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【連載五周年】にいづましょうぎ──将棋盤の中心で愛を叫ぶ──  作者: すだチ
第十二章・紅星より愛を込めて──The Roots──
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(4)まだだ

 視線を一点に集中させたまま、拳を振り上げる。狙うはあゆむの後頭部。艷やかな黒髪目がけて、全身全霊の力を込めて打ち抜くのだ。


「ま、まさか、殺す気……!? 負けるくらいなら死ねってこト!?」


 うるさい、外野は黙ってろ。

 集中が途切れれば、本当にそうなってしまうかもしれない。現実でなくても嫌だ。

 鬼の力を全開放すれば、華奢なあゆむの首など簡単に飛んでしまう。頭蓋は潰れ、脳漿をぶち撒ける。そんなスプラッターな展開は、さすがに御免こうむる。

 すーはー、すーはー。息を整える。精神と肉体のリズムを同調させる。暴れ狂う鬼を制御下に置く、全力においてなお。できる、否、やってみせる。

 一切手は抜かない。どんなに危険が伴っても、本気でやらなきゃ弟の心には伝わらない。

 覚悟は良いか、私? 拳が後頭部に触れる寸前に止めるんだ。早くても遅くても駄目。瞬間を見極めろ。

 いちにのさんでいくぞ。一で踏み込み、二で拳を振り下ろし、三で止める。

 せーの。いち──。


「すとっぷゥー!」

「っ!?」


 私とあゆむの間に、小柄な少女の体が飛び込んで来る。両手を広げて、私を制止しようとして。

 完全に予想外。まさか身をていしてあゆむを庇うとは。

 勢いに乗った拳は止まらない。私の意志に反し、むしろ加速して突き進む。彼女の顔面目がけて。

 ぎゅっと目をつぶるも少女は、逃げなかった。


 くそ、どういうつもりだ? これは幻、現実ではないのに──止まれ、止まれよ! 言うことを聞け!

 風を切りうなりを上げ、炎をまとった剛拳が少女へと迫る。制動が間に合わない、のなら!

 とっさに脱力する。体勢を崩す。がくんと膝を落とす。拳の軌道をずらす。

 少女の頬をかすめ、私の右手はあらぬ方向へとすっ飛んでいく。

 それに引きずられるように、脱力した私自身の体もまた宙に浮き。次の瞬間には、盛大に畳に突っ伏していた。くそう、体中が擦れて痛い。我ながら、何て馬鹿力なんだ。

 涙をこらえて顔を上げると、紅い瞳と視線が合った。彼女は驚きに満ちた表情でこちらを見つめている。

 ああ、どうやら無事らしい。良かった。


「どうして、避けたノ?」

「……あんたこそ、何であゆむをかばった?」


 投げかけられた質問に、質問で返す。何で避けたかなんて、私にもわからない。合理的な判断じゃなかったと思うけど。何となく、弟を護ろうとしてくれた相手の顔面を殴りたくなかっただけだ。


