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君と歩いた、ぼくらの怪談 第1部  作者: tempp
第1章 僕の怪談の始まり
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大きな口の、小さな口だけ女

「口だけ女?」


 ちょっと変な声が出た。なんとなく、妖怪を捕まえるゲームにそんなのがいた気がする。目鼻がなくて口だけだけどかわいい奴。とりあえず僕は震えるナナオさんに僕の上着をかけて、何が起きたのか尋ねる。

 ナナオさんの白いカーディガンは破れて血が滲んでいた。ライトで照らすと大きな擦り傷。


「痛い痛い染みる」

「ちゃんと傷口を洗わないと」

「だって痛いんだもんよ」


 擦り傷は広範囲で絆創膏じゃ貼りきれないから持ってきた水で表面を洗って消毒をしただけ。本当は被覆材か何かで覆ったほうがいいんだろうけどさすがに持ってきていない。


 ナナオさんは絵馬の代わりになるものを探して、裏山に分け入ったらしい。

 明かりはスマホだよりだから大丈夫なのって聞いたら登り道だから後ろを振り向けば夜景が見えて神社には帰れると思った、だって。それはさすがに迂闊では。この山の木はわりと高いから少し上ると見えなくなる気がするんだけど。夜だから方向もわからないだろうし。チャレンジャーだな。

 そしてやっぱり見えなくて、ちょっとだけ方向を見失ったらしい。


 それでともかくナナオさんは闇雲に彷徨っていたんだろうけど、しばらくしたらどこからか子どもの声が聞こえたらしい。樹々がざわめく真っ暗な中で子供がしくしく泣いていて、その声が木々の間に響いていたそうだ。


「なに考えてるんの。こんな時間に山に子供がいるとしたら幽霊とか妖怪じゃない?」

「だろ? そう思ったから声のする方に行ってみたんだ」


 安心して少し復活したのか、ナナオさんはなぜか腰に手を当てて得意そうに宣言する。

 発想が普通と逆じゃないかな。


「そんでさ、探してみると、ボロっちい着物きた8歳くらいの女の子がいてさぁ……それがすっごい悲しそうな声で泣いててさ」


 なんだかものすごくテンプレートな展開。それはもはや妖怪としか思えない。

 ナナオさんは思い出すように頭を掻いて僕から目を逸らす。なんとなくこの後の展開が読めてきた。少し頭が痛くなる。これまでの短い付き合いでもナナオさんは困ってる人を放っとけない人だって知っている。


「まさか声かけたの?」

「うん。どうしたのって声かけちゃった。そしたら振り返って目があって、結構かわいい子だなって思ったら急にさぁ……」


 ナナオさんは思い出して目元が少し泳ぎ、両手で肩を抱いて再び顔色が青くなる。


「あのさ、信じてくれるかわかんないんだけど」

「うん」

「なんか急に女の子の口がメリって口裂け女みたいに耳まで裂けたんだよ」

「うわ」

「そんで耳まで裂けたら今度は口が上下に大きく開いていって、ええと、なんていうかな、下唇が(あご)のほうに、上唇が頭の方にゴリゴリと開いてってさ、メリメリいいながら最後にはべろんって、頭の皮が全部めくれて頭全体がひっくり返した口の中みたいになった」

「え、ちょっと待って」

「それからゴム手袋をひっくり返したときみたいにどんどん口の中の部分が外側に広がっていってさ。腰くらいまでめくれて垂れ下がって。最後には、なんていうんだろ、筒? 直径1メートルくらいのてらてらした口の中が頭の上? にあって、そっから太い舌がでてた」

「……」

「ええと、それでその腰まで垂れ下がった口のふちの外周にぐるっと歯が並んでてさ。その下にある身体から手とか足とかが生えてる化け物になった」


 背筋を悪寒が駆け上がる。その表現におののく。ナナオさんの語尾も少し震えている。

 そんなに具体的に聞きたくなかった。口だけ女、恐ろしすぎる。そんなもの直視したら耐えられない気がする。


「よくそれで逃げられたね」

「うん、一目散に逃げ出したよ。口だけ女はいろいろゴツゴツぶつかりながら追いかけてきて、たまに転んだから何とかここまで逃げてこられた。口だけだと目がないから走りづらいのかも」

