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居候の剣士と高校生のわたし  作者: 芳賀さこ
剣士、現る!?
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その1

 一人の青年が、闇を切り裂きながら馬で駆けていく。

 追われているのか、後方から複数の馬の蹄の音が鳴り響いた。

 どのくらい走っただろうか。

 湖に辿り着いたのも束の間、荒い息を整える暇もなく追手の姿が肉眼で確認できる距離まで迫ってきた。

「止まれ!!」

 追手の怒号に、彼はおもむろに振り向いた。

「大人しく石を渡せば命まで取らない。優秀な剣士を無駄に失いたくないからな」

 十数人の男達が合流すると、青年はぐっと拳を力強く握った。もはや彼に、石を渡すという選択肢はない。

「さあ、渡すんだ、ティエラ・トレス」

 トレスと呼ばれた青年は、静かに目を閉じてすうっと息を吸った。

 そして意を決して、三日月が映し出された湖の水面に引き込まれるように身を投じた。




 朝日がカーテンの隙間から差し込み、ベッドで眠っている少女の顔を照らした。

 それが合図のように目覚めて、近くにあるであろう携帯電話をまさぐり開くと……

「うそ!? 充電切れてる!!」

 黒一色の画面に、少女の意識は完全に目覚めてパニックになった。携帯電話のアラームで起床するのが日課なのだが、昨夜のうちにバッテリーが切れていたらしく今朝は沈黙していたのだ。

 慌ててテレビを点けて時刻を確認すると7時30分。通っている高校から家まで自転車で全速力でとばして20分……と、逆算しながら身支度を素早く整えると急いで家を出た。

 それからの少女は、競輪選手よろしく猛ダッシュで通学路を自転車で疾走していった。

 努力の甲斐あって、朝のホームルームまであと5分というところで教室に滑り込んで、ゼーハーと乱れる息のまま自分の席に着く。

 この朝からついていない彼女は蒼井空17歳。聖林高校に通う二年生である。

 大きな瞳にふっくらとした唇、セミロングの髪は生まれつきの栗色で間違いなく『可愛い』の部類に入るが、本人はまるで自覚がなく今日も寝癖のついた髪を気にも留めない。

「間に合った~」

「おはよう、空」

 彼女の登場を待ってましたとばかりに、二人の女子が机を囲む。

「しっかり者のあんたが遅刻すれすれとは珍しいね」

 右側にいるのは佐川玲奈。バスケ部のエースで、170センチの長身はそこらの男子にも引けを取らない迫力である。ショートカットに勝気な瞳、きゅっと締まった口元はシャープな印象を与える。

「ケータイの電池切れてて、目覚まし鳴らなかった」

 トホホの空は大きく溜息をついて机にうつ伏した。

「それでも本能で起きるところが凄いね」

 この声は本多智美。頭脳明晰で学年一の成績を保ち続けているが、何処か日本人形を思わせる黒髪の不思議ちゃんだ。

 そうなんだよねえ、と空が言い掛けた時に担任が現れたのでいそいそと友人達も席に着き始めた。


 遅刻すれすれの朝から始まって、その後もドタバタ感が拭えず慌ただしく下校を迎えた。

 空はバイト、怜奈は部活、里美は塾と三人は昇降口でそれぞれの第二部の生活へと散って行った。

 大勢の生徒達に交じって緩やかな坂をオレンジ色の自転車で下っていくこの瞬間が空はとても好きだった。

 風を切り、学生達をどんどん追い抜いていく優越感に酔いしれながらいつしか商店街に突入して、道を一本隔てた食堂が空のバイト先である。

 自転車を路地裏に停めて裏口から入り、奥の部屋で制服から黒地のTシャツにジーンズ、赤い前掛けに着替えた空を出迎えたのは、同じ格好をした五十代半ばの夫婦だった。

「こんばんは!」

「お帰り。今日も頼んだわよ」

 明るい声の主は杉本久恵、この食堂『ふくちゃん』の財布を握っている人物である。少しふっくらとした体格だがよく動くしよく気がつく。気さくで笑顔を絶やさないので、客の中には人生相談を持ち掛ける場面も少なくない。


