のぞき井戸
私の家には井戸がある。庭の隅に直径一メートル程の穴が、円くぽっかり空いている。普段は危ないから木蓋がされている。
木陰の下、やけに湿気じみた土の香を従えて、目の前、灰のコンクリートは円柱状に私の胸元まで伸びている。
蓋を外して覗けば、そこに広がる世界は果たして…。
二十四にもなってそんな幼心が湧き上がってくる。ああ、なるほど。これが男の子の言うスカートの中だと得心した。普段は見えない、その中身を妄想して心は高揚する。
だが私は、そこでは止まらない。
恐る恐る木蓋に手を伸ばせば、ポロリ端が小さく割れて落ちた。どうやら朽ちている様だ。しっかりと持ってみれば、それはスカスカのスポンジの様に軽く、細身の私ですら外すのは造作もなかった。
今眼前には、切り拓かれたスカートの中がこちらを覗けと口を開けている。
――高鳴る心臓。浅い呼吸。鼻の奥を僅か血の匂いが掠める。
意を決して、息を大きく吸い込み、中を覗けば――、
井戸の縦穴は地上近くまで土で埋められていた。底は簡単に見えた。地下帝国も、秘宝も、古代遺跡も…、そこには何一つ入っていなかった。
私の口から漏れたため息だけが、その穴の中を埋め尽くした。
そんな時――、
ザッ、ザッ、ザッ、ザッ。
と足音が近づいてきた。
はっと止まった心臓。ゆっくりそちらを向いてみれば――、黒の長髪で顔を隠して、白い服を着た、母親だった。
ほっと胸を撫で下ろしながらも、この蓋を開けてはいけないと言われていたことを思い出した。
まずい、このままでは叱られる。こういうときは先に謝った方がいい。
「…ごめんなさい。私、その、興味本位で…」
頭を下げたその視界の隅を、母親は何でもないように通り過ぎて井戸に蓋をした。案外怒っていないのかもと頭を上げてみると、母親はやはり何事も無かったかのように、玄関の方へと歩いていく。
良かったと空を見上げればもう昼時。日は高く昇っていた。
「お母さん。お昼ご飯何?」
背中に投げかけた言葉に返事は無かった。
――深淵を覗くとき、深淵はこちらを除いている。