『風に揺れる黄色いバナナと波に浮かぶ青いカメ』
音のない青空がひろがっていた。
その空の高みを、月よりも少し小さいくらいな半透明のクラゲのようなものが、
地球と同心円を描きながらゆっくりと飛んでいるのが見える。
それが宇宙の塵を食べて成長する生物なのか、はたまた他の星から来た人の乗り
物なのか、そんなことは誰にも分からなかった。
なぜなら、そういうことに疑問をもてる『人間』というものが、まだ誕生するず
っと前のお話しなのだから。
少し前、そう、この時代からちょうど千年くらい前、何年も何年も嵐が吹き荒
れ、そこに星の屑が雨のように落ちてきて、水しぶきは何キロもの高さにあがり、
まるで戦争のようだった。
今は嵐はおさまり、海も静かになったが、それでも時おり星のカケラが落ちて来
た。
この広い海に一年に10個くらいのものだから、まあ、何百万にひとつという確
率だったろう。
海のなかにはようやく生物が生まれ始めていたが、バカデカかったり荒っぽかっ
たりでロクなものはなかった。
だからその青いカメなどは可愛い部類に入っていたと思う。
まあ、そうは言っても子供部屋くらいの大きさではあった。
なぜ青いかって?回りに怪物のような恐ろしい生き物がうようよ泳いでいるのだ
ぜ。海の色にとけていたほうが都合が良かったに決まってる。
ある日、寒くもなく暑くもなくとても気持ちの良い日だったので、生まれて30
0年くらいのその子ガメは、海にプカリプカリと浮かんでいた。
青い空に青い海、それに青いカメだったから、怪物たちには何も見えないのとお
なじだった。
世界は音のない透明な青で満たされていたけれど、空から小さな星屑が一直線に
オレンジ色の線を描きながら落ちて来た。
でも、なにせ何百万分の1なんだもの、注意しろって方が無理っていうものだ。
音のない世界に音が生まれた。
最初はちいさなキーンて音だったけれども、段々キューンになって、今ではギュ
ーンというなんだか怖い音になってきた。
でもカメには初めてだったし、音というものを知らないんだからしかたがない。
嫌な気持ちはしたが、さりとてどうするということもなかった。
音はゴーッとすごくなって、なんだか怖くなったけど、どうしようとも思わなか
った。
バキュッという音がしてカメは悲鳴をあげた。どんな悲鳴かは分からないが、そ
うとう痛かったのはたしかだ。
首を曲げて背中を見ると、ガラスで出来たようなその甲羅に、ポッカリと穴が空
いていた。
星屑は赤い色をしてジュウジュウと音をたたている。
カメは背中が焼ける熱さにたまらず、海に潜った。
(これで消えるだろう)
けれども、どこから飛んで来た星なのか、水くらいでは消えなかった。
歯が痛い。でも抜くのはいや。でもあんまり痛いので抜いて楽になりたい。
夜中にジンジンする痛みに寝られないあの感じ、が、もうなん十年と続いてい
る。
じっとしていると痛くて熱くてたまらないので、ずうっと泳いでいた。もう地球
を5周くらい回った。
南に向かって泳いでいた時に、ある小さな島が見えた。
水平線に目標があると嬉しくてそばに寄って行くと、まだ植物なども真っ当なも
のはなくて、ワラビのお化けのようなものや、ノコギリを立てたみたいなおっかな
い木が、自分の領土を広げようと静かな戦いをしていた。
そんななかに小さく明るい緑色をした植物が、これから伸びていこうと芽を出し
ていた。
その色はとても綺麗だったので、カメはしばらくその芽を見ていた。
そうして何かに集中している時だけは、熱さや痛みから逃れることができるの
だ。
しばらくしてまた泳ぎ始めた。別になんのあてがあるわけでもない、ただ痛いか
ら、熱いから泳いでいるだけだった。
今度は東に向かって泳いだ。東に何かあるのかって?そんなことは知らない。た
