その4
土曜日の午後ともなると、空のバイト先であるディスカウントショップも客足が絶えない。
衣料品の補充をしている空の目に留まったのは、男性用の下着だった。
ー洗い替えの下着もいるよね……。ずっと穿かないって訳にいかないし。
トレスのサイズなど検討もつかず、下着売り場の前で唸っていると「何、見てるの?」と、柳井に声を掛けられて慌てて目線を下着から外す。
「それ、男性用だよ?」
「そ、そうですか。いやあ、最近のってお洒落なんですね」
苦しい言い訳に、柳井を首を傾げていたが恥のついでに質問してみた。
「柳井さんって、服のサイズ何ですか?」
すると、彼はにやりと笑っている。
「あれ? ひょっとして僕にプレゼント?」
「違います!」と、思い切り断言する空に柳井は苦笑した。
「そこまできっぱり否定されると傷つくなあ」
「すみません! 友達のお兄さんに頼まれたんです。ここなら、値段も手頃だし」
弁解すればするほど、どつぼにはまる空が気の毒になったのか、柳井は服を何枚か選んで渡した。
「これなら無難だと思うよ。サイズは小さい物より大きめの方がいいし、Lサイズで大丈夫だよ」
彼女の頭にぽんと手を置いた柳井は別の売り場へ行ったのを確認すると、空は大きく息を吐く。
よりによって、下着を物色しているところを見られるなんて……。そして、見た人物が柳井でよかったと心底ほっとした。
いつもより長く感じた勤務も終わり、空は一目散に売り場へ走っていった。
柳井は急きょ早番のシフトに変更になったので一時間前に帰っている。
彼が選んでくれたライムグリーンのシャツと上下の黒いジャージ、Tシャツとトランクスを其々二枚ずつ買い物かごに突っ込んで、急いでレジへ向かった。
こういう時に限って、知り合いに会う確率が高いことを空は知っているからだ。
「ただ今!」
空が部屋へ帰ってくると、どうやって点けたのかテレビにかぶりついて見ているトレスがいた。
「服と下着、買ってきたから着替えていいよ」
衣類でぱんぱんに膨れ上がった買い物袋を逆さまにして、勢いよく床にばら撒く。
その音で、ようやくトレスがこちらに気付いた。
「サイズや好みが分からなかったから、取り敢えずこれで我慢して」
トレスが手元にあったシャツを目の高さに掲げてじっと観察していると、空から服を脱げと矢の催促だ。
言われるがままにビロードのような光沢のあるロングコートを脱ぐと、すかさず空がハンガーに掛けて壁に吊るした。
「随分使い込んでいるんだね」
「最高位の剣士だけに与えられる服だ。捨てるなよ」
そのくらい弁えているよ、と口を尖らせて値札をハサミで切っていく。
「トレスって凄い剣士なんだ」
空を一瞥するトレスは、気のせいかドヤ顔だ。
ーこの人、自慢している……?
昨日の今日で、トレスの性格が分からなかったが結構な自信家に違いない。
「ちょっと待って!!」
次々と服を脱ぎ、上半身インナー姿になったところで空が叫んだ。
「お風呂場があるからそこで着替えて。ついでにシャワー使う?」
怪訝な表情の彼を浴室に連れていくと、簡単に使い方を説明する。
「要するに、これを回せばいいんだな?」
と、蛇口を回し始めた。
「あっ、まだダメ……」
「!!」
コンマ数秒遅かった……。
勢いよく吹き出したシャワーの水が二人に襲いかかった。
しかも、服を着たまま……。
慌てて水を止めた空は恐る恐る横を見ると、全身ずぶ濡れのトレスが物凄い形相でこちらを睨んでいる。
「だから、まだダメって言おうとしたのに……」
空は首を竦めた。
憮然としたトレスが浴室を出ようとしたので、怒ったのかと思った空が呼び止めた。
「何処行くの!?」
暫く間が空いて、やがて言いずらそうに口を開く。
「先に着替えろ。風邪ひくぞ」
さっさと浴室を出ていった彼に空は呆気にとられた。
ー案外、気を使ってくれるんだ。
シャワーを浴びて体を拭いたところではたと気が付く。
ー私の着替えがない!!
友人がこの場にいたなら、三段の衣装ケースから下着一式を持ってきてもらうのだが、男のトレスに頼むのはさすがに気が引ける。
しかも、彼もびしょ濡れなのに待っていてくれているのだ。
仕方ない!!と、最終手段に打って出た。
ようやく、浴室のドアが開いたのでトレスが入っていくと、彼女の姿に声なき悲鳴を上げた。
空の最終手段とはバスタオルを裸体に巻き付けて移動するものだったが、意外と豊満な胸には少々寸足りずで際どい。
「急だったから着替え準備できなかったのよ!!」
「そ、そうか。悪かった」
恥ずかしさと気まずさで涙目でキレる空を、直視しないようにトレスは必死に宥めた。
足早にトレスが浴室に入っていくのを背中で感じた空は、珍しく自分のお人好しを後悔した。
こうして、怒涛の週末が過ぎて月曜日の朝を迎えた。
今朝の空は大忙しだ。
朝食二人分に、自分の弁当プラストレスの昼食を準備しなければならない。
彼の食生活はよく分からないが、この世界の食べ物は受け入れられたのでひと安心である。
「お昼ご飯はこれ食べて」
テーブルに置いてあるおにぎり二つと卵焼きを指差した。おにぎりの大きさは、体育会系と踏んで特大サイズである。
冷めた昼食で申し訳ないが、慣れない家電製品を使って大惨事になるよりはましで、その点はトレスも同意してくれた。
朝食を済ませた空は息をつく暇もなく「行ってきます」と、慌ただしく家を出た。
学校での昼休み、玲奈と智美と三人で昼食を摂っているが空は心ここにあらずだ。
ーちゃんとご飯食べたかなあ。退屈していないかな。
トレスに関してはほぼ軟禁状態に近い生活だが、彼はテレビがいたく気に入ったらしく不満は漏らしていない。
この心配する気持ちは何かに似ている。
そう、子どもの頃親に内緒で捨てられた仔犬をこっそり自分の部屋で飼っていた時と同じだ。
空は、幼い頃から何でも拾ってくる子だった。
捨てられた仔犬、巣から落ちたひな、道路に転がっているマスコット人形……。
拾ってくる度に母親から叱られているので、一度は見て見ぬふりをするのだがどうしても気になって仕方がない。
そして、また戻って来て手を差し延べる―――
「ねえ!!」
玲奈の声に、空は現実に戻った。
「なに?」
「何じゃないよ。今の話、聞いてた?」
「あ、ごめん。なんだっけ?」
「駅前に可愛い雑貨屋がオープンしたから行こうって話」
そう言えばそんな話この前してたな、と記憶の糸を辿る。
「明後日なら空いてるよ。部活、休みだし」
体育会系男子並みの特大弁当を平らげた玲奈が言うと、智美も手帳を広げて頷いた。
「私も大丈夫だよ。塾ないから」
「私も……」
言い掛けた空の脳裏に仔犬……ではなくトレスの顔が浮かんだので語尾を濁らした。
空は一人暮らしで何かと大変だろうと、空気を読んだ玲奈は軽く笑った。
「まあ、店は逃げないからまた今度にしよう!!」
「逃げないけど閉店するかも」
空気が読めない智美の脇腹に、玲奈の肘鉄が入る。
「落ち着いたら連絡するね」
空と玲奈は弁当箱を片付け始めたが、智美だけは脇腹を抱えて呻いていた。