公爵令嬢は宮廷楽師を目指したい〜円舞曲は踊るより奏でるほうがお得意です〜
リヴィアニア王国筆頭公爵家令嬢ユーリア・リリエスタがその光景を初めて見たのは八歳の時だった――――
初めて訪れた王宮内でユーリアと同じような年齢の貴族のご令息ご令嬢が集められ、お茶会という名目で顔合わせが行われた。
親に付き添われて来て、緊張していた子供達も目の前のテーブルに並べられた王宮の料理師達による色とりどりのお菓子や飲み物にはしゃぎながら各々食べたり飲んだりして緊張がほぐれてきたのか、隣に座った子らと話し始めたりしていた。
本来なら貴族社会の厄介な取り決めで格下の爵位の者から上位の爵位の者への声掛けはできないのだが、今回は子供同士の交流との名目で無礼講となっている。周りで見ている親からしたらハラハラものなのだ。
まあ八歳から十歳の子供達にはそんな事より会ったことのない自分と同じような年齢の子と一緒に美味しいお菓子を食べたり喋ったりを楽しむだけなのだが。
そんな中このリヴィアニア王国筆頭公爵家でもあるリリエスタ公爵の長女ユーリアは目の前のお菓子よりも別のモノに釘付けになっていた。
普段なら夜会の時にしかいないような王族御用達の宮廷楽団が音楽を奏でていたのだ。
まだ子供だけの集まりのため、曲に合わせてワルツを踊ったりするわけではなく、あくまでBGMとして奏でられていたのだが、そこはやはり王国トップクラスの演奏家だけで構成されている宮廷楽団。手を抜く事もなく、華麗なる音楽を奏で続けていた。
自分の邸でも夜会と称する集まりがある事は知っているし、ワルツを踊るために楽団が来ていることも知っている。もちろん公爵令嬢としてすでに色々な知識教養の勉強も始まっているため、ダンスの練習もしている。
まだ八歳のユーリアは夜会には出た事もなく、十六歳でデビュタントを迎えるまでは基本出席しない事が普通だ。
ヴァイオリンやヴィオラ、チェロやコントラバスなど色々な弦楽器で構成されている宮廷楽団だが、やはりヴァイオリンの音色が一際目立っている。そういう曲が多いせいもあるのだが。
ヴァイオリニストの中でも一番前に座って奏でている男性がいる。マスターと呼ばれるこの楽団の中でトップを務めている者だ。子供のユーリアが聞いても他のメンバーとはちょっと違うというのがわかるくらい、音色が素晴らしいのだ。
お菓子も食べず、誰とも喋らず、何も飲まず、ただ椅子に座ってずっと楽団を眺め、音楽を聞いていた。
ユーリアは金髪で綺麗な翡翠の色の瞳で目鼻立ちの整った顔をしているため周りの男の子達からの視線は凄かった。筆頭公爵家令嬢ということもあり、お近づきになりたい親達が子供達に言っているのもあって、ユーリアの元に何人かの子供らが入れ代わり立ち代わりやって来ては話しかけてくる。
しかし、どうも、とだけ答えてはいるがまるで他の子達に興味のないユーリアはずっと楽団が一番見える位置で座って、奏でられる音楽をずっと聴いていた。
そしてそのまま、ユーリアからは誰にも話しかけることなく、お茶会は終了した。
終了後、ユーリアはすぐさま両親にお願いして、ヴァイオリンを習わせてもらった。
自分から言った習い事のためか、好きなものだからか、毎日かなりの時間を練習にさき、元々の素質もあったのかどんどん上達していった。
数ヶ月の練習でかなりの腕前まできたので、両親にコネと権力であの宮廷楽団のマスターの男性に教えてもらえるよう頼み込んだ。ユーリアが実家の権力を使ったのは後にも先にもこの時だけである。
一度会わせてもらって、ユーリアの腕前を聞いてもらった。向こうも教えがいがありそうだ、と了承をもらい、週に一度、教えて貰えるようになった。
ユーリアは嬉しくて、楽しくてメキメキ上達していった。
そして、八年の月日が経ち、ユーリアは16歳になった――――
「アイル!」
そう呼ばれた少女は茶色の髪の茶色の瞳で背中真ん中辺りまでの髪の毛をなびかせていた。胸の前に両手で楽器ケースを抱えている。弦楽器のヴァイオリンが入っている。その少女は呼ばれた方を振り返り確認している。
「ベルファ」
そう呼ばれたのはこれまた茶色の髪で茶色の瞳の青年だった。この青年も楽器ケースを担いでいる。少女のヴァイオリンよりかなり大きい、チェロと呼ばれる楽器だ。
「今から練習?」
そう問いかけられた少女は
「少しだけ。終わったら、えっと今日はどこだったかしら、どこかの伯爵の家の夜会に」
「そうか、気をつけて」
ベルファに言われて
「ありがとう、ベルファは?今日は」
どこかに弾きに行くの?と聞くと
「いや、今日は予定はない次は来週だったかな?」
「そう。来週のは一緒かしら。私も入っているわ」
二人で話しながら歩く。ここは楽団の練習場だ。何人もの演奏者が在籍している。
「しかし、アイルの歩き方は本当に綺麗だね。習ったりとかはしていないの?」
と聞かれ、一瞬ギクリとしたが
「……平民の私が習うわけないじゃない」
と慌てて返事をする。
「じゃあ、私こっちだから」
とベルファと別れて歩きだす。廊下を曲がった所で、周りに誰もいないことを確認して、ふぅーと息をはく。
「危ない危ない。でも歩き方なんて気をつけようがないよね。平民の歩き方ってどんなのよ」
そう呟きながら廊下を歩くアイルは鏡のある手洗い場をめざす。
鏡の前に立ち、髪型と髪の色、瞳の色を確認して
「大丈夫よね、戻ってないわよね」
と呟く。
ここリヴィアニア王国では王国民全員が魔力を持っており色々な魔法を使える。
今、アイルが使っている姿変えの魔法もその一つだ。一応上級者向けの魔法になるので誰でも使えるものではないし、それなりに魔力を消費するので一日に何度も使えない。一度解くとその日はまず使えないぐらいだ。
アイルはもう一度鏡を見て確認してから廊下に戻る。茶髪茶瞳のこのリヴィアニア王国で一番多い色合いに姿を変えているのは、16歳になったユーリア・リリエスタ公爵令嬢だ。
本来なら見事な金髪で翡翠色の瞳で、整った顔立ちをしている彼女はこのお仕事の時だけは姿変えの魔法を使い、目立たないようにしている。
小さい時に目にした宮廷楽団の奏でる音に心奪われ、両親に頼み込み、ヴァイオリンを手にしてから八年。彼女の腕前はこの国の中でもトップクラスとなっていた。
楽団の一員として色々な貴族の夜会などの場でその腕前を披露する日が続いていた。
流石に公爵令嬢がそういう所で働いていると言うのは世間体が、と言うと両親を説得するため、姿を変えて『平民出身のアイル』という設定で働かせてもらっている。
