(28)一緒に戦うんだ
「は?」
何であゆむがそこで出る? 疑問を口にするよりも早く、
「桂花は確かに強くなっていタ。棋力は申し分無かっタ。だけド、気力が伴わなかったんダ。あの子はもう、真剣勝負を指せない体になっていタ」
睡狐は言う、別の生贄が必要だったのだと。根源をその身に降ろすに相応しい、新たな器が。
「あ──」
そうだ、そうだった。思い出す。あゆむは、生贄にされるために竜ヶ崎に呼ばれたんだ。桂花の代わりに。
思考がクリアになる。過去と現在、点と点とが線で繋がった気がした。
「あゆむ君の潜在能力は君に匹敵するが、まだ鬼の力に目覚めていなかった。そこで浄禊は、彼の覚醒を試みたんだ」
鬼にするには、ヒトを食わせるのが一番。それも、より上質なニクを。勝負師としては落第でも、人身御供としては桂花は打ってつけの存在だった。彼女は竜ヶ崎以外に身寄りも無く、居なくなっても誰も困らない。
だから選ばれたのだと、レンは震える声で語る。
「知らなかったんだ、僕は。そんな企て」
彼女が居なくなって悲しむ人間はここに居た。知っていたら絶対に止めたのにと吐き捨てるように言って、彼は自身の体を両手で抱き締める。全身の震えを、少しでも抑えようと。
「姉さんが帰って来てから、彼女と頻繁に練習対局するようになって。純粋に嬉しかった。何の疑問も抱かなかったんだ、僕は」
肉質を高めるために、家畜に栄養価の高い餌を与えるように。桂花には、食事と睡眠以外の全ての時間を対局に当てられた。竜ヶ崎家の人間が交代で彼女と指し、彼女は心身共に疲弊しながらも、徐々に勝負勘を取り戻していった。己の生命を代償に。
「この幸せがずっと続けば良いのにと願っていたよ」
やつれた姉を前にしても、次は何を指そうかとウキウキしていた。彼女の気持ちを何ら考慮すること無く、自分が満たされることばかり考えていたと、レンは赤裸々に語る。
だが、彼の願いが叶うことは無かった。幕引きは、あまりにも唐突だった。
「あの日。将棋盤の前に姉さんは居なかった。いつも待っててくれたのに。来なかった」
彼女の分の駒も並べ、座して待てども桂花が訪れることは無く。そこに至って、ようやく彼は気が付いた。姉の身に何が起こったのかを。
本殿内を探し回った。途中浄禊に出会い、終わったことを告げられてなお、足を止めなかった。頭に浮かんだ恐ろしい想像から逃げ出すように、彼は懸命に走り続けた。
「僕には姉さんを救う力があった。たとえ肉体が死滅したとしても、彼女の情報は保存できる。助けられると僕は思っていた……だけど」
無理だった。
唇を噛み、搾り出すようにレンは言葉を紡ぐ。
「思い知らされたよ。僕は木綿麻山桂花という女性について、ほとんど何も知らなかった。数え切れないくらい、対局したというのに」
彼女と指した棋譜は全て、鮮明に記憶している。けれども、そのどれもに桂花の魂は宿っていなかった。ただの情報、ただの脱け殻だった。
「僕は無力だ。姉さんを蘇らせることも、仇を討つこともできない。だから、君に頼るしかなかったんだ。姉さんを倒したあゆむ君と同じ鬼の力を持つ、君に」
頼む。そう言って、少年は頭を下げてきた。本当は私になんか頼りたくないだろうに。自分の手で仇討ちしたかっただろうに。
やれやれだ。あゆむが絡んでいるんじゃ、引き受けない訳にはいかないじゃないか。
「事情はわかった。竜ヶ崎は私が潰す」
全ての元凶、竜ヶ崎浄禊を倒す。愛する弟のためにも。
あゆむはまだ、鬼として完全に覚醒してはいない。まだ間に合うはずだ。棋の根源とやらを降ろされる前に、決着をつける。
「──ありがとう」
「言っとくけど、弟にしたことを許した訳じゃないから。共闘はこれっきり。終わったら私達の前から金輪際消えてもらう」
顔を上げるレンに、指を突き付けて言い放つ。
理解はできた。納得はできた。それでも割り切れないものはある。復讐のためにあゆむを利用した彼を、完全に許すことはできない。
構わない、とレンはうなずいた。
「元よりこの世界に未練は無い。事が終われば肉体を消滅させよう」
「え、いや!? そういう意味で言ったんじゃないんだけど!?」
「……冗談だよ」
思わず叫ぶ私に真顔で答えて。彼はもう一度頭を下げた。あゆむ君には申し訳無いことをした、と。
「僕を許してくれなくても構わない。ただ、謝罪の言葉を彼に伝えてくれないか」
「ん、わかった」
真実を知って、あゆむがどう思うかはわからないけど。あの子にだって、知る権利はある。必ず伝えよう。
「話は終わっタ?」
横から睡狐が口を挟んできたのは、その時だった。口角を吊り上げ、何やら楽しげにこちらを眺めている。
「なら急いだ方が良いヨ? 浄禊のヤツ、棋の根源を降ろそうとしてるみたいだかラ」
「な」
絶句する私達二人を見て、彼女はケラケラと耳障りな笑い声を上げた。こいつは……!
