、そう言われても反応に困るんだが……。ま、そう言ったのがいるのも確かなんだけどな、それでも言いすぎると面倒事を呼び寄せるぞ。口は災いを招くってな」
「……そうだな。この話はここまでにしておくか」
「ああ。っていうか、そんなこっちの事よりも自分の心配をした方が良いんじゃないのか、ガルドス」
突然話の中心が自分に移り変わったガルドスは、不思議そうに首を傾げる。
どうやら心当たりがないようだが……しっかりと俺は知っているのだ。
「また女に逃げられたって聞いたけど? そろそろ身を固めておかないと老後が辛いんじゃねぇか、ははっ」
俺が笑いながらそう話すと、奴は途端に思い当たったのか顔を真っ赤にする。
それを見て俺の話が事実だと分かったのか、隣の門番までもが口を手で押さえて笑い出す。
「ぶふっ、ちょ、それマジかリューヤ。先輩――残念でしたね、ホント。ぷっ」
「ええい、てめぇら二人揃ってニヤニヤと……っ。ふん、良いんだよ! 女なんてこの世にゃ幾らでもいるんだから、俺が本気を出せばこう、一人や二人くらいすぐに……」
「そこで一人と言い切らない限り、お前には永遠に春は来ないだろうな」
強がりを見せるガルドスに、俺は無慈悲に真理を告げた。
すると、彼は衝撃を受けたかのようにがくりと地面に膝をついた。
「違う、違うんだ……。この俺が一生独身、だと……」
そんな風に呟きながら、頭を抱えて落ち込んだ様子を見せるガルドス。口では強気でいたが、意外と心の中では気にしていたのかもしれない。確か今回の女性で通算二十三回目、だったか。酒癖が悪いのが一番の原因で、酔うとこいつは突然他の女に手を出そうとする。そこを耐えられる嫁なんて、よほどの存在であるに違いない。もっともそんな女性が本当に居れば、の話だが。
正直、コイツが結婚するのは絶望的と言っても過言ではない。
街の全員がガルドスは結婚出来ないと考えるために、賭けをやっても成立しないくらいには。
あまりに哀れなその姿を見ていると、俺たちは笑いを通り越して逆に居た堪れない気分にすらさせられる。
「あー、なんかゴメンな、うん。世の中には言って良いことと悪いことがあるんだよな」
「だな。すみません先輩。ですが、何時までも悲しんでちゃ仕方ないですよ。当番終わったら酒、奢りますから」
「ウルセェ! 黙ってろよこの鬼畜共め! 余計惨めになるじゃねぇか……。あ、あと酒のことは言質取ったから覚えとけよ」
酒、と聞いてガルドスはすぐ立ち上がった。全く、なんとも随分と都合の良い奴だ。だから女が出来ないんだ。
そんな口に出したらマズい感想を抱いていると、奴は先ほどまでの悲しみは何処へ行ったのやら、今度はなにやら良からぬ笑みを浮かべてこちらに顔を向ける。
「でも、それに対してリューヤは良いよなぁ」
「ん? なんだ藪から棒に」
「俺みたいな哀れな男とは違って、こんな夜遅くまででも、愛すべき彼女サマがギルドでお前を待っていらっしゃるんだもんなぁ?」
「おっと足が滑った」
ニヤニヤと苛立たしい下種の勘繰りを向けられ、どうして何も我慢できようか。俺の脚が反射的に動き、ガルドスの股に鋭い蹴りを入れた。どうせ娼婦相手にしか使わないようなものだし、潰れたところで問題はない。
心なしか先ほどのゴブリン戦よりも力の籠ったその一撃は、ガンッと良い音を響かせた。
「ぐおぉぉぉッ!!」
鎧の上からでも十分な衝撃が入ったのだろう。奴はその場で跳びはねた後、股間を抑えてその場で蹲った。
「リンは彼女じゃないと何回も俺はお前に言ったはずだが? ともかく、お前の言う通りあいつが待ってるから、俺はもう帰るぜ。お前はしばらくそこで喘いでろ」
年下の男女にちょっかいを出すからだ。
悲しい声を上げる馬鹿を尻目に、俺はもう一人の苦笑いを背に受けて門を潜った。そして、颯爽とこの町の探索者ギルドへと続く大通りを駆け始める。
この街には今俺が走っている道を含めて、東西南北に計四つの大通りが存在する。それぞれが外壁から街の中心部までまっすぐに続き、この街を四つに区分しているのだ。その区画の内の一つである南東エリアが、俺の目的の建物が存在する通称ギルド区画だ。