楽団内でもその事を知っているのは数人だけである。なので知らない人達は皆、気さくに話しかけてくれるし、ユーリアはその事が非常に助かっている。
元々ユーリアは公爵令嬢ではあるが堅苦しい事が苦手である。夜会やお茶会などもあまり出たくはない。ヴァイオリンを弾いている方が気が楽である。
公爵令嬢と言う肩書で出ない訳にもいかず、でも楽団の仕事の方が楽しいユーリアがとった行動は
『病 弱 設 定』
いい言葉だ、とユーリアは思う。身体が弱いと言う事にしておけば、夜会の出席は必要最低限ですむ。本当に病弱な方には悪いが。
事実、ユーリアがデビュタントから今までに公爵令嬢として出た夜会はほんの少しである。
リリエスタ公爵邸で行われるものと王宮主催のものぐらいである。
出席した際も、ダンスは必要最低限の一回ずつぐらい、後は座っているか、早々に退散するかで殆ど誰とも会話せずに終わっている。
そのためユーリアについた渾名は『幻姫』。その整った顔立ちを見た事のある数少ない人達の噂話が広まってその名がついたらしい。
病弱で儚げ、華麗で見目麗しき公爵令嬢と言う肩書が独り歩きしている。
実際は病弱どころか今までに風邪一つひいたことのない、所謂健康体そのものなのだが。
今日も本来なら公爵令嬢として招待状が来ている伯爵家主催の夜会に、ユーリア公爵令嬢ではなく、ヴァイオリニストのアイルとして来ている。楽団としてなのでお揃いの白いブラウスに黒のタイ、黒いスカートと中々動きやすい格好である。
周りの招待されたご令嬢やご婦人方は華々しく色とりどりのドレスで着飾っている。それはそれで着る大変さもわかっているので、皆様すごいなあとワルツを演奏しながら思っている。
今日の夜会、中々人が多いなと思っていると、その原因がわかった。入口付近に人だかりができていて、その真ん中を見ると金髪碧眼の男性がこの伯爵邸の主に案内されて広間に入って来るのが見えた。
この王国の第一王子であるベルンハルト・ドゥ・リヴィアニア、所謂王太子殿下である。
(ああ、今日の夜会は彼が来る予定だったのか、どおりで若い女性の出席者が多いはずだわ)
とユーリアは心の中で思っていた。
ベルンハルト殿下はユーリアの二つ上の18歳。これまた見目麗しい男性で、同じような年頃のご令嬢方は皆狙っていると言っても過言ではないだろう。その親もまた然り。あっという間に彼の周りに売り込みたい親とそのご令嬢方が集まっている。
まあ仕方ない所もある。もう18歳にもなるのに、まだ婚約者もいないのである。何人かの上位貴族のご令嬢方が候補に上がってるらしいが、もうちょっと勉学に、という事らしく、決められた方がいない。イコールまだ見初められるチャンスがある!と言う事で彼が出席する夜会はかなりご令嬢方の出席率が高くなるのだ。
ちなみにユーリアも婚約者候補の一人である。まあ筆頭公爵家令嬢で、2歳年下となればドンピシャである。だが、まったく彼に興味がなく、ヴァイオリンの事しか考えてないユーリアにしたらいい迷惑である。
(さっさと決めてくれないかしら、婚約者)といつも心の中で呟いている。
そうなのだ、もし万が一、いや、まずないがユーリアが婚約者となった場合のために今こうやって姿変えをして身分を隠してヴァイオリンを弾いているが、王太子の相手が決まってしまえば、自分は別に誰かと結婚したいわけではないので、ユーリアとしての姿でずっと楽団や音楽を続けて行ければ、と思っているのだ。
公爵家も弟がいて、家を継ぐ者がいるし、自分はずっと一人でもヴァイオリンさえあれば生きていけるし、と考えながら今日も弾いていた。
一旦出番が終わり休憩時間、ちょっと一休みと思い、手洗い場に行こうとすると、廊下でたむろっているご令嬢方がいた。
ユーリアも知っている、伯爵家と男爵家のご令嬢方四人がいる。
大丈夫、バレないバレないと思い横を通り過ぎると、話している内容が聞こえた。
「…でも、王太子殿下もいつになったらお決めになるかしら」
「本当に。さっさと決めてもらわないと、いらない期待をしちゃうわよね」
「でも、ズカト伯爵家のイリナ様で決まりそう、とも聞いたわよ」
「え、彼女なの?ちょっとあれじゃない?私、リリエスタ公爵家のユーリア様が最有力だと思ってたんだけど」
ピクッとユーリア(今はアイル)の耳が動いた。 手を洗いながら(私?私はないでしょ)と思って聞いていると
「え、でも彼女もちょっと無理じゃない?病弱って話だし、現に夜会とかお茶会に全然出てこないじゃない。『幻姫』だかしらないけど、そんなんじゃだめじゃない?私見たことないからしらないけど、本当にそんなにいうほど美人なの?」
…………この場から早く去ろう、うんそうしよう。
ユーリアが姿変えを使っていて良かったといつも思う。どこの夜会に行っても大体こういう情報が聞こえてくる。
どこの令嬢がー、あそこの方がーと言う話はこういう手洗い場などあまり人気のない場所で行われている。他の方が来た時には、話を止めたり、違う普通の話に切り替わったりする。
しかしアイルの姿のように、貴族じゃないと思われるとはっきり言って無視される。いないものとして扱われているのだ。まあそれは助かるのだが。
おかげでユーリアとしては夜会などには殆ど出てないのだがどことどこの家が仲がいい、とか、悪いとかがわかってしまった。
(いいんだか、悪いんだか)
そう思いつつユーリアはその場から立ち去ろうとして踵を返す。するとご令嬢方の一人から
「そこのあなた」
ユーリアはギクっとして止まる。私よね……他にいないし……。
「……はい?」
大丈夫、バレないバレないと思いつつ振り向く。
「あぁやっぱり。先程まで楽団でヴァイオリン弾いてた方よね?素晴らしかったわ。今度是非我が家の夜会にも来ていただきたいわ」
……そっちか。
「ありがとうございます。機会がありましたら是非」
よろしくお願いいたします、とにこやかに微笑んで挨拶をして早々に立ち去る。
見えなくなった所で足を止め、ふぅと一息つく。
「ホントに早く決めてくれないかしら、婚約者」
と言いつつ、広間の人だかりを見ながら戻っていく。
夜会など出番がない日でも練習場には誰か来ていて、皆、練習をかかさない。少しでもいいから毎日腕や指を動かしておかないと鈍ってしまうからだ。
ユーリアは両親から楽団に入る事を許可してもらう代わりに姿変えの事と、もう一つ条件があった。
