終章
「――だろう? なあ、芙蓉」
眉目秀麗な兄の言葉に、芙蓉は柳眉を顰めた。
「兄上はそんな絵空事をお信じなのですね。冷静になって考えてみてはいかがでしょう。年若い娘が虎や狼と戦いますか? 敵の砦に一人で向かいますか? 後世の人間が面白おかしく脚色して伝えたに決まっているでしょう?」
芙蓉は名の通り、花のごとく麗しい唇で辛辣な言葉を吐いた。
この奏琶国の公主、薛芙蓉は十六になった。美しいと評判の公主を娶りたいと求婚する者が後を絶たない。だというのに、よりによって父帝は芙蓉を友好の証に武真国へ嫁がせるつもりなのだ。
芙蓉はというと、それが嫌で嫌で仕方がない。
間に挟まれて困った兄が、芙蓉に聞かせたのが、蔡氏の話である。
蔡皇后――芙蓉の曾祖母に当たる人物だ。
地方の小さな邑の医者を父に持つ娘でしかなかったのだが、光明帝と諡された曾祖父に見初められたのだ。
光明帝は、幼い頃に失明したが、霊薬によって光を取り戻したとされる。失明の折に廃太子となったのだが、そこから当時国を支配していた秦一族に戦を挑み、勝利した。
その後、自らは慎ましく忙しく過ごし、忠臣は手厚く遇し、血族であろうと佞臣には手厳しく、民の声をよく聞いた。善なる政を誰よりも心がけていたという。
光明帝の伝承に登場する若き日の蔡皇后は、秦一族の陰謀とは知らず、父親が皇太子を失明させたと信じていた。
光明帝を助けるために名を偽り、性を偽り、齢を偽り、他人に成りすまして従軍した。彼女は不遇を嘆く弱々しい女人ではなかった。武術の腕を磨き、琵琶を弾きこなし、自らの才覚によって光明帝の力となり、結果としてその妃になるのだ。
未だに民が好み、蔡皇后を京劇の題材とするのだが、そんなことはあり得ないと思うほど手が加えられている。
自らを偽り従軍したというところまでは本当だろうが、女の身で目覚ましい活躍などできたとは思えない。
事実は、軍の端っこに連なっていたに過ぎないとうのが妥当なところだ。
それなのに、兄は何かにつけて自らの血筋を誇り、光明帝と蔡皇后のことを持ち出す。私たちはあのお二方の子孫なのだからと。
庶民から女として最高の地位へ登りつめたのだから、世間が語り継ぎたいのもわからなくはない。下賤な血が混ざっていると嗤われるつもりもない。芙蓉もすべての逸話を信じてはいないけれど、己の意志を貫いた二人を誇らしくは思っている。
だからこそ、この国が好きで、武真国になど嫁ぎたくないのだ。
「武真国のテムーレン殿下は、在りし日の英雄王ダムディン陛下を彷彿とさせる、それは凛々しい御方なのだそうだ。そのような相手で何が不服なのだ?」
「私は他国になど嫁ぎたくはございません。この国にいたいのです」
英雄王の再来だかなんだか知らないが、溢れんばかりの美女を侍らせるのだろう。その中の一人に加えられたからといって、涙を流してありがたがると思う方がどうかしている。
――と、芙蓉は思う。
しかし、同じように美女を侍らせる予定の兄には、何が不服なのかわからないらしかった。
「お前の顔立ちは光明帝に似ているとされるが、気質は蔡皇后ほど逞しい」
「蔡皇后が貞節を守り、信義を貫いた女人であったという一点を疑ってはおりません。私もかくありたいと考えております」
「そうだな。光明帝が他の妃を持たなかったように、お前ならばテムーレン殿下の寵を独り占めにできるだろうよ。……ああ、噂をすればご到着だ」
「えっ? ど、どういうことですか、兄上! 私は何も聞かされておりません! ちょっ……あ、兄上――!」
〈 了 〉
長い物語に最後までお付き合い頂き、ありがとうございました!
えっと、何が一番言いたいかというと、誤字たくさんあって、報告を頂いて助かりました( ;∀;)そこか
以下、おまけを(笑)
黎基「祥華、君は里の幼馴染の名を借りて従軍したという。
それなら、本物の『展可』はどんな人物なのだろう?」
祥華「え、ええと……」
黎基「何度も何度もあの名で君に呼びかけたから、他人という気がしない。
いつか会えたらいいな」
祥華「い、いえ、展可はその、とても恥ずかしがりで、その……」(目をそらす)
展可「ぶしゃん、ぶしゃんっ」
桃児「どうしたの、兄さん? くしゃみまで不細工よ?」
展可「お前はどうして、兄にそう優しさのないことを言うかなぁ?
ほら、誰かが噂してるんだよ。多分、祥華だよ。
長いこと俺に会えなくってきっと寂しいんだな」
桃児「……兄さん、気は確か?」