俺が目指すのはその区画の中でも最も有名であり、また実力のあるギルド――探索者ギルド。
探索者ギルドとは、この世界に存在する独自の存在である探索者の総元締めのようなものだ。かつて初代ギルドマスターが、開拓の際に邪魔となったある地域一帯を治める強大な竜を滅ぼした時に結成した小さなパーティーが起源らしい。それ以来、未知の領域を切り拓く意思を持つ者が集う場として整備されていったという歴史を持つ。
最も現状はそういった開拓の需要も少なく、実力の低い者たちが集まってギルドに寄せられる街中の雑用依頼を日々の銭を稼ぐために受けるといった印象が強くなってしまっている。魔物の討伐を受注して日々をその他の民衆の安寧に注いでいるような奴は、多くはない。
だがこの街の探索者ギルドはその一般常識とは違い、初期の頃の荒々しく力強い姿を大きく残している。ここのギルドに所属する探索者たちは常に魔物との戦いに身を置く荒くれ者たちが多く、その実力も高い。
その原因である指導者の住む城が、俺の進んでいる大通りの遥か先で雄大に佇んでいた。
それはこの国――ガリスティアナ王国の偉大なる象徴だ。ガリスティアナとは、かつて一つの開拓団が魔物の住む森から切り拓いた土地を基に当時所属していた国家から独立して作り上げた国である。そしてここはその王都――常に魔物の脅威に対抗するための戦力が集う、開拓の最前線なのである。
故に今もなおこの街は東に存在する大森林から現れる魔物による襲撃が多く、そのような場合によく駆り出されるのが探索者ギルドなので、ここのギルドの実力は他の街のものと比べて一歩抜きんでているのだ。それ故にギルドの建物も非常に大きく、迷わず一目で見つけることが出来る。
夜にも関わらず壁に掲げられた松明に照らされ、町の中で最も高いその建物には探索者ギルドの証である竜の紋章が大きく翻っていた。
「よいしょ、っと」
辿り着いたギルドの扉を開くと、その中からは深夜だからこその明るい光と騒ぎ声が漏れ出て来る。このギルドは入り口周辺が所属メンバー専用の酒場となっており、この日の依頼を終えた連中が次から次へと酒や料理を注文しては、明日の朝までどんちゃん騒ぎを繰り広げるのだ。
未成年の俺も時折仲間や各地の魔物の情報を集めるするのに利用するのだが、生憎今は時間がない。それでも酔った知り合いなどが向こうから勝手に話しかけてくるのだから、困ったものだ。
何とか早めにその人ごみの中を抜けようとするも、早速頬を酒色に染めた一人の女が肩に手を回して来る。
「よぅ久しぶりだねぇーリューヤ! 今日は何やってたんだお前ぇはぁー?」
「近づいて来ないでくださいよ。酒臭いんですから、セリナさん……。こっちはさっきまで周辺のゴブリンを狩ってたんです、疲れてるからさっさと帰って寝たいんで。分かったら手を離してください、おっと変な所に手を回すんじゃありません。痴女かオノレは」
アルコールがまわり始めて熱くなってきたのか、半ば開かれていた彼女の立派な胸部はこちらにとって毒でしかない。それを押し付けて来る彼女を何とか理性で押し離すと、今度は以前組んだパーティーの奴らが無理やり手にした酒を口に押し付けて来る。
「依頼終わったんだったらこっち来いよリューヤ! 今身内で酒盛りやってるから!」
「見れば分かるっての。つーか誰がンな酒臭いところへ行くか。匂いだけで酔いそうなんだが」
「そんなの分かってるわよ、よって今日はアタシと寝ましょー? 良いユメたっくさん見せてあげるんだからぁー……」
「なにが「よって」だ、意味分かんねぇよ。そしてファスよ、お前が女だったらその誘いに乗らんでもないが、男に言われたら萎えるだけだね。それにテメェのパーティーが前に飛竜の情報を伝えずに連れてって突然『囮よろしくね(笑)』とか押し付けてきたのは忘れてないんだぞコラ」
まあ、俺としてはその際に飛竜の素材を幾つか手に入れられたので良しとしているのだが。それを敢えて口にせず、次の機会までの貸しにしておく。所詮世の中なんてこんなものなのだと、こちらに来て早々に学ばされた。