「そりゃア、未来のケンゾクだからネ」


 またそれか。ケンゾクというのが何なのか私にはさっぱりわからないけど、彼女にとってはよっぽど大切な物らしい。


「言っとくけど、元々寸止めにするつもりだったからね?」


 苦笑交じりに答えて、よろよろと立ち上がる。渾身の力を振り絞った状態からの急激な脱力は、私の体にも相当な負荷がかかる。


「すんドめっテ。もし当たっちゃったらどうするのサ?」

「その時はその時。責任取って、私の頭もカチ割るよ」


 さらりと答えると、少女は紅い目を丸くした。一瞬、言葉の意味がわからなかったようだが。

 次の瞬間には、プッと吹き出していた。


「アハハ! 何そレ、鬼ジョーク?」

「や。本気なんだけど」

「……変わったコだねェ、キミ」


 至極真面目に答えると、彼女は笑みを引っ込め、しげしげとこちらを見つめて来る。私の真意を見定めようとするかのように。

 仕方がない。ため息をつき、私は説明した。弟に緊張感が足りないから、背後から拳圧で危機を伝えようとしたこと。本気でやらないと駄目だと判断したことを。

 そうしてちゃんと説明したら、何故かますますいぶかしげな顔をされた。何故だ。


「何か変なこと言った? 私」

「あー、うン。まァ、キミの考えてることは大体わかったヨ」


 短絡的で暴力的だけど、どうやら根は悪い奴じゃなさそうだと、彼女は笑って答え。


「気に入っタ。合格だヨ、鬼籠野燐」


 続けて、そんなことを告げてきた。


「は? あんた、何言って──」


 ぱちん。私の言葉をさえぎるように、駒音が高く響いた。

 あゆむが指した。先程までと変わらぬ涼しい顔で、運命の一手を。

 くそ、駄目だったか。届かなかったのか、私の本気は。邪魔をされてしまったから……。


「この勝負。キミ達の勝ちダ」


 ──え?

 ハッと顔を上げる。


 目に入ったのは、苦悶の表情を浮かべる修司さんの姿だった。

 盤上では、打ち込まれた歩が取られることなく放置されている。次に金は取れるし玉にも迫れるけど、少しだけ、遠い。

 あゆむの攻めの方が、近くて速い。わずか一手分の差だけど、それで十分だ。この一手はもう、取り返せない。

 届いていたんだ。


「後はもう一直線。園瀬修司の勝ち筋はなくなっタ」


 勝った。あゆむが。胸中で胸を撫で下ろす。良かった。これで心置きなく戦え──。

 ぱちん。駒音が思考を中断する。負けると理解していても、修司さんは対局を続行した。その分苦しみが長く続くと、わかっていても。

 顔を歪め、血の気の引いた表情を浮かべて。最後まであがこうとしている。棋譜を汚してまで。


 以前の私なら、みっともないと吐き捨てたことだろう。潔くない、負け犬はさっさと投了しろ、と。

 だけど。敗北を知った今なら、修司さんの気持ちは痛いほどにわかる。負けを認めるくらいなら、どんな苦汁を味わおうとも構わない。あがいてもがいて、子供みたいに駄々をこねてやる。


「まだだ」


 勝負の結果は揺るがない。でもまだ終わってはいない。だから見届けたいと思った。この一局の結末を。

 私の言葉が意外だったのか、少女は驚きの表情を浮かべたが。反論することなく、視線を盤上へと戻した。

 ぱちん。敗北への直線道路を修司さんは歩んで行く。一手一手が重く、苦しい。

 ぱちん。あゆむは黙ってそれに従う。元より、勝者が敗者にかける言葉は無い。相手が負けを認めるまで、容赦なく叩き潰すだけだ。

 ぱちん。何度目かの応手の後に、ついに放たれる決定打。訪れる『その時』を前に、私はため息を漏らす。

 ああ、ここまでだ。これ以上は、無い。

 修司さんの手が、虚空をさまよう。


 何か無いかと、必死に考えを巡らせているんだ。読みの範疇に無い逆転の一手、一縷の望みを求めて。たとえ幻の希望でも、彼は迷わずつかみ取ることだろう。空振りに終わったとしても、何かあれば一手を指せるから。

 だけど。現実には、何も無かった。

 右手が駒箱へと降ろされる。負けました、と小さな声が聞こえた。


 そこで終わり。道場は消え、あゆむと修司さん、それに香織さんと大森さんも居なくなる。

 私の他にはもう一人、ぼんやりと虚空を眺める紅い瞳の少女だけが残された。


「どうだっタ? 面白かっタ?」

「ん」


 試合前に観られて良かった。おかげで、闘志が湧いてきた。

 指したい。良い対局がしたい、私も。


 だけどこの場に将棋盤は無く、対局相手も居ない。そもそも、ここは一体どこなんだ? 見渡す限り暗闇が広がっている。地面に立っている感触はあるけど、質感が無い。先程までは、はっきりと畳を感じることができたのに。


「待っててネ。今移動中だかラ」


 視線を宙に向けたまま、少女はそんなことを告げてきた。

 移動? 一歩たりとも動いてないけど。


「アルクビエレ・ドライブ」

「……は?」

「あたし達を取り囲んでいる、この時空間ごと動いているのサ。キミには認識できないけど、ただ今光速を超えて目的地まで一路吹っ飛んでるトコ」

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