それは万が一の事を思って(ユーリアはないと思っているのだが)一応王太子妃候補としての勉強もしておくこと。まあ元々勉強は嫌いではなかったし、楽譜を覚えることが得意な感じで記憶力にもそれなりに自信があり、親がつけた家庭教師の教えはちゃんとこなしていた。大体午前中は家庭教師、午後からはヴァイオリン、といった生活をずっと続けていた。楽団の練習場に行けない時でも自室での練習はかかさずに行っていた。
今晩もどこかの夜会に出る予定の日、午後から練習場にきていた。今日は個室で一人、音を奏でていた。
扉のノック音がなり、振り向くと人影が見えた。
ベルファだ。彼も自分と似たような時期からチェロを始めたらしい。ユーリア(今はアイルだが)が扉を開けると
「入ってもいい?」
「どうぞ」
本来なら異性と二人きりはあまりよろしくはないのだが、彼も自分と同じ楽団に所属していて、ユーリアが色々な夜会にヴァイオリニストとして出始めた頃、彼もまたチェリストとしてよく出るようになったため、同じ夜会によく出ていて、もう遠慮のない感じになっている。ユーリアの姿変えの事はしらないので、平民同士、といった感じで接してくれるので助かっている。
「今日のは出るの?」
「あぁ行く」
「ベルファならもっと上の方いけるんじゃないの?それこそ宮廷楽団とか」
ベルファもチェリストとしてはかなりの腕前だ。しかしいつも出てるのは男爵家や子爵家などだ。公爵家などのにはちょっと他の仕事があるから、と言っている。どうやら楽団の仕事だけで生計をたてているわけではないらしい。まあ確かにどこかの専属やお抱え音楽家にでもならない限りは無理だろう。
「俺の腕前じゃまだまだだよ。師匠もいるし」
そうなのだ、宮廷楽団にはユーリアの師匠の他にも各々の楽器でこの国一番と呼ばれている音楽家がいるのだ。中々その域には達せそうにはない。
「そうね。中々ね」
「アイルこそ。これからどうするの?このままヴァイオリン続けるの?」
「そうね、どこまでできるかしら」
と溜息をつく。
「………二人で」
「ん?」
「二人で演奏しながらこの国まわって歩くってのはどう?」
「…………!」
それって………。ベルファの頬も少し赤くなっているような気がする。
「……そうね、ベルファとならいいかもね」
と小さく呟く。
「ん?なんて?」
聞こえなかったのか、ベルファが聞き返してくる。
「ううん、何でもない。それは楽しそうだけど中々無理よね」
と苦笑いして返す。
「俺は本気だよ。アイルとなら…」
と言いかけた所でノックの音がした。ん?と見ると師匠のハイドだった。
「お話中失礼するよ、ごめんね」
「いえ、大丈夫です。何かありましたか?」
アイルが尋ねるとハイドは
「アイル、来週の水の日、夜空けられる?」
「水の日ですか?」
何かあったような……。
「王家主催の夜会があるんだけど」
そうだ!それだ、確かユーリア宛にも招待状が来ていたはずだ。まだ返事してないけど。
「一人ちょっと空きができてね、アイルならって推薦したいんだけど、どうかな?一回くらいだめかな?」
師匠はユーリアの事を知っているので、暗に公爵令嬢としての立場を欠席して出られないかと聞いているのである。中々ない機会である。一も二もなく
「出ます!出たいです!」
一回くらいなら王家主催のものでも欠席してもいいだろう。こんな機会はもうないかもしれないし。
「なら、よろしく頼んでいいかな。来週水の日ね。一、二曲、僕の代わりにマスターつとめてもらうかもしれないけどいい?」
「いいんですか!嬉しいです!」
ハイドはニコっと笑って
「じゃあ頼んだよ」
と部屋を出ていった。
「良かったな、アイル」
ベルファが一緒に喜んでくれた。
「嘘みたい!宮廷楽団として出られるなんて!凄い嬉しい!」
「頑張れよ。練習付き合おうか?」
「頼んでいい?」
「もちろん」
にこやかに頷いてくれたベルファと練習の約束をして、とりあえずは今日の夜会に向かった。
今夜の夜会は王族の出席がないのか、あまり出席者はおらず、いつもより早めに帰宅できた。
リリエスタ公爵邸に戻り、お父様に今回だけ!と頼み込んで、押し切って『欠席』を勝ち取った!よし!
水の日までの数日、時間の許す限り、練習場に通って練習し、時間が合えばベルファも一緒に合わせてくれた。帰ってからも自室で練習して、朝起きてからも勉強の合間に練習していると、最初はあまり『欠席』にいい顔をしていなかった両親も、仕方ない、といった感じで何も言ってはこなくなった。
王宮主催の夜会当日、両親達は公爵と夫人として出席するため、リリエスタ公爵邸でも朝からバタバタしていた。
自分も緊張していないつもりでも、なんとなく違う感じなのはわかった。仕方ない、八年前に初めて見て、心奪われたあの宮廷楽団に自分が一員として座って演奏できるのだ。こんなに嬉しいことはない。夢が叶うのだ。
とりあえず落ち着いて、と深呼吸をして、鏡を見ながら、姿変えの魔法を自分にかける。
金髪翡翠色の瞳から茶髪茶瞳に変わる。髪の長さも腰辺りから背中真ん中辺りまで短く変わる。
「よし、大丈夫」
確認して屋敷を出る。一度練習場に行って皆と合流して一緒に王宮に向かう。
王宮内の宮廷楽団の控室に入ると見知った顔が目に入る。アイルを見ると皆
「今日はよろしくな」
「良かったわね、頑張って」
と声を掛けてくれた。有り難いしとても嬉しい。
控室では各々音を出し、調子を確認する。アイルも何度か鳴らして整える。
最後にちょっと、と控室を出て手洗い場に向かう。
えっとこっちかしら、と廊下と部屋の位置を確認しながら歩いていると近くから話し声が聞こえた。
そちらを見ると階段の踊り場に金髪碧眼の男性が数人のご令嬢に囲まれていた。
ベルンハルト王太子だ。となると周りのご令嬢方は売り込み中の方々か。
うーん、まあバレないはずだし、と思いつつ近づく。というか横を通らないと控室に戻れないのだ。
「今日のファーストダンスはどなたか決まってらっしゃいますの?よろしければ是非」
「あら、私も」
色々聞こえてくる。激しい売り込み合戦だなあ、こんな踊り場なんかでしなくても、と思いながら、私には関係ない、とご令嬢方の後ろを通る。
「いえ、今日は是非私と」
と、一人のご令嬢が皆を押しのけた形で前に出る。押しのけられたご令嬢の一人がフラつき転びそうになった。
その時だった、そのご令嬢がちょうど後ろを通ったユーリアにぶつかった形になったのは。
――――――え?