その後も何度か話しかけられては引き剥がしてを繰り返し、ようやく俺は奥の方に存在するカウンターへと辿り着く。数あるその中から知り合いの受付嬢を探そうとしたのだが……時間をかけるまでもなく、彼女は案外簡単に見つかった。
「おーい、起きてくれ、リン。今帰ったぞ」
というのも、彼女は自身が担当するカウンターで腕を枕にして寝ていたからだ。しかもご丁寧に口の端から涎を垂らしている始末。こんな遅くまで待たせたのはこちらだが、職務をサボるのはまずいだろうに。
呆れと申し訳なさを混ぜ合わせながら、気持ちよさそうに眠るその額を軽く指で弾く。
「ふぇっ!? ……ん、リューヤ? ゴブリン狩り終わったの?」
「ああ、ほんのついさっきな。ついでに言っとくが口から涎が垂れてるぜ。どんな夢を見てたのかは知らんが、さっさと拭いた方が良いんじゃないか」
俺が指摘すると、彼女は慌てて制服の袖で口元を拭った。その際に胸に掲げられたギルドカードが小さく揺れる。
彼女の名はリン・フェルト。金に輝く長い髪を纏めたポニーテールと前髪の隙間から覗く橙色の瞳がチャームポイントの、こちらと同年代のうら若き乙女である。そして非公式ながら、このギルドの看板娘という地位に納まっている。ちなみに今は大人しく受付嬢をやっているものの、本業は双剣を巧みに操る剣士でもある。そんな見た目も実力も高い彼女とパーティーを組みたいと願う探索者は多く、実際に背を預ける仲間としてはかなり高く評価されている。
もっとも、職務中に良い夢を見ていたらしき今の様子からは、そんな剣を振るう姿など微塵も予測がつかないが。
「ほらよ、討伐の証明部位だ」
「はいはい。それじゃ数えてくるわね」
カウンターの上にゴブリンの耳の詰まった袋を背中から降ろして置くと、それなりの重量が有るハズの袋を彼女は軽々と片手で持ち去っていく。
奥で彼女が耳を数えている間に、俺は一度カウンターを離れて依頼掲示板に張り出された依頼に目を通しておく。ここ数日で出されたのは《火山地帯の調査》、《レッドモンキーの捕獲》、《ソードウルフの皮の納品》……どれも簡単なモノだし、明日には今日の酒代で依頼量を消し飛ばした後ろの奴らの手で消えているだろう。
次はどれを受けようかなぁと迷いながら眺めていると、五分ほど経った頃にカウンターに戻ってきたリンから呼び声がかかった。
「はい、確かに依頼の百匹分丁度あったわ。依頼達成は完了よ。今回の報酬はこっちね。後、ギルドカードを更新するから出して」
彼女の手の平に懐から取り出した白い光沢を放つカードを置く。表面が銀色に輝くそれは、彼女と同じ銀ランク探索者の証だ。探索者はその力量によってランク付けされており、一目で識別できるようにカードの色がそれぞれ分けられている。
赤から始まる虹の七色と、その上に位置する金属の色で構成されているランク付け。銀は紫、銅に続くランクであり、探索者としては一流と評しても問題ないランクだ。
俺の場合は少しばかり特殊な事情で上がっているのだが、目の前の彼女は正当な手順でランクを上げている。ぶっちゃけこのギルドの中でも上位に食い込む猛者なのだ。
そんな彼女はギルドカードを更新用の魔法具に数秒ほど翳し、表示された魔法陣をちょこちょこといじってからこちらに返却した。
「にしても一日でゴブリン百体なんてよくやるわね。しかも一人でだなんて」
報酬とカードを懐に片付けていると、ふと彼女がそんなことを呟いた。
だがしかし、そんな依頼を今朝がた押し付けてきたのは目の前の彼女なのだという事を俺は鮮明に覚えている。
「この依頼を受けさせたのはお前だろうが。そんなことを言う位ならお前が着いてきてくれればよかったが」
「やだ、めんどくさい。指名されてたのはリューヤだけだし。なんで私までたかがゴブリンの為に一日山の中で潰さなきゃならないのよ」
「自分でも面倒な依頼を知り合いに受けさせるなよ……。まあ、過ぎたことだし良いけどさ。じゃ、今日はもう帰ろうか。俺もいい加減眠いし、お前もそうなんだろ? なにせ涎を垂らすくらいなんだし」
