その3
剣士の必要以上の暴行が続き、薄れゆく意識の中で空の声が聞えた。
初めは幻聴かと思ったが、剣士が動きを止めた合い間にぼやけた視界で、彼女の姿を見つけた。
剣士がゆっくりと振り向き、空を指差した。
「オ前ガ、石ヲ持ッテイルノカ?」
『石』とはトレスから預かっているこのペンダントだと、空には見当が付いている。
一瞬でも、トレスから注意を背けられたら……と胸に手を当てて頷いた。
「逃げろ、空!!」
そう叫びかたかったが、息も絶え絶えの彼には指一本すら動かせない。それでも歯を食い縛り、剣士が投げ捨てた得物に必死に手を伸ばした。
「渡セーーーー!!」
悪魔が乗り移った剣士の足は加速して、みるみる内に空を捉えた。
トレスは渾身の力で剣を掴み、空に襲い掛かる剣士の背中目掛けて得物を投げつけた。それは、いち速く反応したノーサが彼女の前に躍り出て、狂気の剣士の胸を切り裂くのとほぼ同時であった。
マリーナの中止の命令を聞くや否や、ノーサは数段ある階段を一気に飛び越えて、空の元へ降り立ったのである。
腹部と背中に剣が突き刺さった剣士が、絶命していく様子を確認したトレスはそのまま気を失った。
闘技場で気絶したトレスが目覚めたのは、あの騒動から三日後だった。
混沌とした意識で目を開けると、飛び込んできたのは赤い髪だ。
「フロ……ラ」
切れ長の瞳は既に涙で溢れている。
「うぐ……トレ……ぐす」
もはや嗚咽で言葉にならず、ノーサが代弁した。
「心配したぞ。三日三晩眠り続けたんだ」
そんなに経ったのかと、状態の酷さを実感する。
-空は無事なのか……。
「彼女は無事だ。かすり傷一つない」
トレスの想いを察したのか、ノーサが穏やかな笑みで教えてくれた。
「そうか……」
「もう少し早く助けられたら、お前にこんな怪我負わせなかったのに!!」
悔しさのあまりシーツの端を握り締めるフローラの手に、大きなトレスの手が重なる。それは傷だらけで痛々しい。
「あれは陛下にも止められなかったんだ。どうか責めないでくれ」
「トレス……」
-いつもそうだ。自分よりも他人の心配をする。だから、お前を放ってはおけないのだよ……。
流れる涙を袖で拭くとフローラの表情が落ち着いたものとなり、これまでの状況を振り返る。
「確かにいつもの陛下なら真っ先に中止なさる筈なのに、今回は様子が変だった」
「精気が抜けたような……、操られているといった方がしっくりくるか」
ノーサとフローラは首を傾げているが、トレスにはメイルの仕業と承知していた。
「あの剣士はどうなった」
「それが跡形もなく消えたんだ」
「消えた?」
「ああ。黒い霧と化して、何一つ証拠が残っていない」
時空を超えて空の世界へ送られてきたリバルバ達の最期と同じ現象に、トレスの予想は確定する。
-間違いない。リバルバの雇い主は、トータム・メイルだ。
「とにかく、今はゆっくり養生しろよ。左とう骨及び尺骨骨折、長時間の殴打における全身打撲。これでよく動けたと医師団も驚いていたよ」
自分ならとっくに意識を失っていたと、ノーサは若干呆れた口調だ。
「今、トータム・メイルから事情を聞いている。調査が進めば、真相も明らかになるだろう」
本当にそうだろうか……。
トレスの心中はまだざわついている。
厨房の外に置いてあるベンチに、膝を抱えて座っている空がいた。
たった今、ノーサからの使いでここを訪れた剣士から、トレスの目が覚めたと知らされて大きく息を吐く。
「よかった……」
あの時、迅速な動きでこちらへ向かってくる剣士を間一髪、ノーサが立ちはだかり護ってくれた。
男が黒い霧となり散っていくと、医官や近衛隊達が一斉に闘技場へ雪崩れ込みトレスの元へ駆け寄る。
