地神の暇つぶし
少し、飽いていた。
いや、飽いていたのとも少し違うな。
昨今なんだか、この役目自体が意味がないもののように思われるのだ。
眺め下ろす夜の街。少し前から陽が落ちても昼が残るようになった。色々なものが移り変わっていくなかで、我の役目というのは既に不要なものなのかも知れぬ。そう確かに思い始めていた。
我は長い年月、この新谷坂山で悪しきものの封印を守ってきた。そう。この山は色々な怪異を封印している。
彼の方は我をこの封印を守るために造られた。封印の保持こそが我が役目である。そこには何の不満もない。
彼の方は遠い昔、この場所にさまざまな怪異が集まり不幸の温床となったとき、それを憂いて命と引き換えに怪異を閉じ込め封印された。
我はその封印のふたである。腹の下にうごめく怪異がどのようなものかは詳しくは知らぬが、我はその上に座して長い年月この土地やそこで暮らす者を眺めていた。
少し前までは近くに住む人間が時おり供え物など持ってくることがあった。
そんなものはなくてもよいし、祈りを捧げられてもただの封印のふたである我には意味はない。特に豊作や安産を祈られても我にはどうしようもない。我にそのような機能はないのだ。
けれどもただたまに、悪いものを払ってほしいという願いがある。我は彼の方がこの地の安寧を願っていたのも知っているゆえ、気が向くままに足を運び捕らえて穴から封印に投げ入れた。
人は移り変わりながらも時には村ごと滅ぶこともあった。だが人とはそのようなものなのだろう。誰もいなくなってもそのうち新しい人が集まり増えてゆく。
それが人というものなのだろう。だからそれについては我は特に何を思うこともなく、ただ封印の重石であり続けた。
状況が少しかわったのは今から100年ほど前だろうか。
もともとこの神社におった神主がいなくなってからだ。
封印を破ろうとする人間が現れ始めた。
ふたである我を無視してこの山の側面を掘り、封印を破ろうとしたのだ。
我はその人間を観察したが、ことさら怪異をまき散らそうとしている様子でもなくいぶかしく思われた。だが我はしょせんふたにすぎぬ。ふた以外のところから封印を開けようとするのであればそれはそれで仕方がない。我の関することではない。
故、放置した。
すると案の定、封印の横っ腹にほんの小さな穴が開き、怪異の1つが封印をするりと抜け出した。一旦抜け出した怪異は、外に出した者でなければ封印はできぬ。理屈はよくわからぬが、解放した者が開けた腹穴を通って外に出る故なのか、解放した者と怪異の間に縁ができるようだ。
ようは解放した者が穴の鍵を持つ。解放した者が求めぬ限り、再び同じ穴に押し込め閉じることは難しい。その縁を辿って出ていってしまうのだ。
その人間が怪異を封印したいというのであれば手伝おう。そう思って見ていたが、その怪異は、あっという間にその人間を食らいつくした。これではもう我にはどうしようもない。逃げ出した怪異は既に我には封印できぬ。だから捨て置くことにした。
山の横っ腹に開かれた新しい穴についてはどうするかを少し考えたが、彼の方の願いを思い出し、とりあえずその穴はふさいでおくことにした。
怪異を封印を維持するために我はここにいるのだから。
それからしばらくの後、また山を崩そうという人間が現れた。
我はまた、このまま人間が穴をあけて怪異を解放しようというのであればかまわぬと思い眺めていた。けれども今度は以前に逃げ出した怪異が人間たちを襲い始めた。どうやら怪異はどこかに去ったのではなく、山の裾あたりに住みついていたらしい。
怪異と人間たちとの攻防はしばらく続いたがいつしか人間たちは退いたようだ。攻防といってもどうやら怪異の力は弱く、その行動は夜に限られているようだ。たまたま1人になった人間や無人の資材を襲っているだけのようであったが。
その後も山にはぽつりぽつりと人間が立入り、家や道路というものを作っていった。これらは山の表面を少し削る程度であったから封印に問題はない。逃げた怪異は人間が山深くに立ち入らぬ間は山の獣を喰っているようであった。
我は奇妙に思う。
この封印はそもそも人を厄災から守るためのものだ。なぜわざわざ壊そうとするのだろうか。それとも、いつのまにか我の役目は人にとって意味のないものとなってしまったのだろうか。
とはいえ、我の役目は彼の方の作りし封印のふたである。人の意図など関係ない。彼の方がそのように我を創られたのだ。だから封印がある限りこの上に横たわっているだけだ。
そう、役目に不満はない。ないが少しだけ、この封印は彼の方が守ろうとした人にとって不要なものとなったのか、と思う。それであれば、この守りが不要なのであれば、むしろ求められれば明け渡した方がよいのだろうか、そのようにも思われた。
そのほうが、ひょっとしたら彼の方の意思にも沿うのかもしれぬ。
我は人の世を観察した。
もともとこの山に登る人間は多い。古くは薪や山の鳥獣を求めて人間は立入っていたし、最近では山裾の方が開かれて人間が歩き回っている。
我は仮初の姿で山や街を巡った。人の世は昔と異なり、闇は光で払拭され、怪異は驚くほど窮屈に押し込められていた。
なるほどこれであれば封印は要らぬのかもしれぬ。
とはいえ、我の役目は封印のふただ。役目がある限りは全うしよう。
その月の明るい夜、参道を登る者が2人いた。
1人は騒がしく、もう1人は大人しそうだ。大人しそうな方はどことなく、少しだけ彼の方に雰囲気が似ていた。そういう者は街にも稀にいるが、ここまで登ってくる者は珍しい。そうだ。ここ100年ほど、社を訪れる者は激減している。
我は気まぐれに仮初の姿でその者の前に姿を現す。
街を見下ろす鳥居の下では海からゆっくりと上る風と山からするりと吹き下ろす風がぶつかっている。
「ここでなにをしておる。ここは危ない」
この山には逃げ出した怪異が潜んでおる。あまり長居をするべきではないから。
この姿では言葉が通じぬことは知っておったが、我は気まぐれにそう忠告した。人の姿と化して意志を通じることはできるがそれほどの気分にはならなかった。それに説明が面倒だ。
その者はしばらく我を見つめて優しげな声で呟いた。
「友達の付き添いできたんだよ。もう少ししたら帰るから」
まさか正しく返答が返ってくると思わなかった。少し驚いた。偶然とはいえ、何者かと応答が合致するのは何百年ぶりだろう。
「ならばよい。速く立ち去られよ」
どことなく我は彼の方と再び話ができたような心持になり、珍しく、少しよい気分になった。
けれどもそのとき怪異の気配を感じた。社の裏手の森からだ。以前に逃げ出したものだろう。あれがこの辺りまで来ることは珍しい。この社には怪異が容易に封印から出られぬよう封印が施されている。同時にそれは外からの侵入も防いでいる。
おそらく山裾から2人について来たのであろう。2人であったため襲われなかったが、いまは別れているので騒がしい方を襲いに行ったのやもしれぬ。
我はちらりと大人しい方を見る。社の内側のここにいる限りは大丈夫であろう。
ふむ。こやつらが怪異に食われようと食われまいと我の関与することではない。けれども我は怪異を封印するふたである。我には封印はできぬとはいえ、役目がら、一応は様子を見にいくことにした。