「うっ……うるさいわね。受けさせたのは悪かったわよ、だからもうそれは言わないでちょうだい。それじゃ私ももう上がるから。着替えてくるし、ちょっとそこで待ってて」
リンはそう言ってそそくさと奥へと引っ込んでいった。
今は、俺たちの年齢からしてみればもうとっくにベッドの中にいるべき時間帯だ。しかし俺とリンはこのような時間になってもそれぞれ依頼をこなしていることが多い。というのも、俺たちは来年の国立学園入学へ向けての学費稼ぎに忙しいからだ。
リンは両親が幼い頃に蒸発しており、祖父母もとうの昔に魔物に襲撃されて無くなっている。俺はこの世界に親なんて居るはずも無く、あてになる親戚も当然存在しない。よってそれぞれで金を稼がなければならない。まあ、リンは昔からの貯金があり、俺も最近予期せぬ大きな収入が立て続けに入っているため、当面困らないだけはあるのだが。それに学費がギルドの補助を受けられる条件に当てはまっているため、これでも色々と恵まれている。それでも金はあるだけ損はない。
この街に来て顔を合わせて以来、境遇が若干似ていることもあってか、俺たちは気づかぬ間に自然と意気投合して今に至る。リンのシフトは本来十時までなのだが、今日のように俺が遅くなる時は帰ってくるまで待っていてくれる位には仲がいい。逆もまたしかり。今日も一日無事だったことを知らせるために、帰宅するときは二人揃って帰るようにしている。
もっとも、早寝早起きがモットーのリンは十一時くらいを過ぎると早々と睡魔に身を委ねてしまうのだが。それでもここのギルドのメンバーも俺たちの事情を知っているためか無理に起こそうとはせずにそのまま寝かしておいてくれる。それはそれで有難いこと……なのだけれど。
ただ、リンに対して少し過保護すぎることが問題なのだが。
たまに来る新人(男)が看板娘であるリンに変にちょっかいをかけると、無言で誰かがギルドの建物裏に連れていく。そして、目が虚ろになってただ「ゴメンナサイ、ゴメンナサイ」と繰り返すだけの壊れた人形のようにして帰ってくるのだ。
幾ら暗黙の了解の内に入っているとはいえ、あれは流石に過剰だと思わないでもない。基本的にギルドは探索者同士の争いに無干渉だが、ここではもはやそれが一種の名物と化してしまっているのだから。
俺の場合はそういうナンパ行為を行わなかったから無事だったらしい。その事実を知った時には生まれて初めて、日本で育まれた自身の良識に感謝したものだ。今はもう、半分くらいお亡くなりになってしまったが。
「リューヤ、着替え終わったわよー」
「ああ。それじゃ行くか」
相変わらず後ろでギャーギャー騒ぎながら俺とリンを冷やかす探索者達の声を無視し、ギルドからさっさと外へ出る。扉を閉じれば奴らの声が消え、空気は打って変わって静かになった。
人もなく落ち着いた雰囲気が満ちた通りの中を、俺たちは特に話すこともなく歩いていく。普段ならばある程度は話題もあるのだが、今日の俺は疲れであまり口を開く気にもなれなかった。しかも話せる内容も、一日中ゴブリンを倒す事に費やした程度しかない。
「ん?」
だらだらと歩く途中、不意にリンがくいくいっとこちらの袖を引っ張った。
そちらへ顔を向けると、若干恥ずかし気に視線を逸らしたリンが口を開く。
「リューヤ、お腹が空いちゃったんだけど」
「なんだ、唐突に……。というか、寝る前に食べたら太るぞ」
「大丈夫よ、問題ないから。それに女の子にその言葉は禁句よ」
こちらの足に放たれた蹴りを甘んじて受け止める。……というか、どうしてそのネタを知っているんだ。
それはさておき。まったく、面倒だな。
ついでとばかりにさりげなく肘鉄も打ち込まれた脇腹をさすりながら、俺は自身の記憶をたどる。
こんな時間にやっている飯屋がどこかにあっただろうか。
と、確か少しばかり先を曲がったところに、夜の間にも賑わっている繁華街があったはずだ。屋台や酒場、それ以外にも娼館やらが固まった区域。普段はあまり訪れないところだが、今更探索者ギルドの酒場に戻るのも面倒だしそちらへ向かおうか。