ケルカスが抱き起こすも、トレスの応答はなく閉ざされた瞳は開かなかった。
顔こそ目立った外傷はなかったがぐったりと横たわるトレスは、威風堂堂ではなく流木のように憐れみすら感じられる。
やがて、フローラやマリーナに付き添われて担架で運ばれる彼を追い掛けたが、途中一人の近衛隊に止められた。
「お願いします!! そこを通して下さい!!」
懇願する空を、無情にも剣士が首を横に振る。
「駄目だ。ここからは立ち入り禁止となる」
それでも尚も、剣士の横をすり抜けて通ろうとする空と押し問答になったところへ、ノーサが割って入った。
「落ち着いて、ソラちゃん。今はこんな状況だから規制が厳しいけど、落ち着いたら会えるから」
「トレスに何かあったら私……」
栗色の髪を振り乱して大きな瞳に涙をためる空に、優しく微笑んだ。
「大丈夫。あいつは頑丈だから、死にはしないさ」
この台詞はノーサ自身にも向けられていた。
-俺との決着もついていないのに、勝手に逝く無責任な男じゃないよな。
「ちゃんと君の無事を伝えておくから、今日はゆっくりお休み」
穏やかなノーサの口調に冷静さを取り戻した空は、一礼して近衛隊の一人に付き添われて場を離れたのだった。
彼の親切を疑う訳ではないが、やはりこの目でトレスの無事な姿を見ないことには不安な気持ちは消えない。
-やっぱり、トレスに逢いに行こう!!
厨房を抜け出して迷路のような城内の彷徨っていると、見覚えのある赤毛の女剣士がいたので慌てて呼び止めた。
「フローラさん!!」
「ソラか。怪我がなくて何よりだ」
「あの、トレスに会いたいんですけど」
空の勢いに押されてフローラがまごついていると、返事も待たずに行ってしまおうとしたので腕を掴んで制した。
「ちょっと待て。場所を知っているのか?」
「あっ!!」
自分は一体何処へ向かおうとしていたのか、この時初めてトレスが入院している場所を知らないことに気付いたのだ。
「意識が回復したばかりでまだ起き上がることすら出来ないが、もう少ししたら見舞いに行けるはずだ」
「そうですか……」
と、肩を落として項垂れる空が不憫に思えてくる。彼女もトレスを慕っているのは薄々感じているし、恋のライバルなのだが今回は緊急事態なのだ。
-危険を顧みず、トレスを助けようとしたんだ。その健気な心は無視できないな……。
「分かった。私についてこい」
秘策があるのか、フローラは空の腕を掴んだまま足早にある所へ向かっていった。
「あの、準備終わりました……」
「支度が済んだか。うんうん、なかなか似合っているぞ」
空が恐る恐る更衣室から出てくると、その身には白と赤のナース服を纏っていた。
「これでトレスに会えるんですか?」
やや高い位置にあるフローラの顔を上目使いで見る。
「ああ。面会は限られた者だけだ。そこへいくとナースは出入りしても不審に思われない」
きっぱりと言ってのける彼女が、急に輝いて頼もしく感じるから不思議である。
念には念を入れてナースキャップは深く被り、なるべく顔が目立たないようにしておいた。
フローラの後をついて長い廊下と幾つかの角を曲がり、ある一室の前へと到着した。ドアには護衛隊が左右に立っていたが、上級位のフローラは無条件で部屋へ通される。
扉を開けると白を基調とした清潔感のある部屋の奥に、置かれたベッドに目がいき胸が高鳴った。
-トレスが逢える……!!
先にベッドを覗いたフローラが振り向いて手招きをしたので、空もそっと近付く。
「寝ているようだな」
小声で言うと空が頷いた。久々に見るトレスの寝顔に口元が綻んだ。




