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【連載五周年】にいづましょうぎ──将棋盤の中心で愛を叫ぶ──  作者: すだチ
第十二章・紅星より愛を込めて──The Roots──
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(27)僕なら救えた

「望み通りの結果になったよ。僕は、負けた」


 桂花は最後の一手まで指した。

 彼女の心情は、私にはわからない。私なら、指し直しを要求していたかもしれない。だって、そんな屈辱的な勝ち方は無いから。


「僕は僕の願いを叶えた。だけど、姉さんの心には添えられなかったみたいだ」


 私の顔を見て、レンは苦笑を漏らす。愚かな真似をした、と。

 まだ幼かった彼には理解できなかったのだ、与えられた勝利に価値など無いということを。彼の思慕の情は桂花を傷つける結果となった。だけどそのことを非難する気にはなれない。私だって、似た過ちを弟にしてしまったのだから。


「本当は、喜ぶ顔を見たかっただけなのにね」

「ああ……そうだよ」


 こくりとうなずき、レンは視線を虚空へと向ける。神々の住まう超空間に、一筋の煌めきが走った。彼は手を伸ばすも、届かない。本当の願いが叶うことは、無かった。


「対局が終わった後の姉さんの顔は、忘れたくても忘れられない。取り返しのつかないことをしたのだと、その時になって僕はやっと気づいた」


 まるで糸が切れた操り人形のようだったと、彼は当時を振り返る。

 人形とは酷い。桂花は自分の意思で竜ヶ崎に挑んだじゃないか。喉まで出かかった言葉を飲み込む。これはレン達姉弟の問題、私が口を挟むべきじゃない。


「がっくりと肩を落とし、虚ろな瞳で盤を見つめて。彼女は何も喋らなくなった」


 まだ幼かったレンには、桂花が何故落ち込んでいるのかわからず。ただ、自分のせいだということだけは理解できた。楽しみにしていた感想戦は、沈黙の中終わった。


「最悪の出会い方をした僕らは、失意の内に別れた。もう二度と会うことは無いかもしれないと思っていたのに、声をかけられなかったんだ」


 大会が終わり、解散するという時になって、ようやく桂花は動いた。弟の方を一度も見ることなく、彼女はとぼとぼと歩き去って行った。そんな姉を、少年は黙って見送ることしかできなかった。


「伏竜将棋道場チームは優勝した。だけど、誰も喜んじゃいなかった。僕のせいだ、僕がわざと負けたから」

「そんなことは」


 本当に悪いのは竜ヶ崎浄禊だ、貴方じゃない。そう言いかけるも。


「じゃあ君は、対局中にあゆむ君がわざと手を抜いたらどうする?」

「ひっぱたく! ……あ」

「だろ?」


 力の無い、乾いた笑みを向けられ、私は言葉を呑み込んだ。

 そうか。やっと気づいた。桂花の気持ちに。


 弟の過ちを正すのがお姉ちゃんたる者の責務。だけど将棋において、敗者が勝者にかける言葉などは無い。彼女は辛かったに違いない。姉であることを捨て、立ち去らなければならなかったのだから。


「それから何年も、姉さんの姿を見ることは無かった」

「桂花は奨励会に入ったんだヨ。強くなるためニ」


 睡狐が後を続ける。なんと、奨励会とな? プロ棋士の育成機関に入るなんて、桂花の強くなりたい気持ちは想像していたよりもはるかに強かったらしい。

 にしても睡狐、さっきからやたら詳しく知ってるな? もしかして桂花のこと、ストーキングしてた?


「桂花はあたしの依り代だったんダ。彼女について知らないことは無いヨ」


 よりしろ? 聞き慣れない単語に首をかしげると、睡狐は「要は一心同体だヨ」と言い直した。


「奨励会は棋力が全ての修羅の世界ダ。誰もがプロを夢見、他者を蹴落とし昇段を目指ス。そんな中に在って、桂花の精神は磨り減っていったヨ。彼女は繊細だっタ。そして、優し過ぎたんダ。見て居られなかったヨ」


 優しさが足かせになったと睡狐は語る。プロの棋士になるには、時に非情にならなければならない。相手の事情などお構い無しに、容赦なく玉を詰まさなければならない。それが桂花にはできなかったのだ、と。