だ痛くて熱いから泳いでいただけだ。
空は青かった。もう何十年も青かった。
何かが波にゆられてプカプカ浮いているのでそっちに泳いでいった。
海のなかにいる例のバケモノだった。バケモノは死んでいたが、カメは死ぬとい
う意味を知らなかったから、怖くてそばには寄れなかった。でもバケモノは動かな
かったからそばに行ってみた。 動かないそれはなんだか怖くはなかった。
東へ東へと泳いでいたら、いつのまにか地球を一周してしまったが、一周という
意味をカメは知らなかった。
あの綺麗な植物がどうなったか見たかったので、ふたたび島に泳いでいった。
ずいぶん大きくなっていて、おおきな葉っぱがニョキリと出ていた。
青い子供部屋くらいのカメは、なんだかうれしくなった。
お日様は高く、たまに星屑が落ちてはきたが、もう当たるまいとカメは思ってい
た。
(あのギューンてのが聞こえたら、海に潜ればいいんだ)ひとつ利口になった。
クラゲみたいな半透明の月よりちょっとちいさいやつは、今日も地球と同心円の
空の高みをゆっくりと飛んでいた。
べつに飛ぶことに意味はなさそうに見えたが、ああやっているのは、自分と同じ
ように痛かったり熱かったりしているのかな?とカメは思った。
ずっとずっと泳いでいた。
なぜかって?止まると熱くて痛いからさ。
西へ西へと向かっていたが、あのきれいな明るい緑の葉っぱがどうなったのか気
になったので戻ってみることにした。
「ゲゲッ!」頭くらいもある赤いボールのようなものがなっている。
バナナの花がこんな形と色だなんて、カメに分かるはずもない。
少し気味が悪いので、また島を後にして泳ぎ始めた。
だって他にすることはないもの。
泳ぎながら口を空けていれば小魚は入ってくるし、少し潜れば海草も食べ放題だ
った。
けれども背中の星屑は何時までたっても赤いままだった。
熱いままだった。痛いままだった。
だから止まることが出来ないまま、泳ぎ続けるしかなかった。
何かに興味をもって集中する時だけ、熱さや痛さを感じなかった。
(あの赤いボールはどうなるんだろう?)
やっぱり気になって島に戻ってみた。
「ウゲゲッ」こんどはその赤いボールがついている長い茎の上に、ものすごい数の
緑色のイボが出来ている。
(こいつもカイブツだったのか)
これがバナナの赤ちゃんだとはカメに分かるはずもない。
カメはガックリして島を離れた。
青い世界に時たまオレンジ色の線を描きながら星屑が落ちて来たが、もう当たる
ことはなかった。そのかわり、小学校の校庭くらいの大きさの羽の生えたバケモノ
が、カメを食べようと空から急降下してきたりする。カメはそのたびに海にもぐっ
た。
そんなことをしていても、やっぱりあの赤いボールとあのイボイボが気になって
しかたがなかったので、また島に行ってみた。
イボイボは大きくなって、細長くなって、太っていた。
なんだかガヤガヤと話し声が聞こえる。
「おいおい、バケモノがまた来たぜ」
「俺たちを見ている。食べるつもりかなあ」
「今食べてもうまくないのに」
そのイボの一本一本がなにやら話しているのだ。
そのなかの勇気のあるやつがカメに向かって言った。
でもそれは言葉ではなかった。聞こえているわけではないんだ
けれども、聞こえるような気がするんだ。
「やあ!」
カメも心で答えた。
「やあ!」
「何か用かい?」
「別に...........ただ葉っぱがきれいだったから見ていたんだ」
「僕たちを食べるつもりかい?」
「べつに食べるものに困ってはいないよ。それにそこまで行くことができないん
だ」
島の海岸のすこし奥にそれは生えている。
「なんでだい?ちゃんと手足もあるじゃないか」
「水に浸かっていないと、この背中の星屑が熱くて痛くて、たまらないんだ」