そう思った瞬間、ユーリアの身体は階段の上に浮いていた。ユーリアの瞳に焦っているベルンハルト王太子が映った。手を伸ばしているが、届くはずもなく。
「アイル!!」
叫び声が響く。あれ、この声、と思う暇もなく、階段下の廊下に身体を打ちつけられたユーリアは気を失った――――――
「………だから、早く治してやって!ヴァイツェンなら治せるだろう?」
「殿下、落ち着いてください。確かに治せますが、彼女に確認しないと…」
―――――なんだろう、言い合ってる声が聞こえる。ここは、どこだ?私は一体………?
は!さっき階段から……ご令嬢に当たって、えっと……と思いながら、ぼやけた頭を動かす。
ハッと思い出し、目を開ける。額をおさえながら起き上がる。
「………わたし、そうだ……出番が!……っつ!」
右腕に激痛が走る。え?一体何が……?
「目が覚めた?大丈夫、ではないな」
ユーリアは思考が停止していた。もちろん右腕の激痛が何なのか、も、わかっている、が目の前の男性がユーリアの思考力を奪っているのは間違いなかった。
金髪碧眼の男性、ベルンハルト王太子が目の前に座って、私の顔を心配そうに見ている。
「ベルンハルト王太子…殿下、あの私……はっ!あの夜会は!」
やばい、出番が!というかこの右腕じゃ……。
あーせっかくの宮廷楽団での演奏会が……もうこんな機会はないかもしれない。それよりも右腕がこんな状態じゃもうヴァイオリンを弾けないかもしれない。そう思うと涙が溢れてきた。ポタポタと自分の膝に落ちていく。ああだめだ、とグイッと目元を拭く。
「すみません、ここはどこでしょうか?」
とりあえず少しでも冷静にならないと、と思い声を出す。すると目の前のベルンハルト王太子が
「ここは王宮内の一室です。先程の事は覚えていますか?階段から落ちて身体を打ってしまって。気を失ってしまっていたので私がこちらまで運びました。お身体に触れてしまったこと、申し訳ありません」
「い、いえ、こちらこそお手を煩わせてしまって……あ、あの!夜会は?夜会は始まってますか?」
私はどれだけ気絶していたのか?
「いえ、まだ始まっていません」
確かに出席者であるベルンハルト王太子がここにいるのだからまだ、なんだろう。良かった、と息をつく。と、同時にまた右腕に痛みが走る。
「っつ!」
顔をしかめたのがわかったのか
「痛みますか?多分階段から落ちた時に打ってしまったのかと」
他の場所に痛みは?と聞かれたが、右腕の痛みが大きいため、他は気にならないと言うかわからない。
だがヴァイオリニストとしては致命的だ。弓が持てない。
さっき拭いた目がまた潤むのが分かった。
悔しいなあ……。最初で最後のチャンスだったかも知れないのに……。またスカートに染みができた。
「アイル嬢、一つ相談があります」
「相談?」
目頭を拭いて殿下に向き合う。そういえば何で名前知っているのかしら?王太子って楽団の人まで覚えてるの?と考えていたら
「ここにいるヴァイツェンはこの王国一の魔道士で回復魔法も随一です。あなたのその腕もすぐに治せるかと思います」
「すぐに治せる?本当に?っつ……」
思わず叫んでしまった。また右腕が痛んだ。本当にこの強い痛みが消えるのか?
「治せます。ただ…」
「ただ?」
何があるのだろう?お金?何?考えていたらヴァイツェン様が
「後は私が説明するよ。殿下は陛下と王妃様に説明して少しでも開始を引き伸ばして。そうだなあ、あと20分ほど」
ヴァイツェン様がそう告げるとベルンハルト王太子は
「……っ。わかった。こっちはまかせてくれ。後は頼んだヴァイツェン」
そう言って部屋を出て行った。
では、とヴァイツェン様が部屋の奥の方を向いて声を掛ける。
「アルフォンスもちょっと手伝ってくれる?」
ん?と思ってそちらを見るとまだ10歳にも満たないような男の子が座っていた。はい、と小さく答えたその子は立ち上がってヴァイツェン様の隣に来た。
「では、説明するね」
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アイルはヴァイオリンを抱えて広間に入った。ベルンハルト王太子殿下がこっちを見ているのがわかった。会釈をして、楽団の方に向かっていく。
自分の場所に座ると皆が心配してくれた。どうやら怪我をした、と言うのは伝わっていたらしい。
「大丈夫なのか?」
隣に座る師匠のハイドが尋ねてくる。
「大丈夫です。魔道士の方に治していただきましたので。ただすみませんが、何が起きてもビックリなさらずに皆さん演奏を続けてください、お願いいたします」
皆、?な感じだったが、師匠がわかった、と言ってくれたので大丈夫だろう。
ヴァイオリンを構えて右手を動かしてみる。大丈夫だ、痛みはない、イケるはずだ。
王族の方々の方を見るとベルンハルト王太子殿下が国王陛下に何かを話している。私が着くのを待っていてくれたみたいだ。
国王陛下が宣言をして夜会が始まった――――
最初の一曲目は、国王陛下と王妃様、その日デビュタントした者だけが踊る。今日は七組いる。
指揮者が構える。私達演者もそれを見て構える。
国王陛下と王妃様が開始位置に着き、ホールドした所で指揮が始まる。
ワルツが奏でられ、広間の真ん中で国王陛下と王妃様、初々しい七組が足を動かして軽やかにステップを踏んでいる。
アイルも練習の成果を発揮して宮廷楽団に相応しい音を奏でていた。楽団のマスターとして誰も文句を言うものはいないであろう。それほどに素晴らしい音色なのだ。
曲が終わり、踊っていた者達はカーテシーをして、一旦下がる。国王陛下と王妃様も最初に座っていた所に戻る。
二曲目からは決まりはなく、誰が踊ってもよい。先程よりかなり多い人々がフロア真ん中に向かっていく。
今度は指揮者も誰のホールドも関係なく、指揮棒を振り始める。アイルの右腕も何事もなかったかのように、いや寧ろ調子よく動いている。
大丈夫だ、まだ大丈夫だ。そう言い聞かせてアイルは指を動かし、腕を動かす。
二曲目も無事に終わった。ふぅと一息ついた所で、隣のハイドが気づいた。
「アイル、瞳が」
「え?あ」
と目を押さえた所で三曲目に入るために指揮者が構えた。
もう、だめか……。
「すみません、何が起きても弾き続けてくださいね」
と、周りの人達に声をかける。と同時に三曲目が始まる。
フロアでワルツを踊る者達もその周りで歓談している者達もその事に気づいて、ざわめきが起こり始める。
宮廷楽団の一番前で素晴らしい音を奏でている茶髪茶瞳の女性がどんどん変化していっているのだ。
茶色の髪は長くなり、そして見事な金髪へ。瞳の色もこの国ではよくある茶瞳から綺麗な翡翠色の瞳へと変化していっているのだ。でもその本人は何事にも動じず、ヴァイオリンを弾き続けているのだ。
---三十分前の王宮内の一室---
「では、説明するね」
とにっこりと笑っている。
「結論から言うと、その腕は治せる。むしろ調子よくなるだろう」
「そうなんですか?」
「ああアルフォンスもいるから間違いなく、痛みも消えるはず」
アルフォンス?その名前と年齢、もしかして第三王子の……?
