エリックの溜息
「店を紹介してもらった礼じゃ、好きな物をなんでも頼むが良い。払いは全て儂が持つ」
席に着くなりマヤ殿は大変豪儀な事を仰った。
私が選んだのは、平凡な、きっと他の町にもあるだろう普通の料理店である。
幼い頃は両親に連れられて何度か訪れたけれど、最近はめっきりご無沙汰。稼げるようになってからは一人で来てばかりだ――決して家族の仲が悪い訳ではないけれど、冒険者を目指す私を快く思ってないのに無理矢理連れ出すのは忍びない。
なので大体の料理は知っているつもりだ。好きな物と言われてもそんなに頼むつもりはない。
しかし、その旨を伝えるとマヤ殿は珍しく頭を下げ、
「頼む、一人で制覇するには限界があるんじゃ」
と言ってきた。
この人はそんなつまらないことで頭を下げるのか……。私の知るマヤ殿はもっと居丈高で尊大で嫌味なところもあって、それでもなんだか頼れそうな人格者の一面もあるイメージだったのに。
だったのに、一気に情けない人に見えてきた。
第一、どうして制覇する前提なんだ。
「おかしなことを言うの。名前を見て味が分かるなら誰も金なんて稼がんじゃろ」
「だとしても全部注文する必要はないのでは? 場所は分かったのですから日を改めるとか」
「いや、できれば今日中に満足できるものを見つけたい」
「今日中ですか」
「あまり時間が無いのでな」
ああそうか、そろそろユエちゃんの冒険者ランクが上がる頃なのか。
なんだかんだ言いつつも大人として考えているのだろう。味を考えている辺り、ユエちゃんの微妙な好みとかも把握してるのだろうか。普段はあんな憎まれ口を叩いているのに、昇格のお祝いを考えているなんてやっぱり人格者ではないか。私の目に狂いはなかった。
「儂はもう労働者の湯漬けだらけの日々は嫌なんじゃ!」
マヤ殿は喚いた。
大の大人が子供のみたいに。
「それなのに毎度毎度労働者の湯漬けで良いなんて言いおって! その癖自分は他の常連からちょこちょこつまみを食べてからに。何の当てつけなんじゃ! 毎度毎度半分以上食わされる儂の身にもなれ」
「……それなら別な店を選べばいいのでは?」
「儂にも立場というものがある! 飽きたから他の店になんて言ってみよ。あの馬鹿のことじゃ、すぐ調子に乗るに決まっておるわ!」
聞けば聞くほど同情の余地がなくなってくる。
人格者ってなんだっけ。
「だから奴の居ぬ間に色々食べたいんじゃよ。一つのものも分け合えば楽しめるじゃろ」
「私の中でマヤ殿がだんだんと小さくなってきたんですが……」
「随分と買い被っておったようじゃが、儂なんて案外普通じゃぞ?」
普通と言うには急に小物感が出てきましたが?
小物と言うか子供、それ以下だ。一度でメニュー制覇なんてあの頃の私でも考えなかったぞ。
それでいて、千年以上生きているなんてのが単なる冗談に聞こえないような力を持っているのだから侮れない。せめて長生きしてるのなら、それなりに大人なところを見せてほしい。私の認識が変わる前に。
「確かに制覇なんてのは大人げなかったかの」
「私も食べきれないので考え直してください」
「では主にいくつか見繕ってもらおう。できれば子供向けのものが一つ欲しいところじゃな」
「ユエちゃんのためですか」
「儂のためじゃ」
素直じゃないのは大人なのか子供なのか、私には判断しかねる。
しかし、ここで素直に子供向けのものを頼んだばっかりに、先にユエちゃんの昇格を祝われるのはなんだか面白くない。それが保護者役の特権だとしたってだ。
私も捻くれるべきか否か。
悩んだ末、私が両親と連れられてきた時によく食べていた、アルミラージ腿肉のバターソテーと卵のパーカーを注文した。マヤ殿は物足りなさそうな顔をしていたが、足りなかったら好きな物を注文してもらおう。どんな料理も冷めてしまっては美味しくないのだから。
そう言ったのはあの頃の父だったか。
運ばれてきた料理の香りに、どうやら昔の記憶も釣られてきてしまったらしい。
子供っぽい気がしていつの間にか注文しなくなっていたけれど、少し焦げた肉とバターの香りが目の前にあると無性にお腹が空いてくる。
「骨付き肉とゆで卵と野菜のサンドとは変わった組み合わせじゃの。こういうのはてっきり外で食べる物じゃと思っておったが」
「お弁当ですか?」
「まあ、そんな感じかの」
「他の肉はともかく、バターソテーは冷めたら美味しくないですよ。冷めたら臭いが強くなりますし」
「ふむ。それでお勧めの食べ方は?」
「庶民の店にそんなマナーなんてありませんから、食べ方なんて自由ですよ。手は汚れますけど骨を掴んで食べれますし」
「なるほどの」
そう言いつつも、マヤ殿はナイフとフォークを使って丁寧に肉と骨を切り分けて口へ運んだ。
「あー……久方ぶりの肉じゃ。噛み応えのある肉じゃ」
アルミラージの腿肉なんて貴族からしたら大した肉じゃないのに、恍惚の表情を浮かべるマヤ殿。これまで何を食ってたんだろう。
あ、労働者の湯漬けか。
