はじめてのクエスト
世の中にはいろんなゲームがあり、世間的に良ゲーと呼ばれるゲームの中にもクソみたいな要素が含まれる作品は多々ある。
その中でも個人的に気に入らないのは、アレを持ってこいだのこれを取ってきてくれだのとひたすら小間使いをやらされる『おつかいクエスト』なんて呼ばれる奴だ。
何が嫌かって、やってることは物を右から左に動かすだけで、主人公にもその世界にもなんの影響も影響を与えないからだ。あれならコンビニのバイトの方がまだ楽しいくらいだ。
それを今、俺は現実世界でやらされている。
この日素泊まりの宿屋を飛び出した俺は、鞄に入っていた硬くなったパンを咥えながら真っ先に冒険者ギルドにやってきた。
何が悲しくてあんな狭い小部屋にマヤなんかと二人きりにさせられにゃならんのだ。おまけに夢の途中にまで出てきやがって。せっかく築いたハーレム生活が一気に崩れ落ちたわ。現れたのがギルドのお姉さん達だったらハーレムの仲間入りしてたろうに。いくら見てくれだけは良いとはいえ、見てくれだけで評価すると思ったら大間違いだ。
とにかく、一も二にも金。金が必要だ。一人で寝泊り出来て飯を自由に食えるだけの――自立できるだけの金が。
ギルドの二階へ上がると、昨日エリックを担当していたほんわか系お姉さんが黒い掲示板に依頼を張り出していた。受付で見た時は意識していなかったけど、こうして立ってる姿を見るとなかなかどうして素晴らしい。ゆったりとしたタヌキ系の顔に違わず、全体的に肉付きが良く、スカートのスリットから見える健康的な脚で膝枕なんてされた日にはそれだけで熟睡できるに違いない。
膝枕が高い要求だというのなら抱き枕になりたい。
意外だったのは見た目に反して割と背が高いことだが、これはお姉さんが高いというよりも自分が低いだけでそう錯覚したんだろう。
男の身体なら、今すぐにでもデートに誘うのに。しかし、誘っても金が無いのが悔やまれる。
「あら、おはよう」
俺の熱い視線に気付いたのか、お姉さんはゆったりとした口調で声をかけてきた。
「おはようございます。あの、依頼を受けたいんですけど」
俺は挨拶もそこそこに、そう切り出した。
掲示板のデザインにはいくつか種類があり、恐らくランクごとに分けられてるんだろうが、どれがどれかまでは聞いてない(聞いた様な気がするが忘れてしまった)。ついでに受け方もこの場でお姉さんにレクチャーしてもらおうという算段だ。
「朝から依頼の受注なんて頑張り屋さんなのね」
「いえいえ、それほどでも」
「依頼なら隣の木のボードから選んでね。あ、ちゃんと届くかしら?」
お姉さんに抱えられながら依頼を選ぶ姿を妄想しようとしていたら、お姉さんはどこかから踏み台を持ってきてしまった。何故だ、俺には妄想をする自由すら無いのか。
「あ、ありがとうございます……」
せっかく用意してもらった踏み台を使わないわけにもいかず、それに乗り上げながら、複雑な感情を抱きつつ掲示板を覗いた。
野菜の買ってきて。
庭の草むしりをしてほしい。
部屋の掃除を手伝って。
工具を買ってきて。
料理の配達。
エトセトラエトセトラ……。
…………。
俺の中に僅かながらも確かにあったはずの期待感は脆くも崩れ去った。
これが冒険者に依頼する内容だというのか。どう見たって子ども向けのおつかいじゃないか。
カメラマンが見張ってさえいれば三歳児だってできるものばかりだ。
まさかこの時代の人間は腕力ばかりで知能が低いとか、そんなことはないだろう。
それとも子供の姿だからこんな依頼しかないとか、そういうことか。
「あの、お姉さん……これが冒険者の依頼?」
「そうよ。それが新米冒険者のユエちゃんが出来るお仕事」
不満げな俺に対しお姉さんは、掲示物を貼る手を止めて、少しだけ厳しい顔つきでこちらを向いた。
「だって私達はまだユエちゃんの事を何も知らないもの。何が出来るかも知らないし、依頼を投げ出さない人だって保証もない。依頼をする人だって困ってるのに、それを途中で投げ出されちゃたら大変でしょ?」
「……はい」
「だからね、まずは簡単な依頼から始めてもらって、ユエちゃんに何が出来るのか教えてほしいの。ユエちゃんにならこの仕事を任せても大丈夫だって、私達が思えるくらい頑張ってくれたらランクが上がるからめげないで頑張って」