顔に出てたのかヴァイツェンが
「彼はアルフォンス・ドゥ・リヴィアニア。この国の第三王子だ。魔力は私よりあるから安心して」
やっぱりそうか。魔力が有り余るほどだ、とは聞いていたが。
「一つ確認なんだけど、君、今魔法使ってるよね。姿変えの魔法」
ヴァイツェン様の質問にビクッとなる。
「……わかるんですか?」
「普通の人はわからないと思うよ。私とかアルフォンスはわかるけど」
「使ってますが、それが何か?」
関係あるのだろうか?
「今から私とアルフォンスで掛ける回復と治療魔法なんだけど、魔法の上から掛けると先にかかっている魔法が消えるんだ」
「え?それって……?」
「同じような強さの魔法なら大丈夫なんだけど、どうしても強い魔法を掛けることになるから、上書きになって君の魔法が消える。だから君が本来の姿に戻ってしまう、と言うことだね」
戻る、それはすなわち金髪翡翠の瞳に戻ると言うこと。そのめずらしい色合いと整った顔立ちになれば、間違いなくリリエスタ公爵家のユーリア嬢と気づく人がいるだろう。ただでさえ王家主催だ、高位貴族だらけだ。ユーリアがいくら夜会やお茶会にあまり出ていなくても、高位貴族となれば別だ。顔は知られている。
流石に公爵令嬢の姿で楽団の位置に座るのはまずいだろう。それも今日はマスターの位置だ。一番前だ、
目立ち過ぎる。
更に今日の夜会、病弱設定の体調が悪いと言うことで欠席扱いになっている。元気でヴァイオリンを弾いている、となると色々問題かあるのではないだろうか…。
「それは治療してもらうとその場で元の姿に戻ってしまいますか?」
ユーリアはヴァイツェンに尋ねた。
「そうだね、君の魔力量だと…掛けてから30分くらいで解けるかな」
30分……。逆に言えば30分はバレないと言うことか。
「どうする?掛けていいかい?」
ユーリアの心に迷いはなかった―――――
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
曲が終わり、踊っていた者達もバラけていく。飲み物を取りに行く者、庭に涼みに行く者。
普段の夜会なら陛下に挨拶に行く者などが連なっていて、ザワザワとした雰囲気で音楽を奏でている者などに誰も興味はない。
しかし今夜だけは違った。ザワつく感じはいつも通りかもしれないが、視線はある女性に集中していた。
王国屈指の宮廷楽団、それも一番前のマスターの席。女性が座っていること自体めずらしいのだが、さらに最初は茶髪茶瞳の女性が曲の途中から、どんどん髪が長くなり、茶髪から見事な金髪へ。さらに瞳の色もあまりみないような綺麗な翡翠の色に。顔立ちもスッキリと整った感じに変化していったのだ。ずっと見ていなければ、人自体が入れ替わったと思うくらい違う人物だ。そしてその人物が誰か、と言うことだ。
一度でもユーリアと会ったり、見たことがある者ならばその整った顔を忘れることはないだろう。その者達の口からばれ始めた。
リリエスタ公爵家のユーリア嬢だ、と。
何故そこにいるのか?先程までの女性は?病弱ではなかったのか?今夜は欠席だったのでは?と色々な疑問が問いかけられているのがありありとわかる。
「皆、集中だ」
指揮者が楽団員に声をかける。
「とりあえず今は演奏だ。アイル、頼むぞ」
「はい」
ユーリアの姿で返事をする。指揮者が構えて曲が始まる。
出席者達もハッと気づき、また踊りだす。それでも皆気になり、チラチラとユーリアを見ている。
ユーリアはもう開き直って、演奏に集中していた。
あの部屋でヴァイツェン様に説明された時、迷わず、
「治療してください!」
と叫んだ。
(どちらにせよ最初で最後かもしれないのだから、目の前の確実なものをとる!途中で戻ってもどうにでもなれ、責任は自分でとる!)
そう思ってヴァイツェン様とアルフォンス殿下に回復と治療魔法をかけてもらった。
右腕の痛みはなくなり、動きも普通だ。むしろ動いている。
「ありがとうございます!」
「どういたしまして。でも本当に良かったのかい?バレたら」
「バレたらバレたときです。今日演奏できなかったら、次いつあるかわからないですし、もしかしたらないかもしれない。そうなると一生後悔します。それならもう今日が最後だと思って思いっきり弾いてきます!」
お礼を言って、控えの部屋に戻り、自分のヴァイオリンを準備する。そして広間にかけつけたのだ。
そして今見事な音色を奏でている。その音に聞き惚れているのか、その人物に見惚れているのか。
先程までの勘ぐるような視線ではなく、今はもう感嘆の眼差しに変わっている。ユーリアと楽団が奏でる音楽に皆、引き込まれている。
ユーリアが担当する最後の曲の時に、師匠のハイドが
「アイル、立って演奏しなさい。その姿を魅せつけておいで。誰にも文句を言われないように」
と言ってきた。指揮者もウィンクして立ち上がるように指揮棒を振ってくる。周りを見ると皆、行け!と言ってくれた。お言葉に甘えて立ち上がった。
アイコンタクトで曲が始まり、ユーリアは最後の力を振り絞り、左手と右腕を動かす。曲の最後まで、見事に弾ききった。今までの人生の中で最高の演奏と言っても過言ではないだろう。
曲が終わり一瞬静かになった。その静寂を一人の拍手の音が破った。
――――――国王陛下だった。
ユーリアがそちらを見ると陛下に続き、王妃様、ベルンハルト王太子殿下もユーリアに向けて拍手をしている。そしてそれはその広間にいる者全ての拍手に変わっていった。
動きが止まっているユーリアにハイドが
「良かったね、アイル」
そう声を掛けられ、我に戻り、それは綺麗なカーテシーで挨拶をした。さらに拍手喝采が起こったのは言うまでもない。
出番が終わったユーリアは楽団の方々に挨拶をして控室に向かった。廊下を歩いていると向こうから来る人影に気づいた。
「お父様、お母様」
リリエスタ公爵と夫人だ。心配そうな顔をして
「あぁユーリア、大丈夫なのかい?怪我をしたと聞いたが」
伝わっていたのか。
「大丈夫です。ご心配かけて申し訳ありません」
一緒に控室に戻り、ヴァイオリンを片付ける。
もう、人前で弾くことはないかな、趣味としてならいいかしら、だったら許してもらえる旦那様を見つけないと、とか思いながら片付けていると
「いい演奏だったわよ、ユーリア」
「お母様……」
「そうだな、流石私達の子だ。これから何を言われるかわからんが、胸をはっていいぞ」
「そうよ、何か言われたらいいなさいね、私達はあなたの味方だから」
と二人共微笑んで言ってくれた。まあ一応筆頭公爵家だ。そこまで面と向かっては言ってこないとは思うが。影でどう言われるか。貴族社会の面倒くさいところだ。
「…お父様、お母様…ありがとうございます」
目が潤む。
国王陛下も王妃様も王太子も拍手をくれた。もう思い残すことはない。何を言われても怖くない。
じゃあ帰ろうか、とお父様が言ったところでノック音が聞こえた。はい。と答えると若い男性だった。見たことはある。