バナナ達は、透明な青いガラスのような甲羅のなかの赤い星屑を見た。
「ふ~ん、とてもきれいだけど、そいつは痛くて熱いんだろうね」
「もう、ずうっと熱くて痛いんだ。でも君を見ている時だけ、それを感じないん
だ」
「へええ~、それは不思議だね。君、お父さんやお母さんは?」
「なんだいそれ?、僕はずっと一人きりだよ」
「そいつはさびしいね」
「さびしいってなに?」
「ひゃあ!さびしさを知らないやつがいるのか」
ちがうバナナが言う。
「お前は黙っていろよ。最初から一人じゃさびしさが分かるわけないじゃないか」
「ああ、そうだな。ごめんごめん」
「僕もそのさびしいって知りたいよ」
「ああ、心配ない。僕たちと友達になったら、さびしいってことが分かるように
なるから」
「ふ~ん。じゃあそのトモダチになってくれるかい?」
「ああいいとも」
そこまで話してカメはふたたび泳ぎ出した。
自分以外のものと心を交わしたことがなかったものだから、なんだかドキドキし
たのだ。でもなんだか嬉しかった。
いつまでたったらこの熱さや痛みがなくなるんだろう。
いつまで泳ぎ続ければいいんだろう。
空は青かったけれども、波が高くなりはじめた。
カメは短い手足を一生懸命動かして前に進もうとしたけれども、押し返す波の力
が強くて、なかなか前に進めない。
(前に進んでも意味ないや。別に行くあてがあって泳いでいるわけじゃないし)
そうは思ったけれども、手足を動かしているんだから、前に進まないとなんだか
いやな気もした。
地球を半周したあたりで、ふとバナナのことが気になった。
今も大きくなっているんだろうか、どんなふうになったんだろうか。
それよりも(また話したいな)と思った。あの沢山のざわざわする感じが、なん
だかとても楽しそうに思えた。
この広い地球で始めて自分以外のものと話した。
それまでは、何もない宇宙空間に浮かんだ一枚のぞうきんのようなもので、自分
が善いものなのか、悪いものなのか、きれいなものなのか、きたないものなのか、
大きいものなのか、小さいものなのか、必用なものなのか、不要なものなのか、自
分のことなのに何ひとつ分からなかった。
比べるものがないのだから、分かるはずもないし、答えも出るはずもなかった。
それは今でもそのままなのだけれど、今までと違うことがひとつだけあった。
なんだか胸が痛いのだ。
(この痛さはなんだろう?)
でも、背中の痛さと違うことは何となく分かる。
(また会いたいな、会っておはなししたいな)
そういう気持ちが強くなって、また島に向かって泳ぎ始めた。
風は追い風になったので、ずいぶん早く島についた。
そんなに長くはないけれども、太くてコロコロとしたバナナになっていた。
そしてあの緑色だったのが、まっ黄色になっている。すべてが青い空間のなか
で、その黄色はとても鮮やかに見えた。
「やあ、やっぱり来たね」
「なんだか胸が痛くなってきて、君たちに会いたいような気がしたんだ」
「それがサビシイっていうことさ」
カメは(これが寂しいってことか)と、またひとつ利口になった気がした。
「せっかく来てくれたけど、もうすぐさようならを言わなければならないよ」
「えっ、なぜだい?」
「僕たちは黄色くなったら、おしまいが近いってことなのさ」
「おしまいって?」
「落ちて腐ってしまうんだ」
「会えたばっかりなのに................もう会えなくなるんだね」
「でも、そんなにがっかりすることはないよ。僕らの身体のなかには、たくさん種
があるんだ。腐って土に帰るとまた生えて来るから、それまで少しの辛抱さ」
この頃のバナナには、まだ黒い種があったんだ。
「腐ったらどこへ行くの?」
「それは僕らにもわからない。ともあれ、君の甲羅の星屑が、早く冷めることを祈
