(12)とびきりの投了図
「やるじゃねえか、ムー。一本取られたって奴だ。認めてやる、俺の作戦負けだ」
けどよ、と続けるショウさん。
「右四間は矢倉の天敵だ。今まで何度も食らってきた。数えきれないくらいに食らって食らって、ひたすら食らい続けてよ。やーっと見えてきた戦法があるんだぜ」
彼が組み上げるは、対右四間専用の矢倉囲い。
それは、通常納めるべき位置に銀を上げず、角は初期配置のまま。
玉は左金の下に待機し、囲いには納まらない。
一見して、不完全な状態の矢倉に見える。
その代わりに、右銀が右金の隣に並んでいて、6筋をがっちり守っていた。
なるほど、これなら容易には突破されない。正に対右四間専用の囲いと言うに相応しい。
対するムーは、安藤さんと同様に、左美濃に囲って来た。
玉がきっちり納まっている分、守備力はこちらが上か。
うーん、この勝負はどうなるんだろう?
ムーの攻めはすぐには通らない。かと言って、ショウさんの守りは盤石でも無い。
例えば、飛車を元の位置に戻されたりして、揺さぶりをかけられたらどう指すんだろう?
囲いではムーの方が上だし、形勢は──。
「形勢は全くの互角。面白い勝負になったな」
ようやく自分の弁当を食べ終えたしゅーくんが口を開く。
あ、ごめん。あーんしてあげるの、忘れちゃってた。
「しかし、俺としてはショウを持ちたい。矢倉と言うのもあるが、あの囲いには可能性を感じる」
「ほう。君もそう思うかね?」
しゅーくんの言葉に、感心したように応える穴熊さん。
「ああ。ただ守るだけの囲いには魅力を感じないが、あれなら。右銀を、攻めにも活用できる」
「む。軽く穴熊を侮辱したか、今?」
「気のせいだ。そら、観てろよ」
しばらく陣形を整備した後、ついにショウさんが仕掛ける。
右銀を、斜めに繰り出していく。
しかし! 同時に、ムーも仕掛けて来た!
今まで守備に使われていた右銀が離れる瞬間を、虎視眈々と狙っていたのだろう。
絶妙のタイミングで、右四間必殺の手筋、65歩が炸裂する。
「やるじゃねぇか。だがな、そう来ることは想定済だぜ」
「がうっ?」
同歩とせず、今度は左銀を上げて受けるショウさん。
凄い。銀を前進させながら守っている。
「がうがーう」
対するムーは、歩を取り込んで来る。
同角に、すぐに角を取らずに、一旦8筋の歩を進める。
え、何か急激に頭良くなってない? そんな手、私なら絶対指せないよ。
ならばと、自ら角交換を仕掛けるショウさん。
更に、3筋の歩を突き出した。
どうやら、しばらくの間はショウさんの攻めが続くようだ。
右銀がどんどん進出していく。
端歩も絡めつつ、遂に24歩が実現する。
これでもし同歩同銀同銀同飛となったら、はっきり優勢だろう。
そこで、同歩ではなく同銀とするムー。
同銀同歩に、いきなり飛車を走らず、端歩を垂らすショウさん。
底角を打ち、飛車の筋を逸らせるムー。更に角で左銀を取り、同金とさせて形を乱す。
攻防が目まぐるしい。
お互いに攻めが刺さり始めて、どうなるかわからない。
持ち駒で勝ってるのはショウさん。陣形で勝ってるのはムー。私には形勢判断すら難しい局面だ。
唯一つ言えることは、観ていて楽しい将棋ということ。
見た目は怪物みたいなムーも、だんだん可愛く思えて来るから不思議だ。
「お前の6筋攻めと俺の端攻め、どちらが速いか勝負しようじゃねぇか。まあ、勝つのは俺だけどよ」
軽口を叩きながらも、その目は笑っていない。ムーの反撃を、最低限の駒の動きでかわしていくショウさん。手が開けば、即座に端を攻める。
対するムーも、かっちりとは受けない。持ち駒は攻めに投入する。
ショウさんの玉は7筋の底で、前に立つ金一枚のみに守られている。
ムーの6筋攻めは、飛車先が通りさえすれば、即死級の威力を持っているのだ。
対するムーの左美濃は端と2筋が壊滅状態。
まだ玉が逃げる余地はあるけど、こっちだって飛車が直射している。ショウさんの手に角が二枚あるのも大きい。
「がうっ! がうがうっ!」
「猛るな。もう少し遊ばねぇか?」
「うがーっ!」
「何だ、駄目か。なら、しょうがねぇ」
剛腕を活かし、完全突破を図るムー。
ショウさんはため息を一つつき、一枚目の角を手にした。
