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40◇はなむけ

 展可が鍛錬を終えて部屋へ戻ろうとすると、廊下で煌びやかな一行と出会った。

 ツェツェグ王妃と女官たちである。


 ツェツェグ王妃は赤い衣に身を包み、艶やかな花のようだ。目鼻立ちも華やかで、意志の強さを感じさせる。


 武真国の女性は嫋やかで武術など嗜まないというが、それでも男性の言うことにただうなずいているだけの女性ではないように見えた。

 あのダムディン王と添い遂げるのは、儚い女性には無理だろう。


 展可は廊下の脇に寄り、ひざまずいてツェツェグ王妃が通り過ぎるのを待った。

 しかし、一行は通り過ぎるのではなく、展可の前で立ち止まった。


「愽展可とはあなたですね?」


 名を呼ばれ、展可は驚いて顔を上げてしまった。


「は、はい」


 それでもツェツェグ王妃は嫣然と微笑んだ。


「立ちなさい」

「はっ……」


 展可が立つと、ツェツェグ王妃と目線が同じ高さだった。黒髪に青い目が麗しい。


「こちらへ来なさい」


 えっ、と声を漏らしたら、女官に睨まれてしまった。

 どこへ来いと言うのかはわからないが、逆らえない。展可は大人しく女官たちの後ろに続いた。


 一行が向かったのは、宮殿でも高い層にある部屋だった。黎基が借りている部屋と遜色ない上等な調度品が並んでいる。

 ただ、この部屋の方が装飾的で女性向きのような気がした。鏡台や帳といったものも置かれている。


 ツェツェグ王妃は部屋の中央で振り返ると、展可のことを至近距離で見つめた。展可の方が緊張で落ち着かない。その隙に女官たちが戸を閉めてその前に立った。


「あ、あの……」

「陛下から頼まれましたの」


 まさか、また何かさせられるのか。展可の背中を汗が伝う。

 すると、ツェツェグ王妃は頬に手を当て、ほぅ、と嘆息した。


「わたくし、条件をつけてお受けしたのですよ」

「え、と……」


 一体なんの話だか、展可にわかるはずもない。

 固まっていると、ツェツェグ王妃は展可の頬を両手で包み込んだ。


「陛下があなたに、以前奏琶国から贈られた衣を着せてほしいと仰るのです。賓客への礼のひとつだそうで」

「れ、礼?」

「ええ。それでわたくしは、その娘が着飾った姿を陛下が絶対に目にしないという条件でお受けしたのです。それでよいとのことですので」


 それは、黎基を喜ばせるために、接待の一環として展可を飾るのかもしれない。しかし、展可からしてみれば迷惑だ。もし、黎基が昔を思い出してしまったら――。


「い、いえ、私は従軍している身です。着飾るためにここに来たわけではございませんので」


 そう言って後ずさった展可の肩を、女官たちがつかんだ。かと思うと、有無を言わさず帯を解かれる。


「あ、あの――」


 シュルシュルと、さらしまで外しにかかられた。展可が必死の形相でそれを止めようとしていると、ツェツェグ王妃はスッと目を細めた。

 敵意というのとは違うが、不可解なものでも目にしたような印象だった。


「あなたはあの親王殿下の申し出を拒んでいると聞き及びました。あれだけ美しく、高貴な方ですのに、それは何故です?」

「何故と言われましても、私は小さな里の庶民です。なんの身分もない身で恐れ多いことですから」


 おかしな答えではないはずだが、ツェツェグ王妃は納得しなかった。


「女官や下女であろうと、お気に召されたのならそれがすべてです。それだけが理由ではないのでしょう? 他に想う男性がいるというのならわかりますが」

「い、いえ、そういうわけでは……」


 正直に答えてしまってから、想う人がいるということにしておいた方がよかったのかという気もした。しかし、嘘ばかり吐くのもつらいのだ。


 ツェツェグ王妃は展可をじっと見据えた。その青い目はすべてを見通すようで、どこか恐ろしくもある。


「惹かれているのに応えられないのだとしたら、それは苦しいことでしょう。どのような事情があるのかを話せとは申しませんが、今宵ばかりはそれを忘れてみてはいかがでしょう」

「それは……」


 忘れてしまえるのなら、忘れていたい。

 しかし、すぐにまた現実に戻されるのだから、戻された時の苦しさが増すだけだ。


 そんな展可の心を感じ取ったように、ツェツェグ王妃は言う。


「親王殿下はこれから、とても難しい状況に向かってゆかれるのだと陛下が仰いました。あなたを飾るのはそのはなむけであると」


 難しい状況というのは、以前黎基が語ったように、霊薬を我が身に使ったことを責め立てられるという話だろうか。しかし、それは黎基自身も覚悟の上であった。


 黎基は将来的に何を望んでいるのだろうか。

 思えばその話をしたことがなかったかもしれない。

 今のまま、親王として与えられた領地だけを治めて生涯を閉じるのか、それとも、目が見えるようになった今、皇太子の座に返り咲くつもりなのか。


 今は弟君が皇太子である。それなら、争わねばならないのか。

 だからこそ、難しい状況に陥ると――。


「今だけは殿下を癒して差し上げなさい」


 ツェツェグ王妃の声が展可に沁み入る。


 今だけは。

 いつか、別れは来るのだから。


 展可は、黎基の役に立ちたいと従軍した。

 これもまた、黎基の役に立つうちに入るのだろうか。


「今だけは……」


 ふわりと被せられた衣の柔らかさが落ち着かない。

 それでも逆らうことをしないのは、奥底に押し込めた自分自身の願いと繋がってしまうからなのかもしれなかった。

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