「お忙しい所申し訳ございません。私宰相補佐をしておりますイーヴォ・スタアストと申します。以後お見知りおきを。よろしければご挨拶を、と陛下がお待ちなのですが」
「!!」
三人共固まる。陛下?陛下って言った?そうだこの男性も王太子の隣にいるのを見かけたことがあるんだ。スタアスト侯爵家の方だ。
ユーリアの顔からサーッと血の気が引く。いまなら病弱と言っても皆信じてくれるかしら、とか考えてしまった。
仕方ない、断るわけにも行かず、三人で案内されるままに歩く。ヴァイオリンを抱えて、こんな楽団の格好でいいのかしら、とか色々な事を無駄に考えてしまっていると、立派な扉の前に着いた。
イーヴォ様がノックをし
「お連れいたしました」
と告げると中から扉が開いた。
国王陛下が見えた。が他の面々を見て、ユーリアは固まった。
国王陛下に隣に王妃様。そこまではわかる。わかるが、何故その隣にベルンハルト王太子殿下に、第二王子のエルヴィン様、第三王子の先程私を治すのを手伝ってくれたアルフォンス様。治してくれたヴァイツェン様もいる。
(何?なんなの?何が始まるの?やっぱり何か言われるの?)
公爵令嬢としての立ち居振る舞いは躾けられているし、それなりの教育は受けてきたので表情に出ることはなかったとは思うが内心気が気ではない。病弱設定ももう使えないわよね、と色々考えてしまう。
すると国王陛下が
「突然呼び出しで済まなかった、ユーリア嬢。公爵も夫人も気を楽にして欲しい」
いや、気を楽にと言われても。どうしよう、ヴァイオリンケース抱えているから挨拶がしにくいとか、ああカーテシーできないなとか、今それ考えなくてもよくない?ってことばかりが頭に浮かんでくる。
「夜会もまだ続いておるので手短に済まそうか。ユーリア嬢、今宵の演奏、素晴らしかった」
カーテシーができないため、とりあえず頭を下げて
「身に余るお言葉、ありがとうございます」
父も母も一緒に頭を下げている。
「我が息子のせいで怪我をしたと聞いたが」
大丈夫なのだろうか、と。ユーリアは慌てて
「そんな!殿下のせいではありません。私の不注意でありますので。それにそちらのアルフォンス様とヴァイツェン様に治していただきましてので、こちらのほうがお礼を申し上げる立場でございます」
「ならよろしいのだが。ところで話は変わるがユーリア嬢、先程の演奏時、最初は茶色の髪の女性だったと思うがあれはあなたで間違いないだろうか?」
―――――バレてる。
まああの席でなんの対策もせずに魔法が解けていったのだから仕方ない。さて姿を偽っていたことや、体調不良で夜会を欠席していたのに、あそこにいた事はどんな罪になるのか。
深呼吸して顔を上げる。大丈夫、私の心は決まっている。あのヴァイツェン様に『治してほしい』と言ったあの時からもう決めてある。
「……はい、私でございます。この夜会において皆様をお騒がせいたしましたこと、誠に申し訳ありませんでした。この事は全て私一人が考えて行動しております。楽団や両親には一切関係はごさいません。罰せられるのは私一人でお願いいたします」
頭を深く下げる。
「罰する?何故?」
「お騒がせいたしましたので」
罰せられないのか?と思いながらユーリアは答える。
「罰ではなく褒美だと思っていたが、なあアレクシア」
話を振られた王妃様も
「そうですわ、あれほどの演奏中々聞けるものではありませんし、何故今まで王宮で演奏してもらえなかったのかが不思議ですわ」
とても素晴らしかったわ、と。
「そう思っていただけるとは身に余る光栄でございます」
頭を下げたまま答える。
「時に何故、ユーリア嬢は姿変えの魔法を?それに今宵の夜会は体調不良で欠席と聞いていたが。今までも病弱と伺っていたが」
一気に全部来た。もうどうにでもなれ、だ。
もう一度深呼吸する。顔を上げる。恥じる事などはない、堂々と胸をはる。
「……小さい時にこの王宮にて拝見いたしました宮廷楽団の音色に心奪われ、いつかあの一員に、と思い今までやってまいりました。公爵家という肩書によって見られたり判断されたりすることがないよう、姿変えを使い、平民としてやって参りました。楽団の皆様も一平民のアイルとして接してくださいました」
皆、静かに聞いてくれている。
「病弱と言うのは偽りでございます。楽団の一員として貴族の方々の夜会などに出る際、公爵家としての出席を断るために私がついた嘘でございます。本日も初めて王宮の夜会に楽団として、マスターとして立てるチャンスをいただき、どうしてもと思い偽りました。申し訳ありませんでした。どのような罰もお受けする覚悟でございます」
「罰か……そうだな。しかしこれでユーリア嬢だとわかってしまったわけだが、これからはどうするつもりかな?」
バレてしまった以上、これまでと同じように、という訳にはいかないだろう。ユーリアもそれはわかっている。本当にベルファと一緒にこの国を周ろうか、誰も私の事をしらない土地を。
でもそういうわけにもいかないのもわかっている。そして公爵令嬢という立場もある。これ以上家族に迷惑をかけるわけにはいかない。
「……今まで通りとはいきませんので、ヴァイオリンは今日で一度封印したいと思います。人前で弾くことはもうないかと。これからは公爵家の一員としてこの国のために尽くさせていただきたいと思います」
そう告げると王妃様が
「でも今回うちの愚息があなたに迷惑をかけて怪我させたせいで魔法が解けることになったのよね?そうでなければ、バレることもなくあなたの設定はそのままでまだまだヴァイオリンを弾けたんじゃなくて?それを思うと今日限り、って諦められるの?」
今、愚息って……いやそうではなくて、確かに王妃様の言う通りだ。まだまだ続けられるとは思っていた。それを突然諦められるのか。でも、とヴァイオリンケースをギュっと抱き締める。
「はい。ヴァイツェン様に説明された時に覚悟は決めてました。続けるのならあそこで治療を断って、帰っていたと思いますし、最後と思い先程は思いっきり弾かせていただきました」
そうだ、そう決めたんだ、あの時に。だから。
「そして国王陛下、王妃様、殿下方や皆様から拍手をいただき、もう思い残すことは」
ありません、と言おうとした時にヴァイオリンケースに何かか落ちた。
それは染みになり、一滴二滴と落ちてきた。そんなに簡単に諦められるわけがない。でも今回ばかりはどうしようもない。だめだ、人前で涙など、公爵令嬢としての矜持を保て、と言い聞かせて、袖でさっと拭い顔を造る。大丈夫だ、ヴァイオリンを取り上げられるわけではない。趣味として弾いていけるはずだ。
「思い残すことはありません。ありがとうございました」
と頭を下げて顔を隠す。大丈夫だ。
「ならば」
と国王陛下が声を出す。
「今まで偽っていたと言う分の罰を考えねばならないが、先程、これからはこの国のために尽くすと言っておったな?」
「はい。いかようにも」
もうどうとでもなれ、だ。
「なら我が息子と結婚してもらおうか」
―――――――――は?
