エリックの秘密
「うちの猿が迷惑をかけて済まんな」
倒れたユエちゃんから冒険者カードを奪い取ると、呆気に取られていた私にマヤ殿はそれを差し出した。
「ああ……いえ、ありがとうございます……」
一拍遅れて私は礼を述べ、カードを受け取っだ。
そんなことよりもユエちゃんは大丈夫だろうか。
さっきからぴくりともしないんだけど。
「心配せずとも寝とるだけじゃ。まったく、短時間で二度も寝るとは夜更かしはいかんな」
動かなくした張本人は事も無げにそんなことを言う。
「にしても主は優しいのう。わざわざ盗人に気を遣うなんて」
「いえ、そういうわけでは」
「謙遜せずともよい。いくら子供相手でも普通ならそんなことは出来んぞ」
その言葉、そっくりそのままお返ししたい。
こんな可愛い少女を気絶――いや、床に寝かせるなんて、普通はしない。
それにどうやって一瞬でここまで。
二十歩は距離があったというのに。
「すべては魔法の成せる業、研究の成果じゃよ」
「…………」
噂に聞く魔法とは随分勝手が違うようですが?
まあ、噂は所詮噂に過ぎないという事なのかもしれない。魔法を実際に見たのはこれが初めてなのだから。
……というか。
これだけのことが出来るなら、護衛なんて最初から要らなかったんじゃ……。
「そんなことはない」
私の心を見透かしたかのようにマヤ殿は言う。
「首輪の無いこの駄犬をここまで無事に連れてこれたのはひとえに主のおかげじゃ。ありがとう」
「……無事では無かったと思いますけど」
「怪我が無いのだから無事じゃろ」
アルミラージの角に貫かれたユエちゃんのお腹を、服ごと治してしまったのはあなたです。
吹聴するなと固く口止めされているのでここでは言わないけれど。言えば王宮から色んな人が派遣されてくる。
「さて、一旦人気のない場所へ移ろうか。この馬鹿を床に寝かせておくのは、さすがに心象が悪い」
と、マヤ殿は言った。
それにしてもユエちゃんへの罵倒のボキャブラリーが凄いな。普段どれだけ迷惑をかけられているんだろう。
「すまんが儂の代わりに拾ってやってはくれんか」
「勿論です。やらせてください」
願ってもない提案に二つ返事で応じる私。
私は鞄を後ろに回し、ユエちゃんを抱き上げる。
なんて小さくて軽い身体だろうか。この身体でアルミラージに挑んだなんて、無謀という他ない。
マヤ殿は一階へ降り、そのまま賑やかなギルドを出ると、静かな裏手へ回り込んだ。
日の影になるここは夏場こそ丁度いい涼みどころとして人も多いが、この時期はまだうすら寒く、ただ閑散としている。夏場にテーブルとして活躍する木箱も、この時期は処分を待つだけのゴミだ。
それにしても、この町に訪れたのが初めてとはとても思えない迷いの無さでマヤ殿はここへ訪れたが、他の町にも似たような環境はあるのだろうか。昇格試験をクリアしたら、いつかユエちゃんと行ってみたいものだ。
「済まんな、こんなところまで運ばせて。……それにしても主、随分と頬が緩んでおるの」
「……はっ!」
「そんなに気に入ったのなら、娶ってくれても構わんぞ」
「意地の悪いことを仰らないでくださいよ」
「それもそうじゃ。下心の酷い娘じゃしの」
「……すみません、下心の酷い娘で」
「似た者同士、お似合いだと思うんじゃがの」
マヤ殿は笑い、それに釣られて――本来笑うべきではないんだろうけれど、思わず苦笑してしまう。
やっぱり、カードを見られていたか。
「改めて自己紹介をさせてください」
涼しい風が吹き抜ける。
胸の中で眠るユエちゃんの、小さな身体の温もりが心地よい。
「それは構わんが、ずっと抱えていて疲れんのか? どうせ当面は起きん、地べたに置いても良いんじゃぞ」
「そんなことするくらいなら私が抱いてます」
「奇特じゃな。あんなことされた直後だというのに」
「だってこんな美少女を直に抱きしめてるんですよ!? 全然お釣りが来ます!」
「……見た目に騙されておるが、中身はアレじゃぞ?」
「年相応の子どもじゃないですか!」
「…………」
「――す、すみません」
自己紹介と言いながら恥部を晒してしまった。
「よいよい」と言うマヤ殿の目が完全に呆れている人のそれだった。……まあ、そうなるよな。
私は咳ばらいをし、改めて自己紹介をした。
「私はエリクシル――エリクシル・ピラバクル。駆け出しの女冒険者です」
「駆け抜ける変態ではなかったか」
「否定できませんけども……、そこはもっと手心と言いますか……」
「冗談じゃよ。そんな顔をするでない」
マヤ殿は笑う。
そんな質の悪い冗談を言うからユエちゃんから嫌われるんじゃないか。
「好かれるよりは良いからの。さて、詫びと言ってはなんじゃが――かと言ってこれまでの礼と呼ぶにはケチじゃが、どうじゃ。一つ主を占わせてはもらえんか?」
「占い……ですか?」
「研究の成果――とは違うが、長年人間を見てきた年寄りのちょっとした能力じゃよ」
「いや年寄りって、どんなに多く見積もっても三十は行きませんよね?」
「ふふん。その百倍は生きておるぞ」
得意げに言うマヤ殿。
それは魔法使いの冗談なのだろうか。それともお国柄?