「これを食べれただけでもここに来た甲斐があったわ」
「お気に召されたようで何よりです」
私は卵の入ったパンを広げ、間に腿肉を挟んだ。
これなら油をパンが吸って子供が食べても汚れにくいと、昔よく母にやってもらった食べ方だ。
あの頃の私は卵のパーカーと肉は別々で食べたいと不満を抱いていたのはよく覚えてる。
きっと大人みたいに上手に切り分けて食べたかったのだと、今日まで思い込んでいたけれど、こうして改めて食べると不満の理由がよくわかる。
ゆで卵と肉の相性が非常に悪い。
好きな物同士なのに一緒に食べると美味しくなくなる不思議を、どうやら私は自分自身にも伝えられずにいたようだ。
「なるほど、そう言う食べ方もありか」
「いいえ、無しですね」
「その割には笑っておるが」
「自分の失敗に笑ってただけです」
無しだと言ってるそばから肉と一緒にパーカーを頬張るマヤ殿。
今しがた私が肉を外してるのを見てなかったのか。
「……確かに最悪じゃ。脂っこい上に生臭い、最悪のゆで卵パンになってしまった」
「だから言ったじゃないですか」
「良い顔で食われては試さずにはいられん。何事も経験じゃ」
「そんな顔してました?」
「儂がまずい組み合わせに挑戦する程度にはな」
それは自己責任です。私に文句を言われても困る。
「ところで主は両親と仲は良いのか?」
「なんですか突然」
「主の顔を見ていたらふと気になっての。ま、儂が親と言う生き物をよく知らんという事情もある」
「よく知らないって、ユエちゃんのご両親は」
「それもまた複雑な事情でな。そんな事でも無ければ儂の様な人間に娘を預けたりはせんよ」
確かにそれはそう。私がユエちゃんの家族だったら絶対に止める。
こんな怪しい人間になんて、どんな大金を積まれたって受けたりはしない。
「そういう訳じゃから、主の視点から見た親と言うものを聞いてみたいんじゃよ」
「そんなこと言われても何を話せばいいのか」
「……なるほど、悪い両親ではなさそうじゃな」
そう言ってから、肉を頬張る。
「身に着けている物、普段の仕草、そして今の反応。どれをとっても子供にそれなりの時間を費やしていると見える。そんな親が悪いはずがあるまい」
「そこまでわかるものですか?」
「親孝行な子も親不孝な子も儂は等しく見てきたのでな。主は孝行な子じゃろ。親不孝者なら悪口の一つでもとっくに出とるはずじゃ」
「……どうでしょうね。親の反対を押し切って冒険者を目指してますから」
「従順なだけが孝行ではあるまい。血筋を絶やさぬために親兄弟が敵対する者らがおるんじゃ、親を越えようとすることもまた、立派な孝行じゃろ」
「私はそんな立派なものじゃありませんよ」
その例えに合わせるなら私は血筋を絶やす側だ。
私は肩を竦めた。
「はん、その生真面目な性格は親譲りかの」
「かもしれませんね」
「であれば、主の両親の仕事は職人と言ったところかの。主の持ち物を考えればそうじゃな……、革職人と言ったところか」
「よくそこまで分かりましたね」
「そんな事しか分からんよ。あんなまずいものを笑って食べた主の気持ちが分からんようにな」
「根に持たないでください」
「根には持っておらんよ。生真面目な主があんな食べ方をした理由が気になっているだけでな」
生真面目と食べ方に関連性があるんだろうか。自分でパンに具材を挟むのはマナーが悪いとか?
しかし、母がそんなマナーが悪かったとも思えない。
「……子供の頃に母にやってもらってた食べ方ですよ。ああすればあんまり汚れないからって」
「主の母は味音痴か何かなのか」
「味音痴では無いですよ。普段の料理は美味しいですから。……あんまり深く考えてなかったんだと思いますよ。私の好きな物同士だから一緒にしちゃえとか、多分そんな感じ」
「であれば一度、母に食わせてやるべきじゃな。こんなまずいもの食わせるなと。なんなら儂が食わせに行ってやりたいくらいじゃ。どうも母君よ。パン食わぬか。と」
しっかり根に持ってるじゃないか。
私の母に何をするつもりだ。
「しかし食わせねばまたやりかねんぞ。人間の記憶なんていい加減じゃからな、いつの間にか主の好物にされて、子供の頃と同じように食わされるんじゃ。言葉で言っても伝わらぬ」
「……やたら感情が篭ってません? 親を知らないはずでは」
「同じ目に遭ってきた人間がそれだけ多いというだけじゃ。あと、本当にまずかった。二度とやらん」
「そこまで言いますか」
「そこまでじゃ。そこまでのものを大人が一度経験すれば二度とやらんじゃろうな。現に主も肉を外したしの」
「食事は美味しく食べたいですから」
「主の言う通りじゃ。さて、食後の腹ごなしにちと散歩をせぬか?」
そう言ってマヤ殿は立ち上がる。
食べたのは肉とパーカーしか食べてないのに、満足なんだろうか。
「もう食べなくていいんですか?」
「食えぬものは仕方あるまい。また次の機会じゃ」
メニュー制覇と言ってたのは何だったのか。まあ私は構わないけれど。