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【連載四周年】にいづましょうぎ──将棋盤の中心で愛を叫ぶ──  作者: すだチ
第九章・園瀬修司の切愛──それでも君を愛してる──
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(3)一緒に

 白の雷撃が、盤上を駆け巡る。ジグザグに、輝きを放ちながら、銀将が敵陣へと攻め込んでいく。対する香織は、予め受けの態勢を築き上げていた。やはり対応が速い、だが──。

 雷撃が、回り込む。見えない避雷針に沿って、守備駒の内側へと入り込んだ。

 もちろんそこにも罠が張り巡らされている。だが、退かない。


 彼女の読みを凌駕しろ。罠を掻い潜り、敵将の喉元に切っ先を突き立てろ。今ならできるはずだ。今の俺なら。

 明鏡止水は確かに驚異だ。だが、香織を想う気持ちはそれをも凌ぐ。怖くはない。

 俺は彼女を助けたい。そのために過去の彼女に勝ち、未来へと繋げる。俺達二人で築き上げる、未来へと。


 俺の指し手のことごとくを潰さんと、絨毯爆撃が来る。そうだ、あの時はこれを食らって指すべき手が無くなり、投了を余儀なくされたんだ。

 逆に言えば、これさえ凌ぎ切れば良い。この時点での彼女の明鏡止水は不完全。読み抜けはきっとあるはず、そこを突くんだ。

 思い返すは二回戦の中堅戦、鬼籠野燐と水無月彩椰の対局。燐は不完全な明鏡止水の裏をかき、彩椰を追い詰めた。俺にだって、できるはずだ。


 少し前から、俺の向かいには香織の姿が在った。ぼんやりとした輪郭が、徐々にはっきりとしたものへと変わっていく。

 思い出深い一局を振り返り、俺が彼女の手を指すことで、彼女と意識を同調し始めているのだ。

 同調率を高め、完全に一致できた時。俺は、香織の深層意識へと到達することになるだろう。その時何が起こるのか。そこまではわからない。

 ただ、香織の魂が傷ついているというなら、治す手助けをできるかもしれない。俺にできることは限られているが、ゼロではないと信じよう。


 爆撃の雨の中を駆け抜ける。白刃を手に、彼女の玉へと迫る。

 目前にして、最強の守備駒、竜馬が立ちはだかった。

 馬の守りは金銀三枚分と形容される。絶大な守備範囲の広さを持ち、容易には突破させてくれない。金駒との相性も良く、連携して守ることで難攻不落の要塞を形成する。

 香織の陣形も、馬を中心とした鉄壁の守備だった。どうやら攻めを切らせて勝つつもりらしい。

 ならば。稲妻の寄せを、見せてやる。

 香澄さん。あんたの奥義、使わせてもらうよ。

 手にした駒が白く放電し始める。次の一手に、俺の全てを懸けよう。


「香澄流矢倉・改」


 神話に伝え聞く雷神は、大地をも粉砕したという。その絶大なる破壊力を、盤上に再現する。


「絶式──トール」


 竜馬よ。その身で受け止めてみるがいい。審判の、鉄槌を。


 カッ!


 盤上に落雷する。

 渾身の力を込めて打ち下ろした一歩が、馬を直撃した。衝撃で真上に跳ね飛び、天井に当たった後、くるくると回転しながら落ちて来たそれを。俺は無造作に、空中で掴み取る。


 予想以上の威力に、頬を冷たい汗が一筋流れ落ちた。

 さすがは奥義と言った所か。たった一撃で、彼女の守備陣に大穴を穿うがった。


 危険と判断したのか、即座に開いた穴を埋めようとして来る香織。明鏡止水の判断力は伊達じゃないな。

 だが、そうはさせない。全ての持ち駒を攻めに投入し、強引にこじ開けていく。この期に及んでは、守りなど必要無い。必ずや寄せ切ってみせる。

 彼女の玉が見えて来た。宝石のようにキラキラと、光り輝いている。


 俺には終盤力が不足している。どちらかといえば序盤・中盤でリードを広げておき、そのまま勝ち切る戦い方を得意としている。だから、最後の最後で緩手かんしゅを指して、逆転負けを食らうこともしばしばだった。

 だが、今回はそれは許されない。


 将棋の神様。今、この瞬間だけで良い。かけがえのない妻を救うため、俺に終盤力を授けてくれ。

 手を伸ばす。反撃で全身に傷を負い、その度に激痛が走る。それでも、ひたすらに突き進む。

 次々に倒れていく兵士達。奪われていく手駒達。どれ程の犠牲を払っても構わない。最後に彼女の玉を、手に入れられるなら。


 香織。迎えに来たよ。

 指先が玉将に触れた瞬間。眩い光が、俺の視界を覆い尽くした。


 ようやく辿り着いた場所は、地平線の彼方まで白一色が広がっていた。そこに居るのは、俺と香織の二人だけ。

 ここが、彼女の深層意識の領域なのだろうか。思ったより殺風景だ。もっと楽しげな、花畑のような色鮮やかな世界だと思っていたのに。これでは、寂しくないのだろうか?