「気づいてたなら、早く言いなさいよ!」
「今言ったじゃン? わーぷすればギリギリ間に合うかもだシ」
悪びれる様子も無く睡狐は答える。こいつ、状況を楽しんでる。本気で地球を救う気は無いのか? いざとなれば自分だけでも脱出できるから? 桂花の復讐だってどうでも良さそうだったし。一体何を考えてるんだ?
──いや、こいつに構ってる場合じゃない。そうだワープ。ここに来る時に使ったアル何とかドライブを使えば!
レンの方を見ると、彼は神妙な面持ちでかぶりを振った。
「いや、それだと時間がかかる。恐らく間に合わない」
「じゃあどうすれば!」
「肉体よりも軽いもの。例えば情報なら、あるいは」
情報? そんなものを送った所で、戦えるのか? 駒もつかめないけど。
とまどう私に、レンは「大丈夫」と続けて答える。
「本殿では今も誰かが戦っている。君達のチームの誰かが。その人に届けることができれば、きっと父を止められるよ。君自身の情報、それに火輪皇鬼の情報を」
「誰かに……託す、ってこと?」
「違う。そうじゃない」
首を横に振る彼の赤い瞳が、ぎらりと強く輝く。
「情報には意思の方向性も入っている。君達も一緒に戦うんだ」
「……っ……!」
一緒に戦う。香織さん達と。レンの言葉に、胸が高鳴るのを感じた。
同じチームだけど、今までは別々に対局して来た。今度は違う。今こそ一つに。
『燐』
一人昂る私に、華燐が声をかけて来る。普段冷静な彼女にしては珍しい、上ずった声だった。
『私の知る将棋は、常に孤独だった。誰かと共に指すなど、私にできるだろうか? 私は、お前の仲間を知らない』
不安げにそう続ける彼女からは、鬼の王たる者の威厳は感じない。そうだ、この子は私と同じだ。自分本意に指して来た。対局相手を慮ることの無かった、以前の私と。
いきなり共闘するよう言われても、そりゃ不安になるよね。わかるよ。でも、大丈夫。
貴女の仲間は、貴女が何であろうと温かく迎え入れてくれるよ。神様連中みたいに貴女を迫害なんてしない。鬼も人も関係無い。対等に接してくれる。そういう人達だ。
『燐。私はお前が好きだ。お前が信じる仲間達を、私も信じたい──頭では、そう思っているんだが』
二の足を踏む華燐は、巣から一度も出たことの無い雛鳥のように思えた。一歩を踏み出す勇気さえあれば、大空に飛び立てるのだろうに。
心配しないで。貴女には私が居る。私が繋げる。貴女と、香織さん達を。
もし。貴女がどうしても協力できないと言うなら、無理強いはしない。だけどその代わり、見守っていて欲しい。私達の、最後の戦いを。
『燐、お前は。こんな私でも、必要としてくれるのか』
もちろん。貴女は私、私は貴女なんだから。これからもずっと一緒だよ、華燐。
『……わかった。私も共に往こう』
ありがと。まあ正直、私もペア将棋とかしたこと無いし、どんな風に共闘すれば良いのかわかってないんだけどね。貴女とみたいに、一心同体になれれば指し易いんだろうけど。
「君達ならできるさ。どちらかに偏ること無く意識を共有できている、君達二人ならね」
「ん。そだね。頑張ってみるよ」
心でも読んだのか、いつになく優しい口調で励まして来るレンに笑顔で答え。私は大きく息を吸い込んだ。
不安もある。が、それ以上に喜びを感じている私が居る。
思い出すのは準決勝の二局。いずれも見応えのある、素晴らしい試合だった。あの人達と一緒に指せるだなんて、夢のようだ。
嬉し過ぎる!