っているよ。ああ、眠くなってきた」
「ちょっと待って!まだ聞きたいことがたくさんあるんだ」
「ああ、もうお別れだ。ではさようなら」
バナナはそう言うと、ポトリポトリと次々に落ちていって、また音のない世界に
なった。
青い子供部屋くらいの大きさのカメは、『さびしい』ということを、今始めて、
はっきりと分かったような気がした。
空はどこまでも青く、半透明な空飛ぶクラゲは何もなかったように、天空をゆっ
くりと動いていた。紺碧の空は星でうまっていた。
静かな波のかしらは、月明かりに光っては消え、光っては消えていた。
チャプリチャプリという波の音だけが聞こえる。それでも聞こえる音の数が、前
にくらべると増えてきた。
今日も夜がやってきた。
なんということはない、昨日やおとといと何も変わらない夜がきただけだ。とカ
メはゆっくり手足を動かしながら思う。
でも何かが違っている。いままでは何も考えずに手足を動かしていただけだった
のが、今は色々なことを考えていた。
(お父さんやお母さんってなんだろう?僕は気がついた時からずっと海の上を漂っ
ていたけれども、もしかして、あのバナナ達のように仲間がいるんだろうか?バナ
ナは落ちて腐ってしまったけれども、あれは波に浮かんで動かなくなったバケモノ
と同じことなのかな? バナナ、また生えてくるって言ってたよな)
カメの頭の中は、新たに生えてくるバナナのことで一杯になった。
一晩中そんなことを考えていると、海の一端が白み始め、プルシャンブルーから
コバルトブルーへと世界が一変してゆく。
昨日までは当たり前のこととしか思わなかったのに、今日は、なんでもないその
ことが、とても不思議に感じていた。
島に着くと、もう明るい黄緑色の芽が顔を出していた。カメはうれしくて、うれ
しくて、背中の痛みも忘れている。
(はやく実をつけないかな。そうすればお話できるのに)
そう思って、その小さな島のまわりをグルグル回っていたが、チョコチョコと見
ていても成長が感じられないので、大きくなったと喜べるように、また島をあとに
して、行くあてのない大海原を泳ぎ始めた。
こんどは北の方角に向かってみる。
どんどんどんどんどんどん、北に向かって行くと、なんだか海の色がだんだん灰
色がかってきたような気がする。
それに寒くなってきた。それでもどんどんどんどん北に向かった。
寒くなって来ると、甲羅の星屑の熱が消えるんじゃないかと思った。
どんどんどんどん北に向かう。
顔にコツンと何かが当たった。氷だったけど、カメは氷を知らなかった。冷たい
けどきれいだと思った。
どんどんどんどん北に向かう。
氷が絨毯のようになってきたし、氷の山も見えるようになってきた。
寒くて手足がかじかんで、だんだん動きが鈍くなってくる。
おなかがすいたので、海に潜ってみると、海草が森のように生えていて、それを
カメはお腹いっぱい食べた。
緑色の巨大なヘビのようなものが暗い空に動きだし、カメはこわくなって、一生
懸命手足を動かして逃げようとした。けれど、その空のヘビは襲ってはこなかっ
た。
そのヘビのすがたがやがて光のカーテンになって空一面に垂れ下がり、ゆっくりと
たなびく。
「ああ~!!」息をのむような美しさだった。青いカメが生まれてから見たもの
で、一番美しいと思った。 でもそれがオーロラというものだとは知らなかった。
まわりは氷の王国でそれ以外なにも見えなかった。
そんなに寒いのに、星屑は熱いままでカメの痛みや熱さがやわらぐことはなかっ
た。
まったく静かな音のない世界で、氷が、冷たく白い光を放つ太陽に照らされて、
キラキラとまばゆく輝くばかりだった。
何万年もキラキラと輝くばかりだった。
カメはまた南に泳ぎ始めた。