「う、うん」

「でもそこでこけちゃってさ。もう駄目かと思ったらそこの5メートルくらい先の茂みのところで口だけ女は止まってこっち側には入ってこなかった。ボッチーが突っ込んで行きそうだったから慌てて止めた」


 その発言にどっと冷や汗が出る。

 危なかった。危機一髪だ。

 なんだか頭がひどく混乱している。

 本当にそんな化け物が、いるの? このすぐ目の前に。


「う、うん。よくわかんないけどでもここはもう神社のすぐそばだから、神社の封印が守ってくれたのかもね」

「神社の封印?」

「……」

「……」

「なんでキョトンとしてるんだよ!? 封印されてるから神社登ろうって言ったのはナナオさんじゃないか!?」

「お、おう、そうだった。」


 誘われた理由を忘れられててびっくりだ。

 でもなんていうか、そんな恐ろしいものに追いかけられたら全部吹っ飛んでも仕方がない。

 とりあえず、一息つこう、と残った水筒の水をナナオさんにすすめる。


「ありがとな。そんでどうしよっか」

「うーん。もしここが安全なら、少なくとも朝までは神社にいた方がいいのかも。真っ暗な帰り道で襲われたらどうしようもなさそう。それに第一夜は迷いそうだもの」


 山で迷う一番の原因は、闇雲に下ること。

 登り道は最終的には頂上に向かってるけど、降りる時はどの方位にも降りられる。だから道があっても夜は迷う。その複雑な陰影で道を見分けるのは困難だから。いつのまにか獣道に入っていて、そのうちそれも途絶えててどこにいるかわからなくなることも多いらしい。

 月は頭の上で明るく照っているけれど、下れば町との間に林がある。登るときもあまり見えなかった。迷うかもしれない。

 でも朝になって明るくなって下りれば、新谷坂(にやさか)山はハイキングコースだから、人にも会えるし、遠足でも来たから大丈夫だと思う。

 そんな算段を経てていたけどナナオさんの発言に驚愕する。


「……あの子、なんで泣いてたのかな」

「おなか空いてたんじゃないの? ナナオさんを襲ってきたんでしょ」

「うーん、そんな感じじゃなくて……最初はすごい悲しそうな声だったんだ。まあ追いかけられて、すげー怖かった。でもさ、それはそれとしてさ。子どもが泣いてるのってほっとけないじゃん?」


 ナナオさんは困ったように眉を下げて僕を見るけど、さっきの口だけ女の話からは、そんな想像は難しい。


「でも結局襲われたんでしょう? どうしようもないんじゃないのかな」

「でも今冷静に考えてみるとさ、化け物になって襲ってくるまでは普通の子どもだったんだよ」

「それにしたってそれは人をおびき寄せる罠なんじゃないの? そういう話って一杯あるよね、子泣き爺とか川赤子(かわあかご)とか。蠱雕(こちょう)だってそうだし」

「うん、そりゃぁわかるけど。でも最初は本当にそんな感じじゃなかったんだ。凄く悲しくて、胸が締め付けられるような?」


 だからそれはそういう戦略なのでは。

 けれどもナナオさんは腕を組んで暗い森のほうを見つめた。

 僕はだんだん、なんだか嫌な予感がしてきた。


「そうだ、ボッチー。2人いると襲われないって聞いたんだ。それにここが安全なら、ここから呼びかけちゃだめかな」

「いや、それは、ええと」

「茂みで止まったんだしここまで入ってこれないよな?」

「いや、そんなことわかんないってば」


 けれどもナナオさんはいいことを思いついたというようにニカッと笑った。

 結局の所、僕はその何かが泣いているところを見ていない。だからわかんないだろ、って言われたら言い返せない。それで僕はナナオさんを止められなくて、ギリギリ安全なところから、近づかずに呼びかけよう、ということに決定されてしまった。

 おそるおそる、神社とその裏手の森のちょうど境界線みたいに敷かれていた冷たい石畳に陣取る。

 確かにこの石畳の先の森は神社の神聖な雰囲気とは無縁で、何かが潜んでいるようなおどろおどろしい雰囲気を秘めていた。ひゅうと奥から生暖かい風が吹いている。それは暖かくなってきた春の夜の訪れなのか、それともその何かの怪異の息吹なのかはわからないけど。

