*<今回の地震が東京に到達する時~わたしが帰宅するまでの話としてお伝えします。皆様の判断の一助になれば幸いです。>
今回の大地震で、大変な想いを今も余儀なくされている方々がいらっしゃいます。
わたしに出来ることを一つでもしておきたいと思いました。
ちっとも面白くない話ではありますが、東京都内の身近なエッセイをここに記します。
その日、わたしと家族達は次のように過ごしていました。
自宅(東京都足立区)には息子と妹がそれぞれ帰宅していました。
僕は職場(品川区)にいました。 (自宅と職場は東京都のちょうど端と端に位置していました)
わたしは品川の職場で地震を体験しました。震度5だったかと記憶してます。地震体験車と同じくらい揺れました。
(その後も激しい余震は数十分置きにずうっと続きました)
震源地からの距離感を考えると、自宅の方がもっとひどかったのかと思い、被害がすごく心配になって連絡を取りました。
職場の固定電話でようやく自宅の息子に連絡できた(携帯は反応しなかった)んです。
そして、自宅では棚の上に置いたものがかなり落ちたらしいけど、幸い息子も妹も犬も猫も無事だとわかって安心したんです。
(猫は妊娠してるくさいのでよけいに心配だったのです)
あと、かみさんとは地震直後に一度だけ連絡ついたのですが(かみさんは浅草で知人と食事中でした)、その時にはまだ楽観視していたのです。
きっと数時間待てば電車も動くだろう。そんなふうに思えたのです。
しかし時間が経つごとに焦り始めました。 (かみさんはパニック症持ちなので、何かあったら死んじゃうんじゃないかと思ったのです)
そして仕事場を定時直後に出発。
電車に乗ろうと大井町駅まで行ってみたけれど何にも動く気配もなくて、仕方なく品川駅まで1時間歩いていきました。
既に道には道路まで溢れる人たちが歩いていました。
途中のラーメン屋などは軒並み大行列でした。(まずは空腹を満たすものなんだなと思ったものです)
コンビニはどこも人で溢れています。
たどり着いた品川駅はありえない人の海でした。
タクシー待ちは数百人(数えられない)。電話ボックスにも60人以上の待ち。
駅は半分電気も消えていて、「今日は電車は動きません。できる方は職場で待機してください」などとアナウンスが繰り返されていました。
結局また歩いて職場までわたしは戻ります。
途中道を間違え五反田方面に。ガソリンスタンドのスタッフが親切に道を教えてくれ、「お気をつけて!」と全員に声を掛けられたのは嬉しかった。
足を引きずり職場に戻りました。そしてひたすらの待機。激しい余震は絶え間なく続きました。
深夜、もしやと思って携帯メールを新着確認すると・・・メールでかみさんが帰宅できた事をようやく知りました。(どうやらメール通知がずっとされていなかったようです)
ようやく一安心して、明け方に上司と駅まで行きます。しかし駅が開かない。
仕方なく開いていた居酒屋でやけ酒を。。。しかし一時間くらいで締め出されてしまいました。
運良く避難場所を教えてもらい、毛布にくるまってようやく少し眠りました。
(しかし寝ている最中も余震で目が覚めます)
復旧見込みを聞いて避難所を後にし、駅のホームに立ったのは7時・・・しかしホームで2時間待つも電車は来ない。
とうとう歩いて品川方面へ向うことにします。
途中、青物横丁駅で動いていた電車に乗って品川駅に行けました。
(しかしそこには昨夜と同じ人の海が)
電車待ちの行列にうんざりして、再び歩きます。
歩いている途中の事です。何人もカメラに撮影する人々がいて、何事かと見てみると・・・東京タワーの先端が少し曲がっていました。
そして人波に紛れて田町駅へ着きました。
ホームで1時間くらい待ち、なんとか京浜東北線に乗れました。
もみくちゃで何人かはケンカしていたけれど、それでも意外なほどみんなが労わりあっていたのが印象的でした。(笑顔も多かった)
上野駅で電車を降り、乗り換えようとホームを下りますと、乗り換え待ちの大行列。まるで映画のようでした。
しかし地下鉄日比谷線はなんとか乗り換えできました。
北千住で電車は折り返し運転をするために、ホームへ降ります。(これまたすごい人混み)
わたしは人混みを乗り越えてなんとか駅外へ出ました。(ここでもタクシーやバス待ちの人がたくさん・・)
わたしは歩いて川を超えて橋を歩きました。
空が実に青く、長い家路を歩く人々は心なしか暖かい表情をしていたのがとても印象的でした。
そして13時過ぎ頃。(情けないことに足の感覚が無くなっていました)
家にたどり着き、わたしは家族と再会を喜び合ったのです。
(バカみたいに喜んで泣いたのです)
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数時間前までは余震の度にみんなが怯えていましたが、ようやく安心してきたようです。
・・・わたしの経験した地震の近況はそんな感じです。
これは、震源地の方達とは比べ物にならない幸せなケースなのだと実感しています。
それですら、帰宅難民となって家族と離れ離れになってしまう怖さがありました。
なによりも家族を心配するのが本音でした。
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わたしはたったの一晩でした。地震の被害も受けませんでした。それでも不安で一杯でした。
未だにわたしの想像もつかないくらい辛い思いを強いられる人々がいます。
はるかに楽なレベルからの報告ですが、今回の震災の”度合い”が
どれほど深刻だったかが少しでも伝われば幸いです。
一人でも多くの方が助け合えますように。
シュリンケルより。