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(3)裏切り

 二人並んで、家路に就く。


 母さん達とは途中で別れた。

 疲れているだろうから、今日はゆっくり休みなさい、とのことだ。

 別れる時でさえ、しゅーくんは上の空だった。


 並んで歩いてるのに、距離を感じる。

 ヒールを履いていた足が痛い。靴擦れしたかも。


 おかしいな。

 将棋指したのに、心が離れるなんて。


「──やっぱり」


 ふと、彼が足を止めた。

 急に私の顔を見つめて来る。

 切羽詰まったような、真剣な表情だった。


 え? 何? 離婚でも切り出される?

 ごくりと唾を飲み込む。


「終盤でかおりんが間違えてくれなきゃ、俺は一手差で負けてた」

「……はあ」

「帰ったら感想戦な!」


 ああ。真剣に、将棋バカだと思った。


「ちょっと待ってよ。そんなことで不機嫌そうにしてたの?」

「は? 考え事していただけだが」


 きょとんとする彼。私は盛大に溜息をついた。


「はあー。もう、心配させないでよ」

「何の心配だ?」

「……あなたに捨てられるんじゃないかと思ったの!」


 涙目で睨んでやる。

 私の気持ち、わかってよ。


「俺が、かおりんを、捨てる? そんなこと、ある訳ないだろ」

「うー、だってー。相手してくれなかったじゃん。私より将棋の方が大事なんでしょー?」

「何言ってるんだ。かおりんのことが一番大切に決まってるだろ?」

「だったら。もし私が将棋やめて欲しいって言ったら、どうする?」


 勿論、そんなことを言うつもりは無かったが。


「う。それは」


 困ったように呻いて、彼は黙り込んでしまった。

 ちょっとー。そこは嘘でも良いから、香織のためならやめられるとか言ってよー。実際にやめろなんて言わないって。


 だけど、そこで嘘をつけないのがしゅーくんなんだよな。

 わかってるよ。


「はい、これでおあいこ。この話はもうおしまい」

「むう。試すようなこと、言わないで欲しい」

「私だって辛かったんだよ。見てよこの足、痛いの」


 私が腫れた足を見せると。

 彼は「わかった」と応えて。


「え、何? ひゃっ」


 またまたお姫様抱っこをされた。

 こんな公の場で、いい歳した男女が。


「ねえ。このまま帰るの、しんどくない? せめておんぶとか」


 流石に恥ずかしくなって提案する。


「大丈夫だ。かおりん軽いから」


 いや、いくらなんでも家までは無理だろう。


 全く、一度決めたら曲げないんだから。

 ホント、不器用な人。将棋にも柔軟性が必要だよ?


 幸い、辺りに人影は無かった。



 道すがら、とりとめの無い話をした。

 今日のこと、大会のこと、仕事のこと、これからのこと。


 そのほとんどは私が一方的に喋るのを、しゅーくんが頷く形だったが。

 基本的に、彼は否定しない。彼から言い出すことも無い。

 ただ、私の意見を受け入れてくれていた。

 それが嬉しくて、つい喋り過ぎてしまう。


 なお、お姫様抱っこは、しゅーくんの腕の筋肉が早々に限界を迎えた。

 ごめんね、太っちゃって。


 実を言うと歩けない訳でもなかったが、せっかくの好意だからと甘えて、今はおんぶしてもらっている。

 これはこれで、貴重な経験だ。


 家まで後少し。

 ああ。もっとしゅーくんの温もりを感じていたかったなあ。



 ──そんな時に、奇妙なモノが見えた。


 夕暮れ時は、逢魔ケ刻とも呼ばれる。

 古来から、魑魅魍魎が活動を開始する時刻として畏れられて来た。


 狐面を着けた集団が、縦一列に並んで歩いて来る。

 先頭を歩く女性には見覚えがあった。

 巫女装束に、その仮面の模様。


 彼女は私達には目もくれず、通り過ぎていく。


 眼中に無い、ということだろうか。

 呆気に取られて、しゅーくんが足を止める。


 次々に通り過ぎていく狐面の団体。

 異様な光景に、息を呑む。


 その中程に、神輿を担いだ男達が居た。

 はっぴ姿に、やはり狐面。


 神輿の中には、誰かが座って居た。

 見覚えのある背格好。

 まるで人形のように整った顔立ち。


 ……りんちゃん?


 氷のように冷たい視線が、私達を見下ろしていた。


 少女は狐面を取り出し、自らの顔を覆う。

 そして、一言こう告げた。


「さようなら」


 抑揚の無い、その声。やっぱり、りんちゃんだ。

 でも、どうして彼女が?


 神輿が通り過ぎてもなお。

 私達は呆然と、立ち尽くしていた。


 集団が完全に見えなくなってから、溜めていた息を吐く。

 何なんだ、あれ?


「ねえ、あれって」

「ああ。鬼籠野りんで間違いない」

「でも、どうして? りんちゃんは私達と一緒に大会に出場するんだよ? 受験勉強だって教える約束したし、それに」


 年は離れていても、友達のように接して来たつもりだったのにな。


「事情が変わった、ということなんだろう。鬼籠野りんは竜ヶ崎の手に落ちた。なら、俺達がやるべきことは何だ?」


 こういう時、しゅーくんは気持ちを切り替えるのが早い。

 論理的というか、感情を抜きにして考えられるのか。


 ちょっと待ってよ、私まだ気持ちの整理ができてないんだってば。


「団体戦は三人で一組。俺達には出場資格が無い。一刻も早く、残り一人を補充しなければならない」


 いやだから、もうちょい悩んだりしようよ。ねえ?


 とりあえずしゅーくんの背中から降りる。

 足の痛みを気にしている場合じゃない。


「私、りんちゃんと話をしてみるよ。何があったか聞いてみる」

「駄目だ、危険過ぎる。奴らは普通じゃない」

「で、でも!」

「大森さんに電話してみる。何か事情を知っているかもしれない」


 しゅーくんは私を制止し、スマホを耳に当てた。


 まだ間に合うかもしれないのに。

 今なら、りんちゃんを連れ戻せるかもしれないのに。

 どうしてそんな、冷静で居られるの?


『助けて』


 その時。

 風に乗って、声が届いた気がした。


『助けて。香織さん』


 それは、幻聴だったかもしれない。

 だけど私は、聞き流すことができなかった。


 大森さんが電話に出たのか、しゅーくんはぼそぼそと話し始める。

 今の内だ。


 私はそっと、その場を離れた。

 ごめんね、しゅーくん。

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