 ナナオさんは意を決して、よしっと小さく握り拳を固めたあと作戦を開始した。


「おおーい、さっきの子、いまちょっとお話できるかな」


 驚くほどの普通の呼びかけ。


「おーい、聞こえてたら返事をしてー」


 そのまま20分くらい何度か大声で呼びかけて、無理じゃないかな、と思った時だった。

 正面の暗がりからカサカサと小さな音がした。風や木の音とは明確に異なる何か生き物が動いたような音。

 僕らはごくりと唾を飲み込む。ナナオさんは先程と違う、少し緊張した声でもう一度呼びかけた。


「……えっと、さっきの子かな?」


 しばらくしてから、闇の向こうから小さな声がする。


「……あの……怒ってない?」


 確かに女の子のような、鈴が転がるような声だった。少し戸惑っているような。

 うなり声じゃなくてナナオさんも僕もほっと胸をなでおろす。

 この女の子の声で泣いてたら、確かにナナオさんじゃなくても様子を見にいくかもしれない。どうだろ?

 けれどもそれを含めて罠なのかもしれない。罠だったら? 本当に2人でいれば大丈夫なの? この神社が平気なのは本当? 僕らは確かかどうかもわからない色々な過程の上に乗っかかって、ここではない何かを覗いている。


「あ、うん、ちょっとびっくりしちゃったけど、……大丈夫かな」


 ナナオさんは安心させるようになるべく優しい声で話しかけているみたいだけど、大丈夫というのは嘘だ。ナナオさんは無意識だろうけど、さっきから僕の手をすごい力で握りしめている。怖い。その手からつたわる押し殺された恐怖。


「よかった……ごめんなさい、あの私、動いているものを見ると何がなんだかわかんなくなっちゃうの。だから、お姉さんもこっちに近づかないでね」

「……オッケーオッケー。この距離なら大丈夫かな」

「うん、見えないと大丈夫だし、私そっちに近づけないから」

「そっかそっか、よかった」


 ナナオさんはほっと息をつく。僕の手を握っていたのに気がついて、慌てて手を離す。

 予測の通りこの神社には入れない、らしい。多分。

 僕らは少しだけ柔らかくなった暗闇を挟んで会話を続けた。


「それで、えっと、なんで泣いてたのかな、よかったら、お姉さんに相談してみない? 解決はできないかもだけどさ、気持ちは楽になるかもよ」

「気持ち……」


 少しの時間があって闇の向こうで話が始まる。


「……私、お母さんを探してるの。お母さんはここのお山に閉じ込められててでて来れないの、私、お母さんに会いたい……」


 闇はしくしく泣き始めた。それは確かに心を締め付けるような悲しそうな声。ナナオさんか気にかける理由が少しだけわかる。

 ナナオさんは眉を寄せて困った顔をしている。


「お母さん、か……それってここの封印を解けば会えるのかな」

「ちょっとナナオさん!」


 小さな声でナナオさんの肩を引く。


「あの子がかわいそうなのはわかったけど、あの子のお母さんがあの子みたいな生き物だったとしたら、たくさんの人が犠牲になる。僕らも無事じゃすまないかもしれない。やめたほうがいいよ」


 ナナオさんは、いやでもさ、といって目を泳がせる。

 その目は、だって可哀想じゃないか、と主張する。


「私はそっちのほうに行けないから、どうしていいかわからないの」


 闇から小さな声がする。

 ナナオさんは、うう、と小さくうめいて、僕の耳元でささやく。


「ボッチー、封印をといたら大変なのはわかるんだけどさ、せめて手紙のやり取りとか、様子を知らせるとか、できないのかな、あの子、悪い子じゃなさそうだし」


 悪い子じゃない? さっき襲われたんじゃないの?

 けれどもナナオさんの中ではすでに闇の中の女の子は『口だけ女』という怪異じゃなくて、近所の子どもみたいになっているように感じる。動いているのをみれば『口だけ女』、動いていなければかわいそうな女の子。世界はそんなふうに物事を分断、するものなのかなぁ。

 でも手紙……か……。


「あの、さ。私らも封印のことはよくわかんないから、とりあえず神社の中調べてみるよ。うまくいくかは全然わからないから、期待せずにちょっと待っててくれるかな?」

「……お姉さん。ありがとう」


 

 さわさわとした優しい風と一緒に少しだけ嬉しそうな女の子の声が響いた。

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