かじかんだ手足がだんだん暖かくなってくる。
北の空にはいなかった空飛ぶバケモノや、海の中のカイブツが、南に行くほど増
えてくる。
島が見えた。なんだかうれしくなってくる。
バナナはもう赤いボールのような花をつけ、その茎には濃い緑色の小さなバナナ
が、たくさんついていた。
カメは近づきながら、(もう、しゃべれるのかな?)と思った。
甲羅が海から出ないぎりぎりのところまで海岸に近づくと、じっとバナナを見て
いた。
何回か夜になり昼になりしていたが、カメはじっと小さなバナナを見ていた。
「やあ、カメさん。またせたね」
「ああ、やっとしゃべれるようになったんだね」
「ああ、やっとしゃべれるようになったんだ」
「なんだか初めてじゃないみたい」
「ああ、初めてなんかじゃないよ」
「どうしてだい?」
「だって、カメさん、父さんと話していたじゃないか」
「君は君の父さんのことが分かるのかい?」
「ああ、分かるとも。君が北の海で氷の山を見たり、海に潜って海草を食べたこと
なんかもね」
「どうしてそんなことが分かるんだい?」
「動かないからさ」
「どうして動かないと分かるんだい?」
「さあ、それがどうしてかは知らないけど、地面からなんでも伝わってくるんだ。
君たちは動けるから、どこにでも行けるから、目で見たものしか分からないんだ」
カメにはバナナの言っていることがよく分からなかったから、ただ「ふうん」と
だけ返事をした。
「背中の星屑、まだ熱いんだね」
「うん、いつまでたっても熱いまんまなんだ」
「はやく冷えて、熱くなくなると良いね」
「うん、そうすれば海からあがって、君のそばに行けるのに」
「ぼくがそっちに行けると良いのだけど、歩ける足はないし、それに塩水に弱いん
だ。塩は僕らにとっては毒なんだよ」
「そうなんだ、毒なんだ」
「うん、でも少しづつ慣れるかもしれないね」
「ううん、無理をしちゃいけないよ。枯れたらこまるもの」
「僕らはね、実をつけたら枯れるのさ。実がなったらそれでおしまいなんだ」
「じゃあ、実をつけなければ良いのに」
「そうだね。でも実をつけて、種を蒔かなくちゃいけないのさ」
「なんで」
「なんでなんだろうね。でもそういうことなんだ。君が熱くて痛くて泳ぎ続けるこ
とと同じなのかもしれないよ」
なぜ同じなのか、カメには分からなかったけど、こうして話している時だけは痛
くも熱くもなかった。
小さな緑色のバナナはだんだん大きくなり、やがてあざやかに黄色くなると「さ
ようなら」と言ってポトリポトリと落ちていった。
バナナは最後に「待っていれば子供が芽を出すから、待っていてくれと、仲良く
してやってくれと言って腐っていった。
芽が出て、花が咲いて、緑の実がなって、黄色くなって落ちる。
それを何十回くりかえしただろう。もう、何十年とたっていた。
バナナの実がなっているときだけ、カメは話すことができた。
あるとき、バナナに聞いてみた。
「僕にも仲間がいるの?」
それまで、なんでも答えてくれたバナナが、急にだまった。
「う~ん...........もう君も子供じゃないから話してもいいのかな」
「な~に?」
「ひいひいひいひい........あ~、古すぎて大変だ。ひいじいさんが言っていたんだ
けど、大昔、星が降って来たんだ」
「僕の背中みたいに?」
「うん。でもすごい数でまるで雨のようだったみたいだよ。それで、その時、多
くの生き物が死んじゃったんだ。運良く生き残ったものの子供や孫が、今のこの
星の生き物ってわけさ」
バナナはカメの仲間については何も言わなかった。
カメも聞こうとはしなかった。
なんどもバナナと話しているうちに、少しずつ利口になっていたから、聞かな
くても分かる気がした。
その夜、暗い海を泳ぎながら夢をみた。
