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22◇変わらないこと

 殿下――とは、声に出せなかった。

 民兵ごときが呼びかけていい相手ではない。そうでなくとも、自分はこの人から目の光を奪った罪人の娘なのだ。それは、少し危機を救ったからといって(ゆる)されることではない。


 会いたいと願っていた。声を聞けたらと夢見た。

 けれど、それが実際に叶ってみると、こんなにも疚しい気持ちになるのだとは知らなかった。

 嘘で塗り固めなければ、ここにいることもできない自分だから。


 展可は無言で口を押えて震えていたが、それではいけないと思い直した。傷をおして座り直し、手を突くと頭を低くした。直視していいはずがない。

 しかし、そんな展可の頭上に降る声は優しかった。


「傷に障る。よい、楽にせよ」


 顔を上げてもいいと言う。それでも、展可は額を床についたままで固まっていた。緊張から、体に力が入らない。

 いつまでもそうしていると、黎基のものとは違う太い声がした。郭将軍だ。


(きょう)の里より従軍した愽展可で相違ないな?」


 ギクリと体が硬直する。

 展可が倒れている間に、あれは誰だという話になったらしい。注目されすぎては嘘が暴かれる。褒美も何も要らないから、そっとしておいてほしかった。

 しかし、黎基と将軍に声をかけられて無言で通すわけにもいかない。


「は、はい」


 やっとの思いで短く答えたが、声が震えた。それでも、黎基は強張った展可の緊張をほぐすように柔らかく言う。


「おかげで助かった。礼を言おう」


 まさか、一兵士に元帥である親王が直々に声をかけるなどということがあるとは思わなかった。黎基が偉ぶらない、幼い頃のままだと知れて嬉しい。こうして言葉を交わせるなんて、もしかすると展可はまだ夢を見ているのではないだろうか。


「勿体ないお言葉にございます」


 か細い声で返した。この時、展可はこれまでの色々な感情が込み上げてきて、涙が止められなかった。顔は上げなかったけれど、二人には泣いていると気づかれただろう。


 皇族から直に声をかけられ、感極まって泣いている。忠誠心の強い少年だと思われたのならそれでいいのだ。

 展可は、どんな時でも黎基を護る。それだけは本当だから、それでいい。


 頭を下げていても、強い視線を感じた。郭将軍が、黎基に害がない人物かどうかを品定めしているのだろう。きっと、黎基もそのためにいつもの劉補佐ではなく郭将軍を伴ってきた気がする。


「殿下、そろそろ参りましょう。怪我人が休めぬようですから」

「うん? ……ああ、そうだな」


 声の響きから、黎基はこの郭将軍をとても信頼しているのがわかった。気を許せる相手が身近にいるのだなと、そのことにも勝手に安堵する。


「……展可」


 黎基が展可の名を呼ぶ。

 思わず顔を上げてしまった。その名は借り物だけれど、今は自分を指すものである。黎基が自分を呼んだのだと気づくと、じわじわと胸の奥底から痛みに似た感情が湧く。


 黎基の目元は隠されており、どんな面持ちでいるのかをすべて見ることはできない。それでも、口元は微笑んでいた。


「怪我を抱えての行軍は苦しかろう。怪我が癒えるまでは少々融通するつもりだ。また追って知らせるが、今はゆっくりと休むように」

「はっ。お気遣い、痛み入ります……」


 再び頭を下げた。黎基を直視しているのに耐えられなくなった。

 融通というのがなんなのか、展可にはよくわからない。そもそも、民兵の一人を名で呼び、わざわざ見舞うというのも考えられなかった。嬉しい半面、他に示しがつかないと言われないか心配にもなった。


 二人が去ると、展可は気疲れしてへたり込む。傷の痛みも不思議と忘れていた。

 一度止まっていた涙が再び流れる。


 変っていない――。

 黎基は、十年前に出会った時と変わりなく穏やかで優しかった。

 幼すぎた恋心は無残に砕け散ったけれど、それでも立派に成長した黎基の姿に胸が締めつけられる。


 だからこそ、惜しくて堪らないとも言える。黎基はきっと、公平に民を統べる皇帝となったはずが、その未来が奪われてしまったのだから。


 父の薬は、一個人を越えてこの国の未来をも(かげ)らせてしまったのか。

 大好きな父だったからこそ、それがつらい。


 起きてしまったことは変えようもない。今はそれを嘆くのではなく、黎基の役に立つことだけを考えるべきだろう。


 展可は懐にしまった天河石の粒に手を添えながら涙を拭った。


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