「疲弊した桂花の前に竜ヶ崎の使者が現れた時、あたしは退会を勧めたヨ。ネェ、白眉丸ゥ?」


 マフラーのように首に巻き付いたしっぽを撫でながら、睡狐は子狐に語りかける。突然のことに驚いたのか、小さな体がびくりと震えた。


「怖がらなくても良いヨ。あの時キミは竜ヶ崎の命を受けて桂花を迎えに現れタ。そのことをとがめてる訳じゃなイ──ただ、事前に相談して欲しかったかナ? ってネ」

「はい……すみませんでした」


 耳を垂らし、申し訳なさげにうつむくハクちゃん。ふむ? 今の話から察するに、竜ヶ崎の使者とはハクちゃんのことか?


「ま、いいサ。奨励会に残った所で、苦しみが長引くだけだったんだかラ。どっちに転ぼうと、桂花に明るい未来は無かっタ」

「それは違う。僕なら救えた」


 そこに強い口調で割り込んで来たのは、レンだった。救えたんだ、と彼は繰り返す。まるで自身に言い聞かせるかのように。

 フン、と睡狐は鼻を鳴らして続ける。


「竜ヶ崎は、かつては疎ましかった木綿麻山桂花という存在に利用価値を見出だしていタ。奨励会員という、プロに限りなく近い場所に居たからネ」

「利用価値?」

「ン。根源召喚のための器、要するに生贄いけにえサ」


 私の疑問に、睡狐はにやりと笑みを浮かべて答える。これが言いたかったと言わんばかりのドヤ顔だった。

 こいつ。桂花のことを一心同体だったとか言いながら、全然悲しくなさそうに話すな。元々そんな感情が無いのか、それとも。

 ──いや。故郷の星が滅び、大切なヒトを失ったと語った時には、寂しそうな表情をしていたじゃないか。感情が無い訳じゃない。こいつは。


「睡狐。貴女にとって桂花は、道具でしかなかったの?」

「否定はしなイ。あれは良い依り代だっタ。体を借りて遊んだこともあったっけナァ。キミの弟君とモ」

「は?」

「レンはキミに目を付けたけド。あたしはどちらかと言うとあゆむ君の方に可能性を感じたネ。彼の弱い心が好きダ。従順で、もてあそびがいがあっテ、実に素晴らしイ」


 こいつ、何を言ってるんだ? あゆむと遊んだ? 桂花の体を借りて? 私の知らない所で? ナニをして?

 数々の疑問が頭に浮かび、嫌な想像が膨らむ。


「やめろ」


 そこにレンが割り込んで来なければ、睡狐の胸ぐらをつかみ上げていたかもしれない。


「睡狐様の思惑は僕には関係無い。大事なのは、姉さんが帰って来てくれたこと。それだけだ」


 爆発しそうになった怒りに、冷や水が打たれる。ふぅ。溜めていた息を吐き出し、私はレンの方へと向き直った。


「帰って来た。つまり、奨励会を辞めたってこと?」

「ああ。僕の願いが通じたんだ。僕のために姉さんは帰って来てくれた」


 多分それは違う。だけどいちいち議論する気にはなれなかった。桂花本人が居ない以上、真実は闇の中だ。


「何年かぶりに見た姉さんは、大人の女性になっていた。綺麗だったよ」


 桂花のことを話す時のレンは、普段の冷静さはどこへやら、ひどく感情的になる。恋は盲目というけれど。恍惚とした表情を浮かべる彼を前に、私はため息をついた。少々、度が過ぎている。


「で、ナニ? 思春期まっただ中の男の子としては、我慢できなくなっちゃったと?」

「なっ!? そんな訳ないだろ!」


 憤慨するレンに向かって、


「そうそウ、何もしてないヨ。たまにこっそり、着替えを覗いたりしたくらいだよネェ?」


 追い打ちをかけるように睡狐が続ける。はぁ、ノゾキですか。まあ仕方ないか。美人のお姉さんがすぐ近くに居たらムラムラしちゃうよね。わかるよ、うんうん。


「違ーう! 見張ってただけ!」


 などと往生際悪くわめく少年には、最初感じていた神秘的なイメージは微塵も無くなっていた。そろそろ底が見えて来たな。


「それで、桂花はその後どうなったの? イケニエってヤツにされた?」

「……いや。姉さんは別の目的に利用された」


 君の弟を覚醒させるために犠牲になったと、レンは確かに口にした。

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