青い子供部屋くらいのカメの身体が宙に浮かんだかと思うと、どんどん空に昇
っていった。どんどんどんどん昇っていった。
地球がどんどん小さくなって、もう空に見えた星のどれかと区別がつかなくな
った。
まわりの星はどんどんどんどん大きくなって、そばに行ってみると、みんな丸
い鏡のようだった。
その鏡をのぞくと、他の星が映っている。ほかの星をのぞくと、さっきのぞい
た星が映っている。どの星もどの星も自分以外の星を映していて終わりがなかっ
た。
音のない星の世界は冷たいようでいて、暖かいような気もした。
でも寂しくなったので、帰りたいなと思うと、青い子供部屋くらいのカメの身
体は、だんだんひとつの星に向かって飛んで行った。
その星はとても優しい感じがして、どんどんどんどん近づくと、海が見えて、
そこには透明なガラスのような甲羅の青いカメ達がたくさんたくさんニコニコし
ながら空を見ていた。
カメはうれしくなって空の上から短い手足をバタバタとふった。
チャプチャプと水をかく音が聞こえて目がさめた。
泳ぎながら眠っていた。
カメはまわりを見渡したけれども、青い海がどこまでも続くばかりだった。
空を見ると、月よりも少し小さいくらいのクラゲみたいな半透明のやつが、地
球と同心円でゆっくりと飛んでいた。
お日様が出て来て、青い世界がきゅうにオレンジ色に染まった。
島に行って、バナナにゆうべの夢の話をした。
「そうか、あの夢を見たんだね」
「あの夢って?」
「君が見た夢さ」
「あの鏡はなんだったんだろう?」
「さあ、なんだったんだろうね」
「この星もあの鏡の世界にいったら、やっぱり小さな鏡の星だったよ」
「ああ、そうかもしれないね」
「あの鏡の世界はいつからあるんだろう」
バナナは少しの間をあけてこう言った。
「今さ」
「今?」
「ああ今さ。カメさんが、いつだろうと思った今さ。いつでも今なんだ」
カメにはよく分からなかったけれど、バナナが言うのだからそうなんだろうと思
った。
なんだかバナナが大きく見える。
「バナナさん、なんだか近くに見える」
バナナは何も言わずにただ微笑んでいた。
「そうかな」
「でも気のせいだよね。足もないのに近づけるはずがないもの」
バナナと話している時だけは痛くも熱くもなかったけれど、そのバナナも黄色く
なってきた。
「ああ、カメさん眠くなってきちゃった。熱いかもしれないし、痛いかもしれない
けど、もう少しまっているんだよ。きっと良いことがあるから」
そう言うと「さようなら」と言ってポトリと落ちて腐っていった。
すこし寂しかったけれども、最初の時ほどではなかった。
次のバナナが生えて来るまで、こんどは南の方角に泳ぎ出した。
南の海も北と同じだった。
途中まではとても暑かったけれど、行けば行くほど寒くなり、だんだん氷に閉ざさ
れていった。
けれども北と違ったところは、大きな氷の島があることだった。
その島には黒いピョコピョコした鳥のようなものがいて、カメは(お話ししたい
な)と思ったけれども、島があまりにも大きくて、そのまわりを一周もしないうち
に、寒くて手足が凍りそうになったので引き返すことにした。
島にもどると、もう赤いボールのような花もあって、小さな青いバナナもたくさ
んついていた。
「やあ、青いカメさん、もうもどってきたんだね」
「うん。君たちがどうなったか気になっていたんだ」
そう言いながら、カメはやっぱりバナナが近づいているような気がした。
「バナナさん、なんだか海に近づいていないかい?」
「うん、そうだね」
「君のひいひいひいひいひい、あ~たいへんだ。ひいじいさんが、バナナに海水は
毒なんだって言ってたよ」
「うん、そう言ってたよね」
「でも、どうやって動いたんだい」
「簡単さ、黄色くなって落ちる時に、海がわに落ちるんだ」
