第二章
とある村の、親なしの娘。
娘はとても美しく、その魂を抜かれるような美しさに、男たちは情欲を抱き、女たちは恐れ、嫌った。
娘の居場所は、愛する男との、禁断の愛だけだった。
ある日、娘は太陽もまだ上がらぬ朝に、男の家で互いに唇を重ねた。
「愛してる」「僕もだよ」
男には望まぬ婚約者がいたが、それでも娘は、その時間がとても幸福だった。
しかしその幸福は、一瞬で崩れ去る。
ふいに、男が娘へ寄りかかるかのように倒れ込んだ。男の首筋から、なにやら熱い液体が流れた。
咄嗟に、娘は目を開く。
男の後ろに見えたのは、見たこともない悍ましい男の怪物。口を真っ赤に染めて、日の出と共に、素早く身を隠したのだった。
目の前には愛する男の死体。
「やはり彼女は魔女だ」「殺せ」
女たちの怒号と、男たちの蔑む目。
優しい男たちは、娘に男がいたことを知り、態度が一変した。
「崖へ突き落とせ!」「恐ろしい魔女め」
そして、男の婚約者が叫んだ。
「男の首に、噛み跡がある。彼女は吸血鬼だわ!死体もいずれ、化け物になってしまう!」
いつしか、愛する男の首元には,ノコギリがギラギラと迫っていた。
娘には、もうなにもなかった。
愛する男も、その男の亡骸も、居場所も、そしてあとすこしで、命も。
月夜の晩に、断崖へ行進する村人たち。
娘は何も発さず、言われるがまま崖へ身を投げだした。
なにもできず、する気力のない娘には、体も命も必要ないのだ。
風が強く肌に切りつけ、娘は地面に打ち付けられた。頭から血が出たし、舌も噛んでしまった。未だに苦しまされるのは、打ちどころが悪かったからか、それとも、許されぬ恋をしたからか。
耐え難い痛みと共に、死が体を蝕むのがわかる。
「ああ、これは私の戒めであり、懺悔の時間なのだろうか。」
しかし、さまざまな感情が押し寄せる中、懺悔よりも、怒りと憎しみが強く心を支配した。
怪物よりも、何よりも、人間が憎かった。女たちも男たちも、愛しい男も、そして、何もない非力な自分も。
娘にはもう、溢れる血の味も、痛みもわからない。憎しみだけが彼女の生命力だった。
ふと、月明かりにマントを翻す足元が見えた。見上げると、そこにはあの怪物が立っている。
娘は最後の力を振り絞り、折れた手を持ち上げた。怪物は不気味に微笑み、その手を受け取って、牙を突き立て消えた。
それは明るい月夜の晩。
村人の悲鳴が響き渡り、やがて静寂が辺りを支配した。
崖の上には恐ろしいほど美しい女の怪物が、ただ1人、立ちつくしていた。