「……はい」
「新米を卒業したらこっちの掲示板から選べるようになるから心配しないで。そのボードに依頼する人たちはみんなユエちゃんを応援してくれるから」
最期はにっこり微笑んで応援されてしまった。
ほんわか系お姉さんとはいえ、ギルドの職員。普段からそういう冒険者の扱いにも慣れてるんだろうなという諭し方に思わず感服してしまった。
まあ、仮に魔物討伐のクエストがあったところで武器が無いんじゃどの道無理だしな。お姉さんの言う通り、地道にランクを上げて行こう。
こうして俺の本当に地味で地道なランク上げは始まり、冒頭へと話は戻る。
結局、今日一日でこなしたクエストは十件だった。
ゲームじゃまったく理に適わない、『一回に受けられるクエストは一つまで』の制限がこの世界にもしっかり存在し(お姉さんに掛け持ちは無責任だから駄目だと怒られた。当然と言えば当然だ)、十回はギルドへ顔を出す羽目になった。
おかげでたった市場のおばちゃんらにもすぐ顔を覚えられてしまった。おばちゃんなんてゾーンの範囲外なのに、前世の癖で愛想良く振る舞ったせいだ。その内にまた、ミカンだの飴ちゃんだのを持たされるんじゃなかろうか。
人間の姿形が一緒だと、世界が変われどやることは皆変わらないんだろうか。
そりゃあんな間の抜けた神もいるのも頷ける。適当におだてて良い様に使ってやろうなんて、昔の人も考えるわけだ。
この日一日、十件こなしたクエストで得られた収入は二〇〇〇ゴールド(報酬は全てギルド経由で支払われた。直接のやり取りはトラブルの元なんだろう)。
市場で売られていたリンゴ一個が一七〇ゴールド。
この世界のリンゴの価値がどれくらいか知らないが、一ゴールドを一円換算と見て間違いないだろう。
…………。
……本当に子供の小遣いじゃねえか。
これだけあちこち動き回って、一日で得られた報酬がたった二〇〇〇円。時給換算したらいくらだよ。三時間バイトに入っただけで稼げる額だぞ。
ここから宿代と飯代を差し引いたら、手元に残るのはあの神様への恩義と言う名の借金だけ。
その借金だっていつかどこかで返せと言われるのは目に見えている。
やがて来るのはひもじい草をかじるホームレス生活。
それだけはもう嫌だ。
「随分帰ってくるのが遅かったの。まさか先に一人で食べてきたわけではあるまい」
日が落ちた頃、昨日泊まった宿に到着すると、当たり前の様にマヤは部屋にいた。
何も言わずに飛び出した俺とは朝ぶりだと言うのに、出てきたのが労いの言葉でも説教でもましてや心配でもなく、まさか晩飯の話とは。
せめて、おかえりぐらいの言葉はかけてほしい。
宿は帰る場所じゃあないけども。
「にしても、朝見た時と違ってアレじゃな」
「……なんだよ」
「薄汚い」
呆れた顔で、そう言いやがった。
こいつ、言うに事欠いて薄汚いって……。
成長したなとか、そう言う言葉をちょっとでも期待した俺が馬鹿だった。
「顔は見れんでも自分の手くらいは見れんのか」
見てるし知ってるわ。
仕方ないだろ。部屋の掃除だの草むしりだの大工仕事の現場だのあちこちに行ってきたんだから。水だけで簡単に落ちるなんて思うなよ。
「それよりも飯屋は見つけてきたんじゃろうな」
「…………」
「あれだけの口を叩きながら、まさか見つけられませんでした、なんて言うつもりじゃあるまい」
こいつ、人をいたぶる時だけは本当に良い顔しやがるな。スマホがあれば今すぐ撮って当人に見せてやるってのに。
「なんじゃったかのう。面子はもう死んでいる、とかなんとか言われた気がするが、思い出せんなぁ。美味い飯でも食えればスッキリしそうなのに、これでは喉のつかえが取れん。このままでは主の保護者を続けるのも――」
「申し訳ございませんでした!」
一日振りに土下座をした。
土下座程度で草を噛まずに済むならずっと安い。
マヤは「分かればいいんじゃ」と鼻を鳴らした。
「まずは顔と手を洗ってこい。飯はそれからじゃ」
「……ちなみに、今日の献立は」
「あの店で適当に選べばなんとかなるじゃろ」
もう少し神様らしいことが出来ないのかこいつは。