酒場のグルメ
色んなことがあり過ぎたので仕方ないと言えば仕方ないのだが、俺はまだ自分の荷物とやらの中身をここまで一切確認していなかった。
だって仕方ないじゃないか。
目が覚めた時にはこの身体で、こんな異世界で、隣にこんな変なのがいたんだから。そんな自分の荷物を気にする余裕なんてどこにもない。むしろ今気付いたことを褒めてほしいくらいだ。
今まで寝ていた木箱の上に鞄の中身を並べてみた。
出てきたのは数枚の下着と固くなったパン、それといくらかのお金が入ったきんちゃく袋だけだった。
これが12歳の娘が持ち歩く鞄の中身だというのか。
別に日本の現役女子中学生の鞄みたいな物を想像していたわけじゃないが、しかしそれにしたって、これはいくらなんでも、無いだろ。
ナイナイ。
それに昼間言ってたじゃないか。なんとかの旅をしてるって。旅の荷物がこんな寂しいわけないじゃないか。
きっとこれは俺専用のセカンドバッグで、共有の荷物はきっと心優しい保護者が持ってるに違いない。
そうだよな。
そうだと言ってくれよ?
「何じゃその目は」
「……荷物はこれだけ?」
「それだけじゃな」
「じゃあ財布は?」
「それだけじゃな」
まさかこのエプロンドレスが一張羅だなんて。
そんなことよりもこの状況、どう考えても自称神の悪意に違いない。
何が目的かまでは知らんが、このまま借りを作りっぱなしで良いことなんてあるわけがない。既に怪我を治してもらった上に、ギルドの手続きも手伝ってもらっているので、これ以上借りを作ればいよいよ逆らえなくなる。
かといって金が無いことに変わりはない。初心者でもこなせるクエストなんて、今からこなしたところでいくらにもならんだろうし。
「そんなに苦悩する事かの」
「苦悩しない理由があるか! こちとら人生がかかっとるんじゃ!」
「大袈裟じゃのう。頭一つ下げるだけで今夜の飯と寝床は確保できるというのに」
何が頭一つだ。ヤクザ紛いの追い込みしやがって。
こんなことになるならエリックにあんなことするんじゃなかったわ。
「結論は早い方がいいぞ。時間が経てばあちこち混むだろうしの」
「奢ってください!」
俺は頭を下げた。
背に腹は代えられない。
「素直でよろしい」
◆◇◆
店も食う物も全てマヤに一任した。いくらこの世界の文字が読めると言ったって、名前から推測できない物事はずっと多い。
昔、日本語が通じるかどうかわからん怪しいエスニック料理屋にちょっとした罰ゲームで入って失敗した経験があるので、そのつもりが無ければ、詳しい相手に一任する方が外れを引く確率は低い。いくら性格が悪いと言ったって、まさかゲテモノ料理を出す店を選んだりはしないだろう。一任した相手がそれを望まない限りは。
果たしてマヤが選んだ店は、やたら木目調の家具が多い、最近流行りの『ナチュラル』だとか『木のぬくもり』が自慢ですといかにも言いたげな店だった。プラスチックとかガラスとか、そういう見慣れた透明な物が全然無くて逆に落ち着かない。こういう店は大体味の割に見合わない値段を付けているに違いない。
なんて思っていたのだが、客層を見る限りはそうでもなさそうだ。
冒険者ギルドで見かけたあのガテン系のおっさんも仲間と美味そうに酒を酌み交わしている。実はあのおっさんが凄腕冒険者でたまたまこの町に寄っただけと言う可能性も無くはないが、他の客の身なりも似たり寄ったりなので、きっと地元客が集まる場所なんだろう。酔っ払い共の笑い声とそれに負けない店員のおばちゃんの怒声のおかげで、お高く留まって見えた店もただの居酒屋に見えてくる。
そういう店ならそんな変なものは出すまい。
「はい、おまち!」
でっかい図体に見合う豪快なおばちゃんが持ってきたのは、これまた豪快な、テーブルの半分を支配する山盛りのピラフっぽい料理だった。白いご飯に混じってカラフルな野菜とこま切れ肉が入っているのでそれっぽい。チャーハンも似たようなものだけど、それよりかはピラフっぽいと感じたので、そうとしか言いようがない。
それからどんぶり一杯に入ったキノコのスープと取り皿、視力検査で使うようなスプーンを深くしたようなのが一つずつ。
……二人で分けるって事だろうが、何人前だよこれ。
「二人前のはずなんじゃがな……」
ピラフ山の向こうから唖然とする俺の顔が見えたのか、困惑した様子でマヤは言った。
これはあれか、おばちゃんの豪快なサービスというやつか。それにしたってちょっと豪快過ぎやしないか。部活帰りの高校生じゃねえんだぞ。
と、ここでようやく客層の偏りに気付いた。
客席を埋めていたのはほとんどが肉体労働者だった。
つまりこの店は初めから、そういう客層に合わせたボリュームが売りの店なのだ。
まさかの店選びでいきなり躓いたのか、この自称神様は。
散々偉そうにしてたくせに、やらかしたのかこの男装の変人様は。
「言っとくがこの身体はただの美少女、半分だって腹に入らないからな」
「別に無理して食えとは言わん。残るようなら儂が食う」
そんなもの当然だ。
少しだけ山の上をスプーンで切り分けて、小皿によそう。
匂いは……よくわからないが、こうしてみるとチャーハンっぽくはある。
問題は味だ。
一口、食べてみると――濃い。
やたら味が濃い。濃厚な味わいとかそういう誉め言葉では一切ない。やたら味が濃い。
そしてしょっぱい。こんなもん食べ続けたら塩分過多で早死にするぞなんて言われそうな、まさに肉体労働者御用達の味付けだ。
それをこの量。
もうギブアップしたいくらいだ。
山盛りの塩ピラフから一旦意識を遠ざけ、口直しにキノコのスープを一口。
今度は殆ど味が無かった。
キノコの香りがするからキノコ味なのかと思いきや、まさかの極薄の、あるのか無いのかわからない味。
どういうバランスの食い物なんだこれは。
注文した張本人の食べ方を模倣しようと向こうを見ると、まさかの困惑顔。
マジかお前。
お前が選んだ店だからな。神様の言う通りにしたんだからな。
「よぉお兄さん達! この町は初めてかい?」
やたらでかい声で現れたのは昼間のガテン系のおっさんだった。酒が回ってしっかり出来上がっているようで、顔が真っ赤だ。
それにしてもお兄さんって――ああ、俺じゃなくてマヤの事か。それならマヤに任せ……られるか!