「それだけ?」
「そうだよ。ひいひいひい.......もういいや。ひいじいさんが何十年も前に君に初め
て会って、君が苦しんでいるのを見た時から、みんな、ずうっとそうしてきたん
だ。僕らが動けるのは落ちる時しかないからね」
「どうして、そんなに苦労して海に近づこうとするの?塩水は毒なんでしょ?」
「うん、根のさきっぽが塩水につかると、茎も葉っぱも僕らも腐ってしまうんだ」
「なのにどうして............」
「君に近づきたかったからさ」
「なぜ?」
「なぜって、君は海から上がって来られないだろう?熱いし、痛いし」
「僕のために」
「いや、僕のためにさ」
青い子供部屋くらいのカメには、バナナの言っていることがよく分からなかった
けれど、なんだかバナナにすまない気がした。
近づくと何がおこるんだろうという興味もある。
「じゃあ、僕、海から上がってみるよ」
「ああ、無理はしないが良いよ。あと3回くらい僕らが生まれたり腐ったりすれ
ば、もう少し近づくことができるから
「でも、それはバナナさんにとって、危ないことじゃないか」
「いいのさ、いいんだよ」
「僕、海からでてみるよ。僕が海から出て歩いた方がずっと早いもの」
そう言うと青いカメは少しづつ海から出ると、浜辺に向かって這って行った。
ガラスのような甲羅のなかの星屑は、海面から出るにしたがって赤く輝きを増
して、ジュウッという焼ける匂いがしてくる。
熱くて痛かったけれど、青いカメは一歩づつバナナに近づいていった。何がお
こるのかは分からなかったが、バナナはながいながい時間をかけて自分に近づい
て来てくれた。
それならば今度は自分から近づいていこうと思う。
「まだ早いんだけど、カメさんがその気になったんだからしかたがないな」
バナナはそう言うと、「う~ん!」と自分に力を入れた。
緑色の実がだんだん太ってきて、色がどんどん黄色くなってきた。
甲羅の中の星屑はどんどん熱くなって煙がモクモク出はじめた。
カメは痛くて熱くて、バナナのところまでたどり着けるだろうかと思った。
でもなんだか力が出て、がんばれる気がする。
「カメさん、もう少しだよ」
「うん」
ゆっくりゆっくりとバナナに近づく。
そうしてとうとうバナナのなっている、その真下にたどりついた。
甲羅の星屑は真っ赤になっていて、今にも背中が燃え出すのではないかと思え
た。
「カメさん、もうすこし右」
カメにはなんのことか分からなかったが、少し右に行く。
「ちょっと行き過ぎたかな、少し左」
カメは少し左にもどる。
「うん、そこ。動かないでね」
バナナは黄色い色が少し黒ずみはじめると、ポトリと落ちた。
甲羅の穴の星屑の上にポトリと落ちた。
ジュウゥゥゥっと音がして、バナナは星屑の上で溶けた。
赤かった星屑はだんだんくすんだ色になり、灰色になり、おしまいには黒くな
っていった。
あれほど熱くて痛かった背中が、どんどん熱さも痛さもなくなっていく。
(バナナさん........)
青くて子供部屋くらいの大きさのカメは、ようやくバナナの言っていたことが
わかかったような気がした。
海は青かった。カメが見ていたよりずっと青かった。
空は青かった。カメが見ていたよりずっと青かった。
風の音が聞こえた。
波の音も聞こえた。
(バナナさん.........)
背中がむずむずした。
(なんだろう?)と、背中を見ると、きみどり色の新芽が甲羅の中から生えてき
た。
すべてが青い世界をただよう。
なにものともくらべようのないすべてのものとともに、すべてが青い世界をた
だよう。
波に浮かぶ青いカメと、甲羅に生えた緑の葉っぱと、風にふかれる黄色いバナ
ナとが一緒になって海をただよう。
終わることのないこの世界に。
おしまい