 そんな世界の中に、たった独りで佇んでいても。彼女はいつもと変わらぬ微笑みを浮かべて、俺を待っていてくれた。


「香織、君を迎えに来た」


 さあ、一緒に行こう。そう言って手を差し伸べるも、彼女はふるふると無言で首を振った。ああそんな、悲しそうに笑わないでくれ。これでは、俺が困らせているみたいじゃないか。

 それにしても、香織が俺を拒むだなんて。一体どういうことだ?


 俺の手を取る代わりに、彼女がおずおずと差し出して来たのは、一本の扇子だった。

 意図がわからないながらも、それを受け取る。試しに広げてみると、真っ白な無地が目に眩しく映った。

 将棋界では通常、白扇には揮毫きごうが書かれているものだ。だがこの扇子には、何も描かれていない。この世界と同じように。


 そう言えば、と思い出す。

 大会の前日。つまり昨日、香織がこの扇子を買って来ていたんだった。棋士たるもの扇子の一つも持っていないと様にならないと言って、俺へのプレゼントとして。

 白の無地を選んだのは、手書きで揮毫を記すためだと彼女は笑って言っていた。何を書くかは、明日のお楽しみだと。

 今の今まで、すっかり存在を忘れていた。


 当日になっても、彼女が俺に渡してくれなかったのは……書くべき揮毫が思いつかなかったから、といった所だろうか。

 それを今、差し出して来るということは、つまり。考えたくはないが、その理由は。

 書く必要が無くなった──いや。もう書けなくなった、から……?


 かぶりを振る。冗談じゃない。

 今生の別れのつもりで、こんなモノを寄越すのはやめてくれ。


 棋力を失い、弱気になっているのはわかる。

 だが、あまりに香織らしくない。俺の知っている彼女は、いつだって逆境に怯むことなく挑んで来た。その姿に憧れていたからこそ、俺だってここまで頑張って来られたんだ。どん底の局面で、彼女の笑顔にどんなに励まされたことか。


 ──ああ、そうだ。だから、今度は俺の番だ。


 香織を励ます。生きる気力を取り戻させる。そのために、俺ができることを成す。

 広げた扇子に、彼女への想いを書き込む。思いついたフレーズを、そのまま形にする。


 一文字目は『愛』。誰よりも、君を愛している。

 二文字目は『羅』。たとえこの先、修羅の道を歩むことになったとしても。共に行こう、二人で。

 そして『武』と『勇』。強き心の象徴を記す。どんな苦難も、一緒に乗り越えよう。二人でなら、きっとできる。


 夫婦って、そんなものだろ?

 俺達は二人で一つ。いつだって独りじゃない。

 こんな寂しい場所で朽ち果てるなんて、絶対に俺がさせない。


 完成した扇子を差し出す。

 俺の想いを、どうか受け取って欲しい。


 香織は、迷っているようだった。彼女自身、己の最期が近いことを悟っているのだろう。それでも、受け取って良いのかどうかと。

 その時、白扇は一際強い輝きを放った。

 彼女はハッとした表情を浮かべ、迷いを断ち切るように首を振り。それから、俺の顔をまっすぐ見つめて来た。潤んだ瞳の中に、俺が居る。


 いいの? と問い掛けて来る。

 言葉を発さずとも、理解できた。彼女の気持ちが、やっとわかった。彼女の気遣いに、胸が締め付けられる。こんな状態になっても、君は俺のことを第一に考えてくれているのか。恨み言の一つも言わずに。

 俺は頷く。香織の双眸に、光が宿る。

 彼女はついに、扇子を受け取った。


 あい、らぶ、ゆー。

 彼女は呟いて、くすりと笑みを零した。その後、頬をきらきらとした涙が流れ落ちる。

 しげしげと扇子を眺め、何度も頷く。俺はその様子を、黙って見守っていた。そうだ、心ゆくまで観てくれ。俺のありったけの想いを込めた、四文字の恋文を。

 香織。一緒に帰ろう。


 やがて彼女は、扇子を丁寧に畳み、微笑んで返して来た。いつもと変わらない、優しい笑顔。仕事でどんなに疲れて帰って来ても、彼女の顔を見ると疲れが吹っ飛ぶ。

 参った。元気を与えるつもりが、逆に俺の方が活力を得てしまうとは。

 扇子を差し出して来る手を掴み。思いきって、彼女を抱き寄せた。

 驚きの表情を浮かべる香織を、強く抱き締める。もう離さない。もう二度と、独りで行かせはしない。

 死が二人を分かつまで、など認めない。君が死ぬ時は、俺も一緒だ。

 彼女は体を俺に預けて来た。柔らかな肌の質感と、わずかに俺より高い体温を感じた。

 ありがとう。耳元で、彼女の声を聴いた気がした。

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