「そろそろ仕留めさせて貰うぜ──『双角』」
香車を浮かし、空いた所に打ち込む。
左美濃が、崩壊する。
更に二枚目の角は、要の飛車を直接狙う位置に打ち込まれた。
飛車が逃げても、馬を作られる。二枚の馬に左右から圧迫され、玉の逃げ場が無くなる。
ムーは自玉の危機を理解しているようだった。
飛車を逃がさず。8筋に歩を垂らし、ショウさんの玉を逃げられなくする。絶体絶命。
そして桂打ちからの強襲が来る。
最後の勝負ということか、ありったけの戦力が6筋に投入される。
玉頭の金は孤軍奮闘するも、圧倒的な数の暴力の前には、抵抗空しく圧し潰される。
……だったのだが。
金が取られるその一手を、ショウさんは掬い上げた。
恐らくはその瞬間を、ずっと狙っていたのだろう。
王手、敢行。
「ムー。お前さんの攻めのセンスはピカイチだ。誇りに思っていい。お前は、自分自身の意思で、最後まで立派に戦い抜いたんだ。
だがよ。どうやら攻めに金駒を使い過ぎたみたいだな。もはや受からねぇ」
一枚目の馬が金を、二枚目の馬が飛車をもぎ取り、それぞれが王手をかけた。
ムーは、隙間を抜けて逃げようとするも。
その退路を、金が断ち切った。
「ウガアアアアアッ!!!」
雄叫びと共に、ムーは大きく駒を振り上げる。怒りのままに、盤ごと破壊しようと。
だ、駄目! それをやったら、対局が台無しになる──!
「ムー。お前は化け物じゃない。一人の将棋指しだ」
彼を止めたのは、ショウさんの静かな一言だった。
将棋盤に駒が触れる寸前で、ムーの右手は止まる。
「良い子だ。さあ、この一局を終わらせよう」
「う、があ」
ぱちん。そっと駒を置くムー。
思えば彼は、ずっと人間扱いされて来なかったのだろう。改造されて、まるで犬のように鎖に繋がれて。それを疑問に思うことも無く、命令されるままに暴れ回って来た。
その彼が、初めて人として認められた。
「受け取れ。これが俺達で創り上げた、とびきりの投了図だ」
ぱちん。ショウさんが駒を置いた途端に。
巨人の双眼から、大粒の涙が溢れ出した。その涙を拭おうともせず、ムーは盤面をじっと見つめる。
文句の付けようが無い、問答無用の詰みの一手を直視する。
「最後に、何て言うか知ってるか?」
「がう?」
「負けました、と言うんだ。それでこの勝負は終わる」
「ば……ばげばぢだ」
「偉いぞ。よく言えたな」
ムーに向かって優しく微笑むショウさん。
あ。この人、こんな表情もできたんだ?
最初の軽薄なイメージとだいぶ違う。これが、この人の素顔なんだろうか?
「ありがとうございました」
一礼した後、ふぅ、とショウさんは息を吐いた。
長袖でも涼しい位の気温なのに、額には汗が滲んでいる。
対局中は余裕そうに見えたけど、もしかして少し疲れてるのかな?
「迫力満点だねぇ、お前さん。相対するだけで重圧が半端ねぇわ。はあ、しんどかったあ」
「がう?」
「負けると思ったんだよ、正直」
ショウさんの言葉に、ムーは首を傾げる。
言っている意味がわからない、と言いたげな表情だ。
「重圧に負けて一手でも緩まれば、即詰みに討ち取られる。しんどいぜー、そんな将棋は。俺の本来の棋風はがっちり囲ってじっくり攻めるなのに、させてもらえなかったんだからな。マジで強いわ、お前さん」
勝ったのはショウさんなのに、冷や汗すらかいて苦笑している。
ますます理解できない様子のムーに、ショウさんは続ける。
「俺と指したくなったら、サロン棋縁に来な。トンシの言うことなんて聞く必要は無い。お前さんの意思で来るんだ。
そしたら、いつでも相手してやるよ」
「がうっ!」
今度はわかったのか、巨人は力強く頷いた。
頷きを返し、ショウさんは席を立つ。
若干、足がふらついている。照民さん程じゃないにしろ、やっぱり疲れているみたいだ。
あ、拍手しないと。ぱちぱち。
「はは、どうも。美人に祝ってもらえると嬉しいねぇ。どう、俺に惚れたかい?」
だから、私は人妻です。
何はともあれ、これでサロン棋縁の二勝。二回戦突破が確定した訳だ。
穴熊さんの対局も観てみたかったけど、準決勝までお預けかあ。
「──おのれ……!」
その時。呪詛のような、低い声が響いた。