「まあ俺も腹が減ってたし、良いか」
そちらに足を踏み入れると、早速良い匂いが漂ってくる。それに気づいたリンが、こちらを置いてその源へと足早に向かっていく。
慌てて彼女の背中を追いかけると、その先には香ばしい匂いを漂わせている道端の屋台があった。そこでは一人の店員が、せわしなく網の上で串に刺さった肉を手を動かしていた。網の上で焼かれているのは恐らく魔物の肉にタレをかけた一品。所謂ヤキトリみたいなものだろう。
「フニュゥゥー……おいしそう」
追いついた彼女は、店主が動かす手元の肉を食い入るように見つめていた。その口からは、またもやみっともなく涎が垂れ始めている。
「あーあ、とりあえず親父さん、焼いてるそれを二本ばかりくれ」
彼女の口元を拭きつつ、俺はこちらに気づいた店主に注文する。
「へーい! っと、こんな夜遅くに彼女連れでお遊びかい? 若い内にそれは感心しないぜぃ?」
「残念ながら想像してるのとは違うんだ。これでも探索者ギルドの帰りなんでね、単なる仕事ですよ」
「そうかい、そんな若いのにこの時間までとはね……苦労してるみたいだな。ま、気を付けたほうがいいぜ。お前はともかくそっちの嬢ちゃんは別嬪だからな。じゃ、二本で百八ルストだよ」
「ご忠告どうも。ま、俺たちもそこら辺の奴ら相手ならどうとでもなりますから」
「はい、まいどありー」
先ほどの報酬から幾つかの貨幣を掴み取り、それと引き換えに袋に入ったヤキトリの串を受け取ろうとする――その瞬間、香ばしい匂いに惹かれたリンが素早い動きでそれを奪い取って離れていってしまった。
彼女は乱雑にその中の串を三本引き抜くと、勢いよく頬張り始める。……三本? 注文したのは二本だったはずだが。
彼女を追いかけながら咄嗟に店の親父を振り返ると、何故か親指を立てて返事をされた。どうやら先ほどの話で余計な心配をさせてしまったらしい。なんて親切な親父さんだろうかと感動していると、そんな事も知らない隣のリンは、バクバクと串から肉を引き抜いては胃の中に収めていく。
慌てて袋の中を覗き込むと、残っている串は僅か一本。
「なんでお前が俺の分まで取ってんだよ。どう考えても一人二本だったろうが」
「こんな遅くまで私を待たせた分。悪いのはそっちよ」
そう言われると反論のしようがない。ため息をつきながら、今度逆の立場になった際に晩飯を奢ってもらおう、と心の中にこっそりと書き加えておく。
そのまま肉を齧りつつ徒歩で十数分。漸く俺たちが使っている家屋へと辿り着く。見た目はボロボロになった一軒家だが、その中身は買い取った後にきちんと整備して補強してある。二階へ続く階段でリンと別れてから、俺は自身の部屋である一階の奥にある小さな一室へと進む。
俺の自室はそれはもうぐちゃぐちゃなもので、かつての部屋と変わらない。パソコンのコードなどが散乱していることはないものの、代わりに服や装備などが床の上に雑に放置されている。
そんな部屋に入り、適当な壁に剣を帯ごと外して立てかける。そして、俺は水浴びをする気力もなく上着を脱いでベッドへと倒れ込んだ。魔物の返り血は大したことがないので、近くに落ちていたタオルで見える限りの血痕を拭い取る。
ぐったりとしながら寝っ転がっているとふと、窓の外から差し込む清浄な月の光に目を奪われた。そのまま外の夜空を覗くと、今日は雲一つなく澄み渡っていた。開け放された窓から流れ込む涼しい空気をゆっくりと味わっていると、やがて睡魔が俺の意識を連れて行こうと足音を響かせてきた。
そのまま目を閉じて眠気に身を委ねていくと、瞼の裏に今日一日の出来事が映し出されていく。
――なんだかんだで、今日もまた充実した一日だった。日本では決して味わうことの出来ない、自身の持つ全てを絞り出すような日々。それが日に日に、目覚める度に新たな活力が体の底から湧いてくるかのような清々しさを感じさせてくれるのだ。
ネットもテレビも無く、身の安全を守るのは己の力量ただ一つ――こんな異世界生活も、悪くはない。
そんな事を考えながら、俺は数か月前、この世界に来た始まりの頃を思い出していた。