十三話 なりたいもの
「あ〜ねみぃ…。」
目の下に大きく隈を作りながら英単語帳を開いているのは我が友人打田寅吉である。この男、野球部のマネージャーである橘かおる先輩に好かれるために心を入れ替え勉強に励んでいる。
数学や英語、国語などの説明が必要な教科は放課後に天音が教える事になっているらしい。それ以外の教科は自分で暗記をすることになっている。もちろん英単語も暗記なのでこうして黙々と英単語帳を見ているわけだ。
「ということでウチが勉強を教えている時以外は常に単語帳か教科書を見ること。いい、打田。あんたはテストまで肌身放さずそれらを持って、常に死ぬ気で勉強しなさい。」
とはいっても自分だけでやるのにも限界がある。そこは天音が小テストを作ってきて不十分な所を補うらしい。
「どうしたのタイガくん。そんなにくたびれて…。」
「あぁ、ムサシか。今はタイガの大事なときだから集中させてやってくれ。」
「あぁもう二日後にはテストだもんね。でもタイガくんって、そんなに勉強に熱心だったっけ?」
「それが勉強しなさすぎて昨日になってようやく焦ったみたいで…。僕に泣きついてきた。でも僕もそんなに教えられるほど勉強はできないからさ。代わりに勉強のできる天音の指導のもと、こうして一生懸命やってるってわけ。今日も僕の家で勉強会だってさ。」
「へぇ〜…。誠士郎くんに、小浮気さんに…。誠士郎くんのお家で…。そういえば二人は仲いいけど…中学校からの知り合い?」
あれ?言ってなかったっけか?そういえば…勉強会のときもムサシは呼んでなかったしな。天音が幼馴染で、隣に住んでいることを知らないのも無理ないか。一応そのことも話しておくとしよう。
「へ、へぇー…。そうなんだ…。幼馴染…。」
最初の頃と比べ、随分くだけて話せるようになったムサシ。それでも自分の過去を話すことはなかった。もちろん僕も中二病の過去を話したくない。だから会話の話題はもっぱらタイガが提供するものだ。
あそこのラーメン屋がうまいとか、何組の誰がかわいいとかだ。そうして僕たちは相槌をうつか、意見を言うかなんだが…。
やはり少しくらいは中学校の頃のこととか知りたいじゃん?もう知り合って一ヶ月経ってるし、一年間一緒に頑張ろうって関係だしさ。これまでどんなやつだったとか、どんなやつらと付き合ってたのか、とか話題にしてもいいと思うんだよ。まぁ奥手なムサシのことだ、自分からそんな話はしないだろう。ならば僕から聞くまでだ。
「そういえばムサシはさ。中学のときどんな感じだったんだ?どんなやつらと付き合ってた、とか。」
「ボックは……………………。」
考え込むムサシ。…………。反応はない。
えっ、そんな難しい質問だったっけか?インダス文字の解読方法を聞いたわけでもないよな?
「…………………………。」
三十秒ほどだろうか。それだけの時間唸り続けた末にムサシはこう返した。
「よく分からない、かな…。」
「そ、そっか…。よく分からないか、そうだよな…。」
やべ、聞いちゃいけないこと聞いたかもしれない。高校入学当初からムサシのがたいのよさと面の怖さ、そして極め付きのコミュ障をわかっていたはずだ、僕は。そんなやつに付き合うやつなんていないに決まっているだろう。なのにあんなこと聞くなんて、ほんとに馬鹿だよ、僕は。
別にムサシの悪口言ってるとか、ネガキャンしてるとか、そういうわけではないぞ。だがしかし、実際問題人付き合いがうまい方とは言えないだろう。その点は中学でも同じことだったに違いない。
いや!いいのだ、これまでのことは。今はタイガも僕もいる。恐らく頼めば天音も良き友人となってくれるだろう。今のところはそれでいいじゃないか。大切なのはいままでよりこれから。これからまた頑張ればよいのだ。
暗い話になってしまった。別にそういう話をするつもりは毛頭なかったのだが。気持ちを切り替えて明るい話をしよう!そう、いままでよりこれからだ。僕らには明るい未来が待っているのだ。
そう思ってこんな質問をしてみた。
「じゃ、じゃあ、今後ムサシがしたいこととか、なりたいものはある?」
「んー………………………。」
再び唸るムサシ。もっと気楽に考えてほしいのだが…。もしや!なにもしたい事がない、とか言わないだろうな。したい事はないけどしたくない事はいっぱいあります、とか言ったら僕はもう何も言うことができない。
この前、タイガからの野球部勧誘も断っていたし、ムサシはいつもすぐ帰宅するからな。部活にも入っていないのかもしれない。そうするともう無職の引きこもりで、親のすねをかじりつづける未来まっしぐらじゃないか。
両親も息子のそんな姿はみたくないだろうからな。ムサシを変えなければ。僕がムサシに夢と希望を与えよう。そうしてムサシを夢と希望に満ち溢れたナイスガイにするのだ。
そんなことを考えていると、いつの間にか隣に立っていた天音に話しかけられた。
「二人ともどうしたの?考え事?悩みがあるならこの天音さんにいってみ。え〜?」
「それが今後なにをしたいか、どうなりたいかを聞いたら、ムサシ考え込んじゃって。」
「ほー。確かに難しいですな、それは。」
「そうか?僕としては気楽に考えてほしいのだけど。」
「いやいや、そうであったとしてもよ。高校でやりたいことって改めて聞かれてもねぇ。普通は答えに詰まるよ。」
「そんなもんかなー。」
そんなこんなで会話しているとムサシは僕に向き直った。回答ができたようだ。
「分からない…けど。しいて言えば…何かになりたい…。かな…。」
そうきましたか…。そんな若者特有の「何者かになりたい」みたいな事言われてもな。こういうのは大抵なにか秀でたものがなく、自分に自信がない人が言うことだ。
しかしな、人の個性ってのは千差万別、十人十色だ。そんな抜きん出たものを持とうとしなくてもいいと思うんだけどな。
「なるほど…。ムサシ君の言うことが少し分かる気がする。」
あれぇ〜?天音は共感できているのか。もしかして僕だけか?いや、そんなはずは無い。きっと僕だけが共感できないわけではないはずだ。
「なぁなぁタイガ、お前はどう思う。何者かになりたいって、共感できるか?」
「うっ…、うっ…。」
「うっ?」
「うるせぇーーー!!!いまので単語全部とんだたろうがー!ぺちゃくちゃ喋るんならあっちいけー!」
そうだった。こいつはテスト勉強に必死だった。今のこいつがしたいのは野球で、なりたいのは橘先輩の彼氏だもんな。そのために一生懸命勉強してるんだもんな。勉強の邪魔をしてしまって悪いね。
■■■
その後さきちゃん先生が入ってきたことで会話は終了、ホームルームとなった。
それにしても"何かになりたい"か。僕には理解できない事だな。どうしたらそれを叶えられるのか。
タイガはタイガで全然テスト範囲を覚えられてないみたいだし。
お先は真っ暗だ。




