三話 野球少年
丘の上高校一年B組の教室は静寂に包まれていた。
クラスの全員が呆けた顔をしている。脳内での処理が追いついていないのだろう。わかるぞ、僕も今朝はそうだった。突如大男が萌え声を発したかと思えば、告白を忘れろと言うのだからな。
そうして静寂が場を支配してから20秒、もしくは30秒が経った。正確には何秒たったかなど知る者はいない。一瞬のことのようでもあったし、数十秒のことのようでもあったのだ。
しかし時は動き出す。
女子グループはそれぞれが真顔になったのち、顔を向かい合わせた。かと思えば次の瞬間にはグループ内での会話を再開した。
どうやら察した上でスルーするようだ。
男子の方はといえば、こちらも会得がいったようで、近くの奴らと話を再開している。しかし女子とは違い、会話の内容は僕らの話題で持ちきりのようだ。
くんっくんくん、先輩!面白いネタの匂いがします!
うむ、今日は特大のゴシップ記事が書けそうだ。
そう話してるに違いない。
そんな教室内でも例外があるとすれば約一名。いや、これは説明しなくていいか。
それにしても、視線が痛い。皆見ないように意識しながらもチラチラ見てくる。恥ずかしい。恥ずかしすぎて死にそうだ。もっとも僕は何もしていない。全てあいつが言ったことだ。僕は何も悪くない。
てかこのセリフ痴漢が言い訳するときみたいだな。
いいや負けるな誠士郎、今回は完全なる濡れ衣だ。やめっ、やめろ!触るな!どこに連れて行く気だ!交番?いや、だから何もしてないんだって!濡れ衣なんだー!
茶番もここまでにしておくとして。
気づけば僕のそばに立っている人がいる。
そいつは丸刈りの男だった。高校男子にしては小柄で、男というより野球少年というほうが似合う背格好だ。まぁ見た目に違わず中学では野球部に所属していたが。
というのも、同じ中学の出身であるがゆえ僕は彼を知っていたのだ。なんせ丘の上高校は丘の上中学校からそのまま進学する生徒が学年の約6割を占めている。
僕も丘の上中学の出身だから、知っている顔は非常に多いわけだ。この丸刈りの少年は打田寅吉。中学のときは野球部に所属していて、人一倍うるさいやつだったはずだ。
しかしたがいに接点はほぼない。なにゆえ、かかわりのない僕のところに来たのか。
「おっ、もしかしてお前ムシャか?」
「た、タイガくん?」
「そっかそっか、ムシャもこの学校だったんだな。」
「うん。そ、そうだよ。」
「もしかしてムシャもB組か!」
「う、うん。」
「高校でもよろしくな!」
どうやら僕のもとへ来たわけではなかったらしい。しかも彼は武蔵と知り合いだったらしい。武蔵だからムシャ、つまり武者か。なんとも安直すぎるネーミングである。
しかし、あだ名とは距離を縮めるには有効である。ここは一発、僕もあだ名で呼ばせていただこう。
「や、やあ、打田君。僕もB組で、名前は誠士郎。近藤誠士郎だ。よろしく。タイガ?ってあだ名だよね?僕もその、タイガって呼んでもいいかな。」
よしよし営業スマイルも完璧。順調に友達づくりができそうだ。
しかし打田寅吉は怪訝そうな表情をしていた。どうした、なにを不思議に思っている。もしかして馴れ馴れしくしすぎたか?
打田寅吉は数秒考えたのち、合点がいったような表情をした。
「お前は……?あっ、占いの変な奴だろ?いやでも占い道具もないしなんか違うな。」
「はて、だれのことでしょう。それより同じクラスになったわけだし、友達になって助け合っていきましょう。」
「ん、んあぁ、まあいいか。よろしくな誠士郎。」
危なかった。彼も中二病だったころの僕をなんとなく覚えていたらしい。もっとも中二病のことを占いかなにかだと思っていたらしいが。
兎にも角にも友達が増えた。まだ二人だが、今後もっと増やしていこう。そうして普通で平凡な高校生活を謳歌するのだ。
それにしても変な奴、か。同じ中学の人の対応を考えなくては。