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35◆遙群太守

 軍は待機させ、黎基は昭甫と雷絃だけを伴い、彗の(むら)の中へ向かう。農地に囲まれた石壁の外郭は、国境近くということもあり強固なものである。


 この軍が程なくしてここを通りかかると、あらかじめ知らされていたはずだ。番兵は慌てた様子もなく、目に布を巻いた黎基の姿を見るなり、誰なのかを覚ったようだった。名乗る前から畏まった。三人いた番兵はいっせいに拝礼する。


「儀王様とお見受け致します」


 黎基はなるべく柔らかい声を意識した。


「そうだ。このたび、陛下の名代として武真国の援軍要請に応えて赴くことになった。太守に挨拶をしたいのだ。通してくれ」

「はっ」


 一万の兵では少ないとはいえ、簡単に集められる頭数でもない。この軍が偽物だと疑われることはなかった。後ろに雷絃が控えているのも理由のひとつだろう。

 知らせに走った番兵はすぐに戻った。今に来るかもしれないと太守も構えていたようだ。


「どうぞお通りを」

「ありがとう」


 口元だけで微笑む。昭甫と雷絃は厳しい面持ちを保っていた。


「殿下、三歩進むと段差がございます。お気をつけくださいませ」


 見えるから知っているが、昭甫はいつもこうして盲人に対する扱いを欠かさない。今はまだ、このままでいなくてはならないのだ。

 しかし、それももう、そう長くはかからないはず――。



 暗い門を抜けると、その先には馬車を待たせてあった。太守の屋敷まで歩けば少し距離があるので、盲目の親王を歩かせるわけにはいかないという気遣いだ。左に黎基を乗せると、昭甫は右に、雷絃はもう一台の馬車に乗った。


 太守の屋敷へは頭を整理しているうちに着いた。(むら)はいくつもの坊に分かれた京師(みやこ)ほど広いわけではないのだ。

 ここから、動き始める。確実に。


「儀王様、ようこそおいでくださいました。私が(よう)群太守、(ばく)丹慶(たんけい)にございます」


 調度品は華を競わず、程よく落ち着ける部屋であった。紅木の机とそろいの椅子を勧められ、黎基は昭甫の手を借りて座る。雷絃は後ろに立って控えた。


 太守は六十ほどの顎髭を蓄えた男で、その髭の白さから山羊を思わせるが、人柄は悪くはなさそうだと感じた。


「行軍中の身ではあるが、丁重に迎え入れてくれたことに礼を言おう」


 黎基が穏やかに言うと、昭甫がすかさず口を挟む。


「殿下、民が貴いお血筋を敬うのは当然のことにございます。そう甘いお言葉をおかけになるとつけ上がる手合いもおります故、お気をつけくださいませ」


 明らかに太守がムッとしたのがわかった。黎基は内心で苦笑する。


「いや、皇太子であった時分ならいざ知らず、今の私は従軍してくれる兵の誰よりも役に立たぬ。それを私が一番よくわかっている。そんな私を手厚く迎え入れてくれた太守の心を私は嬉しく思う。そうした礼を欠く物言いはやめてくれ」


 黎基がやんわりと昭甫を窘めると、昭甫は小さく息をついて勢いをなくした。


「失礼致しました。お詫び申し上げます」


 太守は、そんなやり取りを小さく萎んだ目で眺めていた。その小さな目が潤む。

 黎基の言葉に感じ入ってくれたようだ。


 ――昭甫がこうした態度を取るのは、黎基が窘めるためにである。

 普段の彼の性格を知っていれば素で言っているようにも感じられるが、これは昭甫なりの計算だ。黎基の好感度を上げるためにあえて悪役を買って出てくれている。


 昭甫は、初対面の誰に嫌われようと気にしない。そんなことよりも大事なのは大局だとするところは潔い。おかげで話が円滑に進む。


「こうして太守である貴殿に会いに来たのは、折り入って頼みがあるからだ」


 黎基が切り出すと、さすがに太守の顔にも緊張が走った。無理難題を吹っかけられると構えている。

 そこで黎基は、先ほどから築き上げている物腰の柔らかさを前面に出し、続けた。


「頼りない私につき従ってくれている兵に、僅かばかりでもひもじい思いはさせたくないのだ。正直に言うと、この先、手持ちの兵糧だけで足りるのか少々不安が残る。保存の利く穀類を分けてもらいたい」


 これを言った途端、太守は目に見えてがっかりしていた。

 表向き頼んでいるが、向こうにしてみれば親王にこれを言われて出さぬわけにはいかないのだから、奪うのと変わりはないとでも言いたいのだろう。


 黎基が一万の兵を抱えるように、太守は邑人(むらびと)を抱えている。飢えさせぬように尽力するのはどちらも同じことなのだ。食料を出し渋るのは仕方がない。


「もちろん、邑人(むらびと)が食うに困るほどの量は望まぬ。できる範囲でよいのだ。これから、慰労を兼ねて(むら)の外で余興をする。邑人たちとそれを見ながら考えてくれればよい」


 何やら疑わしげに思えるらしい。

 この太守は実直でいちいち顔に出る。黎基が見えないと思って油断しているのかもしれないが、わかりやすくていい。


「余興、でございますか?」


 黎基は軽くうなずいてみせる。


「まあ、期待外れであったらすまぬがな、楽しんでもらえるといい」

「はぁ……」


 気の抜けたような声を出した太守のところを一旦辞し、黎基は二人を連れて(むら)の外へ戻った。


「さて、支度に取りかかりましょうか」


 と、昭甫は辺りを見回す。

 黎基と雷絃はうなずいた。


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