今なんて?結婚?いや、聞き間違いよね?
「………何を、え?」
「そこにいるベルンハルトと結婚を、と言った。この国のために尽くしてくれるのであろう?これ以上ないと思うが。なあ」
隣の王妃様に尋ねている。いやいや、今まで殆ど接点ないですよ?まともに話したこともないですし、と先程の涙なんかどこかに引っ込んでいった。
「そうですわね、王太子妃として、ゆくゆくは王妃としてこの国のために尽くしていただければ」
にっこり微笑んでいる。いやいや待って待って、どうしてそうなる。
呆然としていると国王陛下が
「ユーリア嬢はどなたか心に決めた者がおられるのだろうか?婚約などはされてないと聞いていたのだが」
「……確かにそうですが…」
心に決めた者、と言われフッと茶髪茶瞳の彼のことが思い浮かんだ。そういえば彼はどうしているだろうか。今夜は他の仕事があるからとここにはいなかったはずだ。
あぁでもこうなった以上彼にはもう会うことはないのだろうか。説明もできないままだ。
「まったくいない、と言えば嘘になりますが…」
後ろにいるお父様とお母様がびっくりしている。そりゃあそうだろう、今まで何も言ってないし。
陛下の隣にいるベルンハルト殿下も少し驚いている。でもこの人は本当に私なんかでいいのだろうか?いくら陛下が言っているとはいえ、殆ど話したこともないような女と。
「ほう、それはどなたかな?流石に思い合ってる二人を引き離すのも、なあベルンハルト」
と殿下の方を向いている。ユーリアは
「いえ、こうなった以上もうアイルとしては戻れませんし、楽団にも戻ることはないので彼に、その人に会うこともないでしょうから…」
と正直に話す。
「それは茶色の髪と瞳のチェロを弾いてる男性かしら?」
王妃様の一言にユーリアの動きが止まる。王妃様はにっこり微笑んでいる。何で?どうして?え?
「……どうしてそれを、え?」
もう公爵令嬢としての仮面が外れかかっている。というか外れているも同然だ。さらに畳み掛けるように王妃様は
「だそうよ、良かったわね、ベルンハルト」
「……っ母上!」
ベルンハルト殿下の顔が赤い。何で?何が起こってるの?目元を押さえて考えている殿下がいる。
「彼女だけ元に戻るなんておかしいでしょう?まああなたは反対だけど」
「…………」
王妃様の言葉に目元を押さえたままのベルンハルト殿下が顔を上げる。まだ少し赤いような気がする。深呼吸をしている。
歩き出し、私の目の前までやってきてひざまずいた。
何が起こっているのかがわからない。この状況は一体何?
ベルンハルト殿下がヴァイオリンケースを両手で抱えていた私の左手を取り、自分の口元近くに持っていく。
「私、ベルンハルト・ドゥ・リヴィアニアはユーリア・リリエスタ嬢を愛しています。どうか私の手を取って、共に歩んでくれませんか?」
………頭がついていかない。え?何?これって求婚?え?だってまともに話したこともない相手ですよね?私なんかでいいんですか?
あっけにとられて動けない私に殿下はさらに畳み掛けてきた。
私の左手をつかんだまま、目を瞑って何かを唱えている。殿下の身体が少し光る。その呪文は……もしかして。
そして私の左手を掴んでいた金髪碧眼の青年は皆の目の前で茶髪茶瞳の青年へと変わっていく。
――――ベルファだ。
先程ベルンハルト殿下の口から出た呪文、それはユーリアも毎日のように唱えていた『姿変え』の呪文。
それを唱えた殿下が毎日のように会って、話して、一緒に練習をしていた彼に変わる。
彼はユーリアの左手を握り直し
「そしてこれからもずっと俺と一緒に二重奏をしてくれませんか?」
――――――嘘だ。何で?何でベルファが……。
いや、でも確かに思い出すと……二人同時には見たことはない。ベルファが一緒に弾いている夜会には殿下の出席はない。反対に殿下が出席している夜会にはベルファはいない。彼はいつもなんと言っていた?
『他の仕事があるから』
そうだ、高位貴族主催の夜会にはベルファは出てない、出られない、と言っていた。
それは『ベルンハルト王太子殿下』として出席しなければならないから。
そう考えると全てがつながる。
「……嘘、でしょ…」
「嘘じゃない。騙していたわけじゃない。ずっといつ話そうか考えていた。でも話したらこの関係が崩れそうで怖かった。王太子殿下としてではなく、ベルファとして接してくれるユーリア、いやアイルが離れていくのが怖かった。王太子として見るユーリア嬢は毅然として誰も近寄れないような雰囲気で。でもアイルとしての君は笑顔で誰とでも明るく話す。その笑顔を見られなくなるのが怖かった」
ずっと黙っていてすまなかった、と。
あぁそうか、だからあの階段から落ちた時「アイル」と叫んだのか。普通は楽団員の名前なんてしらないはずなのに。それなら合点がいく。
頭の中でぐるぐると考えている私にベルファは
「ずっと昔から君だけを見ていた。俺と結婚してもヴァイオリンを止める必要はない。俺も一緒に、ずっとチェロを弾く。アイルと、ユーリアと一緒に奏でていきたい」
今何と言った?