 時計も7時を回ると疎らだった席が次第に埋まり始めて、8時ともなると会社帰りのサラリーマンでごった返してくる。これを久恵と空で切り盛りしなくてはいけないのでちょっとした戦争である。

 カウンターとテーブル席が4つしかないのだが、客足が途絶えない。久恵の人柄もあるが、主人である福太郎の料理の美味さによるところも大きい。妻とは対照的に、厨房で寡黙に腕をふるう彼の料理は派手ではないが、味わい深くほっとする家庭の味で単身赴任者や独身に人気がある。

 次々と注文と会計を繰り返すと、久恵が壁時計を見て空の肩を叩いた。

「空ちゃん、もう上がっていいわよ」

「あっ、もうこんな時間? それじゃあお先に」

 この店では酒も提供しているので学生の空は夜の九時まで、しかも週二の勤務が採用の条件だった。

 前掛けを外して奥の部屋に荷物を取りに行こうとする空に、「はい、これ」と煮物が入っている密閉容器を一つ差し出した。

「ありがとう!」

 嬉しそうに受け取ると、厨房にいる福太郎と目が合った。彼は、口元を少しだけ緩ませるとまた視線を料理に戻した。

 ここに働き始めて半年になるが、毎回のように料理を分けてくれるので一人暮らしの空はとても助かっているのだ。

「久恵さん、さようなら」

「気を付けてね」

 ぺこりと頭を下げて空は店を出た。



 空は自転車で家路を急いだ。

 カレンダーは九月でも、まだ残暑が厳しくじっとりと汗が滲んでくる。

 それにしても、今日は朝からツイていなかった。携帯電話のバッテリー切れで遅刻しかけるわ、財布を忘れて昼食代を友人から借りるわ、おまけに苦手な古典であてられるわ……。思い出すだけで落ち込む。 


 ー家に帰ったらお風呂に入ってすっきりしようっと。


 これからの行動を考えながら、自宅のアパートまであと十メートルという所に差し掛かった時だった。


 キキ―――ッ!!


 辺り一帯にけたたましくブレーキの音が鳴り響く。

 突然、空の前に人が出てきたので慌てて自転車のブレーキを力一杯掛けて、あわや衝突寸前で急停止した。

 おもむろに目を開けると、その人物もこちらを見ている。

 街灯に照らされたその顔は若く、夏も過ぎようとしているのに黒っぽいロングコートを羽織り、重々しい服装にブーツまで履いている異様な出で立ちにぎょっとした。

「……大丈夫ですか」

 恐る恐る声を掛けてみたが、若者の瞳は焦点が合っておらずぼんやりとしたものだった。

 ようやく口が開き何か呟いたが、よく聞き取れないのでつい耳を近付けると……。

「ちょ、ちょっと!!」

 いきなり、若者が空に抱きついてきた。というより、彼が気を失って空に凭れてきたのだ。

 脱力した若者の体は予想以上に重く、支えきれなくなった彼女はその場に座り込んだ。

「もしもし!! 大丈夫ですか!?」

 必死に呼び起こしても反応がない若者に焦燥した。


 ーとにかく、警察に連絡しなきゃ。


 鞄から携帯電話を取り出したが、ボタンを押す指が止まった。何故か、騒ぎを大きくしたらいけないという直感がしたからだ。

 辺りを見渡すと幸いなことに誰もいなかったので、急いで若者を自転車の荷台に乗せてアパートの前まで来た。

 だが、問題はここからである。

 空の部屋は二階にあるので階段を上らなければならない。ありったけの力を振り絞って、一段一段足を踏み外さないように若者を背負って上がり、やっとの思いで部屋に辿り着いた。

 疲労困憊の空は、申し訳ないと思いつつ若者を荷物のように床に勢いよく下ろした。

 息を整えて居間の照明を付けると、若者の全貌にあっと息を飲む。

 若者の髪は美しい藍色で、しかも腰に差しているのはファンタジー映画で観たことがある剣ではないか。

 明らかに一般人ではない装いに、空の鼓動は速くなる。


 ー俳優さんかな? 撮影で迷ったとか


 ひたすら、このとんでもない状況を納得しようと思いつく理由を考えてみたものの、どれも理屈が合わず結局これは夢だと無理矢理結論付けた。 



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