8.2人の笑い声
匙浜花。碧乃島高校1年。
2週間前に最悪な印象を受け、1週間前には印象ががらりと変わった。
俺と同じ軽度認知障害を患っている女の子。
確かに来週話をしようと言われていたけど、こうもあっさり行き会った事には驚きを隠せない。
俺とは違い、この女の子には確証があったのだろうか。自然すぎる挨拶には、何度かこうして会っているかのような錯覚を覚える。
「ふふ。どうしたの? 立ってると疲れちゃうよ?」
「あっ、はい……」
自分でもどうしていいか分からないまま、とりあえず言われた通りに椅子の方へ向かう。流石に隣なんて無理なもので、間を空けて座ってみた。
(えっと……とりあえず言われるがままに座ったけど、どうしたらいいんだ?)
「葵君?」
とりあえずは当たり障りのない会話で乗り切るしかない。
そう考えて視線を向けると、匙浜さんがこちらを覗き込むように見ていた。その姿に何とも情けない声が零れる。
「はっ、はい?」
「ふふ。緊張してる?」
(緊張? そりゃ同じ年の女の子と1対1なんて機会、滅多にないから!)
「そっ、そりゃ……」
「だよねぇ~。私も最初はそうだった。でも何回か経験すれば慣れてくるよ」
その発言は妙に納得がいく。
匙浜さんの容姿については、失礼ながら先週話をした時にちゃんと確認をした。突然話し掛けられたという事もあってマジマジとは見れなかったものの、こうして見ると結構な美人さんだ。
二重瞼にクリっとした目。少し茶髪っぽい髪の毛は染めているのだろうか? 地毛なのだろうか? どっちにしろ綺麗な顔立ちには似合っている。その容姿であれば、男と話す機会なんて十分にあるのだろう。
「そんなもんなのかな。だといいんだけど」
「大丈夫。私も慣れたんだからさ?」
(やっぱその容姿じゃ場数が違うんだよな。俺の様なサッカーしか考えてないやつとは)
「そっか。匙浜さんは昔から?」
「う~ん。ここ数年かな?」
(っと、あれ? 数年? なんか意外だな)
「数年か。それにしたって俺より先輩じゃん)
「それはそうかも? ふふっ」
(容姿も才能の内ってか。顔ばっかりは練習じゃどうにもならないからなぁ……)
「でも、葵君もすぐ慣れるよ? 御神本先生は本当に良い先生だから」
「そう……ん? 御神本先生?」
「うん!」
会話の中に突然現れた御神本先生の名前に、少し違和感を感じる。そもそも異性との1対1の経験の話をしていたはずなのだけど……
「えっと……匙浜さん? つかぬ事聞くけど、今何の話を?」
「えっ!? 何って、定期診察の話でしょ? 緊張してるって葵君言ったじゃない?」
(はい? てっ、定期診察!? ちょっと待ってくれ? だったら俺、物凄い勘違いを……)
「ぷっ。ははっ」
その事実に気付いた瞬間、思わず笑いが零れる。
「えっ? どうしたの葵君」
勘違いとは言え、こうも上手い具合に会話が続くのかと思うと笑わずにはいられなかった。
それと同時に、ここへ来るまでの不安なんかもどこかへ消えてしまった気がする。
「なっ、なんでもないよ!」
「嘘だぁ! 急に笑い出して~私の顔に何かついてる?」
「葵さん~、葵日向さん? 診察室へどうぞ~?」
(ちょうど良いタイミングで呼ばれたな。じゃあ、気合入れて初診察行かないと)
「全然全然。じゃあ行って来るよ」
「あっ、待ってよ~理由教えて~?」
「本当、なんでもないから。それに匙浜さんはちゃんと綺麗で美人な顔してるから、心配しないで?」
「だから~って、えっ?」
こうして匙浜さんのおかげですっかりリラックスできた俺は、足取りも軽く御神本先生の待つ診察室へと足を運んだ。
◇
「葵さん、お疲れ様でした」
「ありがとうございます」
時間にして20分弱程だろうか。
無事に最初の定期診察を終えた俺は、診察券を受け取り1階のロビーへと足を運ぶ。
流石に外来の受付には匙浜さんの姿はなくて、ちゃんとしたお礼を言えなかった事は残念に思った。
ちなみに記念すべき最初の診察は、言うなればほとんどが雑談の様なスタイル。
基本的に御神本先生が色々と話を振ってくれたおかげで、変なよそよそしさも感じる事もなく砕けた話が出来た気がする。その辺りは先生の人柄と言うか優しい雰囲気も相まってか、流石としか言いようがない。
もちろん変わった事や、不安な事なんかも聞かれたけど、現状は殆どない事を告げると診察は終了。来週も待っているという先生の言葉と共に見送られた。
(とりあえず、良好って事か。なるべくストレスを感じない様にね……)
「あっ! 葵君!」
「うおっ」
こうして診察を思い返していた時だった。突然呼ばれた名前に驚いていると、目の前に匙浜さんが立っていた。
いつぞやと同じようなシチュエーションのような気がしたものの、今日はちょっとばかし違っている。なんというか少し怒っているような、そんな風にも見えた。
「うおっ! じゃないよ? もう……今日行き会ったら色々聞きたい事あったのに……いきなり笑って診察行っちゃうんだもん」
(……あっ、やっぱりさっきの事か? 確かにあのままじゃ誤解を招きそうだ)
「ごめんって! あれは本当に何でもなくて、俺の勘違いだったんだよ」
「それに関しては、色々と疑う余地ありだけど……とりあえず置いておこうと思います」
「いや、本当なんだけど……」
「それは後々明らかにするとして、えっとね? 葵君とはちゃんとした自己紹介したいと思うんだ。どう?」
(自己紹介? 言われてみれば俺の方はちゃんと言ってなかったな)
「確かに自分の事なんも言ってないな」
「私だって、最低限のことしか言ってないからさ? 同じ境遇と言うか、折角知り合えたんだし……仲良くしたいなって」
(マジか)
同じ年で同じ悩みを抱える人と仲良く出来るなんて状況は、なんとも有り難いものだった。
そうなれば返事は決まっている。
「俺なんかで良かったら……是非仲良くして欲しいよ」
「やった。決まりだね? ふふ。じゃあ、改めて自己紹介しよう?」
「そうだな。じゃあ俺から。明進高野高等学校1年、サッカー部所属の葵日向です」
「おぉ~! じゃあ私も。碧乃島高校1年。帰宅部の匙浜花です!」
「えっと、その……これからよろしく」
「こちらこそ、よろしくね?」
「……ははっ」
「……ふふっ」
(とりあえず……なんか頑張れそうだ)
静けさ漂う土曜の病院。そのロビーに、2人の笑い声が響いていた。
次話も宜しくお願いします<(_ _)>