「……ずっと、昔から?」
私がベルファに会ったのは楽団に入ってからで、三年?四年くらい前であって、そんなに昔では……。そこで気づいた。後ろにいる両親が驚いてはいないことに。普通娘が王族から求婚されたら驚きますよね?なんで?知ってたの?
両親を見るとちょっと困ったように笑っている。どういうこと?
頭の中がさらにぐるぐる状態な私に王妃様が
「あなたが先程言っていた、初めて王宮で宮廷楽団を見た時の事、覚えてる?八年くらい前よね」
「は…い」
忘れられない、あれがきっかけで私はヴァイオリンを始めたのだ。
「その時の宮廷楽団の音楽『以外』の事、覚えてるかしら?」
「音楽『以外』?」
以外?何があった?あの時は似たような年頃の貴族の子息や令嬢が集められてて、お菓子を食べてて……。
王妃様がフッと微笑んで
「あのお茶会ね、ベルンハルトのお見合いだったの」
「……え?!」
お見合い?お見合い?だってまだ八歳とか……。
「あぁ堅苦しい感じではなくて、気の合う子はいるかな?って感じで。あの時はベルンハルトが十歳だったから、ニ、三歳差ぐらいまでの子を集めてね」
王妃様が話していく。何だか目の前のベルファの顔がどんどん赤くなっていっているような……。
「そこであなたと出会って一目惚れってやつね。あとは本人に説明させるわね」
とお茶目な感じで王妃様がウィンクしてくる。
ベルファの格好のベルンハルト殿下(ややこしいな、おい)はまだ少し顔が赤いが、一度深く深呼吸した。
「…あの時、楽団に釘付けになっているユーリア嬢が気になって。でも君は音楽に夢中だった」
………そうですね、間違いないです…。
「意を決して話しかけたけど君は『どうも』だけだった」
とふぅと溜息をつかれた。
「……そうでしたか。申し訳ありませんでした…」
確かに、あの時は誰に話しかけられても、どうも、しか答えてなかったと思う。まさか王太子殿下にまで話しかけられていたとは……。(何やってたんだか、私は…)ユーリアは額に手をやり昔の自分を呪った。
「両親に話をし、リリエスタ公爵にも話をしようとしたら、君はもうヴァイオリンを習いはじめていて、それに夢中だと。それで婚約者云々を持ち出したら絶対に王太子妃教育なんか嫌だと、ヴァイオリンをやりたい、と断られるに決まっているし、君の好きなことを奪うのもいやだった」
確かにあの時点でお伺いがあったら私はまずお断りしていただろう。うん、間違いない。その判断は正しい。
「ならどうしたら、と考えたのが自分も楽器を習えばいい、と。そしたら君と話もできるし、一緒にいる時間が作れると。同じヴァイオリンよりかは違う楽器にした方が色々といいかと思ってチェロにした。君はハイドに付いてからメキメキ上達していった。俺も負けないようについていけるように死にものぐるいで頑張ったよ」
なんか申し訳ない、王太子としても忙しかっただろうに。
「そして同じ楽団に入って、顔を合わせて、名前を覚えてもらって、一緒に演奏して、意識してもらったと思ってもいいかな?」
「…………う」
ベルファが姿変えを解く。金髪碧眼のベルンハルト殿下に変わる。
「私を選んでくれたら一生ヴァイオリンを止めることはしなくていいし、なんなら一緒に二人で演奏して周ろうか」
いやいやいや、それは無理でしょう……。でもヴァイオリンを続けられるって……本当に?あきらめなくてもいいの?弾き続けられるの?
声が出てたのか顔にでてたのか殿下がフッと微笑んで
「諦める必要はないよ、あれほどの演奏家を国としても手放す気はないからね。ねぇ父上、母上?」
「もちろんだ」
「もちろんよ、やめさせたらそれこそ国のためにならないわ」
目頭が熱くなるのがわかる。駄目だ公爵令嬢としての教育を思い出せ。
「ユーリア嬢、いや、ユーリアと呼んでも?」
その言葉に頷く。もう一度ベルンハルトがユーリアの左手を握り直す。
「ユーリア、返事をもらっても?」
ベルンハルト殿下の微笑みがユーリアを包み込む。この微笑みとユーリアにとっては願ってもない条件に誰が逆らえるというのだろう。ユーリアはベルンハルトの手を握り返して
「……私でよければ。よろしくお願いいたします」
とやっとの思いで振り絞った声で返事をした。
後から知ったのだが、あの八歳の時のお茶会以降、リリエスタ公爵家にはユーリアに対する婚約の申込みが山ほど来たらしい。
それを知った国王陛下と王妃が手を回し、リリエスタ公爵と夫人も了承して全て断っていたらしい。
ユーリアはヴァイオリンに夢中で気づいていなかっただけで、年に何回かは断っても断っても申込みがあった。だがベルンハルト殿下からの圧力で公爵は全て断っていた。
ユーリアにはヴァイオリンを黙認する条件として、色々な勉強を課していたが、ユーリアは知らずにこなしていたがそれは全て王太子妃としての教育だった。
ベルンハルト殿下の一目惚れからの想いは八年間変わることなく、王家の権力を行使して、ユーリアを手に入れるために頑張ってきた。
『病弱設定』もユーリアから提案を受けた公爵がこれ幸いと広めて、他家からの誘いを断っていた。
「そりゃあそうよね。いくら『病弱』でも筆頭公爵令嬢なんて肩書だけでも婚約の話が一つも来ないなんておかしいわよね……」
ユーリアはお茶を飲みながらそう呟いた。
「何か言ったか?ユーリア」
隣に座って一緒にお茶を飲んでいる金髪碧眼の美青年が問いかけてくる。
「いえ、なんでもありません、ベルンハルト殿下」
「……」
「何か?」
「殿下はいらないって言っただろう?」
「でも」
「ベルファの時と同じでいいから」
いや、それは無理では……。
怒涛の夜会から一夜明け、今日は王宮内のベルンハルト殿下の執務室に呼ばれている。
「じゃあベル、なら変わらないだろう」
「本当にいいんですか……?」
「当たり前だろう」
「ベル」
「何だ?」
いえ、呼べと言われたからなんですが……。顔が近づいてくる。
「近いですよ」
「近くしてる」
もう離さないから、と抱き締められて軽く口が触れてきた。
夜会から三日後、あれよあれよと言う間にトントン拍子で話は進み、二人の婚約は国中に発表された。
『幻姫』とまで呼ばれた筆頭公爵令嬢と王太子殿下との美男美女同士の婚約発表に国中がわいた。
一年後には国をあげての盛大な結婚式が催され、仲睦まじい姿を国内外にみせつけたのだった――――
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こちらは『竜王の契約者』のスピンオフとなっております。よろしければ是非本編の方もよろしくお願いいたします。
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