田舎者の私には判断が付かないが、どちらにしても突拍子もなさすぎて付いていけない。
「なんじゃ、主も信じてくれんのか。黙って座ればピタリと当たると巷じゃ評判なんじゃぞ?」
「田舎に篭って研究してるって言ってませんでしたっけ……」
「言っておらん。何と誤解しておるんじゃ」
あれ、言ってなかったか。じゃあ私の記憶違いか。
「なに、大した道具は使わん。主の相貌を見れば過去が分かる。……そうじゃな、主は思ってることが顔に出やすいな」
「占いですかそれ!?」
「見たまんまじゃないかと思っておるな。まだまだこれからじゃ」
いや、こんな日影でそこまで見えるわけないだろう。
さてはマヤ殿、私をからかって遊んでるな? 仕方ない、気が済むまで付き合ってあげよう。
少しずれてきたユエちゃんの身体を私は持ち直した。
「根は真面目で愚直、嘘をつくのが下手。その癖に気弱でお人好し」
「よく言われます」
「なのに好きな物には一直線」
「まあ……そうですね」
「そして……、なるほどのう」
たっぷりと間を置いて、マヤ殿は続けた。
「その好きなものは絶対に手に入らないと、心中では思っている」
「…………」
「はん。それが目下の悩みと言うわけじゃな。さしずめ『禁忌に焦がれる悲恋の乙女』と言ったところか」
私の顔を見てマヤ殿は満足した風に鼻を鳴らした。
「どうやら当たりのようじゃな。少しは信じる気になったかの?」
「なんのことやら、私にはわかりません」
虚勢を張ってみた。愚直と言われようとも諦めが悪いのが私である。
「真面目な人間が禁忌に焦がれるなんて、そんなことありませんよ」
「真面目な人間ほど禁忌に焦がれるもんじゃ。肌寒ければ人肌恋しくなるように、足りないものは補いたくなるのが人の道理。運命みたいなものじゃな」
冷たい風が吹き抜ける。
無防備に眠るユエちゃんの身体が冷えない様に、そっと抱きしめた。
「袖振り合うも他生の縁」
マヤ殿は言う。
「エリックよ、もう少し『お兄ちゃん』をやってみんか?」
それはとてもありがたい言葉だったのに、どういうことか返答の言葉が出なかった。
日影の外が少しだけ暖かかった。
◆◇◆
ごつごつとした寝心地の悪い感覚に不快感を覚えて目覚めると、なんとそこはどこかの建物の裏手で、寝ていたのは木箱の上だった。なんでこんな日当たりの悪いところで寝ているんだろうか。涼しすぎて風邪を引きそうだ。
それにしても何か、酷く悍ましい夢を見ていた気がする。
その一方で、何か大切なイベントを見落としてしまったような気がするのは何故だろうか。
「ようやく目覚めたな、大うつけが」
隣にマヤが座っていた。人生で最悪の寝覚めだ。
どうせ座ってるなら受付の天然系お姉さんが座っていてほしかった。膝枕付きだったら最高だけど、その場合耳かき棒を耳奥に刺されるオチが見えるので悩ましい。
時点でエリック。あいつは男だけど女っぽいし、この悪魔と比べたら天と地ほどの差がある。
「そういえばエリックはどうした?」
「お主は自分のしでかした事の重大さも忘れてしまったようじゃな」
「……いや、あれはエリックを元気付けようとしただけで不可抗力だ」
「その不可抗力が原因じゃな」
「そんな! 男同士のちょっとしたノリだろ!」
「学校でのノリがここで通用すると思うな。そもそも今の主は女じゃ」
「嫌なこと思い出させるなよ」
「思い出す間もなく現実じゃ」
なんてことだ。色々聞きたいことがあったってのに。
美人の居所とか美人のいる場所とか女子校とか色々。
まあ仕方ない、元々町までの関係だったんだと思って諦めよう。ひょっとしたら明日になれば向こうから会いに来てくれるかもしれん。
あの調子じゃすぐにでも戻ってきそうだが。
「なんか色々考えてたら腹が減ってきたな……」
「主は色気と食い気しかないのか」
「他に何がいる」
「……なんでもよいが、自分が食う分は自分で出せよ」
ホワイ?
「こういうのって普通、保護者だったり年上が出すものだろ?」
「恩を忘れないのであれば、出してやっても良いぞ」
神様はこの上なく恩着せがましいことを仰るのだった。