酔っ払いの相手なんてさせてみろ、どうせ余計なこと言って怒らせるに決まってる。そして割を食うのは俺なんだ。
そうなる前に、俺が引き受ける。
「こんばんは、おじちゃん!」
ただいま美少女の姿の俺は、親くらいのおっさんに全力で媚びを売った。
こちとら伊達に十七年、大人の顔色伺って生きてきちゃいない。こういう大人には元気な子供がドストライクだってことはよーく知っている。
「私達ね、遠くの町からやってきたの! おじちゃんはこの町の人?」
「おお、そうだとも!」
おっさんは豪快に笑って胸を叩く。その音は酔っ払い特有の必要以上に大きなものだった。
「この町で生まれて、この町で育った生粋の地元民だ!」
その勢いで肩を叩かれるんじゃないかと思ったが、そこまでの距離感を超えて来ないのはありがたい。酔っ払っていてもちゃんと距離を取れるなんて素晴らしい大人じゃないか。なあ自称神様よ?
おっさんは期待通り、つまらなそうにこちらを眺めるボンクラからターゲットをこちらに変え
「ところでお嬢ちゃん」と言ってきた。
「お嬢ちゃんは『労働者の湯漬け』を食うのは初めてかい?」
「うん。おじちゃんはよく食べるの? えっと……このがるみす?」
「食べるとも。おじちゃん達の晩御飯だからな」
うん。そんな気はしていた。
「いいかい、お嬢ちゃん。これはな、こうやって飯を汁に移して食うもんなんだよ」
言うが早い。おっさんは俺のスプーンを取ると、慣れた手つきで塩ピラフをどんぶりへ移していく。なるほど、取り分け型のお茶漬けか。
「さ、食ってみな」
「ありがとうおじちゃん!」
おっさんの愛娘にでも向けるような笑顔に見守られながら、スプーンで一口。
さっきまでの濃すぎる塩ピラフが汁と混ざることで少し……いや、かなりマイルドになっている。舌を痛めつけるだけのジャンクな味も無くなって、優しい味わいになっている。
お茶漬けだと思うと首を傾げるが、こういう料理だと思えば全然いける。これならもう少し飯を入れてもいいくらいだ。
「美味しいよ!」
「だろう?」
おっさんは我が意を得たりと鼻を鳴らす。
「汁が足りなくなったらおかわりを注文するんだぜ」
「そうなんだ。さすがおじちゃん、物知りだね!」
おっさんを喜ばせるさしすせそ、応用編。ここまで褒めるとおっさんはもうデレデレだ。どんなおねだりも受け入れてくれるに違いない。
だが、このおっさんは俺に美味い晩御飯を紹介してくれた恩人。恩を仇で返したりはしない。
むしろ恩に報いるべきは、俺なんかよりも自身の失態を帳消しにしてもらえた自称神様ではないか。
「ねえお兄ちゃん。良いこと教えてもらったんだしさ、おじちゃんに何かお礼にお酒奢ってあげようよ!」
「お嬢ちゃん、そりゃあ悪いって」
「おじちゃんは遠慮しないの。お兄ちゃんなんて、自分で注文しておきながら食べ方もわからないんだから! おじちゃんがいなかったら今頃どうなってたことか……」
おっさんを持ち上げつつ、ここぞとばかりにマヤをこき下ろす。
それに対してマヤは、何故か目を細めた。その表情は嫌味ともからかいともつかず、逆に恐ろしい。
やがておっさんには気付かれない程度に軽く溜息を吐くと、ポケットの財布から銀貨を数枚取り出して「こちらの御仁らに酒を」なんて格好つけながら、たまたま通りかかったおばちゃんに差し出した。
「ホントに良いのかいお兄さん」
「これで面子が保てるなら安いものさ」
「そいつぁありがてえ! アルディス様に感謝だ」
「そう思うならとっとと戻りな、この酔っ払いが」
陽気なおっさんは、おばちゃんに文字通り尻を蹴飛ばされながら自分の席へ戻っていった。
「なにが面子だ。そんなもん、ここに入った時点でとっくに潰れてるじゃねえか」
「そう思うんなら明日からは自分で店を選ぶんじゃな」
「言われんでもそのつもりだ。毎日労働者の湯漬けなんて食わされてたら高血圧でぶっ倒れるわ」
マヤは黙ってどんぶりの中身を口にかき込んだ。
こうして、新しいことだらけの俺の一日は無事に終わった。
風呂で絶望の末に気を失った話は